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皆様、こんにちは!
今日は神尾葉子先生のインスタグラムに最近アップされたイラストから妄想した短編をお届けします。
これは複数のつかつくサイトマスターさんが参加されている企画でして、ひとつのイラストで多くのバージョンが読めるというとても豪華なゲリライベントです(*^▽^*)

こういったイベントは初参加ですが、とても楽しく書けました。
それでは早速、nona version をどうぞ!










「これ食いたい。」


道明寺が珍しくテレビを見ていたかと思ったら、おもむろに呟いた。
食に興味のない男が、自分から何かを食べたいなどと滅多にないことで、あたしは学校から帰って洗濯物を片付けていた手を止めてソファに座る道明寺の背後からテレビ画面を覗き込んだ。
そこには商店街を歩くレポーターが映し出されており、その手には紙に包まれたコロッケが握られていた。


『アツアツ、揚げたてのコロッケをその場で頂ける。街ブラの醍醐味ですね〜。いただきまーす!…モグモグ…わぁ〜、ホクホクで美味しいですぅ』


まるで台本があるかのようなセリフだが、その表情は本物で、レポーターはコロッケ一個を3口で平らげた。


「これ、ってコロッケ?」

「あ?」


背後のあたしを仰ぎ見た。
相変わらずの三白眼は何を考えているのか読み取りづらい。


「だから、さっき『これ食いたい』って言ったでしょ? それってあのコロッケのこと?」


コロッケなら晩ご飯にでも作ってあげられる。


「ああ、あれ食いたい。」


ほんっと、珍し。


「ん、わかった。晩ご飯はコロッケね。中身はなにがいいかな? やっぱり牛肉コロッケ? それとも変わったところで鮭のコロッケとか。まさか道明寺がポテトコロッケじゃないよね。」


コロッケなんていう庶民のご馳走に興味を持ってもらえたことが嬉しくて、あたしはひとりではしゃいでいた。


「あれならなんでもいい。」

「ふーん…わかった。やっぱり牛肉コロッケにしよう!」


せっかく道明寺がリクエストしてくれたんだもん。
いつもよりもちょっと贅沢したっていいよね。

あたしと道明寺は今、『1年の猶予』の真っ最中。
あたしは英徳高等部、道明寺は大学部にそれぞれ通いながら、今はお隣さんとして暮らしてる。
お隣さんてあのボロアパートか?って?
それが、記憶が戻った道明寺が「慰謝料だ」って言ってマンションの一室を買って、あたしに「住め!」と言ってきた。
もちろんあたしは何度も断ったけど、「隣には俺が住む! 俺の社会勉強にお前も付き合え!」って強引に隣人にさせられたんだ。
荷物の少なさが仇になって、引っ越しはあたしが学校にいる数時間で完了してた。
風呂なしの6畳一間だったあたしの城は、80平米2LDKに姿を変えた。
そのタイミングで高校に進学した進は両親と暮らすことになり、あたしはこの落ち着かないほど広い部屋で一人暮らしをすることになったんだ。

そして隣に引っ越してきた道明寺は、ボロアパートの時みたいに夜中だけの通いじゃなくて、本当にそこに住んでいる。
「これも修行だよ」って言ったのはタマ先輩だった。


「奥様がね、「道明寺を捨てる気になったのならいい機会だから社会を知りなさい。」と屋敷を出ることを容認なさったのさ。あたしゃ驚いたけどね、それも奥様の愛情だと思えば、涙が出るねぇ。」


…なんてタマ先輩は感動していたのだけど、先輩、あの道明寺が社会を知るなんて殊勝なことできるわけないじゃないですか。

結局、道明寺は身の回りのことを通いの使用人に任せ、食事をあたしに任せて毎日、こっちの部屋に入り浸ってるわけ。
あ、もちろん、寝るときは追い返してるけどね。

記憶が戻った道明寺に、魔女が猶予をくれたことを話したら、


「よっしゃ! ンなもん、ブッちぎるだろ。牧野、ガキ作ろうぜ。」


と言った道明寺の顔面にパンチを喰らわせたのは3ヶ月前のこと。
あたしたちはまだまだ清い交際を続けている。

道明寺と手を繋いで商店街に買い物に行き(遠巻きにSPさん付き)、手作りコロッケにキャベツの千切りとカットしたトマトを添え、手羽元の甘辛煮、菜の花のお浸し、お味噌汁に昨夜仕込んだ浅漬けも並べて、さて、晩ご飯の出来上がり!


「道明寺、晩ご飯できたよ。手を洗ってきて。」


最初はいちいち反抗していた道明寺も、今じゃすっかりあたしのペース。
だって、人の家で食事をよばれるんだから、郷に入れば郷に従えでしょ?
手を洗った道明寺と向かい合わせに座って「いただきます」の号令をした。


「どう?…美味しい?」


まだまだ庶民メシに慣れない道明寺からは3回に2回は「ビミョー」と言われるのに、あたしは性懲りもなく毎度、聞いてしまう。
・・・うっ、今夜もやっぱりビミョーなのかな?


「………別に、食えるけど…」

「あ、そうなんだ。よ、よかった。」


思ってた反応と違う。
「これじゃねぇ!」って怒り出すか、「おう、美味いな!」って喜ぶか、どっちかだと思ってたんだけどな。
それでも完食してくれて、あたしはホッと一息ついた。
でも、事はそれで終わらなかった。







それから4日後、休日の朝食を終え、デートの準備をしていた時だった。


「これ、食いたい。」


朝一番から押しかけてきた道明寺が、またテレビを見て呟いた。
今度はなんだろうと、画面に目を向けると、そこには東京郊外にある商店街のお肉屋さんにできる行列が映し出されていた。
レポーターが列に並ぶカップルに手にしたマイクを傾けた。


『これ、なんの行列ですか?』

『松坂牛のメンチカツの行列なんです。安くて美味しいって評判で、いつもデートの時は並んじゃうんです。』


女の子が少し照れたように笑いながら答えた。
デートでメンチカツの行列に並ぶ……理想じゃん!
いいなぁ、あたしもそんな庶民デートがしたいなぁ、とチラリと相棒を見遣るけど、本人はあたしのそんな素振りには気付かずに画面に見入ってる。
その後は行列の先で何個も買ってパックに詰めてもらうお客さんや、食べ歩き用に揚げたてを紙に包んでもらうお客さんが映し出され、その場で食べたレポーターも「美味しい!」を連呼してそのコーナーは終了した。


「これが食いたい。な、牧野。」


あたしに向けた三白眼には明確な意志が浮かんでる。
でも待って、松坂牛のメンチカツ!?
いやいやいや、いくらなんでも無理だから!


「あ、あのね、道明寺、メンチカツ自体は何とかできると思うけど、松坂牛のメンチカツとなると、ちょっと…」

「あ? だったら何ウシならできるんだよ。」

「何ウシでも無理だから! 無名の国産牛が精一杯だから!」

「じゃ、無名でいいが、俺はあれが食いたいんだよ!」

「わ、わかった! 作る、作るから!」


豪勢なリムジンに乗せられたデートの帰りにスーパーに寄ってもらって(駐車するのに縦横合わせて4台分のスペースが必要!)国産牛の挽肉とポテトサラダの材料を急いで買い込んだ。

キッチンに入って晩ご飯の準備に取り掛かる。
まずはポテトサラダのためにジャガイモの皮を剥く。
と、そこに道明寺が入ってきた。
料理中に入ってくるなんて珍しい。
と、思ったらいきなり背後から抱きついてきた。


「ちょっと! 危ないじゃん、離れて!」

「今日はお前が間違えねぇように見張ってんだよ。」

「間違う!? あたしが何をいつ間違ったのよ!」

「この前、俺が食いたいって言ったもの、間違えただろ。」

「はぁ???」


この前って…コロッケの時?
間違えたって、何を間違えた??
だって、あのリポーターは確かにコロッケを手にしていて、他のものは映ってなかったわよ。

その後も道明寺はずっとキッチンであたしを監視していた。
いや、あれは監視なんて可愛いもんじゃないわよね。
邪魔よ、邪魔!
きゅうりの小口切りしてたら「俺にもやらせろ」って言うから任せたら乱切りになってるし、玉ねぎのみじん切りで泣いてたら大笑いしてくるし、メンチカツのタネを捏ねてたら「スプラッタになった肉片だな」だって!
挽肉を言い換えなくていいのよ!


