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週が明けた月曜日、菱沼章吾はため息ばかりついていた。


「ハァ…」

「先輩、どうしたんですか?」


声をかけてきたのは秘書室の後輩だ。
この後輩の彼女が受付にいて、花屋の野々花ちゃんが現れたらいつでも連絡をもらう手筈になっている。


「いや、副社長がな…」

「菱沼、司がどうかしましたか?」

「えっ!!」


聞き間違えるはずのない声に、秘書室の入り口に顔を向けたのは後輩と同時だった。


「「社長!!」」


そこには西田を伴った楓が立っていた。
秘書室で内勤に当たっていた者全員が立ち上がった。
楓はNY本社の役員と日本本社社長を兼務していたが、ほとんどをNYで過ごしているため実質は司が日本のNo,1で、楓は時々帰国しては業務の進捗状況に目を通して帰っていくだけだった。


「で、司がどうかしたのかしら?」


二度目の問いかけに、菱沼も答えざるを得ない。


「いえ、副社長はすこぶる好調です。」

「あら、そう。ならばなぜあなたはため息ばかりなのですか?」

「ぐっ…」


いつから聞いてたんだろう。


「それは私の至らなさ故です。副社長がもっと休みが欲しい、休暇も取りたいと仰せになって、どのようにそれを実現させようかと思案していた次第です。」

「そう、司が休みをね。」

「申し訳ありません。」

「あなたが謝ることはないわ。私が話をします。」

「え、でも…」


菱沼が下げていた頭を起こしたときにはもう楓の姿はなかった。


「ッハァァァ〜……」

「先輩、ため息、深すぎです。」


菱沼はデスクに手をついて大きく息を吐き出すと、自分を奮い立たせて体を起こし、司のオフィスに急いだ。









「社長、今日、いらっしゃるとは思いませんでした。」


いきなりオフィスを訪ねてきた楓にソファを勧めながら司も立ち上がってデスクを回り込むと、楓の向かいに腰掛けた。
西田と後から来た菱沼はドアの前に控えている。


「つくしさんはお元気?」


つくしの名前に司の眉がピクリと震えたのを楓は見逃さない。


「ええ、元気なようですよ。」

「…そう。結婚生活も順調かしら。」

「そうですね、まずまずでしょうか。」

「まずまず、ね…それはよかったわ。」


もちろん楓は2人が順調であることは遠山から報告を受けていた。
そしてどうやら司がつくしを特別に想い始めたということも。


「母さん、」

「…なにかしら。」


司に母親として呼びかけられたのは何年ぶりだろう。
6歳になる前日までしか共に暮らせなかった息子。
いくらシキタリと言えども辛くなかったわけがない。
楓もまた、北棟の窓からいつも司のいる東棟を眺めていた。


「なぜ親父は、あの数々のシキタリを廃止にしなかった? あの人はあんたのことが大好きだろ? なのに、なんで黙って従ってたんだ?」

「フフ、そうね、あの人なら片っ端から破りそうなのにね。」


偀(すぐる)は破天荒な男だ。
その人間としてのスケールの大きさがビジネスにも現れていて、道明寺グループの躍進につながっていた。
偀は司にも自分のその特性が受け継がれているはずだと感じていたが、司の中の眠れる獅子はなかなか目を醒さなかった。


「実際に破ったことはなかったのか?」


いつもの楓なら、ビジネスモードで「それを聞いてどうするのか」と問いかけていたかもしれない。
しかし今、息子が必要としているのは上司としての楓ではない。母親としての楓だ。
求められているのならは真摯に応えようと楓は思った。


