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俺の部屋でクッキーを見つめている牧野の姿に俺は猛烈な嫉妬を覚えた。
俺じゃない男に向けられた微笑み、愛しさ。
相手の男の痕跡を地球上から消してしまいたい。
でもそれは無理な話だ。
だって男は俺なんだから。

過去の幻影。

牧野の心を縛るのはそんな亡霊だ。
15年間、牧野を縛り続けたその亡霊から牧野を取り戻したい。


「牧野、今夜はお前にまだ見せたいものがあるんだ。」


クッキーから目を上げて、牧野が俺に向いた。


「それならタマさんに会わせてくれたじゃない。その他に?」

「ああ。行こう。」


クッキーの箱を目の前のローテーブルに起き、牧野の手の中の恋敵を取り上げて自分の口に放り込んだ。


「初めて食った。美味い。」

「でしょ? 今回のは全部食べてね。」


その細い手を取り、俺は部屋を出た。




***




廊下を進み、あるドアの前で立ち止まった。


「ここ…」


そこは牧野がメイドとしてこの邸に住み込んでいた時の部屋だ。
タマの計らいでなにもかも当時のままだった。

牧野は部屋に入り灯りをつけるとここでも周囲を見回し、ベッドの足許のフットベンチにバッグを置いてクローゼットを開けた。
そこには牧野が着ていた当時のメイド服が掛けてあった。


「何もかも、そのまま…」


俺もクローゼットに近づき、中を覗き込んだ。


「ああ。タマがそのままにしおいたんだ。お前が戻ってくるっていう希望を捨てたくないって。」

「タマ先輩が…」


牧野はクローゼットを閉じると今度はバルコニーに向かって歩き出した。
ガラス扉を開け、外に出た。
そこは15年前に俺が牧野に土星を見せた場所だ。

1月の末の空気は切るように冷たかったが、今夜は風もなく快晴だった。
部屋から漏れる光と月の光で影が十字に伸びていた。
牧野はバルコニーの手すりに身を乗り出し、顔を月に向けた。

その瞳には今、何が映し出されている?
あの時の土星が映ってるか?
そして18歳の男の顔が見えてるのか?
牧野、それは俺だ。
今に続く俺の一部だ。
お前が求める男は俺なんだ。


「…あの時、ここで土星を見たの。」


牧野は月に語って聞かせるようにして話し始めた。


「可愛くて綺麗で、ネックレスにしたい大きさだねって言ったら、本当にネックレスが出てきた。」


俺は牧野の背後に回り、胸ポケットから取り出したものをその首にかけた。


「何…?」


牧野がそれに触れた。
それが何かすぐに気づき、俺を振り返った。
その顔は驚きから怒りに変わろうとしていた。


「これ…土星のネックレス…勝手に持ち出したの?」


そして俺の返事を待たずにそれを首から外し、部屋の中に入っていった。
俺もあとを追う。


「勝手に人のクローゼットに入って、探し回ったの? 信じられない。」


そう言ってそれを仕舞おうとフットベンチの上のバッグに手をかけた。


「よく見ろ。それはあれじゃない。」


背後から聞こえた俺の声に動きを止め、牧野は手を開いてそれを見つめた。


「あれに使われてたのはルビーとダイヤだったろ? でもそれにはルビーの代わりにブルーサファイアを使ったんだ。」


そう、俺は新しい土星のネックレスを作らせた。
ルビーをブルーサファイアに代えて。

牧野は振り向き、眉根を寄せて俺を見上げた。


「なんでこんなことしたの? 新しいのなんていらないって言ったじゃない。」

「32のお前に似合うようにしたんだ。今の俺から今のお前に贈りたかった。あれは18の俺が17のお前に贈ったものだったから。」

「だから、あれで十分だったのに。あれはただのネックレスじゃないでしょ? 作り変えればいいってものじゃないわよ。」


俺は牧野に近づき、サファイアがちりばめられた土星のネックレスをもつ手を取り、その手を開いた。


「見ろ。このブルーサファイアの一粒一粒がまるで雨粒みたいに見えないか?」

「え…?」

「あの時、ここでお前に土星を見せて、ネックレスを渡して、期間限定でちゃんと付き合わないかと話したよな。」

「そう…道明寺が、」

「俺だ。」


ネックレスを見ていた視線をまた俺に戻した。


「その道明寺は俺だ。あの時、まさかあんな夜が来るなんて想像もしてなかった。まさか雨の中でお前と別れることになるなんて。」


牧野は俺をじっと見つめていた。
その顔は青冷め、歪み、苦しげだった。


「俺は雨の中で動けなかった。お前が去っても、雨がどんなに冷たくても、俺はその場から動けなかった。ただお前の言葉だけが頭の中を支配してた。」

「あ、あたしが言ったの…『もし、あんたを好きだったら、こんなふうに出て行かない』って。」

「でも、好きだったんだよな? 俺を好きだって気づいたんだよな? あの雨の中で。」


牧野は青い光を放つ土星のネックレスを握りしめ、強く目を閉じ、祈るようにその手を額に当てた。


「牧野、“ 道明寺 ” はもう18歳じゃない。もうあの雨の中にはいない。雨から抜け出して、自分の人生と向き合い、大人になった。そしてもう一度お前と出会った。お前がずっと好きでいてくれた “ 道明寺 ” は俺だ。俺を見ろ!」


肩をビクリと揺らし、牧野はゆっくりと再び俺を見上げた。


「あの雨の中の別れは俺たちの歴史の一部だ。大切な一部だ。でもただの一部なんだ。俺もお前もあの日を通りすぎた。そしてそれぞれの15年を生きて、今またここで一緒にいるんだ。お前にルビーをはめ込んだ土星のネックレスを渡した時と同じに、ここにいる。」


震える牧野をそっと抱きしめた。


「お前が求める道明寺は俺だ。俺もあの夜からずっとお前が好きだ。」


胸に抱きしめていた牧野の顔を上げさせ、俺はゆっくりと口づけた。









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2019.11.01




優しく、優しく、唇をなぞる。
18歳の時のキス。
その先を求めるキスじゃなく、好きな女を慈しむキス。

力を抜いた牧野は目を閉じて俺に身を委ねた。
重ねて離して、また重ねる。
そして見つめ合った。
腕の中の牧野の瞳に自分が映っているのがわかる。
今日、33になった俺が。


「あんたが道明寺…」

「ああ。」

「あの雨の日にあたしを待ってた…?」

「ああ、お前が振り向いて戻って来てくれるのを待ってた。」


俺の顔をなぞるように見つめていたかと思ったら、牧野は俯いた。
その顔から落ちる涙の粒が見えた。


「ごめんね…気づいてた? 気づくよね。」

「牧野、」


溢れた涙をぬぐい、今度ははっきりとした表情で牧野は俺を見上げた。


「あたしは今のあんたを愛せない。」


きっぱりと告げられた真実に、息をしようとする喉が一瞬、ヒュッと音を立てた。


「同じじゃないの。自分でもわからない。でも同じじゃない。あたしにとって今のあんたは遠い人。なんだろう、道明寺のお兄さんとか言われたら納得できるようなそんな存在。」

「俺に兄貴はいない。俺は俺だ。お前が雨の中で別れを告げた男だ。」

「それはわかってる。その “ 事実 ” はわかってる。でもあたしがあの夜に好きだって自覚した道明寺は…あたしが今でも好きな道明寺は、あんたみたいな男じゃなかった。」

「牧、」

「キスでその気にさせて、慣れた手順で女を抱いて、一夜の関係を楽しむようなそんな器用な男じゃなかった。」


カッとなった。
それは羞恥だったのか、怒りだったのか。
とにかく頭に血が上った。


「14年経ってたんだぞ!? それも唯一愛した女を得られずに、他にどうやって生きろって言うんだ! お前だって人のことが言えるのか!?」


口から出た言葉は取り消せない。
男としてなんて情けないセリフだと思ったが後の祭りだ。


「そうだよ。あたしもあんたと同じだよ。もう17歳の勤労処女じゃない。照れ屋で意地っ張りで奥手だったあたしはもういない。男とバーで落ち合って体の関係を重ねるような女なのよ。あんただってそのことに落胆してたでしょ? そう感じてた。」


そう言って牧野は俺の腕を解き、手の中の土星のネックレスを俺の手に握らせ一歩二歩と後ずさった。


「あんたも17のあたしに会いたかったんだよ。あの夜に戻ってやり直したかったんだよ。そうじゃない?」


手の中の雨粒の光るネックレスが時間の経過の証だ。
互いに変わってしまった14年間の。


「あの時、俺がお前を引き止めてたら、お前は本当の気持ちを聞かせてくれたか?」

「…わからない。あの激しい雨の中で、どうしたかなんてわからない。」

「やり直そうぜ。」

「え?」

「今夜は晴れてるけど、やり直そう。」


俺は土星のネックレスをポケットにねじ込み、牧野の腕を取って足早に部屋を出た。

これからしようとすることがどう出るのかわからない。
終わりになるのか、始まりになるのか。
終わらせたくないのに、それなのにその場所に向かおうとしている俺はただの愚か者だ。

長い廊下を歩き、牧野を引きずるようにして邸も出た。


「ちょっと、止まってよ!」


しかし威勢良く飛び出したはいいが、この屋敷の敷地の広さを今日ほど恨めしく思ったことはない。
長い道のりを歩きながら真冬の冷気に晒されて俺の頭が冷えてきた頃、やっと門が見えてきた。
門を出てもあの場所まではまだ数百メートルはあるだろう。
間延び感が半端ない。
しまった、車で出るんだった。


