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西田と呼ばれた男は秘書の教科書から飛び出したような出で立ちで現れ、偀に耳打ちをすると、つくしに歩み寄り、その手から婚姻届をそっと外して楓に戻した。
すると今度は遠山が立ち上がり、椅子をつくしに近づけ、背を押して座るように促した。


「驚かせてしまったね。もう全てをお話ししよう。この選考は司の花嫁を見つけるための選考会だったんだ。」


合宿で、江藤麻友がそう言っていたのを思い出した。


“ 御曹司の嫁探し ”


まさか、当たっていたとは。
しかし、だとしたらますますわからない。
なぜ自分が?


「道明寺家の嫁は代々、由緒ある家柄や歴史ある大企業から嫁いできていた。この楓の里も元華族で子爵の爵位を持っていた家柄だ。」

「はぁ…でしたら息子さんにもそういう方のほうが…」

「そう我々も考えていた。ついこの前までは。」


偀の言葉を継いだのは楓だった。


「牧野さん、わたくしたちは司の代で新しい血を入れることにしました。」

「新しい血?」

「そう。上流階級はもう飽和状態なの。血が濃くなり過ぎているのよ。それに、」

「それに?」

「時代が移り変わる現代において、能力を無視した嫁選びはリスクしかないことに気づいたのです。」

「はぁ……」

「つまりね、」


首を傾げたつくしに偀が身を乗り出した。


「楓が優秀過ぎて、楓みたいな嫁が欲しかったんだよ。」

「あなたっ! またややこしいことを言い出さないでください!」

「だって、そうじゃないか。長い道明寺の歴史で君ほど優秀な嫁はいなかった、なぜなら今まで嫁選びは実を無視して名だけで選んでいたから。里の威光だけを重要視していた。もちろん、私の時も君の里の威光で選んだんだけど、君の場合、実力も兼ね備えていたことが後からわかった。」

「ちょ、ちょっと、待ってください! 私がその “ 楓社長みたいな嫁 ” ってことですか?」

「ああ、そうだよ。」

「いやいや、無理ですって。何をどう審査なさったんですか? どう考えても無理ですよ。」

「牧野さん、私が言ってる楓の優秀さはね、私を動かせるってことなんだ。」

「へっ!?」

「プッ! やめてくれ、もう笑わせないでくれよ。」

「総帥が勝手に笑ってらっしゃるんでしょ!?」

「そう! それ! そういうところだ。君のいいところは。」

「あの、訳がわかりません。」

「あなた、もうそろそろ本題に。時間がありません。」

「わかった。牧野さん、あなたなら司を一人の男として扱うことができると言いたいんだ。」

「一人の…男?」

「私も司と同じだった。生まれた時から御曹司として育てられ、対等な人間はいなかった。親友と呼べる人間でさえ、そこには上下があった。この空虚感は当人にしかわからない。」

「・・・・・」

「そこに楓が現れた。楓は私に対等に物を言う人間だった。媚びず、へつらわず、時には叱ってくれて、夜はお預けを食らったり、イテッ! つねるな!」

「あなたっ、余計なことはいいんです! 牧野さん、つまり司にも心から信頼できる妻を娶ってほしいんです。」

「それが、私だとおっしゃるんですか?」

「そうだよ」

「それを探すのに、こんな大々的な嘘を?」

「本当のことを言ったら誠実な人間なんて集まらないじゃないか。道明寺の財産とブランドとあいつの容姿に惹かれただけの人間しか来ない。実際、あなたは本当の目的を知らされていたら選考に参加したか?」

「…いいえ、してません。」

「でしょう? 私たちはあなたみたいな人間に集まってもらいたかったんだ。わかってほしい。」


つくしは考え込んだ。
理由はわかった。
わかったが、引き受けるかどうかはまた別の話だ。


「それに、道明寺100年の計というのは嘘じゃない。司の結婚が未来の道明寺に繋がっている。どんな妻を娶って、どんな家庭を築いて、そして司がどんな仕事を為し得るか。それら全てが道明寺に関わる幾千万という人間の未来に影響を与えるんだからね。プロジェクトと言ったのも言い過ぎじゃないと思うがね。」


確かにそうだ。
伴侶によって繁栄する場合もあれば、滅亡することもあるのは歴史が証明している。
でも、


「事情はわかりました。でも一番重要な人が置き去りじゃありませんか?」


膝の上の自分の手を見ていた顔を上げて、つくしは偀を見た。


「息子さんはどういうお考えなんですか? その婚姻届のサインは、どういう意味なんでしょうか。」


前のめりだった偀は椅子の背にもたれ、となりの楓をチラリと伺った。
つくしの質問に答えたのは楓だった。


「息子にはわたくしたちがふさわしい女性を選ぶと話してあります。」

「! それで納得なさったんですか?」

「もちろんです。自分の結婚が及ぼす影響については幼少の頃より折に触れて言い聞かせてきましたから、この道が彼にとっても組織にとっても最善と理解しています。」


それで相手のわからない婚姻届にサインができたの?
なんなの、この世界。


「でも、相手がこんな庶民とはご存じないのでは? ご両親のように同じ世界の住人だと思っておいでなのではないですか? きっと私とは価値観が違います。うまくいくとは思えません。」


つくしの言葉にフッと笑いを漏らしたのは偀だった。


「牧野さん、庶民同士で結婚しても離婚理由の第一位は『価値観の相違』ですよ。合うと思っていた価値観が、蓋を開けてみたら合わなかった結果でしょう。だとしたら、最初から合わないとわかっているんだ。対策も立てやすいのじゃないかな?」

「それは…」

「それに、申し訳ないが、大概の価値観はあなたからこちらに合わせてもらうことになる。うちにはややこしいシキタリがいくつもあるが、そのどれもが意味のある重要なものだ。道明寺家の一員になる以上、そこには従ってもらわないといけない。」

「・・・・・」

「あなたのことは我々が守る。ただ司に寄り添ってやって欲しいんだ。どうか受けて欲しい。」


偀の言葉に逃げ切れないものを察してつくしは全身に嫌な汗を感じていた。

…こんなことになるなんて、一体、誰が予想しただろう。
ただ単に、合格すれば100万の祝い金が出る、ダメでも社長秘書として奥田商事に戻れる、そんなニンジンをぶら下げられてしぶしぶ参加した選考会だったのに、まさか道明寺財閥御曹司の妻になるだなんて。
しかも、相手はつくしの存在さえ知らないのに。

その時、後ろに控えていた遠山が口を開いた。


「旦那様、私からもお話しさせていただいてよろしいですか?」

「ああ、皆も意見を頼む。」

「恐れ入ります。…牧野様、私は世田谷の道明寺本宅の執事を務めております、遠山でございます。いつぞやはプロジェクトリーダーなどと偽りを申しましたこと、心よりお詫び申し上げます。」


遠山は第一次選考の時と同じ深いお辞儀をした。


「若様を、あ、いえ、司様を幼少のみぎりより存じ上げている者といたしましても、ぜひ、牧野様に輿入れいただきとう存じます。」

「わたくしからもお願いいたします。」


次に口を開いたのは浅尾だった。


「牧野様、わたくしは本来は道明寺本宅で使用人頭をしております。初日に牧野様のお優しいお声掛けにも関わらず、無礼な物言いでお返事いたしましたこと、大変に申し訳ありませんでした。」

「牧野さん、二人は司を子供の頃からよく知っています。だから今回、選考に参加してもらったのです。」

「そうだったんですか…浅尾さん、どうか頭を上げてください。」


頭を上げた浅尾が続けた。


「牧野様、若様はとてもお優しい方です。ご両親がお忙しい中、お一人で過ごされることが多かった幼少時代から弱音を吐かれることも、わがままをおっしゃることもなく、ただ後継者としての責務を果たされようと研鑽を積まれて来られました。その重圧たるや、私共には想像も及びません。今後は次期総帥としてさらなるご苦難が待ち受けていらっしゃることでしょう。牧野様ならそんな若様の心の拠り所になっていただけると確信しております。どうか、若様の下へお輿入れください。」

「私も浅尾と同じ意見でございます。牧野様、お願いいたします。」


遠山と浅尾がまたしても深く頭を下げた。
つくしは混乱状態だった。

この人たち、あたしのこと誰かと間違えてない?
世界中に支社やグループ会社、関連企業を抱える組織の長になるその “ 若様 ” の妻が庶民の代表みたいなあたし?
心の拠り所?
何を根拠にそんな勝手なことを言ってるの?
もしかして、ドッキリ?

つくしはそっと周囲を見回してカメラを探した。


「私からも一言。はじめまして、牧野様。楓社長の第一秘書を務めております、西田利彦と申します。かつては司様の教育係も務めておりました。」


先ほど加わった、銀縁眼鏡のオールバック紳士が鋭い眼光をこちらに向けてきた。


「私も司様の妻には牧野様がお似合いだと存じます。」

「あの、さっきから何を根拠に皆さんはそんなことをおっしゃっているんですか?」

「それは、あなた様が嫌がっておいでだからです。」

「は?」

「普通の女性ならば快諾するでしょう。なのにあなたは先程から困惑なさり、どうにか逃げ出したいとお思いなのではないですか? もしや騙されているとお考えでは?」


ギクッ


「世界が羨む玉の輿に乗れるのですよ? 欲しいものもしたいことも思いのままです。その上、あの眉目秀麗な男性の一番近くに立てるのです。誰が断るなど予想しましょうか。ですので今、我々はあなたと同じくらい、いや、それ以上に困惑しておるのです。」


西田の言葉につくしは部屋の中のメンバーを見回した。
遠山も浅尾も楓も、偀でさえ頷いた。


「懸命にあなた様を説得しなければならないこの状況こそ、あなた様が司様の妻にふさわしい証拠です。なぜなら司様をその付属品で見ない稀有な女性だからです。あなたとなら司様は幸せになれます。あなたもきっと幸せになれますとも。司様は情が深く、お優しい方ですから。そしてお二人の幸福の末にはこの道明寺の繁栄も約束されるでしょう。」


つくしは何も返事ができなかった。
西田の論理は理解しがたいものだったし、到底、納得のいく説明ではなかったが、自分を囲んでいる人たちの熱量というものが迫ってきて、圧倒される思いだった。
とにかくこの人たちは、その若様の幸せを願っていて、その上、道明寺に関わる数万の人々の行く末も案じていて、そのためには牧野つくしが必要だと言っている。
ここまで言われて断るのはとてつもなく利己的な判断なのではないかとつくしは思えてきた。
自分には荷が重いとか、違う世界に飛び込むのが怖いとか、相手をまだ知らないという理由が些細なことに思えて、つくしに他人よりも強く備わっている自己犠牲の精神がひとつの決断を下させた。

