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いま、あたしはお風呂から上がり、体を拭いて髪を乾かし、純白の家紋入り羽二重の寝衣を着付けられ、寝化粧を施されている。
普段なら寝るだけなのに化粧?

あたしは今日、結婚した。
だから今夜は初夜だ。


「奥様、少しお顎をお上げください。」


床入りの支度を施してくれているのは私の侍女になった島田さん。
侍女ってのは私専属の使用人さん。
50歳を超えたばかりの痩せ型の女性で、ピチッと引っ詰めたお団子ヘアはキッチリとした人柄を物語っていて、表情豊かとは言い難い。
ってか、専属の使用人てそもそも必要なの?
化粧くらい自分でできるけどなぁ。

・・・いけない、いけない。
今までの常識は通じない世界なんだから、いちいち疑問に思ってたら身がもたないよ。

だってここは日本中にその名を轟かせている、大富豪のお邸なんだから。




->->->->->->->->->->->->->->
  



それは遡ること3ヶ月前のことだった。




「牧野くん、ちょっと。」


あたしが勤務するのは創業70年という奥田商事の秘書課だ。
奥田商事は元は羊毛を扱う貿易会社だったけど、1970年代になって手芸の材料全般を取り扱うようになり、今では全国に手芸専門の店舗を持つ商社になった。
とは言っても資本金一億はそう大企業という訳でもない。
秘書も社長と専務に各1人と、常務以下のその他の役員をまとめて仕切る2人の4人体制だし。


「失礼します。」


あたしの担当はその他の役員。
だけど、今、呼び出された先には社長以下の役員が勢ぞろいしていた。
役員フロアの会議室は異様な空気。
どしたの?


「牧野くん、まあ、座ってください。」


奥田社長は腰の低い柔和な人だ。
その社長に手招きされて、まるで面接でもされるみたいに空いたスペースにポツンと置かれた椅子に腰掛けた。
なに?
あたし、なんかやらかした?


「今日、呼び出したのは君に是非とも依頼したい案件があってね。」


本題に入ったのは専務。
社長の弟さんで、こちらは切れ味鋭いナイフのようなキツイ目をした男性だ。


「私でお役に立てることならば。」


弾劾裁判じゃなかったことに内心、安堵の息を吐きながら、あたしは軽く頭を下げた。


「まず最初に、結論から話そう。」


専務が話を続けた。


「君を、道明寺グループが今後100年の計と打ち出した大プロジェクトのチーム候補生として、我が社から推薦することにした。」


・・・・・・


「は?」


ごめん、何つった?


「フフ、驚くのも無理はない。我が社が2年前に道明寺の傘下に入ったことは知ってるね?」

「はい。そのおかげで頭打ちだった売り上げが格段に伸びました。」


奥田商事は2年前に買収により道明寺グループの傘下に入った。
現代の趣味の多様化に伴い、手芸の種類も多岐にわたり、材料も膨大になった。
大量の在庫を抱える中、それを実店舗販売と自社HPの細々としたネット販売だけで捌いていたため売り上げは伸び悩み、ついには赤字に転じていた。
その時、道明寺HDから買収の話が持ち上がったのだ。
道明寺ほどの大企業がなんでうちなんか…と社長は呟いたが、役員会議の満場一致でグループ会社として再生する道が決定した。

最初は不安ばかりだった社内も、いざ始まってみると現在の体制はそのままに、道明寺グループの各専門企業の力を借りて今では1分間の手芸動画アプリや今流行りの15秒動画サイトへの投稿、大々的なネット販売網を構築し、純利益が最盛期に迫る勢いまで回復した。

大学を卒業して入社1年目で迎えた一大変革に、あたしも昼夜を問わず役員たちと共に走り回ったっけ。
各分野の専門スタッフとの打ち合わせに同席させてもらって、彼らの有能さに舌を巻いて、すっごく勉強になって充実した時期だった。

でも、その道明寺グループが今後100年の計!?
どれだけすごいプロジェクトなんだろう。


「その道明寺グループの全グループ会社本社から各1名、候補生を推薦せよとのお達しなんだ。」


ほへー!
全グループ会社!
1名ずつでもすごい数だろうな。


「そうだったんですか。水面下でそんなことが。」

「ああ。そこで我が奥田商事からは牧野つくしくん、君を推薦することにした。」


あたしはそこでやっと事の次第が理解できて面食らった。


「あの…それはもう身に余る光栄なのですが、私は一介の秘書に過ぎません。そんな重要なプロジェクトの候補生ならば、もっと他の適任者がいらっしゃるんじゃないでしょうか。」


そうだよ。
営業成績1位の田辺さんとか、企画でヒットを飛ばし続けてる仁科さんとか。
あたしが選ばれたって何すんのよ!?


「それが、候補生には条件があってね。」

「条件ですか…」

「第一に女性であること。」


女性限定!?
じゃ、田辺さんはダメか。


「第二に25歳以下であること。」


25歳!?
若くない!?
だから仁科さんは外されたのか。
彼女、27だもんね。


「そして第三に、未婚であること。」


ちょっと、ちょっと!
さっきからなんなのよ、その条件は。
まるでセクハラじゃん。


「そうなると、我が社から推薦できる人間は限られてくる。」

「はぁ…」

「商品部の久保くん、システム保全課の町田くん、そして秘書課の牧野くんだ。」


で、その中で何であたし?
商品管理及び手配の知識ある人より、IT系の学部を卒業してシステムに精通してる人より、何であたしなの?


「その中で君に決定した決め手は…」

「ゴクリ…決め手は…?」


あたしはやや身を乗り出した。


「代わりの人間を用意しやすかったからだ。」


ガクーーッ!!

それは秘書なら代わりはいくらでもいるってことかいっ!
秘書って一言で言っても相性もあるんだから、そんな簡単には見つかんないんだからね!
しかも複数の役員にひとりの秘書なんていう激務をこなせるのは…


「そういうわけで、来週から君の代わりを務めてくれる人間ももう見つかった。」


見つかったんかいっ!
オッサン、仕事、早っ!


「…コホン、お言葉ですが、まだ候補生の段階で代わりの人間というのは気が早すぎるのではないでしょうか。」


もしも選ばれたらその時はってことでしょ?
なのにもう代わりの人間!?


「候補生の選定には最長1ヶ月かかるそうだからね。知っての通り秘書課は万年人手不足だ。例え1週間でも君が抜ける穴は大きい。悪く思わんでくれ。」


選定に1ヶ月!?
ど、どんな試験が待ってるの??


「左様でございましたか。それはお気遣いありがとうございます。」

「で、どうだね? この推薦、受けてくれるね? これこそ君にしかできない重要な仕事だよ。」

「・・・・・」


そんな唐突に職場を追い出される話をされて、「はーい」なんて二つ返事できるわけないでしょ。
それに、ただの候補生でしょ?
何人採用するのか知らないけど、グループの全社からっていうと、軽く見積もって1000人はいるんじゃない?
落ちるわよ。
もうほぼ落ちるの決定よ。
そのとき、あたしが帰る場所は確保されてんの?


「あの、メンバーの選から漏れた場合にはまたここへ戻って来られるんですよね?」

「ああ、そのことなら心配ない。もし戻ってきたら君にはそれ相応のポストを用意してある。」

「ポスト?」

「社長秘書をやってもらうから。」

「社長秘書!?」

「ああ、だから大船に乗った気持ちで挑んできてもらいたい。」


秘書の花形はやはりその企業のトップの秘書を張ること。
一人の役員に秘書が複数いる大企業ならさらに第一秘書が秘書の中のトップだわ。
うちみたいなマンツーマンなら社長秘書ってだけでかなりの箔がつく。
いつかはって狙ってたけど、こんなに早くそのチャンスが回ってくるなんて。
よしっ!


「わかりましたっ! 社長秘書を任せていただけるんでしたら不肖・牧野つくし、奥田商事の代表として精一杯戦ってまいります!」

「もしもプロジェクトメンバーに選ばれたらお祝い金を出すからね。」


奥田社長がおっとりとした口調で付け加えた。


「お祝い金ですか?」

「うん。名誉なことだから100万の特別ボーナスだ。」

「ひゃっひゃっひゃっ、100万!? わかりましたぁ!! 必ずやメンバーの座を勝ち取ります!」


あたしはさっき抱いた不快さなどすっかり忘れ、ただ目の前の人参に夢中になった。


翌週には中途採用された秘書さんに引き継ぎをして業務を切り上げ、面接から10日後、いよいよ候補生選定試験に臨むため、あたしは道明寺HD日本本社に乗り込んだ。









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2020.02.01




推薦告知から10日。
あたしは朝から腰が痛くなるくらいにのけぞり、雲に頭を突っ込んだビルを見上げていた。


「ほへー……何度来ても見慣れないビルよねぇ。」


2年前には何度も通った道明寺日本本社ビルに来るのは1年半ぶりだった。

候補者にはぞれぞれ番号が振られ、IDカードが事前に配られている。
1〜100番は9:00〜9:30まで、101〜200までは9:30〜10:00まで、と、100番ずつ受付時間が決まっている。

あたしの番号は253番。
受付時間は10:00〜10:30だ。
現在時刻は9:50。
よし、大丈夫。
きっともう戦いは始まってる。
ライバルがうようよいる道明寺本社ビルのエントランスをなるべく堂々と突っ切った。







受付を済ませ、200番代の候補者の控え室に入るとズラリと並べられた長机の端と端に番号が貼り付けてある。
自分の番号の席でじっと待っていると、静かな廊下から切羽詰まった声が聞こえてきた。


「あの、遅れたのはすみませんでした。でも途中で電車が遅延を起こしまして。あのっ、遅延証明書もあります! お願いします! 参加させてください!」


どうやら受付時間に間に合わなかった候補生が受付担当者に直訴しているようだ。


「申し訳ございません。200番代の受付は終了いたしました。例外は一切ありません。どうぞお気をつけてお帰りください。」


「そんな! 電車が止まったんですよ!? 不可抗力なんですよ!? 仕方なかったんです。」

「でも200番代の方であなた以外に遅れた方はいらっしゃいません。それに、運も実力です。実力のない方はお引き取りいただくのが選定です。」


30代と思しき受付男性の声が耳に残った。
その時、控室にいた一人の候補者が立ち上がって部屋を出て行ったかと思うと、その人のものと思われる声も聞こえてきた。


「あの、差し出がましいようですがちょっと厳しすぎるんじゃないでしょうか。この方のせいじゃないですし、イレギュラーな事態というものもあるのではないかと思うのですが。もう一度、チャンスを差し上げてくださいませんか?」