「…は、離して、止まって…キャッ!」


掴んでいた腕がガクッと落ち、後ろにグッと引かれたのと、牧野を少し引きずったのは同時だった。
俺の速度で半分走るように歩いていた牧野の足がもつれ、倒れ込んだからだ。
振り向くと、牧野は地面に四つ這いの状態から座り込んでいた。


「すまん。大丈夫か?」

「ハァ…ハァ…だ、大丈夫じゃないわよ。あんた、自分の脚の長さを考慮しなさいよ。」


そう言ってヨロヨロと起き上がった牧野の綺麗な膝はストッキングが破れ、擦り傷ができていた。
怪我させてどうすんだよ。
俺の頭は完全に冷えた。
俺は額を押さえてハァァ…と大きくため息をついた。


「…もう、帰ろう? もう十分でしょ? 過ぎた時間はやり直せない。もう戻れないのよ。」

「別れる気か?」

「今はまだ、あたしからは言わない。別に急いでる人生じゃないし。あんたが決めればいい。あんたが納得するまで付き合うよ。」

「今の俺を愛せないんだろ?」

「そうだね。じゃ、別れたい?」


白い息を吐き、ノースリーブの上にジャケットを羽織っただけの牧野は寒さに震えながら小首を傾げてそう問いかけてきた。


「お前、いつからそんなズルい女になったんだよ。別れねぇよ! お前がどんなつもりでも俺は別れない。」

「わかった…」

「別れないって意味、本当にわかってるか?」

「…わかってる。いいけど、あんたこそいいの? きっと苦しいよ?」


愛されなくて苦しんだ小椋が浮かんだ。
でも小椋と俺は違う。
こいつが愛してるのは過去の俺だ。
だったら、今の俺にも可能性はある。


“ 僕は彼女の心を開かせようと躍起になってしまった。あの時、もっと冷静になっていれば、彼女には時間が必要なんだと思えたでしょうに。そうすれば、彼女の想いごと包めたかもしれない ”


牧野の想いごと包む。
俺にだってこいつしかいないんだ。
時間はたっぷりある。
急ぐ必要はないさ。


「お前を失う苦しみに比べたらそんなもん、苦しみに入らねぇよ。」


牧野は呆れたように横を向き、ハハッと力なく笑った。


「ほんっと、物好き。自分で言うのもなんだけど、あたしのどこがそんなにいいのよ。他の女性に目を向けなよ。…いっぱいいるでしょ。……寒っ…戻るよ。」


寒さから自分を抱きしめた牧野は方向を変えて邸に向かって歩き出した。
その後ろを追い、俺は自分のジャケットを牧野の肩に被せた。









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2019.11.02




傷の手当てをし、車に乗り、邸を後にしたマンションへの帰路、牧野はウトウトと船を漕いでいた。
その肩を抱いて考える。

本当なら今夜、こいつを取り戻しているはずだった。
でも、こいつは落ちなかった。

今日のことは全部、俺の一人相撲だったってことか。
ライバルは所詮、俺自身なんだからとタカを括っていたのかもしれない。
簡単に取り戻せる、と。

…まったく。
結局、またこうなるのかよ。
俺が追いかけて、こいつが逃げる。
地獄まで追いかけると宣言したあいつがライバルなんだ。
俺はどこまで追いかけると言えば響くんだよ。

だが望みはある。
こいつが俺と別れようとしなかったのが証拠だ。
なんだかんだ理由があったにしても、牧野は俺を捨てられないんだ。
だったら、今の俺を好きにさせればいいだけだろう。
器用な俺も好きになればいいんだ。

腕の時計を見れば午前0時を回ったところだった。
俺は総二郎に連絡を取った。


『よう、誕生日、終わっちまったがおめでとう。』

「ああ、サンキュ。」

『で、牧野は?』

「悪りぃな。今日はキャンセルだ。」

『だと思ったからこっちは楽しくやってる。でも、必ず会わせろよ。』

「ああ、必ず連れて行く。」

『それで、牧野はなんだって?』

「やっぱり、今の俺は愛せないとはっきり言われた。」

『ふーん。でもまぁ認めたってのは一歩じゃねぇか。これからこれから。』

「また連絡する。」

『ん。牧野によろしく。』


通話を切り、フゥと息を吐いて引き寄せている牧野の頭に頬を寄せると、俺も自然と目を閉じた。




***




翌日から俺たちの奇妙な同棲生活が始まった。
別れないことに同意した以上、牧野は俺の恋人だ。

俺は牧野のベッドで眠るし、抱き締めもする。
だが、さすがに体を求めることはしない。
俺が抱きたいのは牧野であって、牧野の顔した人形じゃない。


「はよ。」

「…おはよう…」


昨夜はマンションに着いて牧野を起こし、部屋に入ってバスルームに押し込んだ。
そして牧野が寝入ったベッドに俺が潜り込んで朝を迎えた。
牧野は起き上がって「なんでいるんだ?」って顔で俺を眺めている。


「えーと、あのさ、これを続けるの?」


俺はベッドの上で片肘をついて、座る牧野を見上げた。


「だって俺たち、恋人同士継続中だろ。」

「そう…だね。」

「無理矢理抱いたりしないから心配するな。」


俺に向けてた視線を逸らして牧野はベッドを降りた。


「…あんたは酔わないもんね。」


そう呟いて、バスルームに消えて行った。









「お前、明日休みだよな?」


共に朝食をとりながら向かいに座る牧野に尋ねた。


「だね〜。日曜日なのに。今度からまた元のシフトに戻してもらう。もう店長を脅したりしないでよ。」

「お前、往生際が悪いな。お前は俺の女なんだから俺に休みを合わせろ。」

「あんたの方が融通利くんだからそっちが合わせてくれたらいいじゃん。 日曜日にも仕事あるんでしょ?」

「あれはお前に会うために休日出勤してたんだよ! この涙ぐましい健気さをもっと評価しろ!」


驚いた牧野は目ダヌキみたいな顔になってる。


「え…日曜も会社はやってんじゃないの?」

「日曜は本来、毎週休みだ。お前に再会した日はNYとの衛星会議があったんだ。他の日はずっと休みだった。」

「じゃ、なんで毎回スーツ姿だったの?」

「だから…お前に会うのにカッコつけたかったんだよ! 仕事終わりにたまたま時間があったから立ち寄ったって設定にしてたんだ。だから朝からスーツ着込んで、誰もいないオフィスに勝手に出勤して溜まった企画書なんかを片付けてた。」

「……プッ! あはははっ」

「笑ってんじゃねぇよ。付き合ってからは毎週、日曜に休んでただろ。」

「そ、そうだけど、世界に本社・支社があるから会社自体は年中無休なのかと思ってた。フレックスなのかなって。だから日曜日に休みとる意味わかんなかったけど、今わかったわ。あははっ」


目に涙をためるほど牧野は笑い転げている。


「あー、可笑しい。笑い死ぬとこだった。」

「ったく、人の気も知らないで酷い女だよな。」

「ごめん。でも…可愛いとこあるね。」


クスリと笑った牧野の瞳がキラリと光った。
そんな表情を向けられたのは初めてで、俺は思わず赤面した。


「ん?どうしたの? 赤いよ?」

「うるせっ。」

「あははっ」


牧野は俺に対する心の痼(しこり)が取れたからなのか、これまでよりも格段に自然体になった。
自然に見せてくれる笑顔が可愛い。
そして朝からよく食べる。
ロールパンにバターを付けてカブりついてる。
それ何個目だ?


「明日、どっか行こうぜ」

「どっかなら昨日、行きましたけど。」

「お前さ、」

「ん?」

「今の俺は愛せないが、18の俺のことは愛してんだろ?」


その瞳は朝から光ったり曇ったり忙しい。


「そこまで言ったっけ?」


はっきり言われてないが、知ってる。
知ってるから言われたことにしよう。


「言った。『今でも好きな道明寺』って。」

「あー…そっか。うーん…まぁ、そうですね。」


照れたように鼻の頭を掻いた。
いちいち可愛いんだよ。


「お前が18の俺としたかったこと、全部しようぜ。だからまずはティーンエイジャーデートだ。」

「ティーンエイジャーデート?」

「お前が俺を庶民デートに誘ってくれたことあっただろ。ま、クズ野郎のせいで台無しになっちまったけど。」

「あー、優紀たちとダブルデートしたことあったね。それ?」

「ああ。明日は邪魔者なしだ。お前のリクエストになんでも応える。」

「ふーん…わかった。明日ね!」


楽しみだと言うように牧野は笑顔を見せた。
俺は事実を知ってから初めて心が温まるのを感じていた。
そうか、こんなことでよかったんだ。
こいつを俺に向き合わせるのに、大袈裟な演出はいらねぇ。
雨の中の別れがなければ過ごせただろう時間を取り戻してやればいい。