つくしは立ち上がり、偀と楓を交互に見つめた。


「…わかりました。私がそんなお役に立てるのか甚だ疑問ではありますが、このお話、謹んでお受けいたします。」


そう言って頭を下げた。










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2020.02.11




つくしの決断を聞いた5名が一斉に緊張を解き、互いに笑顔で顔を見合わせた。


「よく決断してくれた。牧野さん、ありがとう。」

「いえ、私でお役に立てる自信は全くありませんし、皆さんの判断が間違っているという思いはまだ拭えませんが、かくなる上は精一杯、務めさせていただきます。」

「そうか、ありがとう。では楓、」

「ええ、わたくしも安堵いたしましたわ。では牧野さん、お掛けになって婚姻届に記入をお願いします。西田!」

「はい。」


西田が会議室のドアを開けると、机が運び込まれてきた。
それはつくしの前に置かれ、その上に西田が楓から受け取った婚姻届を差し出した。


「こことここ、そしてここにご記入ののち、本日、持参をお願いしていた印鑑を押印ください。」


まさか、婚姻届のための印鑑だったとは。
急転直下とはこのことだった。

つくしは言われた通りに婚姻届に記入していった。
司の名前の隣に自分の名前を書く。
名前しか知らない夫だった。


「では、牧野さんには今日からすぐに司の婚約者として生活してもらう。結婚式は1ヶ月後だ。」

「え? 今日ですか? この後? すぐ? 1ヶ月後? ええ〜〜!?」







つくしの両親には偀からの使者が遣わされ、その後、偀、楓が揃って挨拶に出向いた。
ある日突然、娘が大財閥に嫁ぐと知らされた晴男と千恵子は言葉もなくヘタリこみ、現れた別世界の住人に否応を考える間も無く道明寺家におけるつくしの必要性をたたみ込むように諭され、気づけばあっという間に証人欄にサインをしていた。

そして奥田商事の社長と副社長兄弟はと言えば、道明寺HD日本本社に呼び出され、西田を伴った楓から以下を告げられた。

このプロジェクトが御曹司の花嫁選びだったこと。
そして見事に奥田商事の牧野つくし嬢が選ばれたこと。
つくしは即日、退職すること。
今後、奥田商事は次期総帥夫人の元職場として道明寺からの出資額が増額され、グループ内での序列が格上げされること。
ただし、不正及び不祥事が発覚した際にはつくしの顔に泥を塗ることになる前に直ちに奥田商事は消滅すること。
そして採用報償金の100万は慈善事業へ寄付すること。
そしてこのことは道明寺から発表があるまでは他言無用であること。

当初、奥田兄弟は驚いて歓喜に沸いたが “ 御曹司夫人の元職場 ” という重い責任を告げられると途端に身を引き締め、クリーンな経営と風通しの良い社風を遵守することを楓に固く誓った。






つくしは婚姻届を書いた当日から世田谷の道明寺邸で暮らすことになった。
本社社屋から乗せて来られたリムジンには使用人頭の浅尾が同乗し、車窓から見える道明寺邸を案内していった。


「つくし様、あちらに見えるのが道明寺邸、若様がお暮らしになっていらっしゃる本館です。」

「ふわぁぁ〜〜〜!!!」


それはヨーロッパの城だと言われても違和感のない洋館だった。
ただ、その佇まいには日本的な剛健さも感じられ、100年以上前、日本における西洋建築の黎明期に建てられたにしては西洋文明へのおもねりは感じられなかった。


「ここに住むんですか?」


車窓から浅尾に振り向いたつくしの顔には喜びではなく困惑だけが浮かんでいた。


「いずれは、ということになります。でも婚姻までは離れの館にお住まいいただきます。」


道明寺邸の広大な敷地には本館とは別にいくつかの離館があり、つくしはひとまずその離館のひとつに落ち着いた。
それは本館から数百メートル離れており、本館ほどではないがそれでもつくしが唖然とするほど広かった。
2階建のそこはマスターベッドルームの他にゲストルームが3部屋、バスルームがそれぞれに付いていた。
1階にキッチンとダイニング、応接室、使用人の控え室、そしてつくし専属の侍女の居室があり、書斎はベッドルームと共に2階にあった。

リムジンがポーチに到着し、つくしが降り立つと先に帰任していた執事の遠山がエントランスで出迎えた。


「つくし様、ようこそ道明寺邸へ。本日より御婚礼の日まではこちらでお過ごしいただきます。」


あの面接の後、社長室でメープル東京から届けられたお重になった松花堂弁当を食べてからリムジンに乗り込んだから今はまだ午後の2時を過ぎたところだった。
遠山はつくしをひとまずは応接室へ案内した。
5月の日の光がいっぱいに入る応接室は薔薇の見える庭園に面している30畳ほどの部屋で、どこかヴィクトリア調を思わせる部屋にはグレイがかった濃いパープルの絨毯が敷かれ、同色系のファブリックソファセットが置かれていた。
そして冬になれば火が入るであろうマントルピースの上部には人物の絵が掛けられていた。
そこに描かれているのは馬に乗ったそれはそれは美しい男の子で、漆黒の巻毛には木漏れ日が当たり、子供特有の大きな瞳にも光が当たっていた。


「お部屋の準備が整いますまでにアフタヌーンティーをご用意させていただきます。その前に、これからつくし様のお世話をさせていただくこの館の使用人をご紹介します。」


ソファに座り、部屋に圧倒されてグルグルとあちこちに首を捻って周囲を見回していたつくしの前に、ズラリと使用人たちが並んだ。

司の婚約者が決定し、即日、転居してくることは帰任した遠山から道明寺屋敷に勤める人々に一斉に伝えられた。
近いうちにそうなることは事前に知らされていたが、あまりの急展開に驚いたのは屋敷の人々も同様だった。
そして遠山が事前に選定していた婚約者付きになる使用人関係者が即刻、集められ、本日からの異動が命じられた。

つくしの婚約期間1ヶ月はつくし付き使用人の試用期間でもあり、つくしと相性が悪ければ交代になる。
婚約者、ひいては夫人付きの使用人という立場は司付きに次いで名誉なことであり、永年雇用、昇格、昇給が約束されている。
道明寺屋敷に勤める使用人、警備員、庭師などの関係者はそもそもが厳正な審査を経て採用になるが、その中でも出自、仕事ぶり、人格とさらに厳選された精鋭部隊が集められていた。

遠山がその一人一人を紹介していく。
料理長とその補佐の料理人、メートルと呼ばれる給仕長が1人、掃除洗濯などの炊事以外の家事担当が6人、SPは女性1名を含めた3人、用務担当が1名、総勢13名だった。


「あの、ここに住むのは私一人なんですよね?」

「はい、そうです。」

「なのに、こんなに必要なんですか? 私、自分のことは自分でできますから、なんなら使用人さんは必要ないのですが。」


つくしは困惑の度を深めていた。
今朝、自分は確かにあの小さなアパートを出てきた。
なのに、数時間後には豪邸の住人になっている。
まるで異世界に迷い込んだ物語の主人公のようだった。


「つくし様、あなたさまならそう仰るでしょう。しかしつくし様にはこれから若様の花嫁となるべく様々なレッスンを受けていただきます。使用人を使うことに慣れるのもその一環です。遠慮はいりません。この者たちはそれが仕事ですから、何なりと申し付けてください。」

「え…あの、レッスンって……」


改めて、何ということを自分は承諾してしまったのだろうと、つくしは早くも後悔し始めた。
ただの見合い結婚ではない。
いや、本人と一度も会ったことがないのだから見合いでさえない。
これは結婚などではなく、新たな仕事だと言われた方がよっぽど納得がいった。


「次に、つくし様付きとなる侍女についてですが、つくし様はどのような者を望まれますか?」

「は?」


じじょ?
じじょって何? 次女?
誰かの娘さん、それも2番目の娘さん限定??


「あの…じじょさん、というのはどなたかの娘さんということですか?」

「え?…ああ、いや、失礼しました。侍女というのは侍に女と書きます。つくし様専属の使用人で、常に一番近くでつくし様の身の回りのあれこれをお世話させていただく使用人のことです。朝はお起こしすることから始まり、夜の就寝まで、その間、ありとあらゆる御用を承ります。共に過ごす時間が最も長い使用人ですから、つくし様のご希望を伺いたいのですが、いかがですか?」


遠山はどこまでも凪いだ柔和な顔でつくしに向いていた。
その表情からは喜びさえも感じられた。


「起こすって、自分で起きられますけど…」


その言葉に遠山と居並ぶ使用人から小さく「おおー!」という感嘆の声が聞こえた。

いやいや、なぜ驚く。
当たり前でしょ。
金持ちは自分で起きないの?
…起きないんだね?


「つくし様、さすがです。しかしそれは今日までの生き方です。明日から、いや、この瞬間から道明寺つくし様になるべく、考え方を変えてください。さあ、どんな人事でも致しますので何なりとご希望をお聞かせください。」


遠山はモーニング姿でシュッと立ってはいるが、肘を曲げて胸元に上げた両手がつくしにエールを送るように握り締められて揺れていて、その意気込みを表していた。
その気合いに気圧されるようにつくしはしどろもどろに答えた。


「そう言われても、希望も何も私は今初めてそういう立場の方を知ったので……」


異世界で流れる時間はつくしを待ってくれない。
グイグイと渦の中心へと巻きこまれ、最後は吸い込まれてしまうのだろうか。
あまりの急展開に目眩さえ覚えてつくしは無意識にこめかみに手を添えた。


「では、優しい者がよろしゅうございますね?」

「優しい人…」


つくしは目を閉じてうーんと考え込んだ。

どうやら後戻りはできそうにない。
とにかくあたしは道明寺司さんというこの家のお坊ちゃんと結婚するんだ。
ってことは家に入るってことよね。
ここに到着して何十分経過したか知らないけど、既に価値観の相違と言おうか、いや、価値観なんて生易しいものじゃない。
世界観…そうだ、世界が違うんだ。
違う世界に来ちゃった以上、先導してくれる人が必要だ。