「あ…ありがとうございます……どうか、お願いします!」


遅刻した女性は庇ってくれた女性にお礼を言った後、最後にもう一度受付担当者に頭を下げたのだろう。
このまま救済されるかと思われたその時、受付担当者の冷淡な声が響いた。


「それでは、あなたもいっしょにお帰りください。」

「「えっ!?」」

「当方のルールに従えないなら帰っていただいて結構です。どうぞ、お二人揃ってお引取りを。」

「ちょっと、あのっ私もですか!?」


今度は庇った女性の切羽詰まった声が届いた。


「はい。もう結構です。ご足労いただいてありがとうございました。……すみません! この方達をエントラスにお送りしてください!」


受付担当者は最後は離れたところに声をかけた。
開け放たれたドアの前を通ったのは黒いスーツを着た体格のいい男性が二人。


「ちょっ、ちょっと!」

「離してください!」

「手荒な真似はいたしません。どうぞ我々の指示に従ってください。」


どうやら待機していた警備担当者?に強制的に促され、遅刻した女性とその女性を庇った女性はフロアを出て行った。

あ、危なかったぁ。
もう少しであたしが立ち上がるところだった。
だって、電車が遅れたんでしょ?
仕方ないじゃん。
どうしろっちゅうのよ。
……でもそれが「運も実力のうち」ってやつか。
ヒエェェーー・・道明寺HD恐るべし。
気が抜けないなぁ。





受付番号は900番代まであった。
受付終了予定は午後2時。
それまで朝から集められた候補者は昼食もとらずにずっと待機させられていた。
控室にはウォーターサーバーのみが置かれ、水分補給だけはいつでもできる。
お手洗いにも好きに行ける

だがつくしは、自分以外全員ライバルという特異な環境では神経がすり減っていくのを感じていた。

はぁ、お腹すいたな。
朝ごはん食べたのが7時。
今、午後1時過ぎ。
いつもならとっくにお昼を食べている。
食べられないときは給湯室で軽くクッキー1枚つまむだけでも神経が和らぐものなのに。

その時、部屋の中で悲鳴が上がった。
振り向くと、一人の女性が倒れていて、周囲にいた女性たちが駆け寄っていた。
つくしは立ち上がり、廊下に出た。


「すみません! 誰か来てください!お一人、倒れました!」


すぐに救護班が来た。
貧血とのことで、そのまま搬送された。

つくしは堪らず、近くにいた40代と思しきの女性担当者に尋ねた。


「あの、待ち時間が長時間になっていて皆さん、お疲れなのですが、受付終了後は昼食の時間がありますか?」

「ありません。14時からは説明会を行います。」

「えっ!? でもそれじゃ、朝一番からいらしている方は5時間も待機してるんですよ? それがまだ続くんですか?」

「253番さん、プロジェクトが始まれば日中は何も口にできないということもあり得ます。この程度で根を上げるのならば、今この場でお帰りください。」

「もしかして…先ほど倒れた方は…」

「失格です。」

「…マジですか……」


ギロリ、と女性担当者はつくしを睨んだ。


「253番さん、言葉遣いも選定対象ですよ。気を抜かないように。」


それだけ言うと持ち場に帰って行った。


「…マジか……」


つくしの呟きだけが残った。








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2020.02.02




やっと全員の受付が終わり、各控え室に備え付けられたテレビモニターを通じて説明会が始まった。
最初に画面に現れたのはプロジェクトリーダーを任されたという優しい顔をした50代半ばぐらいの男性だった。


『お集まりの皆様、本日はお忙しいところをありがとうございます。この度のプロジェクトリーダーを仰せつかりました遠山と申します。皆様のように優秀な方の中から我がプロジェクトにふさわしい方を選ばせていただけること、この上ない喜びです。』


遠山さんは深々と頭を下げた。
天下の道明寺HDの、一大プロジェクトを任されたにしては腰の低すぎるリーダーに一瞬、会場全体がざわついた。


『今回のプロジェクトは未来の道明寺の命運を左右する大変に重要なもので、これにはNYにおられるグループ総帥もにわかに御注目なさっておいでです。』


ここでざわつきは意味合いを変え、一層高まった。


『皆様におかれましては、どうか持てる力を存分に発揮いただきまして、背水の陣にて当たっていただきたいと存じます。何卒よろしくお願いいたします。』


最後にもう一度、腰より低く頭を下げると、遠山はフレームアウトした。

そんなにも重要なプロジェクトって一体、何をするんだろう??
そして1000人近いこの候補者の中から何人が選ばれるんだろう??
倍率はいかほど?
でも道明寺本社のメンバーが中心だろうからそう大人数が選ばれるとは思えない。
せいぜい4〜5人、もしかすると1〜2人かもしれない。

次にフレームインしたのは選定委員会委員長を名乗る女性だ。
それは先ほど、つくしが声をかけた女性だった。


『皆さま、長い時間お待ちいただいた方もいらっしゃるでしょう。この建物に入った瞬間から選定は始まっております。現時点で遅刻された方3名、ルールに異を唱えた方1名、そして先ほど体調を崩された方1名、計5名の方が落選されました。今後は本格的な選定試験の連続となります。緊張感を持って臨んでください。』

「「「はい! 」」」


若い女性の高らかな声がフロアに響いた。
つくしも背筋を伸ばしてその声に倣った。
正直、プロジェクト自体はどうでも良かったが100万もしくは社長秘書がかかっている。
採用は儚い夢だとしても、少しでも爪痕を残して奥田商事に戻りたかった。


『では早速、本日、第一次選考を行います。最初はペーパーテストです。』


ザワッ

そこここから囁きが聞こえた。


「よしっ! ペーパーは楽勝だわ!」

「えー、どうしよう〜、勉強苦手だったんだよねぇ」


候補者の条件は、

一、女性であること
二、25歳以下であること
三、未婚であること

であって学歴は条件には入っていない。
だから様々な職種から様々な経歴を持った女性が集められていた。

つくしは国立大学の英文学科を出ており、英語には自信があった。

就職試験みたいなのかな?
捻ったのや、トンチみたいな問題が出るの?
それとも小論文とか?
ひたすら計算だったりして。
英語の問題多めでありますように!

控室に試験監督がぞろぞろと入ってきて、室内の候補生に筆記具が配られた。


「携帯電話の電源はお切りください。5分後に問題を配ります。1時間でどれだけの問題をどれだけ正確に解けるかを問います。」


うわっ
やっぱり計算かもしれない。
ひたすら100マス計算とかだったら終わる・・・

5分後に配られたのはA4サイズのドリルのように閉じられた冊子だった。


「始め!」


バッと一斉に問題の表紙が開かれた。
その時、部屋中に息をのむ音が充満した。


「なに…これ…」


それは間違い探し問題だった。
100ページ、ひたすら2枚の絵が描かれて、片側は一部が違っている。
その間違いを探して丸で囲むというものだ。
ひとつの絵が何箇所違っているのかはわからない。
1個かもしれないし、5個かもしれなかった。

しめた!とつくしは思った。

これ、得意だ!
万年平社員のパパのおかげで休みはどこにも連れて行ってもらえなかった。
だからそういう日はクロスワードや間違い探しゲームをして遊んでた。
いつのまにか“ 間違い探しのプロ ” とママに言われてたんだっけ。
よっしゃー!

つくしは集中して次々とページを繰っていった。




->->->->->->->->->->->->->->




「奥様、あと10分ほどで御渡りでございます。」


島田さんの呼びかけにあたしはハッと意識を今に戻した。

“ 御渡り ” とは夫が妻の寝室を訪ねることを言うらしい。
この家では夫婦は別棟に住むことになっている。
夫は南棟、妻は北棟だ。
なんでも昔からの慣習だとか。
いやいや、何世紀前のことですか?
21世紀の現代において、こんな大奥みたいなことがまだ続けられていることに驚きを隠せなかった。

そういうわけで、夫が妻と過ごしたいときだけ “ 御渡り ” が行われる。
事前に知らされて、妻は準備をして待つらしい。
入浴で身を清め、身支度をして寝化粧をする。
部屋は洋風の作りなのに、寝衣は着物・・・
このチグハグ感。
ま、透け透け下着を着ろと言われるよりはいいか。


「奥様、くれぐれも粗相のないように。今夜を限りに二度と御渡りがないということもあり得ますからね。」


と、言われても今のところ相手の顔と名前しか知らないこの状況で、何が粗相になるのか見当もつかない。
ハァ、どうしてこうなったんだっけ?









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2020.02.03




第一次選考を無事に通過したつくしは今朝はある場所に向かっていた。

英徳大学付属病院
ここで第二次選考が行われる。

英徳といえば泣く子も黙る日本一のお金持ち学校。
幼稚舎から大学までのエスカレーター式で、外部入学者は高校からしか採用してない。
その医学部の付属病院だ。

都内の一等地にある敷地は広く、その建物は低層階の贅沢な作りになっていて、外観は赤煉瓦造りの瀟洒なものだ。
エントランスで受付を済ませると、5階のホールに案内された。
先日、第一次選考では900人以上いた候補者が、ここでは100名ほどになっている。

つくしはブルリと身震いがした。
早くも800名近い人間が振り落とされた。
自分が100人に残ったことが奇跡に思えた。
貧しかったことがこんなところで助けになるなんて、人生に無駄はないのだと改めて思った。

ホールに入り、自分の番号札の貼られた椅子に腰掛けた。
定刻になり、今日は医師や看護師がぞろぞろと入ってきて、一人、事務長らしき男性がマイクを持った。


「お集まりの候補生の皆様、この度は第一次選考通過おめでとうございます。本日は第二次選考でございます。第二次選考はメディカルチェックです。」


シーン…と、今回は誰も動揺を見せない。
今日の選考がメディカルチェックだということは事前に通告があり、昨夜から食事制限されているからだ。
その後、事務長は医師団と看護師団を紹介し、それぞれが挨拶をした。


「それでは今から10分間、お手元のタブレットで問診票の記入をお願いします。その後5名ずつ番号をお呼びしますので別室にお移りください。」


問診票は生活習慣についての項目やアレルギーについての項目の他に、月経の周期や性交渉の経験の有無などの項目もあった。


「あの、すみません!」


ひとりの候補生が挙手をして立ち上がった。
事務長がもう一度マイクを握った。


「はい、いかがなさいましたか?」
「この問診票、おかしくないですか? 月経の周期や性交渉の有無って婦人科くらいでしか見たことがありません。今日のメディカルチェックの意図はなんですか? ご返答によってはセクシャルハラスメントに該当すると考えています。」


随分とはっきりと物を言う女性だな、とつくしは思った。
事務長から交代してマイクの前に立ったのはホールの後方に控えていた選考委員会委員長の女性だった。


「失礼します。委員長の浅尾です。今回のメディカルチェックの意図、及び、メディカルチェックで第二次選考としている点についてでございますが、皆さんが候補生となっているプロジェクトは大変に重要なものであることは繰り返し述べてまいりました。重要度が高ければ高いほど激務が予想されます。しかし、コンプライアンス上、途中で交代や辞退は許されないメンバーとなるのです。何よりも健康が第一です。そのためには女性特有の疾病についてもしっかりと見つけ出す必要があり、今回のメディカルチェックには婦人科での超音波検査も含まれております。ご納得いただけないようならば、ご退室いただいて構いません。」


それだけ言うと委員長はマイクを置いた。
すると、数人の候補生が立ち上がり、ホールを出て行った。
中には「バカにしてるわ!」と捨て台詞を吐いていく者もいた。


「では、残った皆さんは同意していただけたと理解させていただきます。」


つくしはどうでもよかった。
誰に公表するわけでもない問診票。
見るのは医師と看護師だけだろう。
タダで詳しい婦人科検診を受けられるならラッキーだ。
性交渉の経験欄は『無』に丸をした。




->->->->->->->->->->->->->->




コンコン!


