FC2ブログ




二人はお弁当の入ったトートバッグを持ち、車で近くの大きな公園にやってきた。
そこは上野公園の1.5倍はある広大な公園で、中にはレトロな昭和の建物がそのまま残されて展示されている一角や、野球場やテニスコートなどスポーツ施設、そして巡りくる四季に合わせて咲き誇る草木ごとの植栽があり、桜のない季節でもいつも賑わっている公園だった。

数日前に開花宣言がされた桜が今はもう満開になっていて、ちょうど見頃だ。
公園のあちこちで大きな桜の木が花を揺らして二人を出迎えた。
平日の今日は小さな子供を連れた母子のグループや年配者の花見客が多かった。
さしずめ夜になればサラリーマン風情が増えるのだろう。


「わぁ〜、桜綺麗だね〜! 満開だ。」


そんな感嘆の声を発したつくしは、芝生の端にポツンと佇む桜の下に敷物を敷いてお重に入ったお弁当を広げた。
そこには3色のおにぎりに卵焼きやえのきのベーコン巻き、湯むきしたミニトマトのマリネ、ブロッコリーとエビのペペロンチーノ風、鶏肉団子の照り焼きなどが入っている。
短時間で作ったにしては豪勢だ。


「さ、食べよ。」


つくしは司にプラスチックの取り皿と箸を手渡した。


「桜を見にきたんだろ? いきなり食うか!?」

「桜を見ながらお弁当を食べるのが庶民のお花見よ。食べなきゃ始まんないわよ。」

「さっき朝飯食ったばっかりだろ。ンなに食えねぇよ。」

「夜は何食べたい?」

「聞けっ」

「だから聞いてるでしょ? 何怒ってんのよ。」


卵焼きに手を伸ばしながらつくしは首を傾げ、片眉を上げて司を見上げた。

つくしは努めて平静を保とうとしていた。
じゃないと微かなきっかけでも崩れ落ちてしまいそうだったから。
辛いのは司の方なんだと思うとこれ以上の負担になりたくなかった。


「はぁ、仕方ねぇな。晩飯は、んー、そうだな…やっぱお好み焼きか。庶民が作るお好み焼きはもう食えねぇだろうからな。」

「ちょっとぉ、その理由!」

「お前、NYに店出せよ。そしたら俺が食いに行くから。」

「じゃ、司はパンケーキ屋ね。ちゃんと司が焼いてよ?」


まるで二人の道が続くような会話を楽しんだ。


「んじゃ、ふたりでどっちもやるか。」

「どっちも!?」

「お好み焼きもパンケーキも鉄板がありゃできるだろ? 隣り合って焼けばいいじゃん。」

「何言ってんのよ!? 匂いが混ざって美味しくないわよ。せめて店舗は分けてよね。」

「乗り気じゃねぇかよ!」


笑い転げてお弁当を食べて、満腹になったら眠くなってつくしの膝枕に寝転ぶ。
上を向くと、覗き込むつくしの顔が見える。
手を伸ばして頬を撫でる。
つくしが微笑む。
頬を撫でていた手で後頭部を引き寄せる。
慌てたつくしが抵抗する。
また笑いが起きる。
プンと怒ったつくしに膝枕を外される。
離れようとしたつくしの手を引くと胸に落ちてくる。
ハーフアップにした長い髪の香りがふわりと漂った。
起き上がろうとするつくしを胸に抱きしめる。

この鼓動を聞いて欲しい。
お前を抱きしめただけで高鳴るこの胸の鼓動を。
そして覚えておいて欲しい。
俺が愛するのはお前だけだと。


「…司?」

「ん?」


司の鼓動を聞いたまま、つくしが話しかけた。


「帰ったらご両親と仲良くね。」

「ハッ! 何言ってんだ?」

「あたしさ、感謝してるんだよ。あんたのご両親に。」


司が起こそうとした体を押し戻し、つくしはまたその胸に耳を寄せた。


「感謝ってお前、何言ってんだよ!? あいつらの条件のせいで俺は…俺たちは……」


そこから先は言葉にならない。


「だってそうでしょ? あたしみたいな庶民は絶対にダメだって最初から反対することもできたんだよ? でもそうせずに司をあたしに預けてくれて、チャンスをくれた。だから今、あたしたちはこうしてるんでしょ? あたしは感謝しかないよ。司は違うの?」


そう言ってつくしは身を起こして司を見つめた。
司もまた肘をついて身を起こし、憤懣やるかたないといった表情でつくしを見つめた。
しかしつくしの顔にはとても静かで穏やかな表情が浮かんでいた。
まるで司の心の奥底にある両親への失望を抱きしめてなだめるような、そんなつくしの眼差しだった。