物思いにふけっていたら、牧野が食器を持って立ち上がっていた。
俺も立ち上がってキッチンに追う。


「なぁ、」

「まだ何かあるの?」

「これ、」


俺はスウェットのポケットからブルーサファイアが輝く土星のネックレスを出した。
牧野の視線が釘付けになる。


「今の俺を愛せるようになったら、これを着けてくれないか。」

「…もらう資格ないよ。」

「資格の問題じゃない。俺がお前に着けて欲しいんだ。」


牧野はため息をつきながら手を出した。
その掌に土星のネックレスを落とした。


「ハァ…わかった。ありがとう。」


牧野はもう仮面を被らなかった。









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2019.11.03




牧野のリクエストは「あの日のやり直し」だった。
翌日、俺たちはあの遊園地に出かけた。
今の俺なら、かの有名なテーマパークを急遽、借りきることもできるが、それは牧野のしたかったことじゃない。
俺たちは一般客に混ざって歩いていた。
が…これ、確実にSNSに晒されるだろ。


「ねぇ、これマズイよね。」


牧野がチラリと周囲を見回した。
何人かが俺の名前を囁きながら、コソコソとスマホをかざしている。
そして時折、シャッター音が俺たちにも届いた。


「今はインスタとか? ツイッターか? 晒されるんじゃないか?」

「ゲッ! ヤバイ…」

「昔はよかったよな。フェイスブックはまだできたばっかで日本では普及してなかったし、ツイッターなんて存在自体なかったし、スマホの普及率もそうでもなかったし、せいぜい、解像度の悪い写メを友達に送る程度か。今は一般人がマスコミ化してるからな。」

「…帰ろうか。帰ろうよ。」

「怖がるな。」


牧野の手を取り、ズンズンと歩いた。
当時経験した思い出せる限りのアトラクションに乗り込み、最後は観覧車だ。

その間、俺の携帯にはサウジのあきらとイタリアの類、オーストリアにいる三条やNYの滋、そしてついにはLAの姉ちゃんからも連絡が入っていた。
それは日本のちっせぇ遊園地でのツーショットが全世界を駆け巡ったことを意味していた。
つまりは、あの女も情報を掴んだってことだ。

俺が牧野という幸福と生涯を共にするためには、あの女との対決を避けては通れない。
あの女にとって俺はどこまでも駒に過ぎないが、俺はもう無力な駒じゃない。
ただの「歩」も「と金」になれる。
捨て駒である「歩」だって上手く使えば王将を追い詰めることができるんだ。


「あんたって目立ち過ぎ。」


観覧車に乗り、あの時と同じに向かい合わせに座った。


「いい男がいい女連れてたらそりゃ目立つだろ。」


俺を見ていたのに、牧野はプイッと横を向いた。


「そういうことも言うようになったんだもんね。昔はブスだなんだって言ってたのに。」

「バーカ。昔からいい女だと思ってたけど、照れてただけだ。じゃなきゃ、俺が惚れるかよ。」

「照れなくなったのが時間の経過でしょ?」


こいつはどうしても今の俺を否定したいらしい。


「あの時さ、キスする寸前だったよな。」

「はぁ?」


そっぽを向いてた牧野をこちらに向かせる効果はあった。
すかさず後頭部を引き寄せて触れるだけのキスをした。


「〜〜〜っ!!」

「すっげ、赤くなってんの。」

「バカッ!」


こういうやりとり、懐かしいな。
軽いキスだけで照れたり舞い上がったり。
少しのことで幸せを感じてた。
あの頃の俺にしたら、抱けないことなんて贅沢な悩みだよな。

顔を赤くしたまま俺を睨んでる顔が煽ってくる。
堪らなくなってもう一度キスをしようと近づいた時だった。


「ぉ疲れ様っしたーー!!」


観覧車の扉がガタンと開けられた。


「チッ! 邪魔すんな!」


そう言って降りれば牧野がクスクスと笑いをこぼした。


「んだよ」

「プクククッ、あの時とおんなじ反応だから…」


俺たちには確かに15年が経過したが、人間、変わらないこともある。
性格や癖なんかはなかなか直らないし、一度好きになったものを嫌いになることもそうそうない。


「変わったと思っても、変わらないものだってあるだろ。誰でもそういうもんだ。」

「そうだね…」

「次に行くぞ。」


俺たちは次の目的地に向かった。








「で、映画ってお前もベタだな。」

「仕方ないでしょ!目立たないで楽しめるとこって他に思いつかなかったんだから。」

「でも結局、チケットを買う時に思いっきり目立ってたけどな。」

「うぅ…」


こいつは俺のせいで目立ってると思ってるが、こいつ自身も十分に目立ってる。
今日の牧野は遊園地デートで歩き回ると踏んだんだろう。
スキニーデニムにハイカットスニーカー、ボアブルゾンというカジュアルスタイルだが、まとめきれないフワフワと巻いた後れ毛が色っぽい。
耳には誕生日に俺が贈った揺れるダイヤのイヤリングをし、化粧で大きな瞳がさらに印象深くなった顔は男の目を引いてることにこいつは気づいてない。
だから次から次へと言い寄られる事態に陥るんだ。


「ほら、お前も目立ってるぞ。こっちだ。」


牧野の手を引いて入ったのはカップルシート利用者専用ラウンジ。


「え? なにここ?」

「カップルシート利用者専用ラウンジだ。何飲む?」

「カップルシートぉ!?」

「目立つの嫌なんだろ? プレミアムにしといたぞ。」

「何が違うのよ。」

「普通のカップルシートは2席が連なってるだけだけど、プレミアムはボックスだって店員が言ってた。周囲の目は届かないから安心だろ?」

「安心…なのかなぁ?」


思い切り怪訝な表情で首を傾げた。


「安心、安心。さ、好きなもの飲め。これもチケット代に含まれるんだから。」


そう言えば気を取り直した。
昔から『もったいない』が好きな女だもんな。







上映開始時間が近づいて、俺たちはドリンクを持ちシートに向かった。


「な、な、なにこれぇ!?」


そのボックス席にあるのはカウチソファだった。
奥側がカウチになっている。


「へー、映画館てすげぇな。イチャつきOKってことか。牧野、あんま大きい声出すなよ。」

「イチャつくか!!」

「だから、それ。」


ハッとして口元を押さえた。
ボックス席は一般客の後方に位置しているだけで、ガラスの仕切りがあるわけじゃない。
普通に話せば声は筒抜けだろう。


「お前は奥に座れ。」

「ヤダよ。座るっていうか寝るになるじゃん。」

「寝てもいいぞ。終わったら起こしてやる。」

「だからそれがっ…嫌だって言ってるでしょ…」


ついつい声を張り上げてしまう牧野は、また口元を押さえて囁いた。
そして最後は牧野が折れて靴を脱いでカウチに脚を投げ出して座った。
あー、スカートだったらなぁ。
弾力のいい腿を撫でてぇなぁ……

って、マズイ…
禁断症状だ。
ついついあらぬ妄想に囚われてしまう。
これじゃ本当に18のガキみたいだ。

俺もソファに座り、隣の牧野を抱き寄せた。


「ちょっと…」

「なんかさ、あの時みたいだな。」

「あの時?」

「お試し交際の時。俺はお前を好きで、お前はまだ俺を好きじゃなくて、これ以上の接触ができなかった時。お前ってほんと、焦らすよなぁ。」

「焦らしてるつもりなんてないけど…」

「ほら、始まったぞ。」


カップルシートの有無で選んだ映画は予想した通りの恋愛映画らしかった。
らしいってのは俺が見てたのは映画を観る牧野だったから。
と言っても、見下ろす俺から見えるのはスクリーンからの光に照らされる牧野の前髪と鼻の頭、時々、瞬きをする睫毛の動きくらいだ。
こっち見ねぇかな…
と思っていたら30分くらいして牧野が俺の腕の中から体を離して俺に向いて耳元で囁いた。


「あのさ、この体勢、観辛いから、手、繋ごう。」


牧野からの提案に一瞬、呆けてしまった。


「手?」

「そう。妥協案。じゃないとあんた、騒ぐでしょ。」


本当は離れて欲しいがそれを言えば俺が騒ぎ出して迷惑だから、と言いたいらしい。


「おう、いいぞ。」


30過ぎた男女が今更手を繋いだくらいでなんだって思うが、これが案外、いいものだ。
直接、肌と肌が触れるからだ。
たかが手と侮れない。
俺は牧野と指を絡めた。

おい、牧野の中の18の俺、見てるか?
お前は33になってもまだこいつが好きなんだぞ。
長い長い片想いがやっと実ったって思ったのに、言うに事欠いてお前に邪魔されるとはな。
牧野は気づくまでは鈍感だが、自覚したからには頑固な女だよ、まったく。
牧野の中のお前が成長してくれなきゃいつまで経っても俺はこいつを手に入れられない。
それはお前だって不本意だろ?
だから早く俺に追いつけ。
俺も手伝ってやるからよ。

座ったまま牧野に近づき、繋いだ手をグッと引いた。
牧野が視線はスクリーンを見たまま、「なんだ?」と言うように俺の肩に頭を預けてきた。
だから今度は俺が上から囁いた。


「好きだ。」


ビクッと肩を揺らした牧野が俺を見上げた。


「牧野、好きだ。お前も俺を好きになれ。いや、もう好きだろ。お前は俺が好きだ。好きだ、好きだ、好きだ……」

「ちょっと、呪文唱えるのやめて映画観て!」

「つまんねぇ。」

「……終わった後にあらすじ聞くわよ。言えなかったら寝室は別ね。」

「んだとっ!………わかったよ! 見りゃいいんだろ、見りゃ!」


俺は牧野の膝を枕にして寝転び、スクリーンを向いた。
おお、このカウチソファの使い方はこれか。
…でも待て。
これじゃ、視界に手すりが入ってスクリーンが見えねぇじゃん。
設計ミスだな。