ノックの響きが聞こえたと同時に島田が宣言した。


「旦那様の御渡りです。」


つくしの寝室のドアが開いた。
が、つくしがそちらを見ることはできない。
四隅に天井まで伸びる柱付きの天蓋ベッド。
四方のうち三方はオフホワイトのシフォンカーテンが降ろされ、夫が現れる左側のカーテンのみが開いている。
つくしは島田に指導された通りにベッドの上で正座し、手をついて頭を下げて待っていた。

人が入ってきた気配がある。
絨毯を進む足音がベッドの横まで近づいて止まった。
つくしの心臓は胸の中で踊るように早鐘を打っていた。


「顔を上げろ。」


低い声が部屋に響き、つくしの肩がビクッと揺れた。

あの時、ちょっと見栄でも張って性交渉の経験は『有』に印をつけていれば、こんなことにはならなかったのだろうかと思いながらつくしは顔を上げた。
そうして視線も上げた先に立っていたのは道明寺財閥後継者、道明寺司その人だった。









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2020.02.04




第二次選考のメディカルチェックも通過したつくしは今、なぜか迷彩服を着て広いグラウンドをランニングしている。


「イチ、ニ、イチ、ニ……」


もう何周しただろうか。
その内に歯が抜けるようにボロボロと脱落者が出始めた。
第三次選考に残った20名のうち、まだ走っているのは8名だけだった。


「よーし! 集合だ!!」


教官から声がかかった。


「ハァ…ハァ…ハァ…」


こんなに走ったのはいつぶりだろう。
高校の部活?
大学のサークル?
社会人になってからは全く覚えがない。
生地の厚い迷彩服に包まれた体は汗だくで、下着が張り付いているのがわかった。


「最後まで残った者は5ポイント加算! 5周目までで落伍した者は1ポイント、それ以降の者は3ポイントの加算だ!」


第三次選考はポイントの加算方式だ。
しかしまだ何人が残るのか知らされていない。

ここは首都圏にある道明寺グループの広大な研修施設兼保養所。
ここで10日間の合宿の後、最終選考に進むか否かが決定される。
入村式の際、最終的に採用されるメンバーは何人なのか質問が出たが、委員長の浅尾から明確な返答はなかった。


「最終的にプロジェクトメンバーに採用される人数は未定です。皆さんの頑張り次第では何人でも大歓迎ですけどね。フフ。」








宿舎は2段ベッドが3台並ぶ6人部屋で、それを5人で使っている。
20名は4つの班に分けられ、一班で一室だ。

候補生は日焼け止め以外の化粧を禁止され、風呂は着替えを含めて一人20分、食事も20分で終えなければならない。
起床は5時、就寝は22時。
テレビ、ラジオ、スマホ、タブレットの類は一切没収され、外界との接触は完全に遮断された。


「いやーー!! 耐えられない! プロジェクトってマジ、何なのよ!!」


初日から悲鳴をあげたのは22歳の松永朋花だった。
かなり明るめに髪を染め、二次までの選考では長い髪をカールさせていたが今はお団子ヘアだ。


「あたしさ、別に残りたかったわけじゃないんですよ。社長がさ、名誉だから行ってこい、ダメでも参加賞としてペアの温泉旅行チケットやるって言うから参加したんですもん。むしろそっち狙いなんですけどね。あーあ、こんなことなら一次審査の時に遅刻でもしとくんだったなぁ。」

「でもあれは引いたよねぇ。」


ベッドの上段から身を乗り出したのは24歳の長坂澪だ。


「電車の遅延だったのに、こーんな眉釣り上げて「お帰りください」って感じ悪かったよねぇ。」


ベッドがギシッと軋んだ。
ボブヘアーの澪は小柄でふくよかな女性だ。


「でもあれはどうにかできたわよ! そもそも、ギリギリのタイムスケジュールで家を出るのが間違ってんのよ!」


下段から噛みついたのはつくしと同じ25歳の津島陽子だ。
背が高く、ショートヘアの快活そうな細身の女性だ。


「それよりもあの一次選考なに!? 間違い探しって天下の道明寺HDがあんな子供の問題で振り落とすって、ありえないじゃない?」

「このプロジェクトって女性限定だし、年齢制限も若いし、極め付けはメディカルチェックでのあの質問! ねぇ、ねぇ、ここだけの話、プロジェクトなんてないんじゃないかって話ですよ。」


噂話に敏感なのは23歳の江藤麻友だった。
ウェーブのかかったセミロングの髪に奥二重のスッキリとした顔立ちが特徴だ。


「プロジェクトじゃないならなんなのよ?」


食いついたのは上段の長坂澪だ。


「ここだけの話ですよ。」


江藤麻友は他の4人を手招きして自分の周りに集めた。
つくしも麻友を覗き込む。


「御曹司の嫁探し。」


!!!?


「えええ〜〜〜!!!!」


悲鳴を上げたのは松永朋花だった。


「しーー!!! 松永ちゃん、うるさい!!」

「え、え、え? 御曹司って、あの?」

「そう、あの。」

「誰ですか?」


やっとつくしが口を挟めたと思ったら、4人が一斉に振り向いた。


「牧野さん知らないの!? 道明寺の御曹司って言ったら一人でしょ!?」

「いや、だから誰なんですか?」

「「「 道明寺司よ! 」」」

「は…あ…?」


松永朋花が頼んでいないのに詳しい説明を始めた。


「道明寺司、26歳。英徳学園で幼稚舎から高等部までを過ごし、大学はNYへ。NY本社の役員を経て昨年帰国し、今はNYと東京の2大本社体制の道明寺ホールディングスで日本本社副社長を務めている。特筆すべきはその容姿! どんなモデルも顔負けのイケメンで、TIMES誌が選ぶ世界の美しい男たち100では日本人で唯一にして必ずトップ5入りをしているんです! でも美しいのは顔だけじゃない。身長187cmの肉体、長い脚、鍛え抜かれた筋肉美、オーダースーツがビシッと決まって、あああ〜〜、抱かれたい!」

「はぁ…」

「もう、牧野さんは鈍いなぁ。」

「牧野さんだって道明寺系列会社の社員でしょ? なんで知らないのよ。」


津島陽子が唇を尖らせた。


「なんでって、本社と直接関わったのは2年前の半年間だけだし、仕事の話に御曹司さんは出てこなかったし、そもそもその人、その時は日本にいなかったんでしょ? それにお坊ちゃんとか興味ないし……で、その人が嫁を探してるって言うの? こんな大げさなことしてわざわざ?」


矛先をかわそうと話題を戻したつくしの質問に答えたのは江藤麻友だった。


「道明寺財閥後継者、ひいては次期総帥の妻になる女ですよ? 普通の方法じゃ見つからないんじゃない?」

「でも、家柄が釣り合うご令嬢とか、いるんじゃないの?」


つくしの疑問は至極もっともだった。
4人は考え込んだ。


「やっぱり、プロジェクトはあるのよ。100年の計って言ってたから厳格を期してこんな方法で選んでるんじゃない?」


しかし話は終わらない。
長坂澪がまた身を乗り出した。


「ね、みんな処女なの?」


澪のいきなり核心をついた質問に、4人はグッと押し黙った。


「私から白状するね。処女でーす。」


澪が手を上げて宣言した。


「あ、あたしも」


江藤麻友も控えめに手を上げた。
つくしはチラリと津島陽子を見遣った。
自分と同い年の陽子が経験者だと肩身が狭い。
彼氏がいたことはあったが、経験はなかった。
結婚まで純潔を守っていた設定で生きていくことを決めたのは25歳の誕生日だ。


「私は経験済みです!ってか、今も彼氏いますし。」


あっけらかんと宣言したのは最年少の松永朋花。
これはますます言い出しづらい。
しかし3人の視線がこちらに注がれていた。


「え? 私はあるわよ。あはは、当然でしょ! ね?」


津島陽子がつくしを覗き込んだ。
冷や汗が流れる。
目がぐるぐると回って焦点が合わない。


「え…まさか、牧野ちゃん…」


えーい! ままよ!