「そんな顔しない。あたしたちがどうなろうと、誰が悪いんでもない。誰のせいでもない。だからね、あんたがご両親を恨んだり、怒ったりするのは違うよ。それにあんたを産んでくれた人たちじゃん。それだけでも感謝に値するでしょ。」


そう言ってつくしはニコリと目を細めた。
春の風が散りゆく花びらを運んでくる。
それがつくしの髪に落ち、そしてまた飛び立つ。

あの花びらは自分で飛び立ったのだろうか、それとも風に無理やり飛ばされたのだろうか。
きっと無理やりだ。
だって自分なら、たとえひとひらの花びらになろうとも、つくしから離れたくないから。


「お前、お人好しすぎ。」

「そう? でもそんな女が好きでしょ?」

「クッ そういうことになるか。」

「もう帰ろっか。」

「そうだな。ここじゃキスもできないもんな。」

「そうじゃなくてっ」

「違うのか? じゃ、」


またつくしの手を引いて、トサっと自分の横に落とし、司は被さった。


「ななな何してんのよっ」

「ん? ここでしていいんだろ? キス」

「バカっ! やめなさい!」

「騒ぐと注目されるぞ。」

「〜〜〜っ」


困った目をして首をすくめたつくしは、顔を真っ赤にして口を真一文字に引き結んだ。


「お前、何だよ。よくそんな器用な顔ができるな。おもしれぇ顔。クックックッ」


そう言ってまた笑いだした司はつくしの上から退いて、つくしを引き起こした。


「帰ろうぜ。」

「…うん。」


“ 帰ろう ”

この言葉を使うのもこれが最後。
もう同じ場所に一緒に帰ることなんてない……



司は二人の女性の言葉を心の中で反芻した。


“ それでも感謝していいことだってあるはずよ。それが愛情だって好意的に捉えたって損するわけじゃないわよ。 ”

“ それにあんたを産んでくれた人じゃん。それだけでも感謝に値するでしょ。 ”


感謝?
あの二人に?
つくしと共にいる喜びも幸福も、あの二人から与えられたものだと言うのか?
だとしたらつくしを残して立ち去らなければならない苦しみもまたあいつらから与えられるものだ。

……俺はどちらを拠り所に生きていくのか。




公園を出た二人はスーパーに寄り、お好み焼きの材料を買い、ビールを買い、最後の帰路に着いた。








にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



2019.09.01




家に着いて早速、お好み焼きの準備をした。

給料日前のメニューとしてお好み焼きとたこ焼きが定着し、テーブルのセッティングは黙っていても司がしてくれる。
つくしはタネを準備した。


「司ももう作れるでしょ。NYで作って食べればいいじゃん。」

「ンな暇あるかよ。」

「そっか。御曹司に復帰だもんね。」


ハハッと笑うつくしの横顔を司は切ない思いで見つめた。
妊娠が叶わなかった時も、家に帰ってきた時も、迎えの日を伝えた時も、つくしはただ黙って受け入れた。
それが自分に負担をかけまいとする彼女の強がりだとわかってはいたが、それでも侘しさが残った。





いつものように4枚焼き、3枚を司が食べた。
いくら勧めてもつくしはこれ以上いらないと言う。


「お前はビール、飲まないのか?」

「んー、今日は気分じゃないや。今度に残しておくよ。」

「ふーん…」


司が去った後もつくしの生活はここで続いていく。
“ 今度 ” にもう自分は含まれていないのだと思うと、身を切るような寂しさが司の心の間隙に沁み込んだ。

ともすれば黙り込んでしまう雰囲気を一掃しようと、司はスマホを手に取り、音楽をかけた。


「なに? 音楽?」

「ああ、こいつのオススメだとよ。つくし、踊ろうぜ。」


司はスマホをテーブルに置いて立ち上がると、テーブルを回り込んでつくしに手を差し出した。


「踊り!? ムリムリムリ!」

「LAのレッスンでやったろ? ほら。」


司はつくしの両手を取り立たせた。


「俺もあんま踊ったことねぇからな。いいんだよ、こんなもんはただ揺れてりゃ。」


流れているのはアメリカのヴィンテージラブソングで、聴いたことがあるメロディーと歌が間断なく続いている。
楽しい気分にさせる曲や、懐かしさを感じる曲もある。
二人は手を取り合い、時にステップを踏み、時につくしがターンさせられ、笑い合った。