つくしは目を開け、揃えた膝に重ねた手を置き、背筋を伸ばした。


「優しい方、も、いいんですが、私はこの世界のことは何も知りませんので、近くでしっかりとご指導、ご鞭撻、ご先導くださる方がいいです。」


つくしの言葉に使用人たちは無言で顔を見合わせ、遠山は瞳を潤ませた。


「さすがつくし様。なんとお頼もしいお言葉でしょうか。この遠山、感激いたしました。」

「へっ?」

「そういうことでしたら島田を付けます。あれならつくし様のご希望通り、しっかりとお支えしていけるでしょう。」

「は…あ…よろしくお願いします。」


話の終わりを見計らったようにアフタヌーンティーが供された。









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2020.02.12




アフタヌーンティーも終わる頃、遠山に連れられて一人の女性が応接室に入ってきた。

その女性は年の頃は50代前半だろうか。
背格好はつくしくらいで、白いシャツに黒いスーツを着用し、髪を引っ詰めて低い位置で団子ヘアにし、銀縁の眼鏡をかけていた。


「つくし様、ご紹介いたします。今日からつくし様付きの侍女となる島田貴子です。」


島田と紹介された女性は一歩前に進み出て、両腕を体の横にピタリとつけて礼法の教科書に見本として載りそうなお辞儀をした。


「つくし様、初めまして。本日よりお世話させていただきます島田と申します。末長くよろしくお願い申し上げます。」


つくしもソファから立ち上がり深く頭を下げた。


「はいっ、初めまして、牧野つくしです。こちらこそ、よろしくお願いします!」


そう言ってつくしが頭を上げると、島田が眼鏡の縁をクイッと上げた。


「つくし様、早速ですが、」

「え…はいっ」

「使用人相手に丁寧語はお控えください。ましてや頭を下げるなどあってはなりません。今後はお気をつけください。」

「……は、はい…」


自分から望んだ人事だとはいえ出会いからこれとは、つくしはこの先のことを思い、暗澹たる気持ちになった。




***




翌日からつくしの怒濤の婚約者生活が始まった。

邸の内外で行われる各種レッスンに加えて、体磨きと称されるエステを毎日施術される。
そして遠山が言った通り、起床から就寝までずっと島田が付き従ってる。
食事の時はもちろん、入浴中もバスルームの前で待機している徹底ぶりだ。


「あの、島田さん、」

「つくし様、『島田』と呼び捨てにしてください。」

「ええ!? できませんよ!」

「してください。」

「し、島田……さん」

「ハァ……」


つくしはそもそも成金嗜好ではない。
もちろんお金は大切だし、くれるというならいただきたい。
しかし御曹司だとか玉の輿だとかどこかの奥様だなどということにとんと興味がなかった。
できることなら今からでも逃げ出したい。
その心がなかなか環境の変化を受け入れない原因となっていた。






「島田、つくし様はどうだ?」


つくしが道明寺邸に入って1週間が経過した。
つくしの就寝後、遠山が本館から離館の使用人控え室にやってきた。
2台のテーブルとそれぞれ4脚ずつの椅子が並び、壁際のサイドボードにはコーヒーメーカーや料理人が焼いた菓子が夜勤の使用人用に置かれている。
二人は目の前にコーヒーを置いてテーブルを挟んで向かい合っていた。


「そうですね…下着をバスルームで手洗いされるのをなんとかやめていただいた段階です。なにせこれまで市井で普通にお暮らしでしたから、まだまだ使用人のいる生活に慣れないようですね。そんな中でレッスンも始まって少しお疲れが出てきたようです。ため息をつかれていることが多いです。」

「そうか。で、婚礼について何か仰っていたか?」

「いえ、特には。あの若様に嫁げるのに特段、喜んでいる風でもありません。」

「だろうな。なんせ断ろうとした方だからな。」

「断る!? 庶民の分際で!?」

「島田、言葉を慎みなさい。」

「…申し訳ありません。」


遠山は俯いた島田から視線を外してコーヒーに口をつけた。


「だからいいんだよ、あの方は。普通だからいいんだ。普通ならいきなり知らない男と結婚しろなんて言われて両手を上げて喜ぶ人間なんかいないだろう? それが道明寺家の若様、次期当主となるあの方だから断る方が非常識なように我々が思ってしまうんだ。つくし様の感覚の方が常識的だよ。」


島田が顔を上げた。


「でも、だとしたらつくし様は嫌々ご結婚なさることになります。それは若様にとっても不幸なことですわ。」

「ふぅむ、確かにそうだな。…実は、つくし様は若様のお姿もご存知ない。」

「え! 若様をご存じない!?」

「お名前しかご存じないのだ。そうだ、若様のお写真をお渡しして、毎日それを眺めて過ごしていただこう。当日までに少しでも好意が生まれるように。」

「ええ、そうですね、お渡ししておきます。若様のお姿をご覧になればつくし様だって日々を楽しくお過ごしになれますわ。」








翌日、朝食を終えてダイニングから自室に戻り、ソファに座って一息ついたつくしに、島田が額に入った写真を差し出した。


「つくし様、こちらが道明寺家の次期当主、司様です。」

「これが…?」


それは楓と偀と司の親子3人が写った家族写真だった。
どこかの写真館だろうか。
3人の真ん中で重厚なソファに腰を掛けて脚を組んでいるのは偀、その背後に楓と司が立っていた。

その青年はつくしがこれまでの人生で見たことのないほどの美貌を携え、まるで睨んでいるかのような鋭い視線をこちらに向けていた。 
シャープな顎のラインはその上に乗るクルクルとした巻毛と対比を為して互いを引き立たせている。
体躯を覆うスーツは1ミリの隙もなくピッタリと添っているためにその均整のとれたスタイルの良さが強調されている。
いかにも男性的な美しさを身で表しながら、佇まいはどこまでも上流階級然としていることが写真からもわかった。


「この人と、結婚するの…?」


島田は困惑していた。
なぜならつくしが困惑していたからだ。
眉根を寄せて写真に見入る様はどう見ても恍惚とは言い難い。

司の姿を見ればどの女もその矜持を挫かれる。島田はそう思っていた。
それはつくしとて例外ではなく、きっと司の姿の前に屈して陶然とし、我が幸福を神に感謝するだろうと思っていたのだ。
なのに、目の前の女主人は写真を見て戸惑い、喜ぶどころか昨日よりもさらに意気消沈しているように見えた。

つくしはジッと写真の中の司を眺めた。

これだけの美男子、ましてや大財閥の御曹司ならきっとどんな美女だって望むがままだ。
あたしがこの人ならそうするもん。
世界中の美女を集めて、一番好みの女性を選ぶ。
なのに何でこの人は親が勝手に決めた女と結婚しようとしてるんだろう。
どうして相手の名前のない婚姻届にサインができたんだろう。


「島田さん、」

「はい。」

「島田さんから見て、この道明寺さんと私が結婚するってどうですか? 許せますか?」

「え…許せるか、ですか?」

「この方、私とは違いすぎますよね? 生きてきた世界も、家柄も容姿も何もかも、私じゃ釣り合わないですよね? 嫌じゃないですか? 大切な若様が私なんかを妻にするの。」


使用人の中でも切れ者という評価を得てきた島田でさえもつくしの問いかけには即答できない。
つくしが島田を見つめる瞳の透明感の前には「そんなことはないですよ」という通り一遍の建前は通用しない気がした。
今、求められている答えはそれではないと、島田の長年の経験が告げていた。


「嫌、ではないですが、確かに仰るとおり、若様とつくし様ではあまりにも違いすぎるとは感じています。」


いまだかつてこれほどまでに主人に対して率直だったことがあろうか。


「ですよね。私みたいな庶民は道明寺家には…というか、この人には相応しくないですよね? やっぱり今からでも辞退したいと遠山さんに伝えてもらえませんか?」

「えっ!」


何ということだろう。
司の写真を見せたことが逆効果になろうとは、さしもの島田もこれには慌てざるを得なかった。


「お待ち下さい。それはできません。この結婚は旦那様と奥様が決断されたこと。それにつくし様も承諾なさったんですよね? 事は既に動き始めています。今更、覆す事はできません。」

「どうしてですか? あなた方の大切な若様が不幸になってもいいんですか?」

「不幸に!? なぜ若様が不幸になるんですか?」


島田はもう主従の関係に構っていられなかった。
とにかくこの目の前の婚約者殿を説き伏せ、結婚の覚悟を決めさせなければ。


「この方は私を愛せませんし、私もきっとこの方を愛せません。だからです。」


島田に向けられたのは強い光を放つ瞳だった。
そこに迷いはなく、これが駆け引きでもないことをその瞳は物語っていた。


愛せない?
これだけ完璧なほどに何もかも揃った若様を愛せない?

島田とてわかっていた。
愛が条件だけで得るものではない事を。
しかしいくらなんでもつくしがその条件にひとつも心動かされないことが島田を驚愕させていた。


「つくし様、若様を条件だけで見るのはおやめ下さい。若様の最も素晴らしいところはその心根でございます。本当に愛せないかはご結婚されて、本当の若様をお知りになってから判断なさってください。」


『道明寺司を条件だけで見るな。』よもやこの言葉をこんな場面で口にする日が来ようとは、島田は想像もしていなかった。
それはこれまで司を持て囃す人々に向けられていたはずだった。
なのに今この女性はその条件ゆえに司を忌避しようとしている。

ああ!と、島田は心の中で感嘆した。
旦那様と奥様が見抜かれたこの方の本質は謙虚で高潔だ。
だから若様にとって最良、そして道明寺家にとって最善と判断されたのだ。

仕えていこう。
この島田、つくし様にどこまでも仕えていこう。


「ご心配は要りません。つくし様は若様を愛せます。若様もきっとあなた様を愛せます。この島田、そのために惜しみなく仕えさせていただきます。」


ため息をつくつくしに、島田は改めて深く頭(こうべ)を垂れた。










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2020.02.13




道明寺司さんとの結婚を決意して1ヶ月。
明日はいよいよ結婚式だ。
今夜は家族のいる実家に帰ってきた。


「つくしー、お風呂入っちゃって。それからご飯にしよう。」

「うん、わかったー。」


パパが万年平社員だったから、実家は未だに社宅だ。
でもあたしと進を大学まで出してくれたし、カカア天下で愚痴が多いママにもいつも優しくて夫婦円満。
穏やかだけが取り柄のパパだけど、穏やかでい続けられるところは尊敬してる。

お風呂から出て、家族4人でテーブルを囲む。
こんなこと、次はいつできるのかな。


「つくしの結婚を祝してカンパーイ!!」


パパの音頭でみんなでビールで乾杯した。


「それにしても、姉ちゃんがあの道明寺財閥に嫁に行くなんてなぁ。明日、地球が終わっちゃうんじゃない?」

「それ、あたしも思う。」


笑い声が満ちる。
あたしは社宅のこの狭い部屋で育った。
パパのお給料じゃカツカツの生活の中で、大根の葉っぱと皮のお味噌汁とか、カレールーは高いからってカレー粉で作った薄っすいシチューを食べたりしたこともある。
高校、大学は学費のためのバイト三昧だったし、社会人になって一人暮らしを始めてからも、スーパーの特売は毎日、チェックしてた。

そんなあたしが、雑草の牧野つくしが、日本一の金持ち御曹司と結婚するとは、お釈迦様でもわかるまいっ!