「経験、ないです!」


片手を挙げて宣言した。
人に指摘されるよりは自分で告白したほうがマシだが、赤面するのは止められない。


「えー、牧野さん可愛いのに、なんでぇ〜?」

「ちょっと松永ちゃん、そういうコメントは平等にしようね〜」


額に怒りマークをつけた長坂澪が苦笑いしながら松永朋花にツッコんだ。


「でも、ってことは、やっぱり処女率高いよね。」


長坂澪はまだ終わらせない。


「松永ちゃんが例外なのは若いから?」

「おーい、私もいるぞぉ。」

「だから、関係ないんだって!」


つくしは長坂がどうしてこの話にこだわるのわからなかった。


「でもさ、」


江藤麻友が口を開いた。


「初めての相手が道明寺司なら、この歳まで温存しておいた甲斐がありますよ。」


これにはつくし以外の3人が深くうなずいた。









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2020.02.05




プロジェクト選考キャンプも8日目を数えていた。
毎日、動けなくなるまでしごかれる。
ランニング10キロに始まり、匍匐前進500m、吊り下がったロープを使って高さ3mの木組みの壁超えを往復5回、室内に移動して腹筋、背筋、腕立て、スクワットを各50回×2セット、シャトルランを3回、縄跳び30分、バスケのドリブル左右それぞれ100回。
終わるタイムによってポイントが加算される。

初日の語らいが嘘のように、つくしの部屋は静まり返っている。
夕食が終わり、風呂に入ったらすぐに寝てしまいたいが、装備品の手入れとチェック、就寝前の点呼を受けなければならない。

つくしの部屋のメンバーはかろうじて5人全員が残っていたが、他の部屋では脱落者が出始め、当初、第三次選考に残っていた20名は14名に減っていた。


「あと2日…帰ったら絶対に24時間寝てやる…」


重い安全靴を磨きながら、つくしは閉じそうな瞼を必死にこじ開けていた。

ポイントは靴の磨き方にも与えられる。
完璧で5ポイント。しかしこれはまだ誰も獲得したことがない。
及第で3ポイント。ほぼこれだ。
落第、磨き直しで1ポイント。
最近は疲れすぎて、これになる候補者も出てきた。

今、自分が何ポイント獲得していて候補者の中で何位なのか、果たして最終選考に残れる基準に達しているのか、誰も何も知らなかった。

目標がない中の過酷な生活で、各自が自分なりの目標を立てていた。
つくしは当然『100万円!』
中には『シャトーブリアン1kg!』とか『世界一周クルーズ』、あるいは『転職する!』などもあった。

訓練としては明日がいよいよ最終日。
あと1日乗り切れば家に帰れる。
全員が選考の通過よりも、帰宅を目指して眠りについた。





->->->->->->->->->->->->->->





今、つくしの目の前には夫が立っている。

これまで写真でしか見たことがなかった夫に初めて相対したのは今日の午前中、式直前の顔合わせの時だった。
その時も思ったが、なんて綺麗な男なんだろう。
写真なんてものは現実の何分の一しか真実を伝えないものなのか。

見上げるほどの身長はこんなにもあったのかと驚くほどで、照明が当たるクルクルとした特長的な髪は艶々と光を反射し、その前髪のかかる眉は弓形に整い、自分をじっと見つめる鋭い瞳はオニキスのように輝いている。
スッと筋の通った高い鼻にシャープな頬のラインは男性的なのに、形のいい唇はカサつきのひとつもない。

それは美しいという形容詞が相応しい姿形で、まさに神が造りたもうた人類の、究極の完成形とも言うべき容姿をした男だった。

これがあたしの夫?
生きているとは信じられないような造形美のこの人が?
この平々凡々と生きてきた、これまた平々凡々とした女であるあたしの?

つくしはこの結婚が決まってからずっと、どこか現実味のない世界観の中で浮遊するように日々を暮らしてきた。
今日という日のために準備をしながらも、いつかプラカードとマイクを持った見飽きたようなタレントが「ジャジャーーン!」と飛び入ってきて、自分を驚きと共に解放してくれる日がくるのではないかと半ば期待していたのだ。
なのにその瞬間は一向に訪れず、ついに閨で夫を迎える段にまでなってしまった。

ボウッと見惚れていたのはどれほどの時間だったか。
司がクッと微かに笑んだ気がして、つくしは途端に自分の平凡さに居た堪れなさを感じ、視線を司の顔から下に移した。

つくしはなんだか急に自分が滑稽に思えた。
今夜、羽二重の寝衣を着ているつくしに対して、司はシルクのパジャマズボンにガウン一枚というラフな格好をしている。
抱かれるために隙なく身支度を整え、あまつさえ寝化粧まで施されているが、この普段着のような夫には自分を妻として迎えようという気はないのではないか。
でも、それならそれでこちらも気が楽でいい。
愛情も親しみも何もない関係ならば、いっそ足掻かずに他人として暮らしていけたら、その方が案外、友情なんかが芽生えたりして。
子供は誰か好きな女性に産んでもらえばいい。

そんなことを考えてフッと息を吐き出したときだった。
ベッドが僅かに沈んだ。
目を上げると夫が乗り上げてくるのが見えて、つくしは見開いた目を司に向けたまま固まった。

待って!
するの?
する気なの!?
だって、今日会ったばっかりの女だよ!?
こんな普通の女だよ!?
…ってか、する気で待ってたのはあたしじゃんか。
いや、積極的にしたいわけじゃない。
本当は嫌だ。
だって知らない人だもん。

司がつくしの前まで来て胡座をかいて座ると背後のカーテンがスッと降りた。
ベッドの上の空間で二人きりになる。
しかし部屋の中にはまだ島田と司の従者である森川が控えていた。

近くで見てもなんの綻びもない司に、つくしは緊張と戸惑いでまともに顔を上げることができない。
そんなつくしに司はそっと手を伸ばした。
温かい手が頬を包んで上向かせた。


「マキノ、お前、下の名前はなんていうんだ?」


この上なく美しい人形が喋った。
しかも美しい人形は声まで隙なく整っていて、低音の響きがつくしの横隔膜を振動させた。


「へっ? 名前……ま、じゃない。つくし、つくしです。」


牧野つくしと名乗りそうになった。
つくしはすでに道明寺つくしになっている。

この人、私の名前さえ知らないで結婚したの?
そっか、婚姻届はあたしが書き込む時にはすでにこの人の分は書き込んであったもんね。
でも、式の前に自己紹介したんだけど、聞こえなかったのかな?
そういえばあの時、呆然としてたもんね、この人。
平凡すぎるあたしを見てきっとショックを受けてたんだ。
だから耳に入ってなかったんだ。
でもそれにしたってそんなのでいいの?

ひとり考えに耽るつくしの耳に梁塵を動かすかの如き司の声が再び届いた。


「つくし…いい名前だな。」


そう言って微笑んだ司に、つくしはさらに目を見開いた。


「「人に尽くす」の尽くしだろ? それに頭に「う」が付けば「美し」だ。そういう意味だろ?」


この人の、このクルクルのヘアスタイルの中の脳ミソは何てロマンチストなんだろうと、つくしは心の中で感嘆した。
「尽くし」も「美し」も今まで誰一人そんな風に解釈した人はいなかったし、そんな発想は自分にさえなかった。

つくしを見つめる司の瞳はどこまでも深く、今日会ったばかりの女に最大限の慈愛を見せていた。
それを感じたつくしの大きな黒い瞳を涙が覆い始めた。
表面張力が限界を超えると涙は雫となって白桃のようなつくしの頬を伝い、紋羽二重の寝衣に落ちた。


「なんで泣いてるんだ?」


司から視線を外してうつむいた拍子にさらに両目から涙がポツンポツンと落ちた。


「…申し訳ありません……」

「なにを謝ってる?」

「私などが選考を通過してしまって、旦那様の妻などと。もっとふさわしい方がいらっしゃったでしょうに、申し訳ありません!」


再びベッドに手をついて頭を下げ、つくしが思わずした謝罪は本当に心からのものだった。

この人が美しいのは容姿だけじゃない。
心も美しい人なんだ。
そんなこの人の妻には同じように美しくて、優しくて、この人を包み込んでくれるような人がお似合いだ。
あたしみたいなガサツな庶民と結婚しなきゃならなかったこの人が可哀想だ。

司はしばらくつくしの様子を見つめていたが、やがてベッドに突っ伏すように頭を下げているつくしの両腕をとって顔を上げさせた。


「最もふさわしい女がお前だと選ばれたんだろ?」


つくしは最早ぐちゃぐちゃになってしまった顔で再び司を見た。
司の目には優しい光が宿っている。
その光に包み込まれる切なさに、つくしはさらに涙を溢れさせた。


「旦那様…本来なら結婚相手は自分で選ぶものです。テストで選出するものではないんです。だってそこに愛情はないでしょう? 結婚は愛してる人間とするものなんです。」

「それはつまり、お前は俺達の間には愛情がないからダメだと言いたいんだな?」

「いえ、そうではなく、旦那様には、」

「愛情はこれから生み出せばいいんじゃないのか? 俺の父母も祖父母も曽祖父母もみんなそうしてきたぞ。」

「旦那様には好きな女性はいないんですか!? これまで恋をなさったことは?」

「ない。」

「一度も?」

「ない。愛情はふさわしい女と結婚したら心に芽生えるものだと教えられた。違うのか?」

「旦那様…うぅっ」


つくしは司が不憫でならなかった。
人を愛することさえコントロールされているなんて。
愛していない女とだって、決められたならば否を言えずに結婚を遂行しなければならない司の宿命に胸が痛んだ。

司はなおも泣き続けるつくしをゆっくりと引き寄せ、抱きしめた。

ああ、神様。
あなたはなにを思ってこんな人を生み出したんですか?
美しくて、声も良くて、広い胸を持ってて、温かくて、その上、いい匂いまでして……
まるで人間味のないこんな人が本当に存在するなんて信じられない。

ジッと伝えられる温もりにつくしが徐々に力を抜いて身を任せていると、頭上から聞こえた声にまたつくしの横隔膜が戦慄いた。


「つくし、俺たちは夫婦になったんだ。義務を果たさないといけない。」

「…義務?」


見上げたつくしの顔に手を添えると、司は顔を傾けて唇を合わせた。
結婚式は神前式で、誓いのキスはなかった。
驚きに見開かれたつくしの目に司の長い睫毛が見えた。


「美味いな…」


唇を離した司の呟きが聞こえたと思ったら、つくしはベッドに横たえられ、前で結んだ寝衣の腰紐が解かれ始めた。
呆然と固まっていたつくしはやっと我に返り、事態が飲み込めて慌てだした。


「あ、あの、旦那様、待ってください。」

「司だ。司と呼べ。お前は妻なんだから。」


シュッと腰紐を抜き、司はつくしに被さった。








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2020.02.06




キャンプ最終日。
今日も朝5時に起床し、朝飯前に10キロのランニングをこなし、朝食を食べ、室内運動で腕立て、腹筋
背筋、スクワットをこなした。
始まる前にはプクプクしていた長坂澪も、さすがのメニューにこの1週間で見るからに痩せていた。