落ち着いた曲調になった。
司はつくしを抱き寄せた。
つくしも司の背に腕を回し、トン、とその胸に頭を預けた。


「な、つくし」

「…ん?」

「俺たち、これで終わりじゃねぇからな。」

「……………」

「俺はお前に、俺を忘れて幸せになれなんて言わねぇ。俺は道明寺の後継者としての義務を果たしたら必ずお前を迎えに来る。だからそれまで他の男を見るんじゃねぇぞ。」


その言葉に、つくしは明日の別れをはっきりと感じ、ジワリと涙が満ちてくるのがわかった。
それは惜別の涙。
心の糸が切れ、この数日間、堪えていたものが一気に溢れ出した。


「……………いで…」

「つくし?」

「…行かないで…どこにも行かないで…ずっとあたしのそばにいて…ここにいて…お願い…」


決して言うまいと思っていた言葉がこぼれ落ちた。
司の胸元に顔を埋め震えながら、つくしはただ繰り返した。


「お願い……お願い…行かないで……」

「つくし!」


つくしを抱きしめ、その髪に頬を寄せながら、司の胸に再会してからの1年が蘇った。

思い出づくりのつもりで会いに来たのに、つくしに愛され、手に入れた。
今もつくしは俺を愛し、そして俺もつくしを愛してる。
なのになぜ別れなければならないのか。
彼女のいない人生を歩んでいく自信がない。
明日からどうやって息をすればいいのかわからない。

なおも泣き続けるつくしを抱く腕に力がこもった。

俺を受け入れてくれてありがとう、辛い思いをさせてごめん、と言葉が出かかる。
でもそのどちらも喉元に引っかかって口から発せられることはない。

そのうちに司は強く瞼を閉じた。
つくしに涙は見せたくない。
見られれば、これが本当の別れだと肯定しているようで、司は込み上げるものをなんとか押し込めた。

そうだ、これは本当の別れじゃない。
本当の別れはどちらかが死ぬ時だ。
肉体はどれほど離れようとも、心は一つだ。
愛してる。
それだけが俺たちの真実だ。


「つくし、これは別れじゃない。」


つくしが顔を上げた。
司の心を捕らえ続けて離さない大きな瞳は涙で濡れてキラキラと輝いている。
その瞳からこぼれ落ちた涙が白い頬にいく筋もの跡を残し、薄紅に色づく唇は微かに震えているようだった。
司は指でその涙をすくい取って、フと笑んだ。


「お前は泣いた顔も可愛いな。」

「なによ…それ…」


司は両手でつくしの頬を包んだ。


「俺を信じてるか?」


つくしは司の手の中でコクンと頷いた。


「俺が迎えにくるまで待てるか?」


また表情が崩れて涙がポロポロとこぼれた。


「待てるよな?」


泣きながらつくしはやはりコクンと頷いた。


「俺たちはまだ若い。人生は長い。長い人生の中で必ずまた巡り会える。俺はそう信じてる。お前もだろ?」


つくしはもうなにも見えなくなるほど瞳にいっぱいの涙をためて、それでも何度も頷いた。
頷くたびにポロリ、ポロリと涙が落ちる。


「なら大丈夫だ。俺たちが信じていれば大丈夫だ。」


そう言って司は涙で濡れたつくしの唇に口づけをした。






最後の夜も二人は重なり合った。

愛する人の全てを覚えておこう。
肌も匂いも吐息も快感も。
何もかもを、この身に刻もう。



“ つくし、愛してるって言ってくれ。 ”

“ それは…今度会った時に言ってあげる。 ”

“ フッ……約束だぞ。 ”

“ うん…必ず… ”


眠ることを恐れるかのように司はつくしを愛し続け、つくしもまた司を求め続けた。








にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村

2019.09.02




瞼の向こうに光を感じる。
今は何時?

眠ったのは明け方だった。
司の瞼が閉じるのを見て、彼を抱きしめてあたしも目を閉じた。
あれから何時間が経ったのだろう。


つくしは目を開ければそこはもう司のいない世界だとわかっていた。
司は決して自分に背中を見せないだろうと、つくしは直感していた。
なぜなら別れじゃないから。
これは新しい関係の始まり。
妻じゃなくなっても、夫じゃなくなっても、それでもあたしたちは繋がり続けてるから。

……だからまだ目を開けたくない。
司がいない世界を見たくない。
認めてしまいたくない。

つくしは肩にかけられていた布団を頭まで引き上げた。
いつもそばにあった温もりはもうない。
ただ匂いだけがそこには染み込んでいた。

泣かない。
泣きたくない。
だって泣いたら匂いがわからなくなる。
まだ司の匂いに包まれていたいから。


つくしがいつまでそうしていても、起きろと頭を撫でてくれる手は訪れなかった。




***




翌日、道明寺家からキヨをはじめとする使用人数人と荷物運びの運転手数人がやってきた。

司が持って行ったのは結婚指輪とバレンタインのカード、そして誕生日につくしから贈られた星命名証明書だけだった。
残された荷物は使用人によって梱包され、運転手によって運び出された。
部屋の中から司の痕跡が消えていく。