この1ヶ月、いろいろなレッスンを受けてきた。
習字に茶道、華道、香道なんてのもかじったな。
語学はフランス語にドイツ語、スペイン語にポルトガル語。
英語の下地があるからなんとかついていけそうだけど、あれだけのマルチリンガルにならなきゃいけないの?
楽しかったのは社交ダンスや身だしなみレッスン、ドレスコードのコーディネーション。
秘書の仕事でも役に立ちそうだったし。
…って、もう仕事はしないんだっけ……

仕事しないなら何して過ごすんだろう。
楓社長だってお子さんたちが大きくなるまではお邸にいたって言うし。
レッスンを積み重ねてどこに出ても恥ずかしくないレディにならなきゃいけないんだろうな。
ハァ、もう萎えてきたよ。

恋愛結婚なら、もっとウキウキした気持ちで今夜を過ごせたんだろうか。
こんな、寂しいだけの気持ちじゃなくて、寂しいけど、でも彼がいるもん!的な幸福感があったんだろうか。

愛せるだろうか。
愛されるだろうか。

西田さんから、道明寺さんは受け入れたって聞かされたけど、本心ではどう思ってるかわからない。

夫婦は北棟と南棟に分かれて生活するって聞かされた時、なんだかホッとした。
普段は顔を合わせなくていいんだって。
だって、もし嫌われたら、あの整った顔が常に不機嫌に歪んでる様子を見て過ごさなきゃいけないんでしょ?
胃に穴が開くよね。
いや、でも嫌ってくれたらあっちから離婚とか言い出したりして。
それもアリだな。


「ハァ…」

「どうしたのよ、ため息なんてついちゃって。」


食事を終えて、ベランダに出て向かいの社宅の明かりを見てたらママが声をかけてくれた。


「玉の輿に乗れるんじゃない。いいわねぇ。料理とかしなくていいんでしょ? ママがお嫁に行こうかな。フフ」


この人は冗談なのか本気なのかわからないことを言うから気が抜けない。


「そんないいもんじゃないわよ。庶民がセレブの世界に紛れ込んで、息ができなくて溺れ死ぬのが関の山よ。」

「道明寺さんが助けてくれるわよ。」

「恋愛結婚じゃないんだよ? 親が勝手に決めて連れてきた妻なんて、放って置かれるだけだよ、きっと。」

「お見合いみたいなもんでしょ? 愛情なんてこれからよ。ママたちだってお見合いだったんだから。」


ハハハって笑ったママに、どうしても今夜、聞きたいことがあった。


「ママ、あのさ、聞きたいことがあるんだけど、あの、話したくなかったら話さなくていいからね。」

「なに? もしかして初夜のこと?」

「!! な、何でわかったの!?」

「娘の考えてることなんてわかるわよぉ。」

「あの、まだ好きになってないわけじゃん? できるの?」

「んー、覚悟と興味かな。」

「覚悟と興味?」

「この人と生きていくって決めたのは自分だから、夫婦になった以上、受け入れて行こうっていう前向きな覚悟。それとそういうこと、してみたいなぁ、どんなかなぁっていう興味。これで乗り切った。でもそのうちさ、そういうことがきっかけでなんか好きだなーって思うようになって、愛情が芽生えてたってことかな。ヤダ、もう〜〜!!」


バシバシッと千恵子の平手打ちがつくしの背中に決まる。


「いたっ、痛いよ、もう〜。…でも、そっか。ありがと。あたしも覚悟で頑張るよ。」

「あんたはいいじゃない。あんな美男子とできるんだから。あー、代わってあげよっか?」

「なに言ってんのよ! 明日、あちらのご家族の前でそういうこと言わないでよ!?」


アハハハハっと千恵子が笑い、つくしもいっしょに笑った。




***




ついにこの日が来てしまった。

早朝、あたしは実家から道明寺邸に戻ってきた。
戻ってきたけど、もうあの離れの館じゃない。
今日から本館だ。

正面の門扉を入ってから建物をぐるりと裏に回ると、これから私が住む北棟が見えてくる。
『棟』と言っても独立してるわけじゃない。
正確には北面とでも言えばいいか。

離館の何倍もある本館。
その四方の中の一面だけでもきっと離館より広い。
北棟のポーチに停車した車から降りてエントランスに入ると、遠山さんと先日まで離館でお世話になっていた北棟専属の使用人さん達がズラリと並んでいた。


「「「奥様、お帰りなさいませ。」」」


奥様……誰のこと?
やっぱり、あたしのこと?
みんなが見てるのはあたしだから、あたしのことなんだよね。

でもものすごい違和感。
どっちかと言ったら、あの使用人さん達の列に加わりたいくらいなのに。
そうできたらどんなに気が楽だろう。

いやいや…まだ始まってもいない結婚生活なんだから暗い気持ちになっちゃいけない。


「ハァ…」


って思っても、今朝からもう何度目のため息か。


「奥様、お部屋にご案内いたします。」


本館全体の表を取り仕切る執事の遠山さんと私の侍女の島田さんに連れられてエントランス正面のシンデレラ階段(たった今、あたしが名付けた。左右からアーチ状に伸びる階段は踊り場で交わってる。ディズニーのアニメで見たような階段だから。)を上ると、思わず徒競走したくなるような長ーい廊下が左右に伸びている。


「1階はダイニングと応接室、エステルームになっております。2階がリビング、寝室、クローゼットにワークルームです。」

「ワークルーム?」

「南棟の書斎にあたります。主なレッスンはここで続けていただきます。他にはお手紙を書いたり、手芸をしたりとお好きに使っていただける部屋です。」


つまりは教室みたいなもの?
お手紙に手芸…まぁ、なんて優雅な日常だこと。
それにしてもSNSやメールの時代に手紙なんてここ数年は年賀状以外に書いたことないし、手芸は苦手だし、あたしはあんまり活用できそうにないかも。


「3階はスタジオになっています。バレエやダンスのレッスン、他にジムトレーナーを招いて体を鍛えていただくこともできます。」


そっか。
今まで外に出てたレッスンをこれからは邸の中でするんだ。


「外出したくなったらどうするんですか?」


遠山さんと島田さんに挟まれるようにして歩いていたあたしが発した言葉に、二人が立ち止まった。
そして遠山さんが振り向いてにこやかに答えてくれた。


「敷地内はいつでも散策していただけますが、屋敷の外でしたらその時はいつでも島田にお申し付けください。お車とSPのご用意をいたします。」


つまり、勝手にトボトボと敷地の外に出るなってことね。
なんか閉じ込められるような気分。
ちょっとした軟禁状態?
お金持ちの奥様って窮屈なんだなぁ。
あたし、いつまで耐えられるかな。


「それでは出発のお時間までごゆっくりお過ごし下さい。」


そう言って遠山さんはあたしをリビングに案内すると出て行った。
あたしはそのあたしの部屋だというリビングを見渡した。
広い…!
50畳はあるだろうか。
早朝と言っても6月だというのに、広すぎてなんだか寒く感じる。
そこにあたしの選んだ革張りのソファセットが品よく置かれてる。
猫足のアンティーク調のやつ。
一度、こういうの欲しかったんだよね。
と思って選んだけど、あたしに似合ってる?
甚だ自信がない。

その時、リビングのドアがノックされ、あたしの侍女である島田さんが応対した。


「奥様、旦那様のお姉さまがご挨拶をとおっしゃっていますが、お通ししてよろしいですか?」


あの人のお姉さん?
ひぇぇぇ〜!


「もちろんです! お願いします!」

「…奥様、何度も申し上げておりますが、私どもに丁寧語はおやめください。使用人には使用人向けの言葉使いでお願いします。ではお通しします。」

「…はい」


島田さんがドアを開けるとびっくりするような美人が笑顔で入ってきた。
あたしは立ち上がって出迎えた。
島田さんが間に立ち仲介する。


「椿様、こちらは旦那様のご婚約者、つくし様です。つくし様、こちら旦那様のお姉さまの道明寺椿様です。現在、ご結婚されてLAに在住でらっしゃいます。」

「はじめまして、牧野つくしです。不束者ですが、よろしくお願いいたします。」


綺麗なお姉さんに、あたしは緊張しながら挨拶した。
そしたら、


ガシッ


「可愛い〜! つくしちゃんね! 名前も可愛いのね。私、妹が欲しかったの〜、うれしいわ。」

「は、はい…あのっ…く、くるし…」


抱きしめられ、ガクガクと揺さぶられ、またギューっと抱きしめられた。


「椿様、そのくらいでよろしいかと。」

「あら、ごめんなさい。小さくて細くて柔らかいのねぇ。きっと司も気にいるわ。」

「えっあのっ、」

「目が大きくて色白で肌も綺麗だし。これはアタリね。お父様たち、いい人選んでくれたじゃなぁい!」


お姉さんはひとしきりはしゃいだ後、あたしの支度を手伝うと言ってそのまま部屋に滞在した。









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2020.02.14




椿との対面を終えて式が行われる神社に移動し、控え室になっている社務所の一室で髪を結われ、和装用の化粧を施され、白無垢を着て、綿帽子を被った。
支度を終え、控え室で椅子に座るつくしの下へ家族がやってきた。


「まぁ、つくし、綺麗ねぇ。」

「ママ」

「つくし、幸せになるんだよ。」

「パパ」

「姉ちゃん、時々は帰ってこいよな。」

「進…」


嫁ぐ挨拶は夕べした。
でも花嫁衣装を着た今、嫁ぐ実感が湧いてきてこの家族と離れる寂しさが胸に迫った。
本当は、愛のない結婚なんてしたくない。
拒絶される恐怖が拭えない。
でも、断りきれなかったのも事実だ。
あそこまで必要だと言われて、断れなかった。
つくし、もうここまできたのよ。
やるしかない!
覚悟を決めなさい!