「よぉし! 集合!」


教官の声かけで、荒い息を治めて整列する。
整列すればすぐさま点呼だ。
14名が揃っていることを報告する。


「本日は最終日だ。明日には家に帰れるぞ。」


ワッと14名に笑みがあふれた。


「だから今日は仕上げだ。皆、これを背負え!」


教官の前に並べられた迷彩柄のリュックは何かが詰め込まれていてちょっとの力では持ち上がらない。


「これ、何キロあるんですか?」

「10キロだ。」

「10キロ!?」

「食糧、水、その他装備品が入ってる。これを背負って15キロ先のチェックポイントを往復してもらう。」


シーーン……


予想外のミッションに誰も口を利けない。


「各班がチームだ。リーダーを決めろ! なお、リーダーだからといって加点対象にはならないからそのつもりで選べ!」


各班が輪になって話し始めた。
つくしたちの班も輪になる。


「誰にしますかぁ? 年齢から言ったら津島さんか牧野さんですよねー。」


最年少の松永朋花が口火を切った。


「いや、あたしは、」

「あ、私は無理! 人をまとめるとかダルい事、無理。私に任せたら完遂できないと思う。」


つくしが断ろうとした瞬間、津島陽子が割って入った。
ショートカットのヘアスタイルに背が高く痩身なルックスは20名の候補者の中で迷彩服の出で立ちが一番似合っていたが、それが一匹オオカミという雰囲気を感じさせていて、確かにチームリーダー向きには見えなかった。


「じゃ、牧ちゃんね!」

「そんな、澪さんこそ適任だと思うけど、」

「あたしはダメ。いつものメニューだって皆んなに迷惑かけながらやっとこなしてんだもん。誰があたしについてくるって言うのよ。牧ちゃんしかいないよ!」


太り気味で運動不足だった長坂澪はいつもメニューをこなすのが班で一番遅かった。
班全員が終わるまで休憩は許されず、直立不動で待たなければならなかった。


「でも、私だってそんな力ないよ。」

「大丈夫! 牧野さんならできる! すっごいポテンシャル感じるし。それに早く決めないと減点されるかも。」


江藤の声に周囲を見れば他の班は続々と教官に報告に行っている。


「んん〜…わかった! よし、やる!」

「やったー! 牧ちゃん、ありがとう〜」


こうしてつくしがリーダーになった。








「出発! 進め!」


ザッ…ザッ…ザッ…


チェックポイントは山頂にある。
山を登って降りてくる行程だ。
山といっても小高い丘程度だったが、しかし道は獣道だった。
10分ごとに各班が出発し、帰着タイムでポイントが加算されることになっていた。

つくしたちの班も出発し、一列になって進んでいた。
背負う10キロの荷物も重かったが、履いている安全靴も、頭に被っている迷彩柄のヘルメットも重かった。
朝からメニューをこなした体は早くも悲鳴を上げ始め、3キロの標識で休憩を取ることになった。


「ハァ…ハァ…これ、班から脱落者が出たらどうなるんだろう…」


長坂はヘルメットを外し、顔の汗を拭った。


「もしかして、連帯責任で班全員失格とか?」


リュックから水を取り出しながら江藤が答えた。


「あー、もうそれでもいいです。長坂さん、リタイアするなら早めにお願いします。」


松永朋花はこんな状況でもポケットから手鏡を出して
前髪を気にしている。


「ちょっと! 失格なんて困るのよ! 私はプロジェクトに参加したいの! 道明寺100年の計は私が成功させるんだから!」


仕事に燃える津島が吠えた。


「大丈夫、リタイアなんてさせないから。班で行動するのはきっと助け合うためよ。タイムのことは気にしないで、とにかくみんなで帰ることだけ考えよう! ね?」


リュックを下ろしたつくしが立ち上がってみんなに呼びかけた。


「ほあ〜、やっぱ牧ちゃんにリーダー任せて正解だったね。」


長坂澪がリュックにもたれながらつくしを見上げた。





->->->->->->->->->->->->->->





「ん…ふ……ぅ…」


司に被さられたつくしは、先程から自分の口内を蹂躙する舌に生気を吸われるかのごとく徐々に力が抜けていくのを感じていた。

今日、初めて会った人と結婚して、その人にこんな濃厚なキスをされるって、あたしの人生はどこでどう間違ってこんなレールに乗っちゃたんだろう。
でも…ハンサムはキスまで上手いのか…気持ちいい…

こわばっていたつくしの体が緩んだのを感じ、チュと音を立てて司は唇を離した。


「美味い…」


司はまた呟いた。

この人は何がそんなに美味しいんだろう…

ぼーっとする頭でそんなことを考えていた次の瞬間、つくしの体はまた一瞬にしてこわばった。
腰紐を抜いた寝衣の合わせを開き、その下には何も身につけていなかったつくしの身体を司が見下ろしていたからだ。


「あのっ」


隠そうとして衣を引くもそれを掴む司の手はピクリとも動かない。
なおも司に見入られて、つくしの身体は羞恥で急激に朱に染まっていった。


「マジか…」

「やだ…見ないで…」


こんなに綺麗な男性に全身を覗き込まれ、隅々まで這わされる視線に耐えられるほどの肉体も自信も持っていない。
顔を見て落胆され、身体を見て落胆され、もう救いようがない居た堪れなさにつくしはベッドに横顔を押し付けるように顔を背けた。

そんなつくしの寝衣を開いていた司の片手がつくしの胸を捉えた。
熱く大きな手がつくしの乳房を強く掴んだ。


「痛っ!」


つくしが声を上げると手は緩んだ。


「すまん…柔らかすぎて力加減がわからない…これが女の身体か…」


そう言うと、宥めるように額、頬、首筋とキスが落とされ、今度は壊れ物を扱うように司の手が優しくつくしの胸を包んだ。
しかしつくしは先程の司の言葉に気を取られていた。

ちょっと待って。
力加減がわからないって…もしかして、この人も初めてなの?
え、だって26だよね?
まさか…だよね?


「あの、旦那様…」

「なんだ。」


司はつくしの首筋から顔を上げた。
つくしはその近さに直視できずに目を泳がせた。


「あの、つかぬことをお伺いしますが、旦那様も、その、こういうこと初めてですか?」

「? 当たり前だろ。今日、お前と結婚して、今夜が初夜なんだから。俺は初婚だぞ。」


なんでそんな当然のことを聞くんだと言わんばかりの司の表情に、つくしは返事ができなかった。

待て待て待て!
だって26だよ!?
いや、そりゃあたしだって人のことは言えないけど、でも男は女と違うでしょ?
しかもこんなに整った人。
相手なら選び放題だったんじゃないの?!
弟の進でさえ10代で脱・童貞してた…気がする…
なのに!

…なに?
もしかして初夜まで童貞でいなきゃいけないってシキタリとか?
き、厳しぃ〜〜


「お前だってそうだろ?」

「えっ、あ、はい! はいはいはい! そうです! 初めてです!」

「だろ? 当たり前のことを聞くな。」

「すみませんでした…」


話が終わると司はまたつくしの身体にもどった。









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2020.02.07




第三次選考キャンプ最終日、つくしたちの班は10キロの標識を超え、山頂に向かっていた。
荒い息遣いと安全靴が土を蹴る音が森に吸い込まれていく。
春が過ぎ、紫外線の強さを増した日射しがこずえに乱反射するこの時期の訓練は、ここへきて苛酷の度を深めていた。
先頭を歩くつくしも地面を見ながら黙々と歩いている。

ここまで頑張ったんだから100万ほしい…
満額は無理でも、寸志くらいは出ないかなぁ。

そんなことを考えていたつくしは江藤麻友の叫び声に顔を上げた。


「見て!」


それは一本の鎖が垂れ下がった3メートルほどの大岩だった。
下半分は抉れ、上半分は突き出ている。


「こ…れ…、こんなの登れって言うの?」


つくしは思わず呟いた。


「うそでしょぉ、もうここでリタイアしません?」


松永朋花がへたり込んだ。


「だからリタイアなんてごめんだって言ってるでしょ! あんた、根性なさすぎなのよっ!」


津島陽子が噛み付く。
班の雰囲気が一気に険悪になった。


パンパンッ


そこにつくしが手を打ち鳴らした。


「二人とも、やめなさい! 朋花ちゃん、リタイアはしない。その選択肢をあなたの頭の中から消しなさい。それと陽子さん、弱音を吐く人を叱っても何も解決にならないですよ。まずは受け止めてから励ましてあげなきゃ。」


秘書をしている時もそうだった。
激務で弱音を吐く重役の気持ちを否定しているよりも、一度は受け止めて共感して、そこから励ましたほうが頑張りが持続した。
自分の気持ちをわかってくれる人がいるというだけでどれだけ救われるか。


「登るしかない。登れるよ。だって鎖が下りてるんだよ? あの鎖を付けた人は鎖なしで登ったんだから、鎖のある私達なら楽勝だって!」


つくしはできる限りの明るい声で話しながら、みんなに笑顔を見せた。


「わかった、ごめん。牧ちゃんのその顔見てたらできそうって思えてきた。よし、協力して頑張ろう!」


津島陽子がグッと拳を握りしめて応えた。






最初に登ったのは松永朋花だった。
中学時代、全国大会にも出場した経歴のある高跳びの選手だったとかで、高所も平気だという理由で名乗り出た。
鎖を掴んだ朋花を他の4人で押し上げる。
抉れた下半分には足場がない。
足がつく上半分までが難所だった。
朋花が岩の上に着くと、長坂、江藤の順に登った。
下から押し上げるメンバーが減っていく。
腕の力を使ってしまうと、この後、自分が登る時に鎖を掴む力がなくなる。
残った体力との勝負だった。

陽子とつくしが残された。


「牧ちゃん、あなたの方が軽いから先に登って。」

「いえ、私はリーダーです。メンバーを残して先に登るなんてできません。陽子さん、どうか先に登ってください。私は大丈夫です! 体力には自信があります!」


つくしに促され、陽子はしぶしぶ鎖を登り始めた。
つくしも精一杯に陽子を押し上げる。
体重に荷物の10キロが加わり、その重さは平均的な成人男性くらいあった。

陽子が登り切って、最後はつくしだ。
しかしここまで4人を押し上げ、もう腕に力が入らなかった。

どうしよう。
もう鎖を掴む力が残ってない。
まだ10キロ地点、帰りも含めてあと20キロもあるのに。
みんなにはリタイアはないって言ったけど、無理かもしれない。


「牧ちゃん、早く登っておいで!」

「大丈夫? 鎖、掴める?」


上から声がかかる。
つくしは思考を振り払った。

弱気になっちゃダメだ。
あたしがここでリタイアしたらみんなが責任を感じてしまう。
リーダーなんだから踏ん張らなきゃ。

つくしは鎖を掴んだ。
飛び上がって靴で鎖を挟もうとするが、やはり手に力が入らずに落ちてしまう。
荷物や装備品を含めて60キロ以上ある重さを支える体力はもう残っていなかった。