「なにしてんのよ!」


牧野が怒りながら囁く。
器用なやつだな。


「彼女の膝枕で映画鑑賞中。」

「………ハァ…」


映画は邦画で、愛し合ってた恋人同士だったのに、男の方が記憶喪失になっちまう話だった。
自分の恋人を忘れて別の女を恋人だと思い込む悲劇だ。


「こいつ、バカだよな。忘れたって間違うかよ。」

「黙って観て。」


あー、なんかすげぇカップルっぽい。
正直、映画なんて配給会社にデータを持って来させて部屋の大型テレビで観りゃいいじゃんと思うが、一般客を睥睨しながら二人だけの空間で息を潜めてるってのがいい。
牧野の太腿の程よい弾力が頬に伝わる。
直接、触れたい。
そうか。やっぱり今度は部屋で観よう。
牧野の生足で膝枕してもらって。








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2019.11.04




映画を観て、牧野のリクエストですき焼きを食って帰ってきた。


「あそこで許すか?」

「だって、記憶なくしたのは彼のせいじゃないでしょ? 彼女は思い出してくれるのを待ってたのよ。」

「あの親友とくっつきゃいいのに。」

「あたしは彼女の気持ちわかるなぁ。」


俺はなんとか映画のあらすじが言えて、寝室別は免れた。


「ハァ…疲れた。けど、楽しかった。ありがと。じゃ。」


自分の部屋の前で俺を向いてそう言った牧野は、何食わぬ顔で部屋に引っ込もうとした。
だから俺はその肩を掴んで振り向かせた。


「おいおい、待て待て。」

「ん?」

「とぼけてんじゃねぇよ。なに引っ込もうとしてんだよ。寝室は一緒だろ。」

「あ、ですよねー。じゃ、お風呂から出たらそっちに行くね。」

「待て待て待て。出たらじゃねぇって。風呂も一緒だ。」


牧野はため息をついて頭を抱えた。


「あのさ、確かに別れるかどうかは任せるって言ったし、あたしもわかったって返事したけど、でもお風呂は嫌。」

「でも前は入ってたろ。」

「あ、あれは不可抗力というか…とにかく、どうしてもって言うなら出て行く。出て行ったって別れることにはならないんだし。」


そこまで言われたら見送るしかない。


「フンッ! わかったよ。後でな。」


これは長期戦になりそうだな。
まずはどうすっかな。





自室のバスから上がり、ベッドの淵に腰掛けて携帯を見たら着信とLINEの嵐だった。
俺はその中の一番使えそうなヤツに連絡を取った。




***




コンコン


「入れ」


牧野はパジャマにしている長袖のロングTシャツにレギンス姿で現れた。
髪は緩く編んで左肩に下ろしている。
湯上りの素顔には17歳のころの名残がある。
だから俺は化粧を落とした顔も好きだった。

この女を抱けたらどんなにいいだろう。
だが、目の前の女は唇を引き結び、視線には警戒心を携え、その表情にこれから眠る気持ちの安らぎは見られない。

牧野は俺の反対側に周り、ベッドに入って向こうを向いた。


「おやすみ。」


俺はクローゼットで着替えて寝室に戻り、灯りを消してベッドに入った。
抱けないけれど、抱きしめることはできる。
牧野の体に片腕を回して引き寄せた。

俺のことを好きじゃない女と眠る。
正確に言えば「今の俺」だが。
「今の俺」は好きじゃないが、「過去の俺」のことは愛してる…
それはどんな心理状態なんだ。
過去の人間を愛するってのはどんな感覚だ。


「牧野」

「…なに?」

「今日、楽しかったつったな?」

「うん、楽しかったよ。」

「それはあの時、 15年前に “ 道明寺 ” と過ごした1日より楽しかったか?」


牧野は考え込んだ。
しばらくして寝返りを打ち、少し距離を空けて俺に向いた。


「あのさ、あたしはあんたを嫌いなわけじゃないよ?」


暗い室内で、俺もまた牧野を見つめた。


「今のあんたのことも好きだよ。あんたの求める『好き』じゃないだけで。」

「男に対する恋や愛じゃないってことだろ? でもお前が愛してる男も俺なんだ。一体、それはどんな感覚なんだよ。」

「…理解できなくて当然だと思う。でもあんたにもあるんだよ、そういう感覚が。」

「俺にはない。」

「あるよ。あんたが熱烈に恋してくれた17歳のあたしがあんたの心の中に宝物みたいに仕舞われてるの。だから今のあたしに過去のあたしを探したでしょ? そしてもういないんだって思って寂しさを感じたことがあるはずなのよ。違うとは言わせない。」


違うとは…確かに言えなかった。
17歳の牧野のあの小気味いいほどの潔癖っぷりを懐かしんだ瞬間は確かにあった。


「あたしにはあんたの感覚の方がわかんないわよ。15年も経って、すっかり変わってしまった女をどうして愛せるのか。どうして過去に重ねられるのか。あんたこそ、もういい加減に夢から覚めなよ。」


俺は起き上がってナイトテーブルの上のランプを点け、ヘッドレストにもたれかかった。


「じゃ、俺たちは互いに過去の思い出にしがみついてるってわけか?」


牧野も起き上がって片手をベッドについた。


「そういうこと。あの時に手に入らなかったものが期せずして目の前に現れた。そして簡単に手に入った。だから執着してるに過ぎない。あたしもあんたも過去の代替え品なんだよ。早くそれに気づいてよ。」


それだけを言って牧野はまたベッドに潜り込んだ。


「明日は仕事だよ。もう寝よう。」


でも俺は牧野の言葉を理解するのに時間がかかって、そのままじっとベッドの上に座っていた。

過去の代替え品…

その言葉に反発したいのに、納得なんてしたくないのに、ストンと落ちた胃の中から出て行ってくれなかった。

過去の代替え品…

俺も、こいつも、二度と取り戻せない一期一会の残骸なのか?
ガキの時に欲しくても得られなかったものが、大人になったからって簡単に手に入っただけか?
だから俺はこいつの中に17のこいつを探してしまうってのか?

それはつまり、こいつが今の俺を見ていないように、俺も今のこいつを見ていないってことになるのか?

すると、その事実が指し示す未来が急に目の前に現れた。
それは俺が望む未来とはかけ離れた光景だった。

俺はもう一度牧野の横に滑り込み、背中から牧野を抱きしめた。
両腕を絡めて、俺の体に沿うように強く引き寄せた。


「…寝かせてよ。」

「怖いんだ。」

「え?」

「お前を失うのが怖い。またあの雨の夜が来るのが怖い。お前のいない人生を独りで生きていくのが怖いんだ。」

「………」


牧野は俺の手を解いて寝返りを打ち、俺に向いた。
ランプの光が牧野の顔の片側に当たって、俺を見つめるその瞳も片方だけ輝いた。


「独りじゃないでしょ? あんたを大切に思って愛してくれる人はたくさんいるでしょ? 名前じゃなく、財産じゃなく、容姿じゃなく、あんた自身を愛してくれる人はたくさんいるわよ。」

「たくさんなんていらない。ただ一人いてくれればいい。」

「そういう人とも出会える。それはあんたの心次第で見つけられる。いつかも言ったでしょ? あんた自身が相手の本質を知る努力をすればいいんだって。」


俺はなんだか泣きそうになって、まるで幼い子供のように首を横に振っていた。


「そうじゃない。そうじゃないんだ。出会いたくない。俺はお前がいいんだ。お前じゃないとダメなんだ。牧野つくしを愛してるんだ。」


駄々をこねるような俺の様子に、牧野はまるで庇護者のように微笑みながら一つ息を吐いた。


「そっか……ありがとう。」


そして牧野は頭を起こして、俺の頬にキスをした。
それは子供をなだめる慈愛のキスだった。
でも俺が求めてるのはそんなキスじゃない。


「な、約束してくれないか。」

「なにを?」

「俺を、今の俺を好きになる努力をするって。」

「………」

「俺を過去の俺とは切り離して、全く別の男だと思ってくれないか。別人として一から惚れてほしい。俺もそうする。お前を17歳の牧野つくしじゃなくて、去年出会った32歳の牧野つくしとして愛するから、だから約束してくれ。」


牧野は真摯な表情で俺の話を聞いていた。
そして静かに頷いた。









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2019.11.05




翌月曜日、出勤早々、秘書が告げたスケジュール変更は俺の予想通りだった。


「朝一番で社長がお話があるそうです。動画通信のご準備を。」

「…わかった。」


日本本社代表のスケジュールをなんだと思ってんだ。
あの女はまだ俺の母親気取りが抜けていない。
自分で捨てた母親の地位にいつまでしがみ付くつもりなんだか。


東京 9:11 <=> NY 19:11


PCモニターにはバーチカルブラインドが引かれた窓をバックに社長・道明寺楓の姿が映し出された。
還暦前とは思えない風貌が新しい仇名を彼女につけた。


“ Timeless woman_時間を超越した女_ ”


老いることを忘れたように時間の経過を超越する女。
つまり、いつまでも若々しいということを言いたかったおべんちゃらだ。
だが俺には別の意味に響いてくる。
なぜならこの女はかつての敵のことも忘れないからだ。
何年経とうが攻撃し、報復する。
それはまさにこの女の前には時間など存在しないかのようだった。