つくしは自分を叱咤激励して、背筋を伸ばして前を向いた。
その時、襖が薄く開かれ、巫女に案内されてきたのは偀と楓だった。


「おお、つくしさん、綺麗だねぇ。」

「ええ、本当に。司もきっと驚くわよ。さ、紹介するわ。司、入りなさい。」


いよいよ対面だ。
つくしだけでなく、牧野家一同に緊張が走る。
そして開け放たれた襖の間からスローモーションのように現れた人物を見た瞬間、つくしの頭の天辺から背骨を伝って尾骶骨までを電流が駆け抜けた。

“ 美しさとは衝撃だ。
だから、完璧な美しさを目の当たりにしたならば、骨がへし折れるほどの衝撃を受けなきゃいけない。”

そんな言葉を読んだことがある。
あれは何というタイトルの作品だったか。

その男性はこの1ヶ月、ずっと眺めてきた写真とはまるで別人だった。
写真には写せない彼の持つ雰囲気、オーラ、輝き…
なんと表現していいのかわからない神々しい光に包まれていた。
この世のあらゆる祝福を受けた男。
そう表現するのが一番しっくりくる。

そして一瞬感じた痛みは完璧な美しさを見てしまった衝撃が与えたのか。


「牧野さん、紹介します。息子の道明寺司です。」


偀が何か言ったが、牧野家の誰も答えない。否、答えられない。
4人とも、司の人間離れした美貌、体躯、存在感の前に言葉がなかった。


「お義父さん、お義母さん、初めまして。道明寺司です。以後、よろしくお願いします。」


そう言って頷くように微かに頭を下げたように見えた。
由緒正しき家柄、歴史ある血統、そして大財閥、道明寺家の次期当主である男が妻に迎えようという女が一般庶民ならばその親もまた然り。
そんな相手に頭を下げるなど、初めての経験だったに違いない。
しかし司の表情に嫌悪はなく、つくしはまずはそのことに胸を撫で下ろした。


「は、はい、こちらこそ、娘をよろしくお願いします。」


晴男も千恵子も顔を真っ赤にして深く頭を下げた。
「おとうさん、おかあさん」音としてそう聞こえたが、自分たちはどんな立場でいればいいのか、晴男も千恵子も困惑していた。
確かに自分たちは司より年長者で妻の両親という立場だ。
しかし社会的地位も見目の麗しさも、思わず謙りたくなってしまう。
その視界に映ることさえおこがましい。
そんな男が娘婿。
果たして娘は愛されるだろうか。
幸せになれるだろうか。
そんな思いが過った。

いや、つくしだってどこへ出しても自慢の娘だ。
でも人には分相応というものがある。
つくしにはつくしに相応の男性がきっとどこかにいたはずで、もしかしたらその人と恋に落ちてもっと幸福な佳き日を迎えていたかもしれない。

晴男も千恵子も昨夜まで玉の輿に浮かれていた気分はもうどこかへ吹っ飛び、今はただ、つくしの安寧だけを祈っていた。

進はまだ司を見たまま固まっている。
そして呟いた。


「なんで…姉ちゃん……?」


その言葉に、司がつくしを真っすぐに見た。
そしてつくしもまた、綿帽子を被った頭を上げた。
二人の視線が初めて交わる。


「そしてこちらがお前の妻となるつくしさんだ。」


つくしはぎこちなくニコリと笑って見せた。




***




結婚式を終え、牧野家のみんなとは神社で別れた。


「つくし、とにかく精一杯、頑張るのよ。」

「つくしの幸せをいつも祈ってるよ。体に気をつけてな。いつでも帰ってきていいんだからな。」

「姉ちゃん…俺も頑張るから!」


みんなの言いたいことがわかった。
不釣り合いな結婚には相当な努力がいるだろうということ。
そしてダメなら帰る場所はそこにあるってこと。
本当は今すぐにでも帰りたい。
でもあたし、頑張るよ。
雑草魂、見せてやるから。







道明寺邸北棟に帰ってきた。

そうだ、今日から本当にここが私の家なんだ。
こんな何部屋もある広い邸が。


「奥様、奥様!」

「え?」

「つくし様、奥様はあなた様ですよ。」

「あっ、そ、そうですよね。あはは、まだ全然慣れなくて。」

「ハァ、奥様、本日の予定は残すところ御渡りだけです。」

「披露宴とかそういうのはないんですよね? いや、なくていいんですけど。」

「お披露目はシキタリにより、第一子ご出産後となっております。」

「第一子って…子供!?」

「はい。」

「それはまた…古風というか封建的というか…」


子供とか考えてなかった。
そっか、夫婦なんだから結婚したら次に考えるのは子供のことなんだ。
…やだ…まだ妊娠なんてしなくないのに…
というか、あの人とするの?
あたしが? あんな綺麗な人と?


「今夜の御渡りは夜の9時です。」


つくしは島田に顔を上げた。


「決まってるんですか?」

「初夜だけです。普段は決まっていません。」

「それで夕食はいっしょに食べるんですか?」

「いいえ。」

「それも今日だけですか?」

「今後、ずっとです。」

「ずっと?」

「居住棟が違いますから、それぞれにキッチンがあってコックがおります。『御渡り』以外は旦那様に会うことはありません。」

「え!? それが結婚生活ですか?」

「ここではそうです。」


夜の生活だけを共にして、他の時間はずっと別に暮らすってこと?
結婚の意味あるの?
あるんだろうけどさ、それでも悲しくない?
愛し合ってたら辛いだろうな。
むしろ好きじゃなくてちょうど良かったのかも。


「初夜の契りが終われば旦那様は南棟に帰られます。道明寺家では妻といっしょに朝日を見ることは忌むべきこととなっておりますので、騒がないように。」

「はい…」

「それと、今夜の契りは1度だけです。何度もなさいませんように。」

「しっ、しませんよっ!!」

「旦那様がされようとなさったら拒否してください。」

「はい…」


つくしは恥ずかしさから俯いた。

何度もってなんなのよ!
しようとしたらってなによ!
あの人だってするわけないじゃない!

つくしは式の前に初対面した時の司を思い出していた。

想像よりも背が高かった。
髪は面白いほどクリンクリンしてて、顔は写真よりも整ってて言葉に詰まった。
そしたら綺麗な瞳があたしを見つめてた。
とりあえず第一印象は笑顔かな、と思って微笑んでみたら呆気にとられた顔をされた。
こんな女が、と思われている可能性が高いよね…ハァ…

つくしの憂鬱は晴れることなく、孤独な夕食を済ませると初夜のための身支度に入った。









★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★
 明日からしばらく司視点です。


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2020.02.15





俺は今日、結婚した。
これから初夜を迎えるため、自室を出て北棟に向かっている。

俺は先週まで東棟で生活していたが、妻を娶れば一人前だ。
呼び名も若から旦那に変わり、居住棟も主人専用の南棟に移った。

妻の暮らす北棟に俺を案内しているのは15の誕生日から俺の従者になった森川。
40代後半の痩身の男で、屋敷の中では常に俺に付き従っている。

妻の部屋を訪ねるのは “ 渡り ” と呼ばれる行為で、今後は予め渡ることを北棟に伝えておかなければならない。
それも森川の役目だ。

世間では夫婦は同じ棟に住み、同じ部屋で休むそうだ。
煩わしくないのか?
互いの生活を大切にしたいとは思わないのだろうか。
俺には理解できない。

妻の部屋の前に到着し、森川がノックをする。
部屋に入ると女の部屋としては控えめな設がされている。
この部屋は先月まではお袋の部屋だった。
だが、もう随分前からお袋はNYで暮らしていて、この部屋は使われていなかった。
そこを妻の代替わりのため内装替えをしたらしい。
たった1ヶ月の突貫工事の割には落ち着いた部屋になっている。
アイボリーの壁紙には淡いグレーのダマスクス模様が入り、家具はダークオークの色彩で統一され、この部屋の住人は華美を好まないことがわかる。
唯一、ベッドの天蓋に淡いグレイッシュピンクが使われ、そこに女らしさを見つけることができる程度だ。
庶民の出の女だが趣味はいいらしい。

女がいるはずのベッドに近づくが、天蓋から三方にシフォンのカーテンが降ろされていて、まだその顔は見えない。
一方だけカーテンが上げられているベッドの脇に立つと、その上で正座をし、指をついて頭を下げている姿が目に入った。


「顔を上げろ」


俺の声にビクッと肩を震わせた女はそろそろと顔を上げた。
数時間前に初めて見た、大きな澄んだ瞳が俺を捉えた。





->->->->->->->->





遡ること3ヶ月前。
日本の俺の執務室に突然、NYから親父がやってきた。


「やあ、司、仕事は順調か?」

「総帥、お忙しいのに本日はわざわざNYからどうしたんですか?」


親父がわざわざ帰国することは滅多にない。
最後に日本で会ったのは俺の15の誕生日の時だ。
その次に会ったのは俺が高校を卒業してNYに移った18の時だった。

親父は応接用のソファに腰掛けた。


「うん、君にいよいよ時が来たことを伝えに来たんだ。」

「時?」


俺はデスクを離れて、親父がソファに背を預けて脚を組んだ向かいに座った。


「司、結婚しなさい。」


!!


「…いま、なんて?」

「ん? 君にもいよいよ妻を娶る時期が来たって言ったんだ。結婚だよ、結婚。」


親父の言葉に、ついにこの時が来たか。という心境だった。
ある意味では待ちに待っていたし、ある意味では永遠に待っていなかった。


「では相手が決まったんですね? 誰ですか?」

「いや、それはまだだ。これから探す。」

「は? これから?」

「司、君は自分がどこかの令嬢と結婚すると教えられてきただろう?」

「…はい。」

「楓と相談してね、そういうの、やめにしたんだよ。」

「やめにしたって…」

「君の奥さんは広く募って、審査することにした。」


親父が何を言っているのかわからなかった。
だから返事ができずにいた。


「家柄で妻を選ぶ時代は終わった。これからは能力で選びたい。」

「能力?…どういうことかきちんと説明してください。」

「そうだな、楓みたいな有能な妻ってことかな。」


お袋みたいな妻!?
普通に嫌なんだが……
あんな冷たい女のどこがいいのか全くわからないが、とにかくこの親父はお袋が大好きなようで、昔から俺のことは放っておいても、お袋だけはどこへでも同行させていた。