「もう、あんた、あっち行ってて! これから揚げるから危ないし。」

「バカ言え。こっからじゃねぇか。見てるから早くやれ。」


んっとにムカつく!!


「じゃ、離れててよ。そっちの後ろで見てて。」


ムカつくけどあたしも大概、甘いよね。
道明寺に監視されながらタネにバッター液とパン粉を付けていく。
そして熱した油の中へ。
ジュワー!と最初は大きな音で油の中を泳いでいたメンチカツはそのうちシュワシュワと細かい泡を吐き出し始めた。


「そろそろいいかな。」


あたしは最初の一個を網の上に掬い上げた。
その時だった。


「ほら! 紙! 紙出せ!」

「へっ?」

「へ? じゃねぇよ! 冷めちまうだろ! 早く紙出せ!」

「え、紙? あーっと、じゃ、じゃあこれ。」


あたしは天ぷらの時に敷く天紙を取り出して道明寺に渡した。
すると道明寺はその紙で今揚がったばかりのメンチカツを包み、その場でパクリとかぶりついた。


「熱ぃ! でも旨っ!」


その顔はあたしの好きな、子供みたいな無邪気な笑顔で、あっという間に1個目を平らげた。


「ほら、どんどん揚げろ。」


呆気にとられてボーッと見ていたあたしは道明寺に言われるがままに次々とメンチカツを揚げていった。
結局、道明寺はキッチンで5つのメンチカツを完食し、「満足した」と言ってキッチンを出て行った。

ど、どういうこと??
揚げたてが食べたかったの?
キッチンで立ったままなんていう、およそ道明寺の育ちからしたらタブーみたいなことをして??


「あの、道明寺?」


リビングのソファに座ってご満悦な道明寺にあたしはキッチンから顔を出して恐る恐る問いかけた。


「もしかして、あんたが食べたかったのって…」

「庶民てさ、買い食いが好きだよな。」

「は?」

「貧乏だからいっつも腹減ってんだろ? だから待ちきれずに店先で食っちまうんだろ? 俺にはあり得ねぇけど、でもそれがすげぇ旨そうに見えることがあってさ。」


これ、怒った方がいいところ?
いや、もう少し話を聞いてみようか。


「お好み焼きは昔、姉ちゃんに作ってもらったけど、揚げ物は食ったことなかったんだよな。」

「そんなに食べたかったんなら、今日でもお店に行ってみればよかったじゃん。」


その方がリアルに希望が叶ったんじゃないの?


「アホ。どこの誰だか知らねぇヤツが作ったモンなんか食えるかよ。」

「ハ…ハハ…」


そういうことか。
だからコロッケの時、ビミョーな反応だったんだ。
そうならそうと言ってよね。
まさか「これ、食いたい」の「これ」が揚げたてを指してるなんて思わないじゃん。


「なぁ、ちょっと口ん中火傷したみてぇ。」

「え! 大丈夫?」

「イテェ…」

「えっ、えっ!」


あたしは冷水と氷をコップに注ぎ、リビングに入って道明寺に差し出した。


「氷を口に含んで冷やしなよ。でもそれじゃ今日は他のもの食べられないね。」

「…食う。」

「お腹もいっぱいでしょ? 無理しなくていいから、っと、」


片手にコップを持った道明寺は、傍に立つあたしの腕を引いて隣に座らせた。


「なに? あたしまだ料理終わってな、…っ!」


道明寺のひんやりとした唇があたしの唇を塞いだ。
そしてその奥から氷がスルリとあたしの口に移された。
それを今度はあたしの舌ごと絡め取って、溶かして、唾液と混ぜて、吸い取り、道明寺の喉がゴクンと嚥下した。


「お前は別腹。」

「〜〜〜っ!!」


そう言った道明寺の甘い声とあたしを見つめる優しい瞳にクラクラとして堕ちていきそうになる。
昔は大嫌いだった三白眼なのに、恋のフィルターがかかればそれさえも甘く見えるなんて。

ヤバイ…
あたしはいつまでこいつを追い返せるだろう。
この部屋が愛の巣になる日も近い!?・・・かな?





愛の巣 nona ver. 【完】











nona version はいかがだったでしょうか。
他のサイト様の作品も是非、読んでみてくださいね。
私も読ませていただきまーす!


お誘いくださったメンバーの皆様、素敵な時間をありがとうございました^^


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2020.05.03




皆様、こんにちは!


この度は「愛の巣 nona ver.」お読みいただきありがとうございます。
今回はメンバーの皆様にお誘いいただき、初めてのイベント参加でした。

まず、神尾先生のイラストの存在を教えていただき、そのイラストをモチーフにそれぞれの作家様がお話を考え、同時刻一斉に更新というゲリラ的な内容に惹かれました。
自己責任の短編ならご迷惑をおかけせずに書けるかもしれない・・・と。

そういった経緯で参加させていただくことになりました!

そして書いている間も楽しかったですが、皆様のお話を読ませていただいてまた楽しく、何倍もの楽しさを経験させていただきました。


「愛の巣」各参加メンバーver.はこちら




とりあえず…まぁ  komaさま ver.


With a Happy Ending  Happyendingさま ver.


SHOW CASE  miruさま ver.


甘さとスッぱさと  lemmmonさま ver.


Take it easy  くるみぼたんさま ver.


春のつくしんぼ  つくしんぼさま ver.


はなび  まぁこさま ver.




本当に皆様のイマジネーションには驚きと喜びと二人の愛のエッセンスが詰まっていて、読み応えたっぷりでした。

私にはあのイラストの二人がとても若く見えたので、まだ10代のつかつくにしました。
清い間のピュアさが表現できてましたか?




緊急事態宣言が延長される中、いいお天気でも外出できない皆様に少しでも楽しんでいただけていたらいいな、と思います。

  STAY HOME 心をひとつに






最後に、お誘いくださったメンバーの方々、イベント初参加で右も左もわかっていない私にご連絡をくださり、たびたび相談に乗ってくださったつくしんぼ様、ありがとうございました!



                  nona









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2020.05.04




皆様、こんばんは!


昼間は暑くなってきましたね。
私の職場ではエアコンが冷房に切り替わりました。


さて、お待たせしました!
やっと「夫婦恋愛」の続きが少しだけ書けました。
そこで、明日(5/9)の17時から更新を再開します。

しかし書けているところまでなので、また数日で止まると思います。
本当は、完結まで書けたらにしようと思ったんですけど、そうするといつになるのか本当にわからないので小出しにすることにしました。
ごめんなさい。

次は63話ですが、今までが「起承転結」の「起承」だとしたら、明日からは「転」に当たります。
だからちょっと雰囲気が変わりますが、予定通りなので「あら、路線変えたの?」とのご心配には及びません。

私の中で完結までのあらすじは決まっているのですが、司もつくしも全然言うことを聞いてくれなくて、暴走に暴走を重ねています。
どうにか手綱を引こうとして格闘したのですが無理でした。
だから思い描いた完結への道筋をたどれずに推敲と挫折の日々です。(って、言い訳・・・)
ここまでしんどい作品、初めて・・・

と同時に、先日発表した第一話たちの続きが頭の中に渦巻き始めて、「夫婦恋愛」に集中で来てません。
なので完結まではまだお時間をいただくかと思いますが、なんとか書き上げたいと思います。

とりあえずはお届けできるところまでお届けして、また待っていただいて、そして再開してを繰り返しますことをここにお詫び申し上げます。


それでは、また17時にお会いしましょう!
よろしくお願い致します^^

   
                   nona










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2020.05.08




あれから数日が経った。


司は朝食の席で新聞を読むフリをして、実は昨夜のことについて考え込んでいた。

つくしとの関係が前進するきっかけになれば、と出席したあの創立記念パーティーの日からつくしの様子はさらにおかしくなった。
帰りの車の中で「疲れているから」と渡りを断られたのは百歩譲って許そう。
確かに初めて連れて行った場だ。
そりゃ疲れもするだろう。

でもその翌日からの渡りでは、あきらかにつくしは司に対して引いた態度になった。
近づくと退くし、手を伸ばせば避けようとするし、抱き込めば体を固くする。
顔を覗き込めば視線を合わせようとしないだけじゃなく、顔を見ようともしない。
日を追うごとに強張る体とやっと繋がり、その高揚感からキスをしようとしたら顔を逸らされた…気がする。

そんなつくしの態度に焦燥感が募って、毎晩触れていないと不安でしょうがない。
肌と肌を直接合わせてその温もりを確かめて、つくしの心にも自分への温かいものがあるんだと信じたかった。
でも抱けば抱くほどつくしの反応は硬化するという悪循環だ。
こんなことで告白なんてできるはずがない。
だって体が受け入れないのに、気持ちは受け入れてくれるなんてことあるか?


