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「つくし…つくし…」


名を呼ぶ声に微睡みから醒めかけて、つくしはいま自分はどこにいるのか、と考えた。
確かソファに座っていたはずなのに、今は温かいものに包まれて、体が軽い。
誰かの鼓動が伝わってくる。
緩慢に目を開けると、そこはバスルームで、バスタブの中で司がつくしを横抱きにして座っていた。
自分の肩につくしの頭をもたれさせ、その頭を撫でている。
つくしは力が抜けた身体を司に任せて、黙ってされるがままに抱かれていた。


「つくし、そろそろ目を覚ませ。」


その声に、つくしは返事をしようと口を開けたが声が出ない。
唾をゴクンと飲み込んで、自分の唾液で喉を潤した。


「…なんで…? ここ…」


しゃがれたような声でつくしは答えた。


「起きたか。お前が目を閉じたままだったから体を洗ったんだ。」

「…っ…旦那様が?」


「司」と呼びそうになったが、シラフで名前を呼べるほど、まだつくしの中に司への親しみはなかった。
それに「旦那様」と呼んで他人行儀にしているうちは、自分の心の中から司を締め出せるような気がした。
遠い他人。そう思うほうが愛のない行為を受け入れ易かった。


「ああ、そうだ。」

「すみません。」

「お前に無理をさせたのは俺だからな。」


話しながら、司はつくしの肩に湯をかけた。
その温もりを感じながら、つくしはソファでの強引な情事を思い出して考えにふけった。

この人は、新しいおもちゃを与えられた子供みたいだ。
与えられた直後はもの珍しくていじくりまわして、振り回して。
そのうちに飽きて捨て置かれる。
相手はおもちゃだから意思なんかない。
だから配慮も斟酌も必要ないんだ。
あたしにはいつ頃飽きてくれるかな。
早く飽きてほしい。
そして早く運命の人に出会って欲しい。


「お腹…空きました…」

「ああ、そうだな。用意させる。」

「どうせなら、レストランに行きませんか?」


そうだよ。
あたしはこの人の本当の相手が現れるまでの仮の妻なんだから、早く運命の人に出会えるようにできるだけそういう場に出かけるチャンスは生かさなきゃ。


「じゃあ、そうしよう。その前に…」


司はつくしの肩に回した手で顎を上げさせると、またその唇を味わった。
そして先ほどつくしに湯をかけてくれた手がつくしの双丘を包んだ。

ほら、やっぱり。
あたしはオモチャ。
あたしの意思なんて無いも同然なんだから。

司はつくしをイかせる快感に目覚め、このあとバスルームでも何度も絶頂に導き、そして自身も導かれた。




***




瞼の向こうに光が射している。
朝の光なのか、もしくは灯りなのか。
確かめようとつくしは目を開けた。

ベッドの天蓋が見えた。
顔を光の方へ傾けると天蓋から降ろされているオーガンジーのカーテンが見え、その向こうに窓が見えた。

ああ、自分は邸に帰ってきたんだ。
いつ?
どうやって?
つくしにはバスルーム以降の記憶はなかった。

起き上がろうと寝返りをうつが、そこからベッドに手をつけない。
腕で体重を支えられない。
ハァ、と、息を吐いてまた仰向けになった。


「奥様? お目覚めですか?」


ベッドの外から島田の声がかかった。


「島田さん…はい、目は覚めました。けど起き上がれません。」

「お食事はベッドにお運びします。そのまま休んでいてください。」

「私、どうやって帰ってきたんですか?」


つくしの問いかけに、島田は珍しく一拍おいて答えた。


「旦那様が運んでくださいました。」

「ホテルから?」

「はい。」

「服は?」


バスルームで司の体力に付き合わされたつくしは力尽き、また意識を失って沈み込んだ。
そのつくしを抱き上げてベッドまで運んだはいいが、ここからどうすべきかわからない。
このままつくしが目覚めるまで待てば朝になってしまうが、妻と朝を迎えることはシキタリで禁じられている。
困った司は仕方なく島田を呼んだのだ。
未明にグランド・メープル・東京のインペリアルに呼び出された島田は、つくしの様子を見て怪訝な表情で眉間にシワを寄せた。


