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つくしはこれから8日間を過ごすペントハウスに入った。


「うっわぁ〜〜!」


マンション最上階24階、その吹き抜けになっているリビングからは摩天楼の夜景が見渡せた。


「すごい部屋だね! 夜景、キレイ!」


顔を輝かせて喜ぶつくしに、司も顔を綻ばせた。
その様子を見ていた森川も岡村も、どうなることかと思った十数時間前を思い出し、二人に気づかれないようにホウッと安堵の息を吐き出した。






あの時、司の背中を見送った数十分後だった。
司が血の気の失せたつくしを抱いて戻ってきたのだ。


「奥様!? いかがなさったんですか!?」


森川が急いで司の寝室の扉を開くと、司は寝室に入ってベッドメイクが終わっているシーツの上につくしを横たえた。


「今、奥様の主治医を!」


そこから出発までの1時間半は怒濤の展開だった。
森川から遠山を通してつくしの主治医が呼ばれ、到着までの間に庭師の藤村健太とつくしの侍女、島田貴子が司から解雇を言い渡されたとの知らせが駆け抜け、遠山が司の部屋に訪れ、島田の解雇の権限はつくしにしかないこと、藤村健太は道明寺の別会社が運営する委託管理会社に移籍させ、司とつくしの前には二度と現れない僻地へ異動させる、つまりは左遷について話し合われた。
司は島田に関しては謹慎という処分で折れたが、藤村については頑として解雇を譲らなかった。
しかし理由が見当たらない。
藤村は造園部で一番の若手であり、上司である親方の覚えもめでたかった。
勤務態度、人柄、私生活に関して一切の瑕疵が見当たらなかったのだ。


「人の女、ましてや主人の妻と特別に親しい間柄になっておいて、問題がないだと!?」

「旦那様、聞き捨てなりませんが、それは奥様が藤村と密通しているということですか?」


この11年で見たことのない司の激昂ぶりに狼狽る森川を尻目に、遠山が冷静に問いかけた。


「密通だと!? 体の関係があったと言いたいのか!!」

「旦那様、どうか落ち着いてください。あったのかどうか、わたくしどもにはわかりません。旦那様は何をご覧になったのですか?」


島田から報告を受けていた遠山はすでに知っていたが、念のために司に問いかけた。


「俺が見たのは…二人が花壇で笑い合ってた。楽しそうにじゃれ合って…」

「じゃれ合うとは、抱き合って接吻でもしていたということですか?」

「せ?」

「キスのことです。」

「んなことしてたら今頃、殺してる!!」

「してなかったんですね。ただ楽しげに笑いながら話していた、と。」

「…そうだ。」

「わかりました。ではなおのこと、解雇ではなく左遷の方向での御処分をお願いします。強制的に遠くに追いやれば、もう奥様と会うことも叶いませんから。」


冷静な遠山に助けられ、藤村はなんとか東京から遠く離れた地への異動に決定した。
その間、つくしの主治医が到着し、急遽、島田の代理侍女となった岡村が付き添った。


「旦那様、医師からお話がございます。」


つくしのベッドサイドへ腰掛けた司に、女医はつくしの状態を告げた。


「奥様は何者かに首を強く掴まれたために、脳への酸素供給が一時的に滞り失神したと考えられます。脳への後遺症はないと思われますが、24時間は安静にお過ごし下さい。それで、奥様を襲った不届き者にお心当たりはございますか?」

「俺だ。」

「え?」

「つくしの首を絞めたのは俺だ。もういい、行け。」

「ですが…」

「どいつもこいつも俺に逆らうのか! 行け!!」


そうして追い出された医師は遠山に懸念を伝えたが、「大丈夫です。」の一言で帰された。

その間も出発の時刻は迫っている。
森川はつくしに付き添い、じっとその顔を見つめている司に恐る恐る告げた。


「旦那様、時間がありません。奥様は岡村に任せて御支度を。」

「…連れて行く。」

「いま、なんと?」

「つくしもNYに連れて行く。10日間も自由になどさせてたまるか。岡村を呼んで支度をさせろ。」

「……かしこまりました。」


それは今まで森川が知っていた司ではなかった。
道明寺の御曹司として、煌びやかな道を歩いてきた昨日までの司ではない。
力強い自信を漲らせていた瞳に今、見えるのは、弱さに揺蕩う不安定な心で、その姿は、愛されていないという失望の翳(かげ)を背負い、つくしを失うかもしれないという恐怖の足音を聞き、それでも愛されたいと切望する、ただのちっぽけなひとりの男だった。

その後、岡村によって清拭と着替えを済ませたつくしを連れ、一行は道明寺邸を後にした。

  


***




ペントハウスでの時刻は23時に近かった。


「お荷物の収納が完了しました。」


森川と岡村、荷解きにNYの道明寺邸から呼ばれた使用人がリビングのソファで寛ぐ司とつくしに頭を下げた。
別の使用人が淹れたコーヒーを飲んでいた司は目を上げた。


「ご苦労。今夜はもういい。下がれ。」

「かしこまりました。それでは旦那様、奥様、おやすみなさいませ。」

「ありがとう。おやすみなさい。」


使用人たちが下がり、二人だけになると訪れる沈黙がつくしには痛い。
人一人分空けて座る司からガーデンハウスで感じた威圧感はもう漂っていなかったが、それとはまた別の原因で気まずかった。
つくしはスクッと立ち上がった。