ページを繰りもせず、同じ紙面を開いたままでグッと握りしめている司を、森川はダイニングルームで朝食のコーヒーを給仕しながら見つめていた。


旦那様の眉間のシワが日に日に深くなっている。
その苦悩する姿さえも美しいという稀有な人なのだが、新聞を逆さまに持っていることにさえ気づかず、紙面を凝視するのを呑気に観察している場合じゃない。


まずは探りを入れるべく、日常会話から振ってみようと、森川はコーヒーサーバーを片手に司の横に立った。


「旦那様、今夜から久しぶりのNY出張ですね。」

「ああ…」


上の空の返事が返ってきた。


「荷造りは済んでおります。一度、ご帰宅されてから、18時のご出発です。」

「ああ…」


余程深く考え事をしているようだ。


「奥様には伝えてらっしゃいますか? 奥様はなんと?」

「つくし?」


つくしは…




『明日から10日ほどNYに出張だ。』


睦み合った後の気怠ささえ心地良さに変わるそんな時は、つくしに腕枕をして背中から抱きしめる。
汗を含んでしっとりとした黒髪が司の腕に落ち、耳の後ろからうなじの白さが露わになる。
その肌を見つめていると、愛液の艶かしい匂いとつくしの甘い匂いが混ざって、もう一度と司を誘っているような錯覚を覚える。
ウエストに回した腕を少し捻れば控えめながら形の良い乳房に触れることができるのだが、つくしの枕になっている方の腕の先、その掌につくしが手を添えてくれていて、今は乳房よりもその手に触れていたくて欲情しそうな出来心を抑えていた。


『NYに10日?』


司の手を弄ぶのをやめてつくしが振り向いた。
腕の中の妻がその瞳で司を見上げた。


『ああ。お前と結婚してから泊まりがけの出張は控えていたがもうそうはいかなくなってきた。明日の夜、出発だから、当分会えないな。』


司は妻の顔に寂しさを見つけたかった。
会えなくて寂しい、早く帰ってきて欲しい、そういう表情を見つけたかった。
しかしそのどちらも見つけることはできなかった。


『そっか。お仕事、忙しいんだね。あっちではパーティーなんかもあるの?』

『パーティー?』


クリスマスシーズンでもなければパーティーなどそう頻繁にあるわけではない。
でも秋のNYにはファッションウィークがある。
メゾンが催すレセプションパーティーくらいはあるだろう。


『ああ、一つくらいはあるだろうな。親父の名代として出席するかもしれないな。』

『ふーん…頑張ってね!』


その時、つくしが笑顔を見せた。
行為の最中の強張りとは打って変わったつくしの混じり気のない笑顔が司を不安にさせた。




険しい表情になって再び黙り込んだ主人に森川は切り込んだ。


「旦那様、何か悩み事でもあるんですか?」


森川の声かけに司は新聞を畳み、テーブルに置いた。


「森川、」

「はい。」

「前に言ったよな。女は心と体が直結してて、心が受け入れないと体が受け入れないって。」


朝から何の話だと思ったが、その問いに答えることが今、従者として求められている務めならいつものように真剣に向き合おうと森川はコーヒーサーバーを置いて背筋を伸ばした。


「はい、申し上げました。」

「それはヤってる最中にも…その、出現する現象か?」

「現象…?」

「仕草とか……反応…とか。」

「ああ、なるほど。ええ、そうでしょうね。心と体と理性。理性は切り離せますが、心と体は切り離せませんからね。」


真面目に丁寧に答えたのに、主人の表情はさらに険しさを増した。


つまり、身体が強張るのはつくしの心が俺を拒否しているから?
だから笑顔を見せたのか?
俺に抱かれなくて済むと思って?

一体、あのパーティーで何があった?
何がきっかけだ?
あの時、強引にダンスをさせたから?
いや、違う。
その後、レストルームから戻ってきてからだ。
あの短時間に何かあったのか?
誰なら知ってる?


司は立ち上がった。


「森川、つくしに付けてる野村を俺の部屋に呼べ。」


野村はつくし付きの女SPだ。


「野村ですか? 何かあったんですか?」

「それを知るために呼ぶんだ。早くしろ!」


程なくして警備部に出勤していた野村が、ダイニングから戻っていた司の部屋をノックした。
入ると司は森川に身支度を手伝わせているところだった。
着替えながら司は野村を一瞥した。


「お呼びでございますか。」

「野村、お前は先週の土曜日、パーティーの時につくしに付いてたよな?」

「はい。」

「途中でつくしは会場を出た。その時のことを報告しろ。」


野村は30代前半でつくしよりやや背の高い痩身の女だ。
黒いパンツスーツにいつもローファーを履いている。
髪はベリーショートにし、前髪は短く整えられ、職業意識の高さを感じさせる。
常に無表情だが、道明寺夫人付きとして最低限の身嗜みといえる化粧も怠らず、無骨さはなかった。
そんな野村の一重の目は司を前にしても感情を見せない。


「つくし様は大広間を出た後、東側のレストルームに入られました。その後、3人の女性がお入りになられ、中でつくし様と会話をされていたようです。つくし様のお声が廊下にまで漏れていました。そして出てこられたつくし様はお顔の色が悪く、表情も固くなっておいででした。」

「その3人て誰だ。」

「調べはついておりますが、皆様、英徳のご出身者でパーティーにご出席の方々です。招待状も正式なものです。」

「その会話の内容はわからないのか。」

「私は外で待機しておりましたので詳細は。しかしつくし様は何やら穏便ではないお声でした。」

「今後は中まで付き添え。」

「かしこまりました。」

「その3人の身元の調査結果を俺の仕事用のアドレスに送っておいてくれ。」


一礼をして野村は退室した。
扉が閉まるのを待って、司にジャケットを着せ掛けた森川が話しかけた。


「どういうことですか? パーティーで奥様がどうかなさったんですか?」


司はジャケットのボタンを留めながら大きく息を吐き出した。


「あの時からあいつはおかしくなったんだ。俺から離れようとして、目を合わせなかった。帰りのリムジンの中でも一言も話さないでずっと窓を見てるし。挙げ句が渡りを断りやがった。とにかく、俺を拒否…してた。」

「それが今も?」

「………」


つくしに拒否されている…。
その可能性について、考えては否定してきた。
拒否するなら渡り自体を拒否するだろう、と。

しかしふと、もしも本当にそうなれば、それはつくしが完全に心まで閉ざしてしまうことなんじゃないかという考えが生まれた。
そうなってしまえば、つくしの愛を得ることはできないのか…?