その時、


「見て! 熊がいる!!」


津島陽子が叫んだ。


「どこっ!?」


江藤と長坂が下を覗き込んだ。


「牧ちゃん、急いで! 熊に襲われる!!」


陽子はさらに叫んだ。


「うそっ!? やだっ」


つくしは周囲を忙しなく見回した。
まだその猛獣の姿も気配も感じなかったが、きっと上からは見えているのだろう。


「いやーーっ! 牧ちゃん、早く!!」


パニックに陥った江藤の金切り声が山に響く。


「牧ちゃん、とにかく鎖に乗って!! あとはあたしたちが引っ張り上げるから!!」


陽子の叫びにつくしは残った最後の力を振り絞って鎖に掴まると、ピョンっと地面を蹴って足でも鎖を捉えた。
岩の上にいる4人は、岩に打ち付けられた鎖を隙間から掴むと引っ張り始めた。


ガシャシャ…ジャリジャリ…ガシャ…


鎖が岩を削る音がする。

4人は顔を真っ赤にして少しずつ鎖を引いた。
つくしの体が岩の抉れている下半分を通過し、上半分に到達した。
つくしは足を岩に突っ張り、足でも登り始めた。
そこからは引く力もあり駆け上がるように登り切った。

鎖が軽くなり、ドサっと倒れこむように岩の上に尻餅をついた4人の前に、登り切ったつくしは座りこんだ。
5人それぞれが肩で荒い息を吐き出していた。


「うっ、ありがとう〜、みんなぁ〜」


安堵のあまり涙が滲んだつくしは、ヨタヨタと仲間たちに抱きついた。


「牧ちゃぁ〜ん、よかった〜」


4人もつくしを囲み互いに抱き合った。


「ってか熊が出るとか聞いてないですよねぇ〜」


松永朋花が目尻の涙を拭いながらも頬を膨らませた。


「あー、あれね、嘘。」


陽子が悪びれない様子で答えた。


「「「「へ!?」」」」

「火事場の馬鹿力って言うじゃない? 命の危機を感じたら牧ちゃん、登ってくるんじゃないかと思って。」

「ひ…ひっどぉ〜い!! 陽子さん。酷いですよ!」


顔を真っ赤にして抗議したのはパニックに陥っていた江藤だ。


「ごめん! でも牧ちゃん、あたしたちを支えるので力尽きてたから最後の賭けだったのよ。登れたんだからいいじゃない、ね?」


おどける陽子に4名は顔を見合わせてから笑い出した。


「まんまと騙されたけど、見事にみんなで達成できました! 陽子さん。ありがとう!」


つくしはもう一度腕を広げて仲間たちを抱きしめた。





そこからは順調だった。
休憩し、リュックの食料を摂ったのち歩き始めて少しでチェックポイントに到達し、またあの岩場を今度は降りなければならないかと覚悟した帰り道は別のルートを示された。
その帰り道は舗装されたなだらかな道で特に障害物もなかった。
5人は岩場で芽生えた結束を最後まで守り抜き、終わってみれば4チーム中2位のタイムで、唯一、ひとりのリタイア者も出さずにゴールした。







「皆さま、お疲れ様でした。」


室内運動場で行われている解散式で壇上に立ったのは浅尾と名乗った選定委員長だ。


「これで第三次選考を終了します。結果は1週間以内に文書にて通知いたします。通過者のその後のスケジュールもそこに記されておりますので、通過した方は文書に従ってください。また落選した場合でもその通知書は破棄せず、所属会社の最高責任者にお渡しください。以上、解散!」


解散の声とともに候補者たちは体の底から疲労の息を吐き出し、それぞれにその場を後にした。
つくしも同室だった班員に惜別を告げ、基地を後にした。

疲労困憊で一人暮らししている自分の城にたどり着いたつくしは、そのままベッドに潜り込み、丸1日、眠り続けた。




***




通知が来たのは解散式から5日後のことだった。
第一次と第二次はいずれも電話連絡だった。
だから今回は特別な緊張感があった。

昔、大学受験した時、封筒が薄ければ不合格、厚ければ諸々の書類が同封されているので合格だとの噂が流れ、実際、その通りだった。
今つくしの手の中にある封筒は薄い。
あーあ、落ちたか。
でもこれで仕事に戻れる。
社長秘書だ!と半ば浮かれた気持ちで封を開けた。

結果は『第三次選考合格』

なんで???
うそでしょぉぉぉ
もうやだ…

喜ぶべき『合格』の文字もつくしにはさらなる試練への切符にしか見えなかった。

次は最終選考。
ここまで、あれだけ面倒な選考をさせられてきたんだ。
最後は何が待っているのか。
就職試験なら役員面接だが・・・
まさか、総帥が面接するんじゃないよね?
なわけないわよ。
ははは…あたしったら何考えてんだろ。
総帥じゃないとしたら、道明寺HD社長?
あ、プロジェクトリーダーのあのおじさん?
あり得るわよね。
これから一緒に働こうって人なんだから。
でも、そんな普通の面接で終わるのかなぁ?

決戦に指定された日時は4日後の午前11時。
道明寺HD日本本社の受付へと書かれていた。





->->->->->->->->->->->->->->





先程からつくしは、胸への愛撫に漏れそうになる声を押し殺していた。
決して自慢できる大きさではなかったが、初めて男性に触れられるそこはつくしに快感とは何かを伝えるかのようにゾワゾワとした波が寄せては返す。
しかしつくしはその波にいまいち乗りきれないでいた。


「…んっ…ンン…」

「つくし、声を出せ。俺に聞かせろ。」

「でも、人が…」


つくし付きの島田と司付きの森川がまだ部屋にいるはずだった。
出て行った気配はない。
広い部屋は明るかったが、ベッドの四方を囲むシフォンカーテンでその姿は探せない。
きっとドアのそばにいるに違いない。
彼らのことが気になって正直、初夜どころではない。


「気にするな。」

「気になります。」

「集中しろ。」

「無理です。」

「あいつらは見届け人だ。置き物とでも思え。」

「見届け人?」


つくしは上体を起こして、司を押しのけた。
自分の下にあった着物を手繰り寄せ、体を隠した。


「どういうことですか?」


つくしの表情が今夜始めて歪んだ。
司はその細い足首を掴み、グッと引き寄せた。
また仰向けになったつくしに被さる。


「俺たちが無事に事を成すのを見届ける役目だ。何も趣味でああしてるわけじゃない。」

「そんな…聞いてません。」

「そうか、今言った。」


司はつくしから着物を剥ぎ取ると、再び乳房の頂に被さり、右手が脇腹から腰に降りた。


「イヤッ」


人前で身体を触れられる嫌悪につくしは思わず司の右手を押さえた。
その手を司が掴み、つくしの頭上で押さえる。
右手がまたつくしの体をなぞり、今夜、司を受け入れる場所にたどり着いた。


「ヤダッ!」

「奥様!」


思わず島田がつくしを諌めた。
第三者の声につくしが今日何度目かビクリと震える。
その目は困惑して司を見ているが、指はなおもそのままつくしの中心に分け入った。
しかし怯えと困惑からか、もしくは司への嫌悪からか、そこは全く濡れていなかった。
が、そんなことは構わずに指が強引に押し入ってきた。
つくしは引き攣るような痛みを感じ、思わず叫んだ。


「い、痛いっやめてっ! 触らないでっ!!」


痛みと怒りと屈辱と。
涙なんて見せたくないのに、満ちてくる。
なのに指はまだ諦めてくれない。
しかしやはりつくしの中心は受け入れることができない。


「チッ」


司の舌打ちが聞こえた。
もう諦めて欲しい、とつくしは祈るように思った。


「二人とも下がれ!」


司がベッドの外に向かって鋭く声をかけた。


「ですが旦那様、シキタリにより、」


男の声がした。
司付きの森川だろう。


「森川、控えろ。このままじゃ完遂しないぞ。花嫁が拒絶してる。」

「……かしこまりました。」


少しの静寂の後、部屋のドアが開いて、閉じた。
二人が出て行き、部屋にはつくしと司だけになった。








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2020.02.08




最終審査当日、初日の遅刻騒ぎを思い、つくしは目安よりさらに30分早く家を出た。
電車に乗り、順調に道明寺HD日本本社を目指していた。

今日はパンツスーツを選んだ。
ストッキングが伝線してもわからないし、それを探してコンビニを探し回るということもない。
長い髪はひっつめてひとつに結い、頭部にはワックスをしっかりと撫で付けた。
こうしておけば強いビル風にも髪が乱れることはなく、軽く巻いた前髪を手櫛で整えればいいだけだ。
化粧は元々薄い方だし、トイレでもう一度、身だしなみを整える時間を取られることもない。
とにかく、遅刻の可能性をことごとく潰そうと準備万端を整えた。

朝のラッシュの時間を過ぎて乗車した車内は空席がチラホラあり、そのひとつに腰掛けて揺られながら、つくしは最終審査について思いを巡らせていた。

何をさせられるのか、何が起こるのかわからない。
でも、ここまで来たんだからそれだけでも自慢できるよね。
あの、道明寺の大プロジェクトメンバーの最終審査まで残ったんだよって。
きっと社長秘書として帯同する先々で小ネタになって、商談の掴みはバッチリ!ってことに利用できるわよ。
転んでもただでは起きない雑草、つくし!
今日も、頑張れ!!