秘書を下がらせ、部屋に一人で画面に対峙していた。
俺は悪魔に助けを請うようにデスクに肘をついて手を組んだ。


「おはようございます。」

『こんばんは。』

「そちらの状況はいかがですか?」

『変わりないわ。』

「そうですか。日本も変わりなく順調です。」

『そのようね。数字には満足よ。』

「恐れ入ります。」

『数字には…ね。問題はあなたのプライベートのようね。』

「私のプライベートですか。なにか社長のお気持ちを乱したでしょうか。」

『あれはデートの画かしら。世界中に拡散されたようだけど。』

「ああ、昨日の件ですか。ええ、数ヶ月前からお付き合いさせて頂いている女性と出掛けた際に撮られたようです。マスコミにはもう手を回しました。」

『…あれは牧野さんね?』

「さあ…そんな名前だったか…」


女はクッと片頬を上げた。
それは笑顔という代物ではない。
ましてや微笑みでもない。
陥れる獲物を見つけた獣の舌舐めずりだ。


『性懲りもないわね。』

「先日、私にご一任くださるとおっしゃいましたので、後継者について至極、真面目に考えました。その結果です。」

『後継者について考えたのは殊勝な心がけね。あなたがその気になったのなら、すぐにでも道明寺に相応しい方を用意するわ。やはりわたくしの力が必要なようですからね。』

「いえ、それには及びません。私の最高に貞淑な妻候補はもういます。」

『最高に貞淑な? 一度、結婚して別の男のものになった女性が?』

「その件でしたらご心配には及びません。彼女が愛しているのは昔も今も私だけです。仮初の夫婦生活など、とるに足らないことです。」

『………また…繰り返す気?』

「社長、私は社員の一人ではありますが、社長の持ち物ではありません。私のプライベートは完全に私のものであり、社長にご関心をいただくことではありません。でももし、それでも干渉したいとおっしゃるなら…」

『なら?』


俺は組んだ手から顔を上げ、女を見下げるように顎を上げ、女に倣って片頬を歪ませた。


「あんたを道連れにして地獄に堕ちてやるよ。」


牧野に『地獄の果てまで追いかける』と言ったことがあったが、そもそもあいつなら地獄には落ちない。
落ちるのは俺とあんただ。
牧野は追いかけて来てくれねぇだろうがな。


『ハッタリまでご立派に?』


女は嘲笑を放った。
その顔の映る画面に向けて、俺は引き出しから取り出したものを手の中でぶら下げて見せた。


「これはUSBだ。あるデータが入ってる。正確にはあるデータのコピーだ。元データはある仕掛けで隠してある。俺に何かあればそれは世に放たれる。そうなればあんたも俺も終わる。つまり道明寺は終わりだ。きっとこの世から跡形もなく消え去る。」

『…フフフッ…ホホホホッ…なにかと思えば、スパイ映画でも見過ぎたのかしら? それともあの方の浅はかさが移ったのかしら。道明寺が跡形もなく消え去るようなデータなど存在しません。』


女の高笑いこそ、俺にはハッタリに聞こえた。


「そうですか。お心当たりはありませんか。では、イランの原油をロ…」

『司っ!』


女はいきなり金切り声を上げた。
それが俺の勝利への道標とも知らずに。


「社長、どうかなさいましたか? ああ、よろしければこのコピーをご覧になりますか?」

『………』

「今度、ご帰国の際にお見せしますよ。ああ、そうそう総帥にも報告しますか? クククッ」

『…それが取引条件というわけ?』


俺は勝利を確信し、USBを手に収めるとデスクチェアに背を預けた。


「死にますよ…」

『なんですって!?』

「今度、俺からあいつを奪ったら、あいつを殺して俺も死ぬ。そしてこのデータは放たれる。あんた方も道連れだ。」

『どうして…そこまで…』


女にもう余裕はなかった。
掴まれてはいけない情報を掴まれたのだ。
もうこの女に勝ち目はない。

俺はいつか復讐してやろうとこの時を待っていた。
そのためなら女の犬にも駒にもなりきった。
そして掴んだのは、アメリカから経済制裁を受けているイランの原油を、道明寺楓が総帥にも秘密裏に何重にも鍵をかけてロシアに設立した輸出会社を通して世界中に売り捌いているという情報だった。
取引相手には巧妙な仕掛けでロシアで産出された原油を買っていると思わせている。
が、実際はイランから安価な原油をロシアに輸入し、それを高値で転売しているのだ。
アメリカの経済制裁を受け、販路を失ったイランの原油は暴落した。
そこにこの女は目をつけた。

まったく、ビジネスマンとしては尊敬に値する。
道明寺が日本だけの企業ならそこまで咎められることはないだろう。
日本は昨年までイランの経済制裁適応除外国として、原油の取引が認められた数少ない国のひとつだったからだ。
しかしNYに本社を置き、アメリカの政界とも繋がっているとなれば、見過ごしてはもらえない。
輸出先にはアメリカメジャーの取引先もあり、アメリカ政府もメジャーも同時に敵に回すとなれば道明寺は終わる。

俺は本気だぞ。
次に牧野を失うなら、あいつを連れて地獄に堕ちてやる。
もう誰もあいつに触れさせないために。
これが狂気だろうが、鬼気だろうが構わない。
あいつと一緒なら地獄だって楽園だ。


「計算ができないわけじゃないだろう? たかだか女一人のために道明寺の全てを失うか?」

『その言葉、あなたにそっくりお返しするわ。』

「フックックックッ、まだわかんねぇか? 俺はなにも失わない。どっちに転んでも俺はあいつさえ手に入れば満足だ。」

『何があなたにそこまで…』


女は初めて表情を崩した。
禍々しいものでも見たような、歪んだ女の顔に俺は愉悦を覚えた。


「あんたはわからなくていい。だが、俺には確実にあんたの血が流れてる。自分が至上だと思ったことには手段を選ばないあんたの血がな。今はそのことに感謝してる。お陰であいつを手に入れられるならあんたにも道明寺にも一片の情さえ沸かない。なんの躊躇もないし、この命さえ惜しくない。俺が欲しいのはあいつだけだ。さあ、あんたが選べ。」


モニターの向こうの女は今はもうデスクの上に肘をつき、真っ白になるほど手を強く組み、俯いていた。
それはまさに神に祈るような姿だった。
神を散々に欺いてきた女が今更何を祈るのか。
それとも懺悔か。
懺悔ならば死ぬまでに終えなければ天国には行けないらしい。
じゃあ、今から始めなきゃ間に合わねぇな。


『……わかりました。お好きになさい。』


女はあまりの悔しさのためだろう。
この数分で年相応に老け込んだ顔を上げることもできずにそれだけ呟いた。
俺は居住まいを正し、にこやかに答えた。


「社長、ありがとうございます。せいぜい、私と彼女の幸福を願っていてください。今度、彼女にフラれたら八つ当たりに何をするか分かりませんからね。そして婚約の折にはぜひ、ご報告させていただきます。どうか、総帥にもよろしくお伝えください。」


この時俺は、この女だったら最後に仕掛けてくるだろう足掻きに思いを巡らせていた。









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2019.11.06




俺の誕生日から2週間が経ち、三条から知らされた帰国日に総二郎も合わせて4人で会うことになった。

この日のために仕事を詰め込んでいた俺は、早番だった牧野をピックアップし夕食を済ませ、総二郎の誕生日を祝った会員制のバーに向かっていた。
牧野は車内からコマ送りのように変化する景色を眺めている。


「西門さんと桜子かぁ。懐かしい。元気だったかな?」

「ああ、どっちも相変わらずなんじゃねぇか?」


後部座席に並んで座り、俺は牧野の手を握っている。
俺の誕生日以降、直接触れるのはこの手だけだ。
限られた接触を最大限に楽しむように、俺は牧野の手に視線を落として指を玩んでいた。


「あんたってさ、触り方がいちいち嫌らしいよね。」


つ…と、俺が視線を上げると車窓を向いていた牧野が薮睨みのような顔でこちらを見ている。


「そうか? もっとお前に触れたい欲求が漏れてんのかな。」

「欲求不満なら他で解消してください。」


カチンときた。
再び顔を窓に向けた牧野の横顔に俺は噛み付いた。


「お前のそういう発言て、なんか構ってほしい女の「気付いてサイン」だよな。面倒くせぇぞ。」


牧野はまたこちらを向いた。
その顔に嘲笑を携えて。


「フッ…構ってほしい? あたしがあんたに? 冗談でしょ。サイン出してるのはそっちじゃない。だからそれをよそで発散すれば? って言ってるの。」

「その発言が構ってほしい女の天邪鬼だつってんだ。そう言っといて俺が本当に他の女を抱いたら今度は傷付いたとかなんとか言い出すんだろ?」


牧野の目がスッと細まった。


「あんたと関係した女が増えたところであたしには何の感情も湧かないわよ。だってあたしが好きなのはあんたじゃないもん。」


それを言うとまた牧野は車窓に戻った。

ほんっと、この女は素直じゃない。
こいつがいくら昔だ今だと言おうが、それは俺のことに変わりない。
気になってるのに知らんふりをするのはこいつの悪い癖だ。


「お前、そんなこと言って後で後悔すんなよ。」


牧野は窓に向いたままで、仕事用にまとめた髪に行きすぎる街の光がチラチラと反射していた。


「後悔なんて、もう…………」


微かな声で発せられた牧野の最後の言葉は不明瞭で、俺にまで届かなかった。




***




2週間前、道明寺さんとの通話を終えた私はすぐに航空券を手配した。
そして今日、2年ぶりに降り立った日本はあいにくの曇天だった。


私は今、オーストリアに住んでいる。
牧野先輩失踪後、日本にいる意味をなくし、ドイツに帰った。
そこで出会ったのが今のパートナー。
彼の出身がオーストリアだった。
私たちは結婚はせず、事実婚の状態で暮らしている。
結婚なんて制度に縛られたくない。
子供を産むわけでもないし、生涯、この人だけと決めているわけでもない。
…いや、生涯にただ一人と決めた人には、別の女性がいるからだろう。
彼にも彼女が生涯にただ一人の人だ。
それは二人が引き裂かれてもなお、私の中に確信として残っていた。