今日からしばらく会えない。
もう、ただ不安を持て余している時間はない。

司は現状を打開すべく出勤の車に乗り込んだ。









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2020.05.09




オフィスに入り菱沼から今日のスケジュールの申し送りを聞きながら、司は開いたPCで野村からの報告書を読んでいた。


「……以上です。本日は午後3時には退社していただき、森川さんを伴って20時の便で日本を発ちますのでよろしくお願いします。副社長からありますか?」

「そのスケジュール、30分空けてくれ。」

「30分ですか?」

「ああ、その時間にこいつらを呼び出せ。」


司はPCの画面を菱沼に向けた。




***




浅井百合子、鮎原エリカ、山野美奈子は道明寺日本本社第一応接室のソファに座り、期待と不安の入り混じった顔をしてある人物を待っていた。


「ね、私たち、どうして呼ばれたのかしら。」

「もしかして、見染められたんじゃない?」

「うそぉ! 私たち3人とも? じゃ、私が妻になるから、2人は愛人ね。」

「何言ってるのよ! そんなもの引き摺り下ろしてやるわよ!」

「「「やぁだぁ〜〜オホホホッ」」」


3人が盛り上がったところに、ノックの音が聞こえた。


「失礼します。」


入ってきたのは司の第一秘書、菱沼彰悟だ。
背の高い菱沼の黒い髪は司に憧れたツーブロックで、ストレートショートの長さに軽くツイストパーマを当て、無造作にかき上げたようにセットされていた。
年齢より若く見える顔は道明寺HD副社長の第一秘書としてはソフトな印象を与え、特に彼のキャラクターを伺わせるその表情のある目は、今は柔和ささえ感じさせた。
セミオーダーの濃紺のスーツは彼の痩身に添うタイトシルエットで、そこにも司への憧憬が読み取れる。
菱沼は3人が腰掛けるソファとはローテーブルを挟んだ向かい側のソファの前に立った。


「初めまして。私、弊社副社長、道明寺司の第一秘書をしております、菱沼と申します。本日はお忙しいところ、ご足労いただきありがとうございます。」


菱沼は軽く礼をしてから腰掛けた。
そして手元の書類をめくり始めた。


「早速ですが、浅井様、鮎原様、山野様ですね?」


と、菱沼は一人一人に顔を向けて尋ねた。
西田の薫陶を受けた菱沼は秘書課若手の中では最有望株で、そのため若くして司の第一秘書に抜擢されたのだ。
性格は西田とは真逆だったが、能力においては肩を並べるポテンシャルの持ち主だった。
しかし、いくら能力のある道明寺司の第一秘書と言っても3人からしたら格下の相手だ。
その男が名刺も出さず、自分たちに断りも許しもなしに、短い挨拶のみで目の前に腰掛けた非礼に、三人は三様に顔をしかめた。


「あの、道明寺様は?」


山野美奈子の問いかけに、菱沼は繰っていた手許の書類から顔を上げ、ニコリと人懐こい笑顔を見せて答えた。


「副社長は会議中でして。本日は私が対応させていただきます。」


しかし実際の司は自分のオフィスでPCから応接室をモニタリングしていた。
部屋に隠して取り付けられた複数のカメラは菱沼とその向かいに座る女3人を映し出している。
菱沼が入っていく前から3人の会話は筒抜けになっていた。


「勝手なことばかり言いやがって。誰なんだよ、こいつら。」


つくしと結婚してから忘れていた女の浅ましさ。
彼らに見えているのは道明寺の名前と財産、そして司の容姿だけで、司が心を持った人間だということも知らないのだろう。
濁った目をして臭気を纏い、追い払っても追い払っても蝿のように集ってくる。
そんな女たちとつくしの間に何があったのか。

その時、司の脳裏に初めて会ったときに見たつくしの瞳が蘇った。

白無垢姿の綿帽子の中から現れたのは清浄な瞳。
その強烈ななまでに清冽な光を放つ瞳が一瞬にして司に纏わり付く全ての邪気を払った。
思えば、あの時に司自身の心も射抜かれた。
だからもっと見たいと思ったのだ。
そして覗き込んだ彼女の瞳が見せる表情は清らかさだけではなかった。
脆さも慈愛も淫らな艶もあらゆる表情を見せてくれる。
しかし今、つくしはその瞳を司から逸らし、得体の知れない感情を揺らめかせていた。

その感情の正体を掴みたい。
また以前のように自分を真直ぐに見てほしい。
そしてその瞳に自分への愛を煌めかせて欲しい。

そのためにはあの日、何があったのかを知らなければならないと、司は爪の先まで整った長い指をデスクにカタンカタンと打ち付けながらPCの画面を見つめた。


画面の中の菱沼はまた視線を書類に戻していた。
その向かいに座る3人は、司に会えないと知った落胆の色を隠せない。
怪訝な顔で互いに目配せをしあっていた。
そんな様子を知ってか知らずか、菱沼は書類から顔を上げ、構わず本題に入った。


「皆様は先日の英徳学園創立記念パーティーにご参加でしたね。」


その言葉に「やっぱり!」とでも言いたげに3人の顔は同時に緩んだ。
中央に座る鮎原エリカが身を乗り出した。


「ええ! わたくし達3人で出席しておりました。」

「そこで、副社長の夫人と接触されましたか?」

「え…?」


唐突に告げられた存在に一瞬でその表情は動きを止め、鮎原は乗り出していた体を戻し、左右の2人と目を見交わした。


「会場の東側レストルームで接触なさいましたね?」


菱沼の目はその光に鋭さを持って3人に注がれている。
それは3人の大いなる野望に暗雲が垂れ込め始めたことを示していた。

あの女が告げ口した?
何をどこまで把握しているのだろう。
でもあの会話を他の誰かに聞かれたわけではないだろう。
だとしたら証拠はない。
あの女の讒言だと、あの女はそんな讒言を吐く賎しい女なのだと、逆にこちらに優位に持っていけるかもしれない。

3人は数秒で示し合わせ、代表したのは一番奥に座る浅井百合子だった。


「はい、たまたまご一緒になりましたので、ご挨拶させていただきましたわ。」

「そうですか。その時、どんな会話になりましたか?」


会話したかしていないかではなく、したことは確定的な菱沼の言葉に、つくしが夫、道明寺司にレストルームでの一幕を告げ口したのだと百合子は確信した。


「何ということのない内容ですわ。奥様は英徳のご出身ではないと伺いましたので、当時の道明寺様のことを少し。」

「それはどういう。」

「取り止めのないことです。恋人だった華園様とは引き裂かれても、奥様という素晴らしい方と出会われた道明寺様はお幸せですね、と申し上げたんです。それだけですわ。」


画面から聞こえた名前に司はデスクに打ち付けていた指を止めた。


華園…?


司は創立記念パーティーの詳細をもう一度思い返した。
つくししか見えていなかったからうろ覚えだが、一緒に壇上に乗せられた女がそう言えば華園公子だったかと思い出した。


俺は英徳創設者の子孫として、主な学校行事には行儀良く参加していたんだ。
でもプロムは女を誘わないといけないから一番、億劫で。
あきらや総二郎はさっさとパートナーを見つけやがるし、類は出ないとか言い出すし。
そしたらあっちから誘われて、面倒だった俺はこいつでいいかって承諾したんだ。

でもあの女、プロム当日は肩も背中も大きく露出した真っ赤なドレスを着てきて、いちいち俺に流し目をしやがる。
あー、こいつはシキタリを破ったな、とすぐにわかった。
そんなフシダラな女に触れられるのも嫌で俺はパートナーなしで参加してた類と踊ったんだ。
そしたら周りが騒ぎ出して。
生徒の投票では実際、類がクイーンに選ばれちまって運営がそれはマズイって言い出したんで、急遽、俺のパートナーだったあの女がクイーンになったんだ。
だから仕方なくセレモニーの一曲だけは踊ってやったが、その間もグイグイと体を押し付けてきやがって、下品なんてもんじゃない。
女に萎えるって経験を初めてしたのがあの時だった。

その華園が俺の恋人!?
いつからそんなことになってんだよ!
そしてそれをつくしに言ったってのか?
ふざけんじゃねぇぞ!


しかしその時、司の頬が微かに緩んだ。


もしかして、またヤキモチか?
俺に恋人がいたと思って腹を立てた?
それであいつの態度が硬化したのか?
だとしたら、あいつは俺のことが……?