「なにも楓のように世界を飛び回って仕事する妻だと言ってるんじゃない。お前に対等に物が言えて、お前も心をさらけ出せる。そういう相手だ。」

「……それが道明寺には必要だと?」

「ああ、道明寺にも、お前にも、な。だからまずはグループ会社の傘下企業から条件に合うお嬢さんを集めて選考会を開く。それで見つけらなければ探す範囲を広げていく。」

「じゃあ、私の結婚は実際にはいつになるかわかりませんね。」

「そうなんだが、早ければ3ヶ月後には結婚することになる。だから君の承諾を得に来たんだよ。」


俺は著しく落胆した。
もう相手が決まっていて、あとはその時を待つだけかと思ったのに、結局は相手も時期も未定。
状況は変わらないじゃないか。


「私が何を言おうとそれは決定なんでしょう? なら私の承諾など必要ないんじゃないですか?」

「必要だよ。君の妻になる女性が庶民の出かもしれないからね。」

「庶民!?」

「そうだ。君の世界を共有しない相手かもしれない。それでもいいか、君の判断を聞かせてくれ。」


判断って…庶民と親しく接したことのない俺に、どう判断しろって言うんだ。
使用人や会社の部下は庶民だ。
でもそこには上下関係がある
常に俺が上で相手が下。
それなのに妻となれば対等?
庶民の妻が対等?
どういう状況になるのか全く予測がつかない。


「まだ理解できないだろうな。でもきっと気にいるよ。俺たちに任せてくれるな?」


嫌とは言わせないくせに、親父はいつも一応は俺の意見を聞いたフリをする。


「はい、わかりました。お任せします。」

「じゃ、婚姻届にサインをもらおう。」


俺は半ば諦観の境地で婚姻届にサインをした。
隣の空欄に記入される女の名前を俺が知らされるのはいつのことになるのだろう、と想像しながら…




***




が、その時は思っていたより早々にやってきた。
サインをしてから2ヶ月後のことだった。
俺の秘書の菱沼がスケジュールの変更を伝えてきた時だ。


「副社長、1ヶ月後、急なことですが結婚式の予定が入りましたので、当初の予定を変更させていただきます。」

「結婚式? 誰が結婚するんだ?」

「…あなた様です。」


俺は顔を上げて菱沼を見た。


「なんだと?」

「副社長のご結婚が正式に決まりました。おめでとうございます。」


呆気にとられるとはこのことだった。
俺の結婚が決まった?
こんなに早く?
何があった?


「どういうことだ?」

「今朝方、社長秘書の西田より連絡が参りました。司様のご婚約者様が内定し、ご結婚の日取りも決定した、と。」

「相手は誰だ?」

「それはまだ極秘だそうです。」

「は? 俺にもか?」

「はい。副社長が相手の方をお知りになるのは当日だそうです。」

「当日!?」


俺でさえも当日にならなきゃ相手がわからないってことか?
ふざけるな!


「総帥に連絡を取れ! 今すぐだ!」

「かしこまりました。」


親父にコールすると、NYに戻る機内だった。
昨日まで東京にいたんなら俺に知らせろよ!


「総帥、私の婚約者が決定したというのは本当ですか?」

『ああ、本当だ。』

「誰なんです?」

『庶民のお嬢さんだ。だが、申し分のない女性だよ。』

「…何歳ですか?」

『25だ。お前より1つ若い。理想的だろ? わははは!』


こんのクソ親父!!
笑ってる場合じゃねぇよ!


「それで、いつ会わせていただけるんですか?」

『当日。』

「もっと早くお会いしたいですね。」


俺は自分の額に青筋が立つのがわかった。


『ダメだ。会えば我慢できなくなる。きっとお前はあの人を抱きたくなる。 シキタリによって初夜まで行為は禁止だ。苦しむのはお前だぞ。だから当日まではオアズケだ。会ったその日に結ばれるんだから、その方がいいだろう?』

「そんなに美人なんですか?」

『いいや。』


チッ!
期待させといて、どっちなんだよ!


『だが、なんとも言えない魅力を持つ可愛らしい女性で、心根も善良だ。』


あんたの言う「可愛らしい」は全く信用できない。
なんせあの鉄のようなお袋にも毎日「可愛い」と言いまくる男だからな。


「善良な庶民ですか…それは大いに期待できますね。」


嫌味だって言いたくなる。


『いいか司、彼女はこの道明寺のさらなる繁栄のために嫁いできてくれるんだ。お前も男なら女を泣かせるような真似はするなよ。』

「…わかってます。1ヶ月後ですね。楽しみに待ちますよ。」

『はは、そうしてくれ。それと結婚後、お前は南に移れ。当主の住まいだ。』

「! それはつまり…?」

『日本の屋敷の主人はお前になる。俺はもう長いことあそこには住んでないしな。』

「わかりました。ありがとうございます。」

『じゃ、また結婚式で!』


結婚相手に対する不安を置き去りにして、屋敷の主人になれる高揚感が俺を支配した。








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2020.02.16




その日から邸の中が慌しくなった。

俺は今、東棟に住んでいる。
東棟は後継者だけが住むことを許されていて、俺には姉がいるが、姉は母のいる北棟で育った。
俺は6歳から一人でこの東棟で暮らしている。

15歳の誕生日前日までは婆やが育ててくれた。
15歳からは森川が従者だ。
起床から就寝まで、この邸にいる間のあらゆることは森川が俺の世話をする。

20年近く慣れ親しんだこの東棟に近いうちに別れを告げ、当主の住処である南棟に移る。
東棟はしばらくは空き家になるな。
北には新妻が移ってくる。
なんでも俺の婚約者殿は今はこの敷地の離れに住んでいるらしいが、俺とは完全に遮断されていて、近づくことも、その姿を見ることもできない。

北棟と南棟のリフォームのため、邸内は忙しなく人が動いていて、昼夜、休日を問わず突貫工事が行われている。
リフォーム作業にあたる人間は全て道明寺のグループ会社から身元の確かな精鋭が集められ、セキュリティーも万全だ。
また、保安検査部や警護部の人間が常にパトロールをして、盗聴器設置などの不審な動きを未然に防いでいる。

東棟では引越しの荷造りも同時に行われており、とにかく使用人どもは大騒ぎだ。
唯一、落ち着いているのは西棟。
ここには今は引退した俺の婆やが隠居生活を送っている。
本来は道明寺家当主やその妻の引退後の住まいだったが、祖父の代には愛人の住処となり、一時期は何人もの愛人を囲っていたとか。
親父の代になってそいつらを一掃してからは婆やが一人で住んでいる。
邸内で唯一の和室が存在するのもここだ。

婚礼まであと2週間。
俺の朝の支度を整える森川に婚約者のことを聞いた。


「お前は俺の婚約者を見たことがあるか?」

「はい。お車でレッスンに向かわれるお姿をチラリと拝見いたしました。」

「どんな顔をしている?」

「さあ? 一瞬でしたから。ただ色白な方だとお見受けいたしました。」

「名前は?」

「存じ上げません。」

「誰なら知ってる?」

「執事の遠山と使用人頭の浅尾です。花嫁選定の際に同席したと聞き及んでおります。」

「あの二人が?」

「若様をよく知る人物として、旦那様と奥様から指名されたとか。」

「フン! 一番よく知るのはお前だろ?」

「はは、私ではすぐに若様に情報が筒抜けになってしまうとお思いになられたのでしょう。」

「あと2週間か。」

「女性は見目の麗しさより肌の美しさですよ。触り心地がいいのが一番です。」

「早く会ってみたいな。」

「2週間なんてすぐです。はい、お支度、整いました。」

「今夜はあいつらに会う予定だ。」

「かしこまりました。」

「行ってくる。」




***




俺には英徳幼稚舎からの腐れ縁がある。
西門総二郎、美作あきら、花沢類がそれだ。
同じ後継者という境遇の俺たちは出会ってから21年、ずっと変わらぬ友情を温めてきた。

英徳学園は中等部から男女で校舎が分かれる。
男子部は世田谷、女子部は目黒だ。
もともと女の友人などいなかったが、これによってますます女との接触は皆無となった。
結果、親友たちとの腐れ縁は今でも続いているわけだ。

金曜日の20時
仕事を切り上げ、西門邸に向かう。
いつもはホテルのバーや会員制のクラブの個室を使うが、今夜は大切な報告をするため、外部は避けて総二郎の邸宅を指定した。

西門家は数百年続く茶道家元の家系で総二郎はその次期家元だ。


「よーお、久しぶりじゃん!」


総二郎は軽い男だ。
いや、軽い男を演じている。
本当は硬派な男だってことは知っている。


「ああ、忙しいとこ急に悪かったな。」

「大丈夫だって。お前から召集なんて珍しいから、あきらも類も快諾だったぜ。」


西門邸内は和の造りだが、総二郎の住むこの東の離れだけはモダンなインテリアだった。
フローリングにソファが置かれ、ダウンライトが照らすバーカウンターがある。
いつもあきらがバーテンダー顔負けの腕をふるってくれる。

俺の後、少しして、あきらと類も到着した。


「半年ぶりの再会を祝して、乾杯!」


各々が好きな姿勢でソファに座り、それぞれが好きな酒を手にしていた。


「で? 司が急に呼び出しなんてどうしたの?」


定位置で寝転んでいた類が起き上がって俺に問いかけた。


「結婚が決まったんだ。」

「「 結婚!? 」」


叫んだのはあきらと類だ。


「ああ。2週間後に式を挙げる。」

「2週間後…また急だね。」

「親父が思いつきで探し始めてトントン拍子に決まったらしい。」

「どこのお嬢さんだ?」


あきらが立ち上がってバーカウンターに移動しながら聞いてきた。


「庶民の女だ。」

「庶民!? また親父さん、冒険するなぁ。」

「実際に冒険するのは俺だけどな。」

「だな! わははは!」

「でもさ、ってことは司はやっとできるってこと?」

「あー、まぁな。」


類がフフと柔らかく笑った。
が、こいつの本性は決して柔らかなんかじゃないことは俺たちにはわかってる。
みんなこの顔に騙されるんだ。


「ねぇ、総二郎はさっきから静かじゃん。驚かないの?」


俺の隣で黙ってグラスを傾けている総二郎を類が覗き込んだ。


「んー、俺な、知ってたんだわ。」

「「「 は? 」」」

「だって、今、ここに茶道の稽古に通ってきてるもん。その司の婚約者。」

「なっ! なんだと!? お前、会ったことあるのか?」


俺でさえ見たこともないのに、俺より先にこいつが!?
あり得ないだろ!


「落ち着け、司。ない、ないから! 会ったことはない! 親父が稽古をつけてんの。それも極秘で!」

「極秘って、どういうこと?」

「名前も明かされてないし、姿も明かさないように使用人どもを下がらせてから茶室に案内してる。ただ俺も興味でてさ、ちょっと覗きに行ったことはあるんだよな。ははっ」

「テメェ、俺でさえ会ったことないってのに…」

「司にも極秘? おじさんたちさすがだねぇ。」


類は完全に面白がってる顔をした。


「で? 総二郎、司の婚約者さんはどんなだった?」

「着物着てる後ろ姿をチラッと見ただけなんだよな。背は小さかったな。髪は黒くて艶やかで、長いのを結ってたな。うなじが白かったからあれはきっと色白だな。」


森川と同じことを言うな。
とりあえず肌が白いのは確定か。
ってか、バッチリ見てんじゃねぇか!


