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寝食を共にした7日間が過ぎ、8日目は18時にはまたプライベートジェットで離陸する予定になっている。

夜中に起こしていいと言われた日から、司は帰宅してつくしの眠るベッドに潜り込んで、妻の寝顔を堪能してから、体も堪能していた。
そして抱きしめて眠りについて、朝は愛しい声に起こされ、好きな女の見立てたコーディネートに身を包んで出勤し、疲れた頃に可愛い妻が手料理を差し入れてくれる。

そんな至高の生活も今日で終わり、帰国すればまた北と南に分かれてそれぞれの生活に戻らねばならない。
それが今の司には堪え難かった。

結婚当初は一つ屋根の下、生活を共にする一般人夫婦を蔑んでさえいたのに今では羨ましい限りで、いっそこのままNYに住み着いてしまいたいがそうもいかない。
ただ、最終日くらい、つくしとゆっくり過ごしたかった。

シャワーを浴びてリビングに降り、いつもの豪快なブレイクファストを前にして席についた。


「今日は18時のフライトだが、発つ前に2時間の自由をもぎ取ったから結婚指輪を注文しよう。呼ぶか? 出かけるか?」


相変わらず朝はコーヒーしか飲まない司に対して、もう皿の半分ほどを片付けたつくしは顔を上げた。


「え、あの…司がいいほうでいいよ。あたしは合わせられるから。」

「じゃ、オフィスに呼ぶ。だからお前もオフィスに来い。いや、そうだ、今日は朝から一緒に出社すりゃいいじゃん。俺の仕事を見学しろよ。」

「ええっ!?」


椿に「仕事をしてる男はいつもよりカッコよく見える」と言われてから、司はこの機会を窺っていた。
つくしとの距離はこの出張によってもうかなり近くなったと感じていたが、帰国して離れてしまう前にもっと強い印象を植え付けたかった。


「決まりだ。つくしは秘書をしてたんだろ? 今日は俺の秘書ってことで。森川!」

「はい。」

「菱沼に連絡をとって準備させろ。岡村はつくしの準備を。」

「かしこまりました。」

「ちょっと、勝手なこと言わないで!」


ひとり混乱するつくしを立ち上がった司が見下ろした。


「それとも他に予定でもあるのか?」

「予定なんて、ないけど…」

「決まりだ。」


今夜はもう差し入れも必要ない。
観光だってし尽くした。
確かにすることもなく手持ち無沙汰だったし、久しぶりに真似事とはいえ働けるのはつくしにしてもありがたかった。


「わかりました。支度します。」


朝食もそこそこにつくしも立ち上がった。




***




夫が仕事をしている姿など、見たことがない妻の方が世の中には多いかもしれない。
しかしつくしは幸運なことに、今日、夫の仕事姿というものを初めて目にすることができた。
広く見晴らしのいい司のオフィス内につくしのデスクが置かれ、「何もしなくていい」という司を説き伏せてごく簡単な仕事を割り当ててもらった。
久しぶりの仕事に、つくしは水を得た魚のように生き生きとしていた。

そんなつくしの様子を司はPCディスプレイの隙間から盗み見る。
初めて見るオフィスレディ然としたつくしは、いつもとは違う凛とした魅力があった。
惚れさせようと立てた企みだったのに、司の方が惚れ直してしまって、ミイラ取りがミイラになるから困ったものだ。

つくしは書類を持ってスッと立ち上がった。
司は急いで視線を目の前に並んだ画面に戻す。
自分のところに来てくれるのかと思ったのに、つくしは部屋を出て行った。
司もドアに向かい、細く開けて外を伺うと、つくしが菱沼に書類を渡しながら何か会話をしている。
菱沼のデレた顔が見えた。

一瞬で沸点に達し、ドアを大きく開けて部屋を出た。


「あ、副社長。」


菱沼の声に、つくしが振り向いた。


「お前ら、何やってんだ。」


ドスの効いた声に二人は同時にビクッと縮み上がった。
そのシンクロも許せない。


「つくし、できた仕事は俺んとこに持って来い。男と二人きりになるな。」

「男って、そんな言い方…菱沼さんからいただいた仕事が終わったから報告してただけです。穿ったことを言うのはやめてください。」


怒りモードの司に意見する人間がこの世に存在するなど考えたこともない菱沼は、ハラハラ、オロオロとするばかりだが、二人の間に火花が見えるほどになって、なんとか火消しをしようとある提案をした。


「副社長、申し訳ありませんでした。奥様、よろしければ社内を他の者に案内させます。吹き抜け2階のカフェなどはメニューも豊富で美味しいと評判ですよ? 岡村さんも一緒にいかがですか?」