しかし男心を揺さぶる不安の波は思考をそこで止めない。


いや待て。
あんな品のカケラもない女に俺が惚れていたとつくしは聞かされたんだろ?
つくしの目に俺はどれだけ愚鈍な男に映ったんだ?
俺に対する評価が暴落じゃねぇか!
そんな男は自分に相応しくないと思われていたとしたら……

許せねぇな…
愚かしい嘘でこの俺様をあんな売女と同等に貶めやがって。
そしてつくしに俺に対する不信を植え付けた。
この代償は高くつくぞ!


燃え上がる怒りに身をまかせようと立ち上がりかけた司の耳に、会話の続きが聞こえてきた。


「本当にそれだけですか?」

「ええ、そうです。こんな話のために、私たちは呼ばれたのかしら。」

「はい。奥様付きのSPがレストルームから漏れてくる唯ならぬ声を聞いていましてね。副社長が是非とも真相が知りたい、と申しまして。」

「オホホホ! 随分と愛妻家でいらっしゃるのですね。でもご心配なことは何もありませんでしたわ。ただ…」

「なんでしょう。」

「いえ…」

「おっしゃってください。」


少し俯いて逡巡を見せた百合子は、一呼吸おいてから決心したように菱沼に顔を上げた。


「ここにいるお二人も証人なんですが、奥様は突然、取り乱されて。それはもう驚いてしまって。ねぇ?」


百合子は自分の左に座るエリカと美奈子を振り向いた。
二人も「ええ、そうよ。」「驚いたわ。」と話を合わせて相槌を打った。


「ほう…奥様はなんと?」


喰いついた菱沼に百合子は微かに口角を上げた。


「道明寺様を愛してないって。結婚したのは仕方なくだった、華園様のような方のほうが相応しいから、そういう方がいれば早く別れたいって。そう取り乱して大きなお声でおっしゃって。私たち、落ち着いていただこうとお慰めしたんですのよ。」


マズイ!と思ったのは菱沼だった。
今この瞬間、司がこの部屋をモニタリングしている。
きっと聞いているに違いない。
妻を愛し始めた司が、妻からは愛されていないなど、はっきりと聞かされればどれほど心を痛めるだろう。


「そんな、本当に奥様はそこまでおっしゃいましたか? 何かと聞き間違えたのでは?」

「いいえ。はっきりと仰いました。道明寺様と別れたい、と。」


その時、応接室のドアがノックに続いてすぐさま開いた。








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2020.05.10




「ど、道明寺様!?」


菱沼と女たち3人が見上げた先に立っていたのは司だった。
磨かれた靴先、長い脚、フルオーダーされたスーツに包まれた筋肉質な均整のとれた体躯、長い腕の先には大きな手、綺麗な指先。
シャツのワイドスプレッドカラーからのぞく喉仏さえなまめかしく、髭の跡も見えない顎はシャープで、引き結ばれた唇は官能的な厚みと艶を持ち、筋の通った高い鼻は小鼻が切れ上がり成功者の顔相をしている。
そして、オニキスにも例えられる彼を彼たらしめている一番魅惑的なその双眸は、今は溶岩の割れ目のように真っ赤な怒りを内包していた。
しかし、溶岩は空気に触れればすぐに冷えて黒く硬い塊になる。
まるで司の瞳もそうであるかのように、見る者が瞬いた次にはすでに荒れ狂う熱は失われていた。


「遅れて申し訳ありません。」


司はトレードマークとも言える小悪魔的にクルクルと巻く髪をかき上げて指で梳きながら、3人の女たちに向かって微笑みさえ浮かべてそう告げると、菱沼の隣にドカッと腰掛て脚を組み、その菱沼の肩を抱くようにソファ の背もたれに腕を伸ばした。


「菱沼、お話は伺ったか?」


司の行動に虚を突かれていた菱沼は我に返り、「はい、大体のところは。」と言って手許を覗き込む司にメモを見せた。
もちろん、そんなものを見ずとも司が全ての会話を聞いていたことはわかっている。
だからこその登場なのだろう。
打ち合わせでは最後まで姿を見せる予定ではなかったが、司が隣に座っている現状からは、彼の動揺が伝わってきた。


「…ほう、私が華園さんと、ねぇ…」


メモに落としていた顔を、弓形の眉を吊り上げ、見下げるように顎を上げ、司は目の前に座る3人の女たちに向けた。
ゾクリ…と、女たちの背が戦慄いた。
司の姿の現実離れした、美しいという言葉では到底表しきれない神のなせる麗容に息を呑んだ。
その神に愛された男の黒瑪瑙が如き目がじっと3人を見据えている。
女たちは途端に我が身が卑賤に感じて俯いた。


「私が華園さんと交際していたなどという事実はありません。事実ではないことを妻は聞かされたわけですね?」

「事実じゃない…?」


辛うじて顔を上げたのは浅井百合子だ。


「こう言っては華園さんに失礼だが、あの程度の女に私が惚れると、あなた方は思っていたわけですか。」

「えっ、いえ、」

「そしてそれをわざわざ妻に告げた、と。」

「申し訳ありませんっ! あの、ご卒業の時のプロムのダンスが印象的で、お付き合いなさっているとばかり思ってしまって…でも奥様はさほど気にされていないご様子でしたわ。ねっ?」


百合子は援護を求めるように左に座る友人たちに顔を向けた。
引きつった表情で鮎原エリカが答える。


「え、ええ、奥様も「華園様は素敵な方だ」っておっしゃってましたもの。「華園様が妻なら夫も自慢になっただろう」とまでおっしゃったんですのよ。」

「つまり、つくしじゃ俺の自慢にならないって、本人が言ったのか?」

「ええ、そうです!」


司は組んだ脚の上に片腕をついて身を乗り出した。


「おい…話がおかしくないか? なんでつくしが自分のことを初対面のお前らにそんなふうに言わなきゃならない?…お前ら、他にも何か言っただろ。」

「えっ…」


鮎原エリカの瞳が揺れた。
それは左を見て、そして右を見た。
司は鮎原の右に座る女に、再び溶岩が割れてマグマがのぞく瞳を向けた。


「お前…浅井、だったな?」

「ヒッ、は、はい。」


浅井百合子は座ったまま飛び上がった。
前髪を風速30メートルでもびくともしないほど頑丈にセットし、顔は高級化粧品で固め、一着50万もする有名老舗ブランドのスーツを着ている。
家柄や財産からしたら道明寺家には遠く及ばないまでも、つくしとは比べ物にならない令嬢だろう。
しかしその女が発する『気』は淀み、濁り、欲望をむき出しにした卑俗さが感じられ、司は直視するのも汚れる思いだった。


「つくしが自分を貶めたのはなぜだ。本当はなにがあった? 俺は真実が知りたいんだ。」

「あの…」


白塗りの顔面をさらに白くしても浅井は、この期に及んでまだ言葉を選んでいた。
視線がキョロキョロと動き、額には薄らと汗が滲んでいる。


「奥様が道明寺様にどのようにお訴えになったかは存じませんが、私たちは先ほども申し上げました通り、お慰めしただけで、それ以上のことはなにも…」


ガァンッ!!