自分を鼓舞して目的地の最寄駅を降りたのは約束の時間の45分前だった。
ここから10分も歩けば道明寺のビルだ。

確か、あの大きなビルの手前に広いカフェがあったはず。
面接前にちょっとリラックスタイムといくか。

つくしは意気揚々とビルに向かって歩き出した。








大きな交差点を渡り、あと30mで目的地のカフェに辿り着くという時だった。


「あ、あいたたた、イタタタ…」


しゃがれた声が聞こえてきた。
ん?と周囲を見回すと、形良く刈り込まれた街路の植え込みにおばあさんが座り込んでいる。
横には杖が落ちていた。
つくしは思わず駆け寄った。


「どうしました? 大丈夫ですか? 転んだんですか?」

「いえ、ちょっとお腹が、アイタタタ…」

「え、お腹ですか? お腹が痛いんですか?」


老婆はうずくまって腹を押さえたまま、もう返事をしなかった。
つくしはすぐに携帯を取り出すと、119をコールした。


「あ、すみません! 救急車を一台、お願いします! えーっと、ここは、あ、道明寺HD日本本社ビルのえーと、南側の路上です。ええ、…はい、そうです。あの、おばあさんがお一人、お腹を押さえて倒れ込んでまして…いえ、歩けそうにありません。…ちょっと失礼します。」


つくしは老婆の脈を取った。


「大丈夫です。脈はあります。呼吸も…あります!…はい、お願いします!」


通話を切ると携帯をスーツのパンツのポケットに仕舞い、つくしのバッグを枕にさせて老婆を仰向けに横たえた。
平日の午前中、大企業のビルが立ち並ぶオフィス街に通行人はまばらだったが、それでも数人は歩いていた。
だが、誰もつくしの騒ぎに気づかない。
もしくは見て見ぬ振りしているのか。
つくしは自分の背後を通り過ぎようとした男性を呼び止めた。


「ちょっと、そこの人!」


男性はビクッと反応し振り向いた。


「はい?」

「AED探して持ってきて!」

「AED?」

「このおばあさんが急病なの。きっとあのビルの受付に言ったら貸してくれるから。急いで!」

「は、はいっ」


男性は走って行った。
つくしはジャケットを脱ぎ、腕まくりをして、老婆が上まできちっと締めているブラウスのボタンを2つ外し、少し顎を持ち上げて呼吸を楽にした。
老婆は顔を歪めている。
かなり苦しそうだ。


「おばあさん? おばあさん、わかりますか? 意識はありますか?」


つくしは声をかけ続けた。
老婆が持っていたバッグが目に入った。
携帯を持っていれば家族に連絡できる。


「おばあさん、ちょっとバッグ見せてね。ごめんね。」

「持ってきましたぁ!」


♪〜♪〜…


男性がAEDを持ってきたのと救急車が到着したのは同時だった。


「ご連絡くださった方は?」


救急隊員がつくしに声をかける。


「はい、私です。」


老婆はストレッチャーに乗せられた。


「同行なさいますか?」


救急隊員がつくしを振り向いた。
一瞬、つくしは迷った。
今、この場を離れたらきっともう最終選考には間に合わない。
かと言って老婆を一人で行かせても、気になって選考どころじゃないかもしれない。


「します!」

「えっ! あの、」


つくしを呼び止めようとしたのはAEDを持ってきた男性だった。
つくしは振り向いた。


「持ってきていただいてありがとうございました。使わずに済んでよかったです。申し訳ありませんが返しておいてください。これ、私の名刺です。何がご迷惑をおかけしたことがあればご連絡ください。私が証言しますから。」


つくしは呆気にとられる男性を残し、バッグとジャケットを掴むと救急車に乗り込んだ。
バシンッと救急車のバックドアが閉められ、隊員が乗り込み、発進した。
おばあさんは酸素マスクを装着され、目は閉じられている。
つくしは老婆の小さく皺くちゃな手を取り、励まし始めた。


「おばあさん、これでもう大丈夫ですからね。これからすぐに病院ですからね。」

「ーーー」


老婆が何事かつぶやいた。
隊員がマスクを外す。


「あんた…何か大事な…約束が…ハァ…あったんじゃないのかい?」

「いいえ、そんなものありません。暇だからお茶しようと思ってたまたま通りかかっただけです。心配しないで休んでください。」


つくしのニコッと屈託のない笑顔をみて安心した老婆はまた酸素マスクを装着され、目を閉じた。
救急車は程なくして英徳大学付属病院へ到着した。







病院に到着し、老婆は処置室に運ばれ、つくしは状況を説明した。
そして今は廊下で老婆の処置が終わるのを待っている。
時刻は10:55
最終選考受付時間の5分前だった。
つくしは携帯電話利用エリアに移動し、第三次選考合格の通知書に記載されていた緊急連絡先をコールした。


『はい』

「お忙しい時間に失礼します。浅尾さんでいらっしゃいますか?」

『はい、そうです。』

「私は牧野と申します。本日、午前11時からプロジェクトメンバーの最終選考に臨む予定だった牧野つくしです。」

『ああ、はい。牧野さん、どうされましたか?』


つくしは事情を説明し、最終選考を辞退する旨を伝えた。


『そういうご事情でしたら、辞退の必要はありません。そちらの案件が落ち着き次第、またご連絡ください。改めて選考の日程を組み直します。』

「いえ、いいんです。ご縁がなかったと諦めます。ですので他の候補生の方を、」

『いいえ、こちらも最終選考まで残った方をそう簡単に諦めるわけにはいきません。この話はこれで。ご連絡をお待ちしております。』


通話は切られた。
つくしはしばらく携帯電話の画面を見つめていた。

縁はなかなか切れないものなんだ。
あの大岩の時も今回も、もうダメだと思ったけど救済された。
でもそっか。
ここまでコストも時間もかかってる。
念のため最後の一人を確かめたいってわけよね。

処置室からストレッチャーに乗せられて老婆が出てきた。
つくしは駆け寄った。


「おばあさん、大丈夫ですか?」

「ああ、あんた、まだいたのかい。大丈夫。痛みも治ったよ。」

「お元気になられて良かったです。ご家族は?」

「もう来るよ。あんたは帰っておくれ。ありがとうね。」

「ご家族がいらっしゃるまで付き添います。」

「いや、それは、」


老婆はチラッと頭上でストレッチャーを引っ張る看護師を見遣った。


「牧野さん、でしたか? ここは完全看護で、申し訳ないんですがご家族以外の方はご遠慮願ってるんです。この方はもう大丈夫ですから。」


にこやかにそう告げられるとこれ以上食い下げるわけにも行かずに、つくしは老婆に別れを告げて病院を後にした。






->->->->->->->->->->->->->->






「つくし、これで俺たち以外誰もいないぞ。もっと心を開け。じゃないとお前が苦しいだけだ。」

「………」


横たわるつくしの顔の両側に手を付きながら見下ろしていた司の手が、その長い髪を撫でて指で梳いている。
つくしはすでに全裸にされていたが、司はまだ何も脱いでいない。
素肌にガウンを羽織り、シルクだろう光沢のある素材のパジャマのズボンを履いていた。
自分ばかりが生贄のように剥かれていて、覚悟したはずだったのにつくしにはもうすっかりその気が失せていた。
つくしはまた起き上がって寝衣で身体を隠し、司から顔を背けてうつむいた。

その様子を見た司は着ていたガウンを脱いだ。
目の端で司の動きを捉えたつくしは、諦めてくれればと願っていたのにまだ続けるつもりかと微かにため息をついた。

と、バサリと音がしたかと思ったら急に視界が暗くなった。
あっと思った瞬間、気づけば身体を隠していた寝衣を奪われ、押し倒されて司の素肌の胸に抱きしめられていた。
被せられたのはシーツで、狭く、暗い空間で感じるのは相手の体温と匂いだけだ。
逞しい腕に抱き込まれて、筋肉質なのに思わず頬ずりしたくなるような滑らかな肌につくしは密着していた。
その肌と肌のふれあいのあまりの緊張状態に飛びそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めているのは、抱きしめられている胸から聞こえてくる司の鼓動だった。
それが早鐘を打っている。
まさか、緊張してる?
こんなにも全てを持ち、全てが備わっている人が自分などに緊張してくれていると思うと、つくしの中に司への親しみが芽生えた。


「聞こえるか」

「はい」

「さっきは悪かった。俺も緊張してるんだ。なんせ初めてのことなんだから。」

「はい」

「お前は肌が滑らかで柔らかくて、触り心地がいい。」

「は?」

「お前の唇は瑞々しくて甘くて、果物のように美味い。」

「え、ちょっと…」

「お前の首筋はいい香りがする。」

「もう、やめてください!」


つくしは思わず司を振り仰ぎ、手でその口を押さえた。
この人はいきなり何を言いだすんだろう。照れることを次から次へと。
と、つくしは顔だけでなく、全身に熱が広がるのを感じていた。

司は自分の口を押さえているつくしの手を取ると、見上げている大きな瞳をシーツの中で見下ろした。
天蓋のシフォンカーテン越しの部屋の明るさが、シーツの中もほのかに照らしていて、その中で見る女の双眸に自分が映っていた。


「そしてお前のその目は俺を吸い寄せる。」


つくしはそう言われ、恥ずかしさから目をギュっと閉じた。
顎に司の指を感じたのと、唇に柔らかさを感じたのは同時だった。









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2020.02.09





最終選考が仕切り直され、つくしは道明寺HD役員フロアの広過ぎる会議室で4人に囲まれていた。

うち3人は目の前に座っており、残りの1人はつくしの背後の出入り口脇に立っていた。
4人のうち、2人とは会ったことがある。
選考会初日にプロジェクトリーダーとして壇上に上がった遠山と、選考会委員長の浅尾だ。
遠山は座っており、浅尾は立っている。

しかしつくしは、知っている人間がこの場に何人いようとこの緊張を解くことなどできないと思った。
なぜなら、目の前に座る3人のうち2人は、いち会社員である自分が通常は一生かかっても会うことなど叶わない相手だったからだ。


「牧野さん、でしたかしらね。」


会議用の机に3人が横並びに座り、その目の前に一脚の椅子が置かれている。
まさに「ザ・面接」という設の部屋だった。
つくしはまだ椅子の横に立っている状態だ。


「はい! この度はお忙しいところ何度もお時間をいただきましてありがとうございます!」


こん限り背筋を伸ばした直立の姿勢から勢いよく90度のお辞儀をした。


「急病人を救護していたのでしょう? それ以上に重要な案件などありません。道明寺グループ会社の社員として範になる行いです。」

「はっ! 温かいお言葉、恐縮です!」


なぜつくしがここまで緊張しているのか。
それは今まさにつくしに声をかけた人物が道明寺HD社長、道明寺楓だったからだ。
スモーキーブラウンに染められた髪をシニョンに結い、メゾンの仕立てだろう濃紺のスーツを着こなし、ペンより他に重いものなど持ったことがないというような細く白い指が机上で組まれている。
肌の艶は30代と言っても通用しそうだが、漂うオーラとその射るような視線がそんな小娘ではないと告げている。
きっと50代だろう。
美魔女と表現するのもおこがましいような美貌がつくしを見つめていた。