その運命が今、動きだしている。
なのにこの私が傍観しているわけないでしょう?
聞けば、また二人はややこしいことになっているそう。
ま、あの二人にはややこしいがデフォルトですけどね。

先輩、私がいますから大丈夫です。
今度こそ必ず、先輩を幸せにしますから。ウフッ




***




俺たちは険悪な空気のままバーに入った。
バーテンダーにチラリと視線をくれて個室に向かった。


「先輩!」


店員が部屋の扉を開けた途端に三条の高い声が届いた。
俺の前を歩いていた牧野はビクリと背を伸ばした。
その牧野に三条が飛び掛からんばかりに抱きつき、牧野もそれを受け止めた。


「先輩、やっと会えましたね。」

「桜子…ごめん、ごめんね。」

「なんで先輩が謝るんですか。いつだって先輩は何にも悪くないんですから。」

「そんなことないよ。桜子…会いたかった…!」


その言葉を聞いた三条は牧野の肩から顔を上げた。
その目は牧野の背後にいた俺に向けられていたけれど、でも俺は映っていなくて、代わりに店内の光を受けて徐々に輝きだし、そして集まった光は涙となって頬を流れ落ちた。


「先輩…それはこっちのセリフですよ。会いたくて会いたくて、会わせてくれるように神様にお願いしてたんですから。」


二人は顔を見合わせてフフッと微笑み合った。








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2019.11.07




牧野と三条が涙で再会を喜び合っていると、個室から総二郎が顔をのぞかせた。


「おいおい、お二人さん、とりあえず入れよ。」


総二郎に促され、涙を拭った三条が牧野の腕を引いて部屋に入った。
俺は一人掛けに、俺の左手に牧野と三条が隣り合って、そして俺の右手、牧野たちの対面に総二郎が腰掛けた。


「西門さん、ご無沙汰してます。」


牧野が座ったまま頭を下げた。


「おう、元気だったか?」

「はい。西門さんはお変わりないですね。」

「おいおい牧野、あれから15年経ってんのに変わらないってのは男への褒め言葉じゃねぇぞ。」

「そっか。あはは」


挨拶を交わす間に俺と牧野の前に酒が出された。


「とりあえず、再会を祝して乾杯だ。」


総二郎が音頭をとり、4人でグラスを捧げあった。


「牧野、お前は変わったな。すげぇいい女になったじゃん。司の女じゃなきゃ口説いてる。」

「総二郎…」

「本当? 西門さんに言われたら本物かな。」

「お前…なんだその慣れた感じは。昔みたいに照れて噛み付いたりしねぇのか。」

「それこそいつの話よ。15年経ってるのよ?」


最初こそ緊張からか固くなっていた牧野だったが、すぐに解れて総二郎との隔たりはなくなった。


「でも先輩、本当にお綺麗になられましたよ? 相当、男に磨かれました?」


三条は俺の味方ではない。
こいつはどこまでも牧野の味方だ。
だから牧野が幸せになるように、今回こそ尽力すると宣言した。
それでいい。
俺の幸せに牧野が欠かせないように、牧野の幸せにも俺が欠かせない。
だとすれば、三条が目的を果たせば、俺も自動的に幸せになれる。
だからここは任せることにして俺は牧野の反応を伺った。


「そんなことないよ。あ、でも一回結婚したけどね。ダメだった。」

「「結婚!?」」


二人とも事情は知っているが吃驚の声を上げた。


「うん、27の時。いい人だったんだけどね。あたしが愛してあげられなくて離婚したの。」


牧野の隣に座っている三条がさらにズイッと近付いた。


「それはやっぱり、あの時から道明寺さんが好きだったからですか?」


牧野はチラリと俺を見た。
その目には猜疑心がこもっていた。
俺が二人に事情を話していると疑っている目だ。


「あたしには忘れられない人がいたけど、その人とは結ばれないから、相手の人に『新しい恋をしたら』って言われてこの人ならって思ったの。でもダメだった。それだけ。桜子は今、どうしてるの?」


自分から話を逸らすように牧野は隣の三条に向いた。


「私は今、オーストリアに住んでるんです。結婚はしてません。でもパートナーはいますよ。」

「パートナーって彼氏ってこと?」

「彼氏以上、夫以下。ですね。私は結婚する気はないので。」

「へー、やっぱ桜子は桜子だねぇ。相変わらず綺麗だし、年取ってないよね。秘訣は?」

「ふふ、それはやっぱり恋ですよ。ね、西門さん。」

「そこで俺に振るか? 俺は恋とは無縁だ。」

「えっ、西門さんも独身?」

「当たり前だ。まだ33だぞ。結婚なんて50過ぎたら考えればいいんじゃねぇの。」

「あはは! 西門さんらしー。恋とは無縁でも女とは無縁じゃないんでしょ?」


俺はロックを片手にただ3人の会話に耳を傾けていた。
牧野がいると、その場が温かくなる。
仲間とのこんな会話も、牧野が中心にいれば聞いてるだけで思わず表情が緩んだ。


「司だってお前と再会するまで恋には無縁でも女には無縁じゃなかったぜ。な?」

「グッ…ゲホッケホッ…そ、総二郎! テメェ、いきなり何を言い出すんだ!」

「そう言えば、NY時代は何度もパパラッチの餌食になってましたよね? 日本では少なくなりましたけど、でもやっぱり報道されてましたもんね。」

「だろ? いい女でいる秘訣は恋でも、いい男でいる秘訣は恋じゃなくていい。って話だ。だから牧野、再会した時、こいつ、いい男になってただろ?」


総二郎が仕掛けた。
仕掛けられた牧野は表情を変えず、会話の流れの笑顔のまま答えた。


「そうだね。別人みたいにスマートになってたよ。猛獣使いは誰だったの?」


総二郎のジャブをまずは卒なくかわし、牧野は自分をガードしながらフックを繰り出した。


「あー、あれは3人目の年上の女じゃなかったか? お前に男のイロハを教えてくれたんだったよな?」


総二郎と牧野の静かなる戦いの巻き添えを食う俺。
…総二郎、俺のためだと信じていいんだよな?


「あ? 知らねぇよ。」

「年上ね。シスコンだもんね。そのくらいがちょうどいいよね。」


牧野がにこやかに答えた。
今の右ストレートは俺に入ったぞ。


「でもそれもすぐに飽きちまったよな? いや、なんせこいつの師匠は俺だからさ。俺が司に女遊びを教えたんだよ。」

「フフッ、西門さんなら間違いありませんね。別れるところまでしっかり面倒みてくれそう。」


今夜の三条は総二郎のセコンドらしい。


「だろ?」

「お前ら、いい加減にしろよ!」


こんなんじゃ牧野はますます昔の俺に囚われるだろっ!