「ヒィッ!」


司は目の前のテーブルを大きく蹴り上げた。


「つくしが俺に告げ口でもしたと思ってんのか? つまり告げ口されるようなことをしたんだな?」


そして腕時計を見た。


「俺はこの後NYへ飛ぶ。リミットはあと…4分だ。あと4分で俺はあんたたちに非があると判断して手を下す。お前らの一族郎党一人残らず、連帯責任で俺の妻を侮辱した罪を償ってもらう。…あ、あと3分になっちまったけど、いいか?」


菱沼も聞いたことのない低い声が、足元を振動させるように波紋となって広がった。
いまだかつて司がこんな恫喝にも似た手法で相手を追い詰める姿を菱沼は見たことがなかった。
それはビジネスの交渉において、そう難しい案件がこれまでなかっただけなのか、それとも司が醸し出す穏やかでいかにも御曹司然とした気性によるものだったのか。

だが菱沼は今日をもってその司への印象を変えざるを得なかった。
育ちの良さと努力、そして純粋さだけを武器にしていた司は過去の人だ。
ニュータイプの司は荒れ狂う激情を内に秘めたまま、その感情の波をコントロールしながら相手を徐々に追い詰めていく男だった。


「あと2分。あー、お前らも明日からは社会のヘドロを啜る生活に堕ちていくわけか。哀れだなぁ。クククッ」


司の言葉に3人の顔には早くも死相が浮かんで見えた。
すると山野美奈子がガタガタと震えはじめた。


「あ、浅井さんと鮎原さんが悪いんです。」

「美奈子!?」

「浅井さんと鮎原さんが奥様を追い詰めたんです。奥様のダンスを嘲笑って、奥様は道明寺様に相応しくないから他の方に譲るべきだって言って。私は止めたんです! でも聞いてもらえなくて。」

「美奈子! この裏切り者! あんただって奥様のこと珍獣だとかすぐに飽きて捨てられるとか散々に言ったじゃない! 挙げ句は早く離婚届に判を押せとまで言ったくせに!!」

「そ、それは浅井さんに脅されたんです!! 従わないと取引を打ち切るって言われて、うちみたいな歴史の浅い会社は仕方なかったんです! 本心じゃありません!」

「美奈子…あんたよくもそんな嘘ばかり抜け抜けと。道明寺様、こんな女の言うこと信じないでください! 全部嘘です!」


ガァンッ!!


司はもう一度テーブルを蹴り上げると立ち上がった。


「2分経った。話は終わりだ。」

「道明寺様!」


3人は先を争うようにソファから床に移動し、司の足元で額を擦り付けるように土下座をした。


「も、申し訳ありませんでした! 悪気があったわけでは、決して。奥様の重荷を少しでも軽くできればという…」

「私は言ってません! なにも言ってません!」

「どうか、どうかご温情を…」


慈悲を乞う3人に、司は裁きの大天使ウリエルのように微笑み、罪人の中から善人を救い出そうとするように穏やかに告げた。


「そうだなぁ、だったら、お前らに最後のチャンスをやろう。さっきの、つくしが俺を愛してない、別れたいと言ったってのも嘘だよな? 俺に真実を教えてくれるのは誰かな?」


司の美しい微笑みと言葉に光明を見つけた3人は、先を争って口々に真実を告げた。


「うっ、嘘です! 浅井さんが勝手についた嘘です!」

「奥様はそんなこと言ってません! 私だけは奥様の味方でした!」

「こ、この人たちに強要されたんです! いつもそうなんです! 本当の黒幕はこの人たちですっ!」


互いになすり合い、貶め合う女たちに司の酷薄な笑みはスッと引き、代わりにその目は肥溜めでも見るように細められた。


「誰一人救う価値のない汚らわしい女どもだ…お前らみたいな汚れた女が俺からつくしを奪おうとするとは、俺もいよいよ舐められたもんだな。」


司に倣って立ち上がった菱沼は、司から発せられる瘴気にも似た禍々しい空気を感じ取った。
それは未だかつて司が纏ったことのない真からの怒りを表していた。
このままではこの女性たちに対して何をするかわからない。
直接、手を下させてはいけない。
菱沼は気圧されそうになる自分を叱咤激励し、喉の奥からやっと絞り出した声を発した。


「副社長、お時間です。後のことは私にお任せください。」

「…そうか。害虫駆除は一斉に徹底してやらなければ意味がないぞ。」

「その点についても西田から教えを受けております。」


その言葉に司は菱沼を振り向き、ゆっくりと冷たい笑みの表情を作った。


「それは頼もしいな。では駆除しておけ。」

「かしこまりました。」

「俺は屋敷に帰る。」

「では、お車の手配を致します。」

「ん。」


それを最後に司は応接室を出て行った。
二人の会話を呆然と聞いていた3人の女たちに菱沼は向き直り、そしてフェミニストの笑顔を貼り付けた。


「愚かな人たちだ。司様から一番大事なものを奪おうとするなんて、身の程知らずでしたね。残念です。」


その言葉に3人は泣き崩れた。









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2020.05.11




つくしはガーデンハウスのベッドルームの窓辺に置かれたファブリックソファに座り、出窓に肘をかけて庭を眺めていた。
そこには健太と共に植えた花の種が芽を吹き、二十日大根の芽も黒い土に綺麗なグリーンの列を作っていた。

あの日、ホテルから帰りの車の中で御渡りを申し込まれたが、疲れたからと言って断った。
あの日だけはどうしても司に触れられたくなかった。
誰かの身代わりのように抱かれたくなかった。
しかし翌日からは適当な理由が見当たらずに受け入れざるを得ず、以前はする日としない日が交互だったのに、今はまた毎晩、揺さぶられていた。
行為の最中に「つくし、つくし」と名を呼ばれる。
その時だけは体に熱が生まれるが、そうでなければ冷えたままで、苦痛さえ感じるようになっていた。

あの人はどうして毎晩、渡ってくるんだろう。
ああ、そういえば言ってたな、「気持ちイイからだ」って。
そりゃそうか。
男性として処理しなきゃいけないんだもんね。
愛人がいないなら妻とシなきゃ仕方ないよね。

その時、ふと華園公子の姿が浮かんだ。

綺麗な人だった。
司の隣に立っても申し分のない人だった。
立ち居振る舞いも優雅で、ダンスもお上手だった。
内面だって、司が好きになるくらいだからあの3人とは比べ物にならない良い人なんだろうな。
司はああいう女性が好みなんだ。
好みなんて考えたことないなんて言ってたけど、でも現実はあの時に思い浮かべた通りの人じゃん。
別れるのは辛かっただろうな。
そしてあたしを見た落胆はいかばかりだっただろうか。
本当はああいう好みの人と結婚したかったよね。
でも道明寺の後継者としての義務だから、責任があるから、きっと愛そうと努力してくれてる。
でも愛って努力じゃないんだよ。
心が自然と動くことなんだよ。
そういう、司の心が動く運命の人がきっとどこかにいるはずだよね。
あの人を幸せにしてくれる女性が。

そういえば、今日からNYに出張だと言ってた。
パーティーもあるだろうって。
そこでどこかの素敵な人と出会ってくれればいいのに。


コンコンッ


ベッドルームのドアがノックされ、庭を眺めて考え事に耽っていた意識がハッと覚醒した。


「はい」

「奥様、藤村が参りました。」

「わかりました。出ます。」


つくしの今のスケジュールは、婚約当初、レッスンを始めた頃よりはゆるやかなものになっていた。
午前中は美容に充てられるようになり、全身エステ、ネイルケア、ヘアケアが日毎に組み込まれた。
そして午後をレッスンが占めたが、今日は講師の都合でレッスンが休講になり、時間が空いたのでこのガーデンハウスで過ごすことにしたのだ。

今や花壇でのひと時がつくしの癒しになっていて、秋に向かい始めた陽を浴びたり、刻々と変化する植物たちを眺めることで日常の憂いをしばしの間、忘れられた。

つくしが花壇に降りる時は常に島田がガーデンハウスで待機している。
つくしは一人の時もあるが、大抵は庭師の藤村健太が付き添ってあれこれと指導していた。
パーティーに出た日から様子のおかしいつくしも、この時だけは屈託のない笑顔を見せていた。

主人の明るい顔は喜ばしいが、もう一人の主人、司のことを思うと島田はため息を禁じ得ない。
つくしと司の心の距離がどうやら開いてしまっているらしいからだ。
司は毎晩渡ってきているが、その表情は日増しに曇っていく。
昨夜など、来る時はまだマシだったが、帰る時には眉間にシワを寄せ、曇りどころか、嵐の予感がしそうなほど険しかった。

司がつくしを好きなのは間違いないが、つくしの心が読めない。
司を好きになっていると思ったこともあったのに、今はもうあれは幻だったのかと思うほど、つくしは司の渡りに拒否感さえ示していた。