「まあまあ、牧野さん、そんなに緊張しないで。どうぞ座って。」

「はっ! 失礼します!」


今度は道明寺楓の左隣に座る男性がつくしに声をかけた。
楓と同じように机上で手を組んでいる男性は、楓と同世代に見えたがその年代にしては珍しいくらいに引き締まった体をして、濃紺にピンストライプのスリーピーススーツを着ていた。
座っているとその身長が測れないのは足の長さのせいだろう。
グレーの混ざった髪はゆるいウェーブを描いており、いわゆる七三分けだが両側面の短さからそれはまるでハリウッドの映画俳優のごときスタイリッシュさだった。
ハンサムと言うより美男子と形容したくなる風貌は、齢を重ねることを味方につけたとしか言いようがない渋みを放っていて、かつての恋人に「鉄のパンツを履く女」と揶揄されたつくしでさえヨロけてしまいそうな色気を放っていた。

この会議室は入り口正面が大きな窓になっていて、面接官の3人はその窓を背に座っている。
午前の光はまだ冷たさを残しているが、南向きの窓にはその光が頭上高くから降り注いでいて、窓辺に座る3人を背後から照らしていた。
それが後光のように2人をさらに崇高な存在たらしめていて、つくしは直視することができなかった。


「先ほど遠山から紹介があったが、改めて自己紹介しよう。私は道明寺偀(すぐる)だ。今日はよろしく。」


ガシャーン


「はい! よろしくお願いします!!」


つくしは椅子を倒して立ち上がり、また頭を下げた。


「牧野さん、座ってください。そんなに緊張していたら話が進まないわ。」


椅子を戻しながらつくしは真っ赤になって楓に向いて座り直した。


「申し訳ありません…」

「さて、今日は最終選考です。ここまでよく頑張りましたね。」


話は主に楓によって進められた。
偀は時々、軽く頷くだけだったし、遠山に至っては一言も言葉を発せず、ただ手許の手帳にメモを取るだけだった。


「あなたは第一次選考で全体6位の好成績を収め、二次のメディカルチェックでも健康優良印がつきました。」


第一次選考『間違い探し』の6位は不本意だった。
断トツの優勝を狙っていたし、手応えもあったのに。
世の中なんでも上には上がいると思った。


「そして第三次選考の山越えではチームリーダーとしてよくメンバーをまとめて引っ張ったそうですね。報告が来ています。」

「あ、いえ、あれはメンバーに恵まれたんです。」


と、ふと、報告って誰が?とつくしは首を捻った。


「謙遜しなくて結構よ。証人を呼んでいます。遠山。」

「はい。」


楓が遠山に命じ、遠山が浅尾に目配せする。
すると浅尾がつくしの背後で会議室のドアを開けた。
どうやら証人とやらが招かれたようだ。


「こちらへ。」


楓に指示されてつくしの前に立ったのは津島陽子だった。


「陽子さん…!? どうして…」

「牧野様、第三次選考合格、おめでとうございます。」


そう言って黒いパンツスーツを着た津島陽子は頭を下げた。
その表情に浮かぶのは選考会で会った野心家な顔ではなく、警護を担当する者特有の鋭さだったが、つくしに向けられた眼差しには穏やかな微笑みが表れていた。


「え…あの…これは、どういう…」

「津島は私のSPです。今回、候補者の護衛と撹乱、そして内偵のために潜入してもらっていたの。」

「内偵?」

「僕から説明しよう。第三次選考で組んだ4チームにそれぞれ1名ずつ女性のSPを配置していたんだ。目的は候補者の安全管理、警護、そしてチームを撹乱し、その結果を報告すること。安全管理と護衛はわかるね。各社から預かった大切な人材に怪我や不慮の事故がないようにだ。撹乱はわざとチーム内を掻き回して、候補者たちがそれにどう対処するのか観察し、候補者の素の姿を探ること。そしてその報告と体力データを基に選考させてもらった。その結果、今、君はこうしている。」

「陽子さんがその役目を?」


陽子が一歩進み出た。


「牧野様、騙して申し訳ありませんでした。しかし牧野様のお人柄、決断力、統率力、どれも抜きん出て秀でており、最終選考に残るに十分の資格をお持ちでした。」


これはなんと答えるべきか。
「ありがとう」とでも言うべきなのか。
しかし全くありがたくない状況だった。


「そういうわけで牧野さん、わたくし達は全てを把握した上であなたに残っていただきました。ここからが最終選考です。」

「ゴクッ…はい。」


楓の目配せで陽子が退室し、場の空気が一段と張り詰めた。
そして楓の目つきが変わった。
何もかもを見透かすようなその目は、しかしなんて綺麗なんだろうとぼんやりとつくしは思った。


「それで、あなたはどうしてこのプロジェクトメンバーの選考に参加したのかしら。意気込みがあって? それとも他に?」


この質問には参った。
元はと言えば奥田商事で勝手に選出されていたのだ。
100万の話をすべきか?
社長秘書の密約をバラしても大丈夫だろうか?
そんなことをグルグルと考えているうちに返事をする機会を逸してしまった。


「どうしてって言っても、条件に合ったからだよね? 違いますか?」


偀が口を挟んだ。


「はい、それが一番大きな理由です。」

「じゃ、牧野さんは未婚なんだね?」

「はい。」

「交際している人は?」

「いません。」

「恋愛対象は男性かな?」

「はい…」

「好きな人はいるんでしょう?」

「それも今はいません。」

「今はっていうことは前はいたんですね?」

「はい。」

「その彼とはお付き合いを?」

「…そうですね。」

「ではセックスしたこともあるんだ。」

「あなた!」「総帥!」


楓と遠山が諌めたが、偀はなおも言葉を続けた。


「はは、これは失礼。でもこれは私の個人的興味で聞いてるんじゃないんだ。今回のプロジェクトにはとても重要なことだから聞いてるんですよ。牧野さん、あなたはとても魅力的な女性だ。そんなあなたがまさか25歳まで経験がないなんて、にわかには信じられなくてね。失礼だとは思うけど、正直に答えてくれませんか?」


つくしは冷水を浴びせかけられたような心持ちだった。
先ほどまでの緊張は吹き飛び、今はただ羞恥と怒りに体の内部からワナワナとした震えが沸き起こるのを感じていた。
どうしてこんな、最もプライベートなことをこの場で話題にしなければならないのか。
100万のためか。
だとしたらプライドを売り払ってまで手に入れるべき金額ではない。

つくしは立ち上がった。


「総帥、私は男性との交際経験はありますが、そういった類いの経験はありません。このことがそのプロジェクトにどう影響するのか存じ上げませんが、どう影響しようと最早私の興味の及ぶところではありません。今回のお話は辞退させていただきます。これほどの辱めを受けてまで担いたい役目ではございません。この決断は私に経験があっても同じです。失礼します。」


つくしは一礼し、退室しようとドアに向かった。


「待ちなさい。」


偀から再び声がかかった。


「あなたの、いや、人の最も秘すべきところを突いてしまって申し訳なかった。この通り、謝ります。」


偀は立ち上がってつくしに頭を下げた。
その場にいた全員が息を呑んだのがつくしにもわかった。


「牧野さん、夫の非礼をわたくしからもお詫びするわ。」


楓も立ち上がり、偀に倣って頭を下げた。
道明寺財閥の2トップに頭を下げられて、このまま退室などできるはずがない。
つくしはドアに向けていた体ごと振り返った。


「どうぞお顔をお上げください。私こそ言葉が過ぎました。申し訳ございません。」


つくしは二人よりも深い角度で頭を下げた。


「牧野さん、どうかもう一度座っていただきたい。」


つくしは偀の謝罪を受け入れたが、選考に戻る気は無かった。


「いえ、辞退の意思は変わりません。」

「牧野さん、私は今の会話で確信したよ。あなた以外にこのプロジェクトを任せられる人間はいない。どうか私を許して席についてもらいたい。」

「あなた、まだ結論は、」

「いや、楓、彼女だ。僕の勘がこの人だと言ってるんだ。彼女ならきっと成し遂げる。いや、彼女にしかきっと成し遂げられないよ。」


道明寺財閥総帥にここまで言わせて、まだ否と言える人間がいたとしたら、それは社会的抹殺を厭わない人間だろう。


「わかりました。そこまでおっしゃっていただいて身に余る光栄です。」


つくしの返答に他の選択肢など存在しなかった。








つくしはもう一度、座り直し、選考は仕切り直された。
その時、楓の横に座っていた遠山が何かの書類を机上に広げ始めた。


「牧野さん、総帥の決断でプロジェクトメンバーはあなたに決定しました。この決定を受諾していただけますね?」

「あの、そのお返事をする前にお伺いしたいことがあります。」

「なんでしょう。」

「今回のプロジェクトは道明寺100年の計とお伺いしました。一体、どういう内容なのですか? そしてその中で私が担う役目とはなんでしょうか。」


真剣なつくしの瞳が楓を捉えている。
楓は隣の夫に顔を向けた。
伝えるか否か、視線で考えを通じ合わせる。
話し始めたのは偀だった。


「牧野さん、単刀直入に申し上げる。あなたには我が子、道明寺司と結婚してもらいたい。」


!!!


なに?
結婚?
そう言った?
道明寺司と?
誰?
…合宿で朋花ちゃんが言ってた人?


『道明寺司、26歳。英徳学園で幼稚舎から高等部までを過ごし、大学はNYへ。4年で帰国後、日本本社の役員を経て今は副社長を務めている。特筆すべきはその容姿!どんなモデルも顔負けのイケメンで、TIME誌が選ぶ世界の美しい男たち100では日本人で唯一必ずトップ10入りをしているんです!でも美しいのは顔だけじゃない。身長187cmの肉体、長い脚、鍛え抜かれた筋肉美、オーダースーツがビシッと決まって、あああ〜〜、抱かれたい!』


あたしがその人と結婚?
          ……結婚!?
              ……結婚!!?


ガターン!!


「えっ! えええ〜〜〜!!!!」


また椅子が勢いよく倒れ、今度は背もたれが2、3度バウンドした。
立ち上がったつくしは3人が座るデスクに歩み寄ってそこに広げられた書類を手に取った。
それは婚姻届で、すでに道明寺司のサインが入っていた。


「なっ、なっ、どっ、どっ……どういうことですか!!」


つくしは大きな瞳を溢さんとするように見開き、手元の婚姻届と偀達の顔を交互に見た。


「ブッ! あはははは!! 牧野さん、君の反応、最高に面白いね! あははははは!!」

「あなたっ! やめてください!」

「総帥! 笑い事じゃないです! あたしが結婚!? 息子さんと? あの道明寺司さんとっ!?」

「フフッ、ああ、そうだよ。道明寺財閥後継者のあいつとね。」

「財閥…後継者…?」

「遠山、西田を呼んでくれ。」

「かしこまりました。」


呆気にとられるつくしをよそに、偀はニヒルに笑んだ。









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2020.02.10
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