「顔は見えなかったんだね?」

「ああ、親父の話じゃ可愛い系らしい。道明寺の関係者じゃなかったら囲いたいって言ってたからな。」


エロ親父、ふざけるなよ!
結婚後はここには立ち入り禁止にするぞ!


「もしかしてその子って、うちにも来てるかもしれないな。」


自分で作ったカクテルを手に、あきらが再びソファに戻ってきた。


「え? どういうこと?」

「お袋のとこにさ、最近、若い女性がファッションマナーとダンスを習いにきてるって妹たちが話しててさ。でもあのおしゃべり好きのお袋が妹たちにもその子の名前とか知り合った経緯とか一切話してくれないって双子が怒ってた。」

「で、その女性の特徴は?」

「双子が一度だけすれ違ったらしいんだけど、丁寧に挨拶してくれたって言ってたな。色白で華奢な子で目が大きくて可愛かったって言ってたぞ。俺に結婚しろって勧められたからな。」


あっちでもこっちでも目撃されてんじゃねぇよ!
一体、俺の婚約者はどんな女なんだ?


「へー、なんか評判いいね。これは期待できるんじゃない? ね! 司。」

「な、なんだよ…」

「なんだよ、じゃねぇよ! お前も待ち遠しいだろ?」

「べっつに!」

「かー、やせ我慢! 可愛いねぇ、司クンは!」

「うるせぇ! 肩組むな! とにかく、俺は一抜ける! お前らも早く結婚しろ!」


男も女も初夜までは行為ができない。
こんなシキタリ決めたのはどこのバカだ?
真面目に守ってる俺はもっとバカか?
こいつらはとっくにそんなものは破ってる…気がする。
そんなことして、祟られても知らねぇぞ!


RRRR RRRR RRRR………


全員が自分のスマホを確認した。
着信があったのは俺だった。
菱沼からだ。


「俺だ。」

『ーーー』

「わかった。すぐに向かう。」


俺はグラスを置いて立ち上がった。


「仕事か?」

「ああ、立て込んでる。呼び出しといて悪いな。」

「いや、気にするな。結婚したら会わせろよ。」

「ああ、またな。」


俺は西門邸を出てまたオフィスを目指した。









「な、あれはまだ信じてるな。」

「ああ、例のシキタリが世の中全員に適用されてると思ってるな。」

「司ンとこだけだよって、いつ教える?」

「………可哀想だから黙っててやろうや。」

「だね…」










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2020.02.17




そしてついに結婚式当日を迎えた。

いつもよりも随分早く森川がカーテンを開ける。
昨日から南棟に移ったため、早朝の陽が差し込まなくなった寝室はまだ翳っていた。


「今日から朝日が差し込みませんから、お目覚めが悪いかもしれませんね。旦那様。」


森川の声に微睡んでいた目が開いた。
旦那様?そう呼ばれたか?

それは昨日まで親父の呼称だった。
しかし今日からは俺の呼称だ。
親父は大旦那と呼ばれるようになる。

そうか、いよいよか。
いよいよ俺は結婚するのか。
この日を待ち望んだぞ。
問題は妻だ。
どんな女なのか、それにこれからの俺の人生がかかっている。






式は道明寺家の氏神を祀る神社で行われる。
それは東京の奥地の山の中にある。
外観からはまさか我が家の氏神とはわからない質素な社殿と社務所があるだけだ。
だがここは一定期間ごとに建て替えられている。
右山と左山を一対とし、30年ごとに新社殿に移るのだ。
その費用はこれまでもこれからも全て道明寺が賄っている。

結婚式の参列者は3親等以内の親族のみ。
これもシキタリだ。

婚約者も昨日から北棟に移ったと聞いた。


「森川、女は北棟か?」


俺に朝食を給仕する森川に問いかけた。


「はい。婚約者様は昨日、北棟に移られました。しかし昨夜はご実家に泊まられたそうです。」

「そうか。女付きの侍女は誰だ。」

「島田です。」

「ふーん、また厳しいのを充てがわれたんだな。」

「なんでも、婚約者様ご自身が庶民の出の自分をしっかり指導してくれる人を、とご要望されたとか。遠山は当初、岡村を付けようと思っていたらしいですから。」


俺がまだ婆やと一緒にいた時代に、島田は婆やの助手をしてたことがある。
ギスギスした女で、根は悪いやつじゃないが温かみというものは感じない。
対して岡村は優しい女で周りの雰囲気をすぐに和やかにしてくれるメイドだ。


「こちらの世界に慣れようという気概はあるようだな。おい、式は11時だったな。」

「はい。神社まで2時間はかかりますので8時半にはここを発ちます。大旦那様と大奥様は空港から直接、向かわれるそうです。」


その時、ノックの音が響いた。
森川が応答すると懐かしい声が聞こえてきた。


「司ーー! 久しぶりぃ、元気だった?」


姿を現したのは姉の椿だ。
今は結婚してLAに住んでいる。
俺とは4歳違いで今、30歳。
姉貴は未明に到着していた。


「姉さん、久しぶりだな。」

「また、あんたは他人行儀な。昔みたいに「姉ちゃん」って呼びなさいよ。」

「お互い幾つになったと思うんだよ。」

「そっか…あんたももうここの主人だしね。」


姉とは俺が5歳まで北棟で一緒に暮らしたが、その後は週に一度顔を合わせるだけになり、俺が高等部1年の時にLAの不動産王と結婚して出て行った。
接点の少なかった姉だが愛情深い人で、いついかなる時もこうして慈しんでくれる、俺にとって貴重な人だ。

森川が給仕したコーヒーを一口啜り、姉貴は身を乗り出した。


「そうそう、結婚、おめでとう!! で、相手はどんな子?」

「知らん。」

「え?」

「親父とお袋が選んだ女だそうだ。俺は今日でもまだ会ったことがない。」

「…は、ははは、またそういう手なんだ…」


この姉もだまし討ちのように縁談が決まり嫁いで行った。


「1000人の中から選ばれた子だっていうのは聞いてるんだけどね。」

「親父が言ってた “ 選考会 ” ってやつか。」

「トップの成績で合格したらしいけど、辞退しようとしたんだって。お父様とお母様とみんなで口説き落としたって。」

「辞退!? 自分から参加しておいて怖気付いたってのか?」


俺との結婚を辞退?
身の程をわきまえたのか?


「旦那様、そもそもその選考会は旦那様の花嫁選びというのは伏せて集めた女性たちだったそうですので、いきなり真相を知らされて驚かれたのでしょう。」

「それがさ、お父様がその子にセックスしたことがあるのかって聞いて、キレちゃったんだって!」

「ブッ!」


俺は思わずコーヒーを吹き出した。

セッ、セッセッセッ!?


「……で、あったのか?」

「バカねぇ、結婚もしてないのにあるわけないでしょ! あるわけないのに聞かれたからキレたんでしょ!」

「そ、そうだよな。そりゃ、キレるよな。はは…」


脅かすな!


「可愛い子かなぁ? ね、森川は知ってる?」

「存じ上げませんし、美醜に関してはお考えにならない方がよろしいかと存じます。」

「そうよねぇ。万が一、あの、アレだったらねぇ。あはは…」

「どっちにしろもう変更はきかないんだから、受け入れるしかないだろ。姉さんは余計なこと言わないでくれよ。」

「わかってるわよ! 私にとっても義妹になるんだから、良い子だったらいいなーって思っただけよ。」


姉貴は席を立ち、窓辺に立った。
本館正面の南棟からは遠くに敷地の門扉が見える。


「あっ! あれ婚約者じゃない? 帰って来たわよ!」


門扉から入った車はしばらく敷地をこちらに向かって走っていたが、やがて北棟に向かうために見えなくなった。


「あーあ、見えなくなっちゃった。私、挨拶してくるわね!」

「おい、やめろ! 森川、姉貴を止めろ!」

「旦那様のご命令といえどもそれは不可能でございます。」







結局、姉貴は戻ってこなかった。
どうやら、準備のために先に屋敷を出た婚約者に同行したらしい。
つまり気に入ったってことか?

午前8時半
紋付袴を着付けられた俺も屋敷を出た。
街中から山の中に向かって2時間ほど走り、式場となる神社が見えて来た。
あそこに、俺の妻がいる。

子供の頃から、結婚相手は両親と状況が選ぶと繰り返し言い聞かされてきた。
家のため、繁栄のための妻。
妻が気に入らなければ祖父のように愛人を作れ、とも言われた。
でも親父はお袋一人を大切にしてきた。

俺はどっちになるんだろうな。

お袋は親父と同じアッパークラスの出だ。
だが、俺の妻になる女は庶民だと親父は言った。
生きる世界が違う伴侶と通じ合えるとは思えない。

容姿だけでも許容範囲ならいいんだが。

しかしここまできて考えていても仕方がない。
どう転んでも妻は一人だ。
よし、肚を決めたぞ。









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2020.02.18




式場控室は2部屋に分かれていた。
新郎・新郎親族、新婦・新婦親族だ。
新郎控室に入るとすぐにノックの音が響いた。
入って来たのは親父とお袋だった。


「司、おめでとう。」

「ありがとうございます。」

「司さん、やっとだけど、お相手の方を紹介するわ。あちらの控え室に参りましょう。」

「こっちから出向くんですか?」

「当たり前だろう。大切な娘さんをいただくんだ。お前もそのつもりで大切にしなさい。」

「はい…わかりました。」


俺は二人の後に続いて長くてよく磨かれた板張りの廊下を新婦控え室に向かって進んで行った。
あと数メートル、あと数歩、そしてその時が来た。

やっと会えるのか。

巫女によって襖が開かれ、俺は中に招かれた。
部屋の中には女の両親らしき至って普通で小柄な中年の夫婦と、弟だろうか、いかにも着慣れないといったスーツ姿の男がいた。
そしてその奥に白無垢姿の女が椅子に座っていた。

あの女か!