でもあれは旦那様が悪い。
早く「好き」だと言ってしまえばいいのに。
言わないから奥様はいつまで経っても旦那様と距離を置こうとなさるんだわ。
愛を囁かずに毎晩、体だけを求めていたら、そりゃこうなりますよ。
森川くんがそこんところを進言すべきなんだけど、あの人も大概、鈍感というか不器用だからねぇ。


「ハァ…」


畑に降りて楽しげに藤村と畑仕事に取りかかったつくしを眺める島田は、自分の無力を感じて短いため息をついた。




***




NYへ出発する準備のため、司ひとりを乗せた車は道明寺屋敷に向かっていた。
車内の司は窓枠に肘をつき、形の良い親指の先に歯を立てている。

司はつくしを守れなかった自分の不甲斐なさに自己嫌悪の只中だった。
つくしの様子から何かあったとは思っていたが、まさかあれほど酷い扱いを受けていたとは。

シキタリも守れないような下品なアバズレが夫の元恋人だという嘘から始まり、俺に無理やり踊らされたダンスを嘲笑され、挙句に相応しくないから別れろだと!?
しかも俺に向かってさらに嘘を重ねやがって、あいつら八つ裂きにしても足りねぇ!
やっぱり菱沼に任せずに俺自ら手を下すべきだったか。

しかし司にそんな無駄な時間はない。
今夜からNYへ発てば10日間もつくしに会えない。
現状のまま日本を離れれば、つくしの心はさらに離れていくような気がした。

司はまた腕時計を見た。
現在時刻は15時36分。
予定より20分も押している。

邸を出発するのが18時。
つくしに会って、誤解を解いて謝って、身支度をして…
いや、いい。身支度などプライベートジェットの中でもできる。
とにかくつくしに会わねば。
…許してくれるだろうか。
つくしの苦しみにも気づかずに、渡ればその肌を求めるだけだった。
だからあいつは俺から顔を背け、身体を強張らせていたんだ。
なにもわかっちゃいない男に抱かれたくなくて。
俺がもっとちゃんと向き合っていれば。
それもこれも不安だったせいだ。
あいつから決定的な言葉を聞くのが怖くて話をすることを避けていた。
夫婦なのに。

打ちあけよう…司はそう決意した。
これ以上、先延ばしにしてもつくしとの距離が縮まるとは思えない。
「好きなんだ」と告白して、関係を最初からやり直す。
親が決めた夫婦という関係ではなく、好き合った夫婦という関係へ前進しようと司がようやく心を定めた時、車は道明寺邸南棟の車寄せに到着した。









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2020.05.12




司は南棟のエントランスを足早に自室へと向かっていた。


「森川、つくしに会いたいんだが、これから北へ渡れるか?」


司の後ろに従っていた森川は驚いて司に並んだ。


「今からですか? 緊急のご用事ですか?」

「ああ。あいつの様子がおかしかった原因がわかった。留守にする前に会って話がしたい。」

「かしこまりました。島田に連絡を取ります。」


自室に入り、立ったまま森川が内線で北棟へ連絡を取るのを見つめた。


「…お疲れ様です。森川です。……島田さんは?……ああ、そうですか、わかりました。ではそちらに連絡を取ります。」

「どうした?」


森川が内線を置くのも待ちきれずに司が問いかけた。


「奥様は島田を伴ってガーデンハウスでお過ごしだそうです。」

「そうか、わかった。」


歩き出す司に森川が声をかけた。


「連絡を取りましょうか?」

「いや、いい。」


司は森川に背を向けて部屋を出て行った




***




つくしは半袖のカットソーにUVカット加工が施された薄手の長袖パーカーを羽織り、アンクル丈のデニムにスニーカーという出で立ちだった。
くるぶしソックスからは細い足首がのぞいている。
長い黒髪はひとつに括り、まだ強い日射しを避けるためにキャップタイプの帽子をかぶっていた。

花壇の手入れが気に入っている理由の一つに、このカジュアルな服装があった。
邸の中にいればいかにも道明寺夫人然とした装いが求められ、レッスンで習った立ち居振る舞いの実践を意識する日常だ。
しかし花壇に降りるために着慣れたカジュアルに袖を通せば、なんだか窮屈さから解放されたような爽快感があった。
多少、大股で歩こうが走ろうが、土の上に尻餅をつこうが許される。
そんな気持ちのリラックスが表情にも現れた。


「今日は間引きをしよう。」


つくしの師匠である健太がガーデニング用の軍手をつくしに手渡しながら告げた。


「間引き?」

「育ちのいい芽を残して、ひ弱な芽を摘んでいくんだ。そうして栄養を良い芽に集中させる。」

「ふーん。間引いたのはどうなるの?」

「食べられるものは食べる。食べられないものは土に還る。」

「そっか、無駄にはならないのね。」

「ああ。それが植物を育てる良いところだ。命は必ず循環するからな。」

「循環か。」

「さあ、まずは二十日大根からだ。摘んだ芽はお浸しとか味噌汁の具とかで食べれば旨いけど、奥様には無理かな。」


いくら幼馴染みだと言っても、今のつくしは道明寺司の妻だ。
本当なら自分などが気安く会話して良い相手ではない。
ただつくしの気取らない無垢さが健太にも心地よく、こうして時々その立場を思い出さないと、つい友達感覚に陥っていた。


「食べるわよ。厨房にお願いして料理してもらう。」

「ふーん…ま、それもまた奥様だからできることだな。わかった。摘んだのはカゴに集めよう。」


そうしてつくしは健太に教えてもらいながら、二十日大根の芽を引き抜いていった。

こうして日を浴びて土いじりすると確かに嫌なことは忘れられる。
考えることと言ったら目の前の作物が育った後の食べ方のことだけだったからだ。
つくしは立ち上がり、しばらくしゃがんでいて固まった体を伸ばした。


「んーっ! 気持ちいい!」

「どう? 気分転換になるか?」

「うん、なってるよ! やっぱり外の空気を吸うのはいいね。命を育てるのも。嫌なことも忘れられる。」


同じ畝の向こう側を間引いていた健太も立ち上がった。


「なんかあったか?」

「え?…はは…ないよ。大丈夫。」

「女はいつもそう言うんだ。そのくせ最後には爆発して「言わせてもらうけど!」って怒り始める。怒るなら最初から打ち明けて欲しいよな、全く。」

「あははは! 何それ、奥さんの愚痴? 打ち明けられるのを待ってるからダメなんだよ。察して欲しいんじゃないの?」

「それが面倒臭いって言うんだよ。男はわかるわけないからな、お前も旦那様にそういうの期待するなよ?」

「フフッ……してないよ。期待なんて何にもしてない…」

「つくし?」


俯いてしまったつくしの様子に、健太は軍手を外してつくしの鼻先を撫でた。
顔を上げたつくしの表情は自嘲にも似た微笑だった。


「旦那様はさ、もう十分に頑張ってくれてんの。本当は好きな人がいたのにさ、家のために好きでもない女と結婚してさ、そのあたしのお願いをこうやって聞いてくれて…これ以上、期待とか…バチが当たるよね。」


そう言いながらもその顔には失望が浮かんでいるように健太には見えた。


「…そっか。夫婦のことは二人にしかわからないからな。俺には何にも言えないけど…でもさ、今はお前を大事にしてくださってるんだろ? その旦那様の気持ちは大切にしろよな。だから、つまり…お前も察してくれるのを待ってないで、言いたいことは言っちゃえってことだよ!」

「誰が察してちゃんよ! 別に言いたいことなんてないから!」

「おっ! 意地っ張りなつくし節、炸裂!」

「もう! 人を爆弾みたいに言わないで!」


つくしが殴る真似事で届かないパンチを繰り出し、それを健太がトレーナーよろしく掌で受け止める。
そうして最後は笑い合った。


「よし! まだまだ間引かなきゃ。今夜のお浸しには足りないもん!」


と、つくしは再びしゃがみ込んだ。
が、目の前の健太は突っ立ったままだ。


「健ちゃん?」


つくしが見上げると、健太は呆気にとられたような顔をしてつくしの背後のある一点を見つめていたかと思ったら、急に帽子を取って頭を下げた。
その様子に再び立ち上がり、その視線の先につくしも振り向いた。
健太が頭を下げた相手に気づいて、つくしの唇がゆっくりと動いた。