二人を引き離して険悪な状況を好転させたかったが、この菱沼の心遣いは更なる炎上への給油に過ぎなかった。


「菱沼、勝手なことを言うな! つくしは俺の仕事を見に来てんだ! オフィスから出すわけねぇだろ!」

「いちいち怒るのはやめてよ! 菱沼さんはあたしを気遣ってくださってるんだから。…菱沼さん、そうします。岡村さんとちょっといろいろ見て回ってきます。」


菱沼はもう顔面蒼白だ。
にこやかにこちらを向いたつくしの背後で、猛獣のような顔をした司が自分を睨みつけていた。

ヒェ〜〜
奥様、庇っていただかなくて結構ですから〜
副社長、さらに怒っちゃってますから〜
やっぱり天然ちゃん奥様は鈍感だった〜


「あ、あのっ、あー、しまったなぁ、お昼までにしなくちゃいけない仕事をすっかり忘れてたぁ。お、奥様、申し訳ありません。見学はまた今度でよろしいですか? やっぱり仕事を手伝ってください!」

「え、そうなんですか、もちろんいいですけど。」


菱沼の突然の路線変更に腑に落ちないものを感じながらも、つくしとしては仕事ができる方がありがたかったため、素直にその指示に従った。
そうなると猛獣は大人しくなるもので、自分の巣につくしが帰ってきて安心したのか、集中力を取り戻してNYでの業務の仕上げに取り掛かった。

そんな司を今度はつくしが盗み見ていた。
仕事中の男性をカッコいいと思ったことがないのは、相手のプライベートの姿を知らなかったからだろうか。
それともそれが司じゃなかったからだろうか。
複数の画面を前にしてブラインドタッチでキーボードを打つ姿や、時折、考え込むような仕草、受話器を持ち多言語で業務指示を出す姿など、どこを切り取っても初めて見る姿ばかりで、いちいちキュンキュンとトキめいてしまう。
極めつけはため息をつきながら前髪をかき上げる仕草で、ほとんどの時間を御渡りで過ごしてきた夜間には決して見られない真剣な表情だった。
甘く微笑まれても溶けてしまいそうになるが、こんな真剣な眼差しで見つめられればどんな不可能な頼み事も是と言ってしまいそうだと、つくしはカードのように目の前に広げた書類の隙間から司のレアな姿を堪能していた。


「できたか?」

「へっ! あ、は、はいっ」

「見せてみろ。」


つくしは席を立ち、司のデスクの前に進み出て書類を差し出した。


「よし、これでいい。サンキューな。」

「いえ。」


司の顔は、つくしの前ではすぐに妻に甘い夫の顔に戻る。
当たり前なのに、それがなんだか悔しい。
と言っても、つくしだって自分に任されている仕事が急を要しないものであることくらいはわかっている。
それにいくら元は役員秘書だと言っても、奥田商事と道明寺ホールディングスではその事業規模は水たまりと大海ぐらいの差があるのだから、きっと自分の能力は菱沼の足許にも及ばないだろう。
だから難易度も落とした、簡単な仕事の上辺だけをやったつもりにさせているのだ。
それがつくしには屈辱であり、情けなくもあり、司にとっての自分の存在意義が希薄であるとの認識をますます深める結果ともなった。
だからと言ってたった数時間の奥様秘書になにができようか。

劣等感・・・
今更ながら、つくしは自分のこのひねくれた感情の根本に思い至った。
それはこのNYにおいて、あまつさえ普通の夫婦の真似事をしたから気づいたのだ。
対等に支え、支えられるのが夫婦だと思っていたカタチをNYに来てやっと実践できた。
夫の身の回りに世話を焼き、健康管理だと言って食事を整え、ベッドの中では夫の甘えの手綱を引く。
何も夫と同等に外で働かなくとも、彼を支えているという自負が妻としての誇りを持たせてくれていた。
しかし日本に帰ればまた別棟の生活に戻る。
対等であるはずの夫婦なのに、必要とされるのは夜だけ。
それはまるで娼婦のようだと、つくしは感じていた。
そこには果たして私の存在意義があるのだろうか?
抱くだけなら自分でなくともいいはずだ。

この無為な生活に嫌気が差して、逃げ出してしまいそうな衝動に駆られ、つくしは一歩引いた。


「つくし、疲れたか? そろそろ昼飯にするか?」


司の気遣いが、つくしを惨めにさせる。
でも彼に罪はない。
つくしは司の業務に支障を来さないことを僅かな誇りとして微笑みを返した。


「うん、そうかな。司が仕事してるところも見られたし、他にすることがないならあたしはやっぱり岡村さんとカフェにでも行っとくね。」

「あ、ああ、そうするか。」


同じ空間に居られないことを大いに残念に思いながら、疲れたというつくしを引き止めることもできずに司はその姿を見送ることしかできなかった。










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2020.07.11
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