「旦那様…奥様はどうなさったんですか?」

「意識を失ってるみたいだな。」

「意識を失ってる!? なぜまたそんなことに?」

「あー、俺につきあわせたからだろうな。」


バスローブを着て乾きかけでまだ癖が戻っていない髪をかき上げながら司はバツが悪そうに答えた。
島田は額を抱えてため息をついた。


「つきあわせたって…あの、お夕食は召し上がったんですよね?」

「んー……いや、食ってねぇな…」


島田の片眉がつり上がり、銀縁メガネの奥から冷ややかな視線が司に突き刺さった。


「旦那様、僭越とは存じますが、一言申し上げます。」

「……なんだよ。」

「奥様を大事になさいませんと、本当に離婚されますよ!」

「だ、大事にしてるだろ! 今日だって連れ出したし、毎晩、渡ってるし。」

「加減というものがございます! 意識を失うまでのことは今後はお控えください。さ、あとはわたくしがお世話させていただきますから、旦那様はこの部屋から出てください。」


ベッドルームから司を追い出し、島田はつくしの体を拭き、部屋のクローゼットに用意されていたつくしの服を着せ、軽く化粧をした。


「……はぁ、まったく…まるで納棺するみたいだこと…」


つくしは青白い顔をして眠り続けていた。



「そうだったんですね。お世話をかけてすみません。」

「いえ。そのあと、旦那様が自分が運ぶとおっしゃって、ホテルからこの部屋までずっと抱きかかえてらして。」

「誰のせいでこうなったか考えれば感謝など湧きませんが…あの人、よくあの歳まで性欲を抑えていられましたね。それとも初夜まで禁止というのはやはり建前ですか?」

「いえいえ! 本当のことです! 旦那様は奥様との初夜までご経験はございませんし、これまで親しくお付き合いした女性もおられません。何もかも、奥様が初めての方です。」


でもきっとキスは経験があったんだ、とつくしは思った。
あの蕩けるようなキスをされると、力が抜けて抵抗できなくなる。
何もかも身を任せていいかと思えてしまう。
「キスの魔術師」
つくしは秘かにそう呼んでいた。


「あの、奥様、」

「はい」

「旦那様のこと、どうか許して差し上げてください。」

「・・・・・」

「旦那様は幼少より東棟でお一人でお暮らしで、こんなにも頻繁にご家族と接したことはございません。それに先ほども申し上げました通り、女性とのお付き合いも初めてでらっしゃいますし、まだわからないんですわ。これでも旦那様なりに奥様を大事になさっているんです。」


島田は情の深い女だとつくしは思った。
その表情に温かみは無くとも、庶民の出の自分にも誠意を持って仕えてくれている。
そんな島田の言葉なら信じてみようとつくしは枕に頭を預け、目を閉じて深く息を吐き出した。


「わかりました。でも今日の御渡りは勘弁してください。」

「もちろんです。森川に伝えます。」




***




森川から司に今夜の渡りはできないと連絡があったのは昼前のことだった。
オフィスで菱沼と打ち合わせ中に入った一報に、司は短いため息をついた。


「どうかなさったんですか? 嫌な知らせですか?」

「いや、今夜の渡りがキャンセルになったって連絡だ。」

「渡りですか。どこに渡るご予定だったんですか?」

「そうか。一般人は妻とは同じ部屋で暮らすらしいな。」

「一般人はって…副社長は違うんですか?」

「俺たちは別棟で暮らしてる。妻に会うには妻の住む棟に渡るんだ。」

「ああ、それで『 渡り 』ですか。…へー、大変ですね。」

「そうか? 会いたい時だけ会えばいいんだ。その方が楽だろ。」

「でもその渡りが今夜はキャンセルになって会えないんでしょう? 好きな人とずっといっしょにいられないのは辛くないですか?」

「好きな人? あいつが?」

「あ、まだそこまでになってませんか? 随分、落胆されていたのでもう愛情が芽生えたのかと思いました。」


愛情…
結婚すれば芽生えると言われていた。
この気持ちがそうなのか?
俺はただ、今夜はあいつの肌を抱きしめられないことが残念で…

この気持ちが愛情だろうがそうじゃなかろうが、俺たちはもう結婚してる。
いまさら愛情の有無が重要とは思えないな。


「あいつに会いたいってわけじゃない。ただ今夜はできないってだけだ。」

「なるほど、そうですか。まぁ、そう毎日するものじゃない…と聞きますしね。」

「お前も早く結婚しろよ。我慢は体に毒だぞ。」

「あ…ははは。ですよねぇ、ははっ」


そういえば、つくしがどうしているのか聞くのを忘れたな、と司はもう一度森川に連絡を入れた。









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2020.03.06
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