しかし綿帽子をかぶっているため、俺からはまだ顔が見えない。


「牧野さん、紹介します。息子の道明寺司です。」


俺を見て惚けている中年の夫婦に紹介され、俺はビジネスモードで頭を下げた。


「お義父さん、お義母さん、初めまして。道明寺司です。以後、よろしくお願いします。」


って、まだ惚けてるぞ。
こいつら大丈夫かよ。


「は、はい、こちらこそ、娘をよろしくお願いします。」


やっと返事が聞こえた。
この二人から察するに、娘のクオリティはかなり期待薄か。
ハァ…俺の人生、詰んだな。

そして極め付けはこの弟。
口を開けたまま、まだ俺に見入っている。
いくら俺が世にも稀なる美しさだって、珍獣じゃねぇんだからな。
そしてこいつは呟いた。


「なんで…姉ちゃん……?」


ほら見ろ。
身内だって不思議がってんだ。
それくらい俺とは釣り合わない女ってことなんだろ。
覚悟を決めたはずなのに、決心が揺らぐ。
今からでも破談にできないのか。


「そしてこちらがお前の妻となるつくしさんだ。」


俺は親父の手の先に顔を向けた。
すると女はゆっくりと顔を上げた。
綿帽子の中に、和装用の化粧をされた顔が見えた。
卵形の顔に小さな赤い唇をした女の伏せた瞼が長い睫毛と共に持ち上がる。
その先に現れたのは艶のある大きな黒い瞳だった。

俺の目が女の目を捉え、女の目が俺の目を捉え、視線が通じ合った。
すると女は僅かに頭を傾け、ニコッと微笑んだ。

その瞬間、俺の中で鐘の音が鳴り響いた。
頭の中のリ〜ンゴ〜ンというその響きは、祝福の鐘声なのか、葬送の梵鐘なのか判断がつかないまま、長い余韻にその後の会話は耳に入らなかった。
そうして破談にしたいと思ったことも忘れて、初めて会った妻となる女から目が離せないまま、そのうちに式場案内係が入ってきて俺たちは並ばせられ、神殿までの廊下を女と並んで歩いた。
もう一度顔が見たいと横を見ても、それはまた綿帽子に隠れていた。

神殿に入り儀式が始まる。
神主が最初に一同の穢れを祓い、祝詞を奏上する。
三三九度の盃を交わし、これで永遠の契りは結ばれた。








式の後の記念撮影までを終えて俺たちは屋敷に帰ってきた。
俺の結婚はこの写真と共にマスコミに発表されることになっている。
が、妻の披露目はシキタリによりまだできない。
そのため妻の名は伏せられ、マスコミ発表用には女の顔が見えないものが使われることになった。

女の家族は自宅に帰り、親父とお袋はNYに、姉貴はLAに帰って行った。


「司、後は頼んだぞ。」

「司さん、夫婦仲良くね。」

「司、可愛い奥さんでよかったわね! 私も妹ができてうれしいわ。また来るわね〜」


終わってみれば1時間足らずのことだった。
俺は南棟、あいつは北棟に戻っている。
今日はこれで初夜の渡りまでもう会わない。
日常でも俺が渡らなければきっと会わないだろう。

時刻は午後の3時を過ぎたところで、渡りまでにはまだ6時間近くある。


「旦那様、奥様はどのような方でした?」


俺が脱いだ装束を抱えながら森川が聞いてきた。


「わからん。」

「お会いになったのでしょう?」

「会ったが、綿帽子を目深にかぶっていたし、和装用の厚化粧でどんな顔をしているのかわからなかった。」

「印象に残ったことなどないのですか?」

「印象に…?…目が大きかったかな。」

「そうですか。今夜が楽しみですね。」


今夜…やっと女を抱けるのか。
そういう欲求が芽生えてからずっとこの日を待っていた。
妻を抱く前に他の女を抱けば、周囲に災いが降りかかると教えられてきた。
じゃあ、早く結婚させてくれと親父に詰め寄った若い時代もあったが、それも笑い話だ。

よく耐えた、俺。
この試練もあと数時間で終わる。
そして今度こそ、あいつの顔をしっかりと見られるだろう。

・・・いつもはシャワーで済ませるが、今夜は風呂にも入っとくか。









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2020.02.19




準備万端が整い、いよいよ渡りの時間だ。
森川より初夜の諸注意を申し送りされ、北棟に向かった。

今夜は見届け人が立ち会うことになっている。
俺たちが無事に事を成した証人になるためだ。
見届け人と言っても森川と島田だ。
俺にとっては空気みたいなヤツらだ。
特に気にならない。

初夜は一度しかしてはいけないって話もされたが、意味がわからない。
そう何度もするもんなのか?
セックスがどういうものかはもちろん知っていたが、実際に女はどう抱くのかを知ったのは法律で結婚が許される18歳の誕生日前日だった。
森川から講義を受けたんだ。
あいつ、あれでも妻帯者だからな。

そしてあの日の夜はヤバかった。
あれから右手とかなり親しくなったんだよな。
そんな日々が終わるかどうかはあの女にかかっている。
俺はいつまでも纏わり付く右手と、もういい加減にオサラバしたいんだよ。

事が終われば自室に戻ることになっている。
『妻と朝日を拝んではいけない』ってシキタリらしい。
そりゃ自分のベッドで寝た方がよく眠れるからだろ。







妻の部屋に入り、ベッドの傍に佇む。

ベッドの上で頭を下げていた女が顔を上げて俺を見た。
やっぱり昼間見た大きな瞳は化粧のせいだけじゃなかったか。
女はボーッと俺に見惚れていたかと思ったらムッとした表情になり、次にはパッと明るい顔になった。

ククッ、こいつ、面白いな。

もっと近くで見てやろうと俺はベッドに乗り上げた。
途端に焦り出した女。

俺の格好を見て今夜はやらないとでも思ったか?
森川が俺にも着物の寝衣を用意していたが、あんなダセェもんが着られるか。
いつもと同じ服装が落ち着く。
俺だって緊張してるんだから。

結婚式で見たこいつは厚化粧を施されていて、真っ白な顔に真っ黒い瞳と真っ赤な唇だけが浮き上がっていた。
いま、こうして化粧を落とし、素肌に近い状態で俺を見上げている女の頬は滑らかで、少しピンクに染まっている様が結婚式の時よりも若く見せている。
年は確か俺より1つ下だと記憶してるが、もっと若く見えた。
確かに可愛い…かもしれない。

近くで見ても滑らかな肌に俺は触れたくなった。
だから顔に手を伸ばした。
そういえば、なんて呼べばいいんだ?
名前はなんつった?


「お前、名前はなんていうんだ?」


俺の問いかけに、女は目を見開いた。


「へっ? 名前……ま、じゃない。つくし、つくしです。」


つくし?
尽くすの尽くし?
それとも美しいから取ってつくしか?
どちらにしても、


「つくし…いい名前だな。」


俺の妻にふさわしい名前じゃないか。
俺にも道明寺にも尽くしていく女だ。

急にこの女と共に歩く未来が想像されて、俺は自然と微笑んでいた。
すると女の大きな目がさらに見開かれた。
なんだ?
俺が言ったこと、可笑しかったか?


「「人に尽くす」の尽くしだろ? それに頭に「う」が付けば「美し」だ。そういう意味だろ?」


思ったことを正直に伝えたのがいけなかったのか、女は泣き始めた。
女という生き物が何を考えているのか全くわからない。
涙がハラハラと絹の寝衣に落ちている。
とにかく落ち着かせないと。
しかしそもそも泣いている理由はなんだ?


「なんで泣いてるんだ?」


俺の問いかけにつくしは視線を落とした。
その拍子にまた涙の雫が落ちた。


「…申し訳ありません……」

「なにを謝ってる?」

「私などが選考を通過してしまって、旦那様の妻などと。もっとふさわしい方がいらっしゃったでしょうに。申し訳ありません!」


つくしの言い分に俺は驚きを隠せない。
自分のために泣いていたんじゃないのか。
俺のために泣いていたのか?
何を謝っているんだ?

そのうちつくしはまたベッドに手をついて頭を下げた。
長い黒髪が白いシーツに広がって落ちた。

俺は途方にくれた。

今夜は初夜で、俺は夫として契りを完遂しなくてはならない。
なのに妻となった女は自分が妻で申し訳ないと泣いている。
女と親しく接したこともないのに、泣く女をなだめる術など持ち合わせていない。

俺はしばしつくしの様子を眺めていたが、このままでは先には進まないとベッドに突っ伏すつくしの顔を上げさせた。


「最もふさわしい女がお前だと選ばれたんだろ?」


優しい言葉をかけたつもりだったのに、つくしの綺麗な瞳からはますます涙が溢れてきた。


「旦那様…本来なら結婚相手は自分で選ぶものです。テストで選出するものではないんです。だってそこに愛情はないでしょう? 結婚は愛してる人間とするものなんです。」


自分で選ぶ?
そんなこと、考えたこともなかった。
愛が先で結婚が後だと?
俺の常識とは違う。


「それはつまり、お前は俺達の間には愛情がないからダメだと言いたいんだな?」

「いえ、そうではなく、旦那様には、」

「愛情はこれから生み出せばいいんじゃないのか? 俺の父母も祖父母も曽祖父母もみんなそうしてきたぞ。」

「旦那様には好きな女性はいないんですか!? これまで恋をなさったことは?」

「ない。」

「一度も?」

「ない。愛情はふさわしい女と結婚したら心に芽生えるものだと教えられた。違うのか?」


そうだ。
愛情は結婚の後だと教えられてきた。
庶民は違うのか?


「旦那様…うぅっ」


なぜこいつに泣かれなければならないのか、俺には全くわからない。
とにかく泣き止んで欲しいが方法が見つからない。

俺は言葉では無理だと判断し、つくしを引き寄せ、抱きしめた。
他人を抱きしめるのは初めてだ。
ましてや女なんて。
しかしなんて細くて柔らかいんだ。
そして鼻先をくすぐるつくしの甘い香りが、俺に今夜の本来の目的を思い出させた。


「つくし、俺たちは夫婦になったんだ。義務を果たさないといけない。」

「…義務?」


そうだ。
俺たちの義務は子を成すことだ。
後継者を産み育てることだ。

俺を見上げる濡れた瞳に吸い寄せられた。
その赤い唇を食べてみたい。

俺はつくしの顔に手を添えて、キスをした。
初めて触れたつくしの唇は、食べたことのない甘さと瑞々しさだった。


「美味いな…」


思わずつぶやきが出た。
女の唇がこれほどまでに美味だと思ったことはなかった。

呆然と固まっているつくしをベッドに横たえ、前で結ばれている腰紐を解いた。
やっと事態が飲み込めて我に返ったつくしは慌てだした。


「あ、あの、旦那様、待ってください。」

「司だ。司と呼べ。お前は妻なんだから。」


そのまま、もう一度先ほどの美味を味わいたいと、俺は腰紐を引きながらつくしに被さった。









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 司視点はここまでです。
 明日から2人の心模様を織り交ぜながらお届けします。


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2020.02.20