「司、牧野に再会するまでどれくらい修行積んだ? 30か? 50だっけか?」


俺は耐えきれずに立ち上がっていた。


「馬鹿野郎!! そんなにいるか! 10もいねぇよ!!」


しまった!と後悔した時には後の祭りで、総二郎も三条もニヤニヤと俺を見上げていた。
牧野だけは呆れたような冷めたような視線で俺を捕らえていた。


「あら、じゃあ随分と効率よく修行なさったんですねぇ。で、先輩は?」

「えっ?」


いきなり矛先が自分に向いて、牧野は少し飛び上がって三条を見た。


「先輩は何人の男性と修行なさいました?」

「えっ!? あたし?」

「牧野、付き合った数なんて聞いてねぇからな。男と女の話してんだからな。おい司、とにかく座れ。」


総二郎が立ち上がり、俺の肩を掴んで座らせた。
そして自身も座ると答えを促すようにまた牧野に向いた。


「あたしの話は別にいいでしょ。大した経験してないから。」


すると、それまで軽薄な笑みを浮かべていた総二郎は眼差しを尖らせ、膝に腕をついて前屈みになって牧野を下から覗き込んだ。


「牧野、フェアに行こうぜ。」


総二郎のその言葉の意味を牧野は正確に捉えた。
牧野は総二郎の眼力に負けないようにジッとその瞳を見返していたが、一瞬目を伏せ、大きく息を吐き出した。


「4人よ。」

「それは司を入れて?」

「入れないで、よ。」

「へー、その年にしては大人しいじゃん。」

「でしょ?」

「で、鉄パンはいつ脱いだ?」

「…総二郎、もうやめとけ。」


聞きたくない
好きな女の初経験なんて聞きたくない。


「いいや、やめねぇ。お前らは二人とも夢を見過ぎなんだよ。いつまでもお花畑でオシベとメシベがって意識を相手に押し付けすぎなんだ。…んで、牧野、いつだ?」


牧野は今度は総二郎じゃなく俺を横目でひと睨みした。
その目は今夜のセッティングをした俺に怒りを向けていた。


「大学2年の時よ。当時付き合ってた人と。」


調査書が思い浮かんだ。
一番長かった5ヶ月のヤツか!
と、俺が記憶をたどっていると、とんでもない方向から爆弾が飛んできた。


「ふーん…司は21の時だよな? 後生大事にしとくもんじゃないって言い出して、俺が紹介した身元の確かな女とだったな。」

「やめろ!」

「21ですか? でもそれまでにも報道がありましたよね? もっと早いと思ってました。」

「…テメェら、」


俺が二人に凄んだ時だった。
牧野が立ち上がった。


「ハァ、せっかくの再会が台無し。西門さん、変わってないっての撤回します。変わりました。オジンになっちゃった。」

「オジンて、また古い表現だな。」

「あたしはこれで失礼します。桜子、今度は男抜きでね。これ、名刺。裏にプライベートの番号書いといたから。」

「俺にはないのか?」

「西門さんに渡したらほんとに口説かれそうだからあげません。じゃ、お先に。」

「ちょっと待て! 牧野!」


部屋を出ようとする牧野に伸ばした腕が空を切った。


「牧野っ!」


席を立ち、追いかけようとする俺の前に総二郎が立ち塞がった。


「どけ!」

「まぁまぁ、司。これってすげぇチャンスだと思わないか?」

「はぁ!?? お前マジでふざけんなっ! 殴られたくなかったらどけ!」


掴みかかろうとした手を総二郎に逆に掴まれ、強く握り込まれた。


「だから聞けって。後のことは三条に任せろ。女同士のほうがいい。今お前が牧野と話しても泥仕合になるだけだ。三条、頼んだぞ。」

「はい。…道明寺さん、大丈夫です。私が先輩を幸せにしますから。では。」


総二郎の背後で三条が部屋を出て行った。
出たそばから「せんぱ〜い、待ってくださ〜い!」と三条の猫撫で声が店内に響くのが聞こえた。









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2019.11.08




BGM
An Affair to Remember(Piano)



バーを出て行ってしまった先輩を追いかけて路上に出れば、タクシーを捕まえようと路側帯にまで乗り出している仕事帰りのキャリアウーマンを見つけた。
白いシャツに黒いスーツ、その上に襟を立ててベージュのドレストレンチを羽織り、ウエストはベルトをしっかりと結んで華奢なシルエットが強調されてる。
車のヘッドライトを反射する夜会巻きは、17歳の鈍感少女が大人のオンナに開花したことを物語っていた。


「先輩!」

「桜子…」

「付き合いますよ。次に行きましょう?」

「あたしはもういいわよ。帰るから。また今度、ゆっくり会おう?」


先輩の手首を引いて歩道に戻り、逃さないように手首を持ったまま、私はクラッチバッグからスマホを取り出した。
そしてうちの運転手をコールした。


「ダメです。帰るって道明寺さんと一緒に暮らしてる部屋でしょ? こんな状態でそんなところに帰せませんよ。今夜はまだ付き合ってください。」


そう言って今度は先輩の背に手を添えて歩くことを促した。
行き過ぎるヘッドライトにくるくると照らされる先輩の顔は困ったようだったけど微笑んでいて、やっぱり先輩もこのまま一人で帰りたくなかったんだと、引き止めに成功したことに安堵した。




***




迎えの車に乗り込み、向かったのはRememberだった。
西門さんからここを使うように指定されたそのバーは丸の内の外れにあり、煤けたようなドアと申し訳程度の灯りで私たちを出迎えた。


「いらっしゃいませ。」


今夜、西門さんから話を通されているマスターは私たちが着席すると外の灯りを消した。


「いつもので。」

「かしこまりました。」


牧野先輩はジンライム。
『色褪せぬ恋』に未だ囚われている先輩の心情が痛いほどに伝わってくる。
そして私の注文はカリフォルニアレモネード。
カクテル言葉は『永遠の感謝』
受け止めきれないほどの恩を先輩から受けた私が一番好きなカクテルだ。


「先輩、改めまして女だけの夜に乾杯。」


グラスを軽く捧げ、唇を濡らした。
先輩も一口含むとグラスを置いた。


「西門さんも桜子も道明寺から話を聞いてるんでしょ?」

「えへへ、バレました?」

「15年ぶりに会ったってのに、いきなり男性経験の話になるんだもん。わかるわよ。」

「そうですよね。あからさま過ぎましたよね。すみません。」

「で、帰国も道明寺のため?」


私はもう一度唇を濡らすと、先輩に向いて微笑みかけた。


「違いますよ。私が一番大切な人のためです。」

「…あたしじゃないわよね?」

「鈍感、ちょっと直ってますね。」

「桜子…会えて嬉しいけど、あたしは大丈夫だよ。」

「いいえ、大丈夫じゃありません。今の道明寺さんを好きになれとは言いません。でも15年前の男を想い続けるのが健全とも言えません。キリをつけないと。」

「…………」


牧野先輩は指先をジンライムで濡らし、グラスの縁をなぞり始めた。
ジャズピアノの調べが流れる店内に空気の振動が波紋のように伝わった。


「あたしさ、本当に桜子に会いたかったんだよ。あんたに謝りたかった。」

「えっ…」

「あたし、あんたの気持ち、よくわかったの。自分が愛してる人が別の女を見てる。その女を憎む気持ちが。」

「先輩……」


先輩は乾くたびに指先を濡らし、グラスの縁をなぞっていた。
まだ液体が半分以上残っているグラスの振動は低く、それは一定のリズムで繰り返された。


「先輩、だったら罪滅ぼしだと思って私にはこの15年の全て、話してくださいますでしょ?」


私は知り尽くした自分の武器を使って、牧野先輩に甘えるように催促した。
先輩はグラスの縁をなぞりながら、横顔のまま私に視線だけをよこしてからまたグラスに戻した。

そして先輩は15年間を語り始めた。







「あの日、道明寺とデートして、あたしからキスして、照れ隠しに逃げ出して学校に行ったら花沢類に「友達は大丈夫?」って言われた。背筋が凍り付いた。」


青池さんと優紀さんのご家族に圧力が加えられていたことを私たちが知ったのは牧野先輩が姿を晦ました翌日だった。


「道明寺家とは今後一切関わらないと誓って、あの邸を出た。本当はそのまま消えればよかったのに、あたしはどうしても道明寺にちゃんと話しておきたかった。だから雨の中で待ってたの。あいつが帰ってくるのを。」


先輩はカウンターの上で腕を組み、目の前のグラスを見つめて記憶を辿っていた。


「あたしを見つけて雨の中で車から降りて駆け寄ってきてくれた。会えるのはこれが最後だって思ったらものすごく切なくなった。」


ジンライムを手にして一口含み、先輩はグラスをコースターに戻した。


「道明寺に別れることを告げて、あいつに背を向けてあたしは一人で歩き出した。その時に、気づいた。あたしはあいつが、好きなんだって。始まりが終わりだった。」


やっと、やっと気づいた想いは届けることができなかった。
その時の先輩を思うと、私はじんわりと目頭が熱くなるのを感じていた。
でも今は泣く時じゃない。
私は先輩に気づかれないように瞬きを繰り返して熱を逃した。


「苦しくて辛くて悲しくて寂しくて、涙が止まらなかった。あの夜が雨でよかった。じゃないとあいつに涙を見られてたかもしれないから。」

「先輩……」

「でも、その時の苦しさなんて序の口だった。あたしの本当の苦しみはまだ始まったばかりだった。」








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2019.11.09




__牧野つくしの独白【前半】



漁師町に住む親戚を頼っていた家族に合流したあたしは、家族の経済状況が聞いていたよりも酷いことを知った。
あたしは地元の県立高校に転入してすぐに働き始めた。
平日は下校後にコンビニ、土日は小さな旅館の配膳係っていうのが一番効率がよかった。
早々に漁師を諦めた父は漁協の事務手伝い、母はスーパーの裏方、弟はガススタだった。
家族一丸となって働いて、親戚に借金を返せたのが高3の夏。
それでも働くのを辞めずにあたしは勉強も頑張って奨学金を得て県立大学に入った。

とにかくガムシャラだった。
1分、1秒も暇な時間なんてない生活。
道明寺への想いも考えも全てを遮断したかった。
だから外では働いて働いて、家では勉強に没頭した。

でもどうしても埋められない時間がある。
それは眠る前の時間だった。
あたしは布団に入って、今日こそは泥のように眠りたいと毎日思ってた。
なのにすぐに道明寺が割り込んでくる。
考えたくないのにあいつの顔が浮かんで、気づけばあいつのことを考えてた。

あいつが今、どうしてるのか。
何を考えて、何を思って、そして誰といるのか。
元気にしてるか、落ち込んだり暴れたりしてないか、英徳大学に進学したのか、それとも他の大学に?
もう別の女性を好きになった?
もしかして彼女できた?