「未遂はあったわね。従者からくすねた鍵で合鍵を作って北棟に自由に出入りしようとしたわね。」

「マジか! だったら尚更、なんで、」

「あの人も怖かったんじゃないかしら。長い歴史を自分の代で壊すのが。」

「あの親父が!? 怖い?」

「フッ、あの人ああ見えて案外、臆病なところがあるのよ?」

「信じらんねぇ…」


嘆息する息子に、今度は上司として言わなければならない。


「それで、休みが欲しいと?」


司は顔を上げた。


「ああ。つくしとの時間をもっと大切にしたい。今まで取ったことのない休暇も取って、新婚旅行にでも連れて行こうと思ってる。」

「それは後継者作りのため?」

「つくしはまだ妊娠させない。まずは俺たちの関係を盤石にしたい。子供はそれからだ。」

「そう…気持ちはわかったわ。自分の裁量でどうとでもなさい。さしずめ、離れているのが苦しくなってきたんでしょう?」


その言葉に司はグッと押し黙った。
その様子に、司がつくしを愛し始めたのだと楓は確信した。
楓は立ち上がった。


「司、あなたがどうしても現状に耐えられなくなったらつくしさんとあの家を出なさい。シキタリは屋敷の外までは追いかけてこないわ。」

「…つまり、シキタリが適用されるのは屋敷の中だけってことか?」


楓はもうドアに向けて歩き出しながら片手を振った。


「そうよ。武将が遠征に妻を連れて行く場合、寝所は同じよ。だから私たちはNYに移ったの。あなたはまず、つくしさんを連れて出張にでも出るのね。」


その言葉を残して楓は西田を伴ってオフィスを後にした。




***




その頃つくしは、髪を後ろでまとめてひとつに括り、パンツスタイルにカットソーというラフな出で立ちで島田を伴いガーデンハウスにいた。
テラスを開け放ち、腰に手を当てて仁王立ちになって広過ぎるほどの『花壇』を眺めている。
その後ろ姿を島田が部屋の後方から見つめていた。

するとつくしが突然、外に向けて片手を上げて大きく振った。


「健ちゃん!」


つくしの向こうでは笑顔の健太が手を振っていた。


「健ちゃん!そこから入って!」


つくしは柵に設えられた扉を指した。


「あたしも行くから!」


そう言うと、つくしは帽子を被って庭仕事用のスニーカーを履くと、ガーデンハウスを出て庭に降りた。
そして青味がかった庭師の作業着に軍手をし、麦わら帽子を被った健太と二人で柵の内側に並んで立ち、そこから花壇とガーデンハウスを眺めた。


「お前は旦那様に何て言ってお願いしたんだ?」

「あたしは単に「2坪くらいの花壇が欲しい」って言っただけよ。」

「それがこうなるのか? 旦那様はすげぇなぁ。家まで建てちゃうんだもんなぁ。」

「ね。あたしも驚いたわよ。」

「愛されてんじゃん。」

「そ、そういうのじゃないわよ!」

「そういうのじゃなかったら何なんだよ。」

「最初、ヘクタールとか言ってたんだよ? 感覚が違うだけだよ。」

「ふーん…そうかなぁ…」

「もういいから。それよりさ、何の種を撒こうかな?」

「そうだなぁ。これだけ広いと花だけじゃなくて野菜とかも面白いかもな。」

「畑…やっぱそうなるか。今の時期は何がいいの?」

「これから冬に向かうから白菜とかカブとか。初心者向きですぐに収穫できるのは二十日大根だな。」

「二十日大根?」

「ラディッシュだよ。その名の通り、一月かからずに収穫できる。サラダとかで食べたら美味しい。」

「じゃ、それも育ててみる!」

「できたら旦那様に召し上がっていただけばいいじゃん。お前からだって知ったら喜ぶぞぉ。」

「もう! だからそういうんじゃないって!」


二人の様子をガーデンハウスから眺める島田は自分が与えられた任務の意味がわかって、喜ばしいやら苦悩するやら、複雑な心境だった。

どうやら旦那様はようやく恋を自覚したのね。
だから私に奥様の監視役を命じたんだろう。
だけど、奥様の心はまだ旦那様のそのお心に気づいていないのか、気付いていても旦那様が何を心配なさっているのかわかってないのか。
だから、ああ、あんなにも楽しそうな笑顔になって。
これを旦那様がご覧になったら・・・
いやいや、いくら初恋だと言っても奥様が楽しげだからってまさか何かするわけでもないでしょう。
ただ、必要以上に近づけないようにという配慮ですよね。

島田に見守られながら、つくしは健太の指導を受けて二十日大根や花の種を植えていった。
健太にはああ言ったが、本心では司に喜んでもらいたいと思いながら。








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2020.03.26
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