「さて、探検でもするかなー。」


つくしは勢い良くそう言うと、リビングの隣のキッチンに入って行った。
そこは厨房と言うべき広さを誇り、ここなら数人のシェフを招いて立食だろうが着席だろうが、パーティーもできるだろう。
壁一面にはステンレスの冷蔵庫が並ぶ。
その一つを開けてみた。


「ふわぁ〜、スゴっ」


それはドリンク専用だったらしく、上段は摂氏5度に設定されよく冷えたミネラルウォーターから各種ソフトドリンクにシャンパン、ビール、ウォッカまである。
下段は地下の貯蔵庫を思わせる摂氏13度に保たれ、ワインや日本酒が収められていた。
他の冷蔵庫も食材の種類別に温度管理がなされており、それぞれの食材が詰まっていた。


「こんなに、食べれんの?」


ここで食事をするのはせいぜい4人なのに、この食材は一体、何日分なんだろう。


「面白いもん、あったか?」


背後から聞こえた夫の声につくしは振り返った。
ノーネクタイのスーツ姿の司は、ポケットに手を突っ込んでリビングに繋がる通路の壁にもたれて立っていた。


「あ、うん。冷蔵庫には食材が一杯で誰がこんなに食べるのかなって。」


つくしの体の奥にはPJで点けられた情欲の火が今も燻っていて、二人きりになると途端にそこに意識が向いてしまって、まともに夫の顔を見られない。
つくしは冷蔵庫の扉を閉めて廊下に出るドアに向かった。


「こっちはなんだろう。」

「そっちは廊下だ。」

「ふーん。」


ドアを開けると本当にさっき通った廊下だ。
今度は向かいのドアに向かった。
ノックをしても返事はない。
ならばなんの部屋か確かめようとドアノブに手をかけた時、背後からウエストに回った腕に体をさらわれた。


「キャッ」

「そこは書斎だ。俺たちの部屋は上だ。行くぞ。」


司に抱えられたまま、リビングにある階段を上がると2階だ。
右手には吹き抜けのリビングが見える。
階段を上り切った正面のドアを入れば煌々として明るいマスターベッドルームだった。
パンプスのヒールが埋まるカーペットの上につくしは下された。
そこはベッドルームだけで25平米はあり、そこに二部屋に分かれているクローゼットルームとマスターバスルームがまた別のスペースを取って続いていた。
これから8日間、ここが二人の部屋だ。


「ひ、広い部屋だね。うわぁ、ここからも夜景が見えるんだ。」


つくしは飛び跳ねるように司から離れ、床から天井まである窓に近寄って張り付いた。
その窓に司が映り、背後からつくしの肩に手を置いた。
つくしは反射的に体を固くしてギュッと目を閉じた。

なぜ自分がこんな状態になってしまったのかわからない。
しかし、火のついたままの身体は全細胞が司を求めて蠢いて、彼のいる方向に神経が集中してしまう。
PJの中で司は執務室で仕事をしていたから、つくしは自分がこんな状態であることに気づかなかった。
でもリムジンの中から媚薬のごとき司の香りがすぐそばでして、心臓が胸の中で躍っている。
このうるさい鼓動が、こんなに静かな室内では司に聞こえてしまうのではないかと思うと怖かった。
知られた時に拒否されることが怖かった。


「俺が怖いか?」

「え?」


思ってもない言葉に開いた目に見えたのは、ガラスの中のつくしを見つめる司の痛みを感じたような表情だった。
司は手を下ろし、つくしから顔を逸らし、背を向けた。
と、つくしは無意識に体が動き、気づけば司の手首を掴んでいた。
高価な腕時計をした鋼のような手首。
首から手を離してほしくてそれを懸命に掴んだのは昨日のことだった。
しかし今日は自分から離れてほしくなくて掴んでいる。
そうじゃない、怖いからじゃない、と誤解を解きたかった。
司がゆっくりと振り向いた。


「あの、違うの。怖くない。司が怖いとかじゃ…ない。」


つくしは自分の頬が熱を持つのがわかってつい顔を逸らした。


「えっと、上手く言えないけど、そうじゃないから。」


昨日の今日でどうして怖くないのか、つくしにも不思議だった。
あんな怖い目に遭ったのに、あんなことを強要されたのに、それなのに司が欲しいと思ってしまった。
昨夜の行為はもっと抵抗することもできたはずなのに、途中からは女の本能が司を求めて受け入れていた。
そして司のあの言葉が、これまで強張って殻に閉じ込めていたつくしの ” 女 ” を開花させたのだ。


「じゃあ、なんだ。俺を避けてるその態度の理由はなんだよ。」

「避けてなんか…」


避けてる。自覚はある。
でもその理由を説明することはできない。
そんなことは口が裂けてもつくしは言えなかった。
「抱いてほしいからだ」なんて。

その時、ダンッという音と共に、つくしは防弾仕様になっている窓ガラスに追い詰められ、閉じ込められた。


「これでも怖くないか?」

「怖く…ない。」


怖くはないが、顔が近くて恥ずかしい。
だからつくしはやっぱり顔を逸らした。
それが司の中の恐れを消してくれない。
つくしに恐怖を植えつけてしまったのではないか、そしてあんな屈辱的なことをさせた男を軽蔑しているんじゃないか、だからもう本当に望みを失ってしまったんじゃないか、そのことが司は怖かった。
だから司はつくしの真意を確かめようと、昨日と同じようにつくしの髪を撫で、頬を撫で、その手をスカーフが巻かれた首に添えた。
そしてつくしの耳許に唇を寄せてささやいた。


「つくし…」


その瞬間、司の手の中からつくしが消えた。










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2020.05.18
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