そんなことを考え始めたら止まらなくなって眠れなくて、貴重な睡眠時間がさらに削られていつも睡眠不足だった。
どうしても眠れない夜は眠ることを諦めて家を出た。
星が綺麗で、波の音だけがしてた。
浜辺に出て、道明寺を想った。

そういう時間には、あたしがもっと早く自覚してたら何か変わったのかなってよく考えた。
あたしが「あたしもあんたを好きになったよ」って伝えると道明寺は一瞬、驚いて、それからあのクッキーをあげた時みたいな笑顔になって喜んでくれて、そしてきっと照れるあたしをギュウギュウ抱きしめて、「俺もお前が好きだ」って言ってくれて・・・

そんなことを考える夜は大抵涙が溢れて止まらなかった。
あいつと一緒にいられた時間が惜しくて。
その時間の大切さに気づけなかったことが悔しくて。
会いたくて会いたくて、恋しくて恋しくて。
何度も道明寺の名前を呟いた。
呼んでももうあいつはいないのに。

そんな時だった。
道明寺の最初のスキャンダルを知ったのは。
コンビニのバイトの時、雑誌を入れ替えてて見出しの『道明寺』の文字に心臓が跳ねた。
そっと開くとそこには10ヶ月ぶりに見る道明寺が写ってた。
タキシードを着て建物から出てきたところで、コートを羽織ったばかりらしく、襟元を整えてる瞬間だった。その道明寺の一歩後ろに綺麗な外国の女性が付き従ってこれから一緒に車に乗り込もうとしてるような写真だった。
記事にはNY在住の道明寺がパーティーで知り合った女性をエスコートして会場を後にしたって書いてあった。
女性が恋人なのか、友人なのか、仕事相手なのかは書いてなかったけど、あたしの気持ちを揺さぶるには十分だった。

あたしは初めて胸に赤黒い感情が湧くのを感じていた。
それは渦を巻くようにぐるぐると中心に集まって、やがて大きな黒い塊になった。

嫉妬……

あたしたちが両想いになっていたことはあたしだけが知ってる。
だからあいつは悪くないし、あたしがフったんだからあいつがどこで誰と何をしようとそれはあいつの自由。
そんなことはわかってるのに、頭ではわかってるのに、心は全然理解してくれなかった。
あたしの彼なのに、彼が好きなのはあたしなのに。
なのになんで他の女性といるの?
そんな思いが心を侵食していく。
まるで浮気されたかのようなショックを受けてた。

だからあたしは雑誌を閉じて棚に陳列した。
そして自分に言い聞かせた。

これはあたしの道明寺じゃない。
あたしの道明寺はあの時の道明寺。
あたしを好きだって言ってくれてキスしてくれた道明寺
カナダで遭難したあたしを助けてくれた道明寺
あたしが作ったクッキーに子供みたいな笑顔を見せた道明寺
土星のネックレスを首にかけてくれた道明寺
雨の中で立ち尽くしていた道明寺

あの時の道明寺があたしの好きな道明寺

あたしは自分にそう強く言い聞かせた。





そんな生活の中でなぜか男子に告白された。
「付き合って」って言われて好きじゃないのに「いいよ」って返事をしてた。
もうなんか、断る気力がなかったのかも。
でも手を繋ぐまではできても、そこから先を求められると強烈な嫌悪感に襲われてダメだった。
最初の彼とは突き飛ばして終わり。

やっぱり道明寺じゃなきゃダメなんだと思ったけど、「付き合って」って言われると断れない。
付き合う、求められる、拒否する、別れる。
その間も道明寺の熱愛記事なんてものに何度か触れることがあった。
その度に後悔が膨らんだ。

あの時、正直に気持ちを伝えてたら今頃どうなってたかな。
引き裂かれても、いつかはって希望が残ったのかな?

そんなことを繰り返して、あたしは徐々に心に疲労が溜まってきてた。
2年以上経って、もういい加減に断ち切りたいってもがいてたと思う。
彼と付き合い始めたのはそんな状態だった大学2年の初夏だった。
同じ学部で、話したことはなかったけどふり向くとちょっと離れてそこにいるって距離感で、穏やかな雰囲気の人だった。
その人に「大切にするから付き合ってほしい」って言われた。
この人とならゆっくりと関係を築いていけるかもしれないと思った。

付き合って1ヶ月。
彼は本当にあたしを大切にしてくれて、馴れ馴れしく肩を抱いたり、空き教室に連れ出そうなんてしない人だった。
ただ節度ある距離で隣に腰掛けて講義を聞いて、バイト先まで送ってくれる。
他愛のない会話だけで過ごす時間があたしを少しずつ癒してくれてたんだと思う。
だから手を繋いだのはあたしから。
彼がびっくりしてたっけ。
でも照れたように笑ってくれて、もしかしたらこの人を好きになれるかもしれないと思った。

付き合い始めて3ヶ月目にキスをした。
ほんの軽い口付けだったけど、嫌じゃなかった。
その時、彼が随分と我慢してくれてるんだとわかった。
あたしは彼女なのにそんな我慢を強いて申し訳ないと思ったけど、でもさすがにそこから先に進むのは躊躇われた。

そうして過ごしてた4ヶ月目。
運命の日だった。
あたしはまた道明寺の記事を目にした。

午前中の講義の前に立ち寄った本屋。
『道明寺』の名前がある雑誌の表紙に「またか」とため息をつきながらも無視できずに手に取り、開いた。

あの瞬間をあたしは忘れない。
それはまた女性との記事だったけど、それを見たあたしはこれまでのスキャンダルはただのデマで、今回こそが本物だと悟った。
だってそこには今まで撮られた写真にはない、道明寺が女性に向ける眼差しが写ってたから。

写真はよほど望遠で撮られたのか、それとも夜間だったからなのか少し粗かったけど、その状況を伝えるには十分だった。
道明寺はカジュアルな格好をしたプライベートで、どこかの店の前に二人で立ってる。
女性は後ろ姿だったけど豊かな長い髪が綺麗にカールしてて、きっと美人だろうと思った。
道明寺は彼女の数センチ上から女性の頬を撫でてる。
そしてその目が女性を捉えてた。
きっと視界には彼女しか映ってない。

終わったんだと思った。
道明寺の中であたしへの想いが終わったんだとわかった。

あたしは、自分だって随分前から何人も彼氏がいて道明寺の事をとやかく言えた立場じゃないのに、そもそもあたしたちが両想いだった事もあたしだけが知ることなのに、あの時、本当の気持ちを伝えない選択をしたのはあたしなのに、なのに胸に急激に湧き上がったのは憎悪だった。

あたしから道明寺を奪った女。

道明寺に見つめられているその女性が憎くて憎くて、今、目の前にいたら殴り殺せるんじゃないかってくらいに憎かった。
そんな自分の気持ちが怖くて、あたしは雑誌を放り出して駆け出してた。

走って走って辿り着いたのは大学だった。
講義室に入って彼を探した。
彼はいつもの席であたしを待っててくれて、あたしは全速力で走って息を切らしたあたしに目を丸くしてる彼に抱きついた。
この時だけは周囲の目なんて忘れてた。

ただ抱きしめて欲しかった。
ただ温めて欲しかった。
ただ優しい気持ちを、醜くなったあたしに分けて欲しかった。

…誰でもいいから

驚いた彼はあたしを抱きとめながら講義室から連れ出した。
「何があったの?」って何度も聞かれたけど、あたしは首を振って返答を拒否し続けた。
そしたら彼は「僕の部屋に行こう」って手を引いて歩き出した。
ひとり暮らしの彼のアパートに入るなりキスされた。
それはそれまでの軽いものじゃなく深いキスで、あたしは抵抗したと思う。
そしたら彼が言ったの。
「君に忘れられない人がいることはわかってる。でも僕が忘れさせてあげるよ。僕が君を幸せにするから。」って。
その言葉がその時のあたしには救いみたいに思えた。
この苦しみを忘れられる?
この呪縛から解放してくれるの?

あたしは縋るように彼を抱きしめてた。
そこからの記憶は曖昧だけど、決して無理矢理じゃなかった。
あたしも彼を求めてた。
あたしを必要としてくれる彼を愛しいとさえ思った。
そして痛みに襲われて、それは少女時代との決別の痛みだった。





彼の部屋でシャワーを借りて体だけ流して、引き止める彼を強引に置き去りにしてあたしは帰ってきた。

初秋の午後。
家族はまだ誰も帰ってない。
あたしは鍵を開けて家に入って、自分の衣装ケースの前に立った。
そこから取り出したのは土星のネックレス。
その眩いばかりの輝きはあの頃のあたしと道明寺の輝きだ。

道明寺があたしを想ってくれてた時の輝き。
道明寺があたしだけの道明寺だった時の、二度と戻らない愛しい時間たちの結晶だった。
その土星のネックレスを握りしめて、あたしはその場にしゃがみ込み、あらんかぎりに泣いた。
小さなアパートの一室。
きっと声は外に漏れてただろう。
でもそんなこと構わずにあたしは声が枯れるまで泣き続けた。
それは変わってしまったあたしたちへの弔いだったのかもしれない。

そしてやっと涙が止まって、もう一度手の中を見つめた。
部屋に入り込んだ西日がピンクのルビーをより一層輝かせてた。
まるであの頃のあたしたちの輝きは永遠だってことを表してるみたいに。

この時からあたしの中の道明寺は時を止めた。
あたしが愛する道明寺は18歳のまま、永遠にあたしの記憶の中にいる男になった。








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2019.11.10
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