「司……」


庭を囲む柵の向こう、木々の間にその長身の男は立っていた。










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2020.05.13




司がガーデンハウスに近づくと、つくしの笑い声が聞こえてきた。
つくしが声を上げて笑う姿など、司は見たことがない。
ハウスを素通りし、花壇に近づいた。
そうして柵の向こうに見えたのはつくしが男と向かい合って話している姿だった。
つくしの背後からのアングルだとその顔は見えない。
だが、俯いたつくしに男が手を伸ばして何事かを呟くと、つくしは元気な声と共に男に向かって拳を突き出し、それを男が受け止めて笑い合う様子が展開された。

男がつくしから聞かされていた幼馴染みの庭師であることはその出立からすぐにわかった。
しかしその親密さは司の想像を超えるもので、司は体の末端から胸の中心に向かって黒く熱いマグマが再び集結する感覚を覚えた。

司に最後に見せた笑顔は、NY出張でしばらく渡りがないことに安堵したかのような顔だった。
なのに今は、心から楽しげな笑い声まで上げている。

自分以外の男に心を開いている。
つくしに俺は必要ない…
そう思ったら、先ほどまでつくしに許しを乞おうとしていた思考はどこかへ吹き飛び、憎しみにも似た怒りが沸騰するように湧き上がった。

しゃがみ込んだつくしの向こうに立つ男が司に気づいた。
帽子を取って頭を下げる男の様子につくしがまた立ち上がって振り向いた。
そして「司……」と呟いた顔は笑顔ではなく、驚きと困惑を表していた。







司はゆっくりと柵に近付き、そこに取り付けられた扉を抜け、畑を踏みながら真っすぐにつくしに近づいた。
磨かれた革靴が美しい畝を破壊し、司のために植えられた二十日大根の芽を踏みにじった。


「あ…」


「やめて、踏まないで!」と止めたくとも声が出ない。
それは司が誰の目にも明らかな怒りのオーラを纏っていたからだ。
しかしつくしはわからない。
司が今ここにいる理由も、怒っている理由も、作物の芽を構わず踏みながら自分を睨んで近づいてくる理由も、何一つわからなかった。

司はつくしまでたどり着くと、ガーデニング用軍手を着ている手首を掴み上げ、畝を挟んで向かい側で帽子を握りしめて硬直する7センチ小さい藤村健太に体を向けて見下ろした。
その怖いほどの美貌の中心にある、氷のように冷え切った眼差しが健太に突き刺さった。


「お前は今日でクビだ。出て行け。」

「は……!?」

「司!? 何言うの!?」

「主人の命令が聞こえただろ。…さっさと行けっ!!」

「っ!!」


硬直して動けない健太をその場に残し、司はつくしの手首を掴んだまま、黒い土に靴を埋めながら大股でガーデンハウスに向かって歩きだした。
そこへ中から島田が出てきた。


「旦那様! どうかなさったんですか!?」


歩みを止めない司は、もつれるように従うつくしの手首をさらに強く握りしめながら自分に駆け寄った島田を鋭く睨みつけた。


「っ!」


司を幼少期から知る島田でもここまでの怒りを纏った姿を見たことがなかった。
近づくことも憚れるような威圧感を携え、相手を切り裂くかのような視線を発するその瞳は紅く煮えたぎっていた。


「島田…テメェは何をしてた。」

「わたくしは…ハウスの中から奥様を見ておりました。」

「男とイチャつく主人の妻をただ眺めてたってわけか。」

「なっ、司! 誰が、」

「答えろ! 島田!!」


島田は項垂れるように俯いてから深く頭を下げた。


「私にはなんら問題がないように見えておりました。申し訳ございません!」

「…テメェもクビだな。」


呟くような声だったが、しかし二人にははっきりと聞き取れた。

島田さんまでクビ!?
あたしのせい?
健ちゃんと話してただけなのに、なんでこんなことに…


「旦那様!!」


島田の声はもう届かない。
司はつくしの手首を引いてガーデンハウスに入って行った。
島田はただその場に立ち尽くした。




***




「司! 痛いよ、離して!」


テラスからガーデンハウスに入った司は左手のベッドルームに入ってベッドの上につくしを突き飛ばすようにして手を離した。
背中からバウンドするように投げ出され、帽子の落ちたつくしは、すぐに態勢を立て直そうと起き上がって立ち上がろうとした。
が、ドアに鍵をかけて一瞬早く戻ってきた司に再び肩を突き飛ばされてベッドに沈み込んだ。
そして馬乗りになった司に両手首を掴まれてベッドに押さえつけられた。

司がつくしを見下ろし、つくしは下から司を見つめる。

司の顔は無表情だった。
どんな美も人としての温もりを持たなければそれは人を模した作り物、ただの美しい彫刻だ。
だが、司が作り物に見えないのは、無表情の奥にとてつもない怒りを感じさせたからだ。
しかし怒りを買う理由がつくしにはわからなかった。

司が見下ろすつくしの顔は困惑だけを映し出していた。
なぜ自分が司に組み敷かれているのか、司が何を怒っているのかわからないといった表情が司の怒りをさらに加速させていた。
つくしが司に見せる笑顔は控え目な微笑だけで、満面の笑み、ましてや笑い声を上げるほどの笑顔というものは見たことがなかった。
それをあの男には見せていた。
それだけで裏切られたと感じさせるには十分だったのだ。

先ほどの女たちの話が蘇る。


“ 道明寺様を愛してないって。結婚したのは仕方なくだった………早く別れたいって。”


それは女たちがついた嘘のはずだった。
なのに今はつくしの真実の声であるかのように司の中に渦巻いた。


そうだ、こいつは最初に言いやがったんだ。
俺に別の女を見つけて、喜んで離婚届にサインするって。


司の中に眠る獰猛な獣が、今、ゆっくりと目覚めようとしていた。
司は片手をつくしの手から離し、髪を撫で、頬を撫で、その細い首にあてがった。
目の前の獲物を引き裂き、喰らいつき、血の一滴も残さずに我が身の糧にしたい欲望が湧き上がる。


庶民の分際でこの俺の妻になれただけじゃなく、俺から愛されているのに、この女は最初から俺を愛そうともせずに他の男に笑顔を見せてじゃれ合い、俺を裏切った。
許せない…許せない


「つ、司?」


つくしの首に回した手の指先に頸動脈の拍動が伝わる。
ピクピクと波打つそれを止めれば、つくしの全てが永遠に自分のものになるような倒錯した感覚に陥り、司はゆっくりと手に力を込めた。


「やめて…」

「お前は、男との密会場所を俺に用意させたってわけか?」


低く、凄まじい怒りを含んだ声がつくしの脳内に響く。


「な、なにを言ってるの? 密会なんてしてない。ただ花壇を、」

「黙れ!!」


司の手にさらに力が加わり、つくしは空いた手でその鋼のような手首を掴んだ。


「や…めて、く…くる…し…」

「そうだよな、お前は俺と別れるつもりなんだよな? 別れてあの男と逃げる気だったのか? それとも俺から奪い取った慰謝料で新しい男を探す気だったか?」

「な、なに言って…離して…おねが…い…」

「させねぇ。お前は一生ここに、俺の妻として俺の横にいるんだ。例え死んでも出て行くことは許さない。」


先ほどまで怒りで無表情だった顔が近づいた。
その顔には今は微笑が浮かんでいた。
まるで、つくしの死を喜んでいるかのような笑みで、司の容貌は悪魔的なまでに壮絶な美しさを放っていた。
その顔を見つめるつくしの目は見開き、眉根は寄り、口は空気を求めてヒクヒクと戦慄いていた。


「つくし、お前が地獄に堕ちるなら俺も一緒に堕ちてやるよ。」


つくしの最後の記憶は、自分の唇に重なった司の柔らかいそれの感触だった。










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2020.05.14
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2020.05.15
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