「つくし様、坊ちゃんを受け入れてくださってありがとうございました。ベッドはいかがなさいますか?」


つくしは振り返った。
シングルを2台くっつけて、キングサイズよりもさらに大きくなったベッドがそこにはあった。
手を繋いでいたことも、抱きしめられたことも、愛し合ったことも、思い出の全てを見てきたベッドだ。
広いベッドでの独り寝は寂しさが増すようだったが、かと言ってシングルでの独り寝はもっと寂しいに違いなかった。


「ベッドは、残しておいてください。いいですか?」

「もちろんです。つくし様がそれでよろしいのでしたら私共に異論はございません。」


ありがとうございますと力なく微笑んだつくしの顔は青白かった。


「つくし様、どうか…どうかお気を落とされませんよう。坊ちゃんのお心は常につくし様と共にあられますから。」

「キヨさん…ご心配をおかけしてすみません。」

「いえ、そのような。つくし様、お顔のお色が優れないようです。邸のシェフにお好きなものを作らせますので、なんなりとおっしゃってください。」

「いえいえ! そんなことしていただくわけにはいきません。あたしなら大丈夫です! 明日からは仕事にも復帰しますから、気も紛れます。」

「……左様でございますか。でしたら、どうかご自愛ください。」

「はい、ありがとうございます。キヨさんはじめ、お屋敷の皆さんにはお世話になりました。椿お姉さんにもよろしくお伝えください。」

「かりこまりました。またいつでも屋敷にいらしてください。椿様が喜ばれます。」

「…そうですね。でも、あたしはもうあそこへは…」


そう言って苦笑したつくしの顔はなんだか泣きそうで、キヨはそれ以上言葉を連ねることはできなかった。




***




その夜、つくしはベランダに出て空を見上げた。
快晴の今夜は少し膨らんだ半月が浮かんでいた。
月の光と街の光で司の星の光は目には見えない。
それでもつくしは南の空を眺め続けた。


「道明寺…」


そう呼ぶと、あの英徳の階段で出会った司が浮かんだ。
冷淡な瞳は闇の色をしていた。
その瞳に負けたくないと思った。


「あれが運命の出会い? フフッ 人生ってわかんないね。」


その闇が徐々に晴れていった。
そして守るように抱きしめてくれて、好きだと言ってくれた。
なのに1度目の別れが待っていた。
自分のせいで。


「司…」


それが6年の時を経て戻ってきてくれた。
生活を共にして、24時間一緒にいた。
どんなに時間が経っても愛してくれて、自分の気持ちに気付いた。
ひとつになりたいと初めて思った。
愛する喜びを知って、離れたくないと思った。


「司……司………つか……っ」


それ以上は声にならなかった。
つくしは涙で見えなくなった視界を手で拭い、無理やりに笑顔を作った。

あたしからは見えなくても、司の星はあたしを見てる。
だからあたしは笑顔でいなくちゃ。
次に会えるのがいつになろうとも、その間に何があっても、司の星にはいつも笑顔を見せていたい。

例え、もう2度と会えないのだとしても……

つくしは眠るまでそのまま夜空を見上げ続けた。








にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村

2019.09.03




それから3日後のことだった。
つくしが仕事から帰ると部屋の前で佇む2人の長身の影があった。


「お姉さん!」

「つくしちゃん、こんばんは。」


椿はSPの池田を伴い、つくしを訪ねてきた。
クリームカラーのシャネルスーツを着た椿が浮かべる、いつもと変わらぬ美しい微笑みは司によく似ていて、今は見るのが辛かった。


「待っていただいてたんですか? すみません。」

「ううん、勝手に来たんだから気にしないで。」

「あ、じゃあ、どうぞ。狭いですが。」

「ありがとう。池田、あなたはここで待ってて。」


手に持っていた包みを椿に渡し、黒スーツの池田は一礼してドアの前に立った。





つくしはドアを開け中に入り明かりをつけた。
その青白い蛍光灯に照らされたつくしは、これまで椿が見てきたどのつくしよりも儚げだった。


「あの、すみません。本当に狭くて、お姉さんに上がっていただけるような家じゃないんですけど。」

「そんな。ここに司は1年間住んだんでしょ? つまり広さなんて関係ないってことよ。」


司の名前が出て、つくしは微かに動きを止めたがすぐに感傷を振り払い、椿を居間に案内した。


「どうぞ、座ってください。これ、来客用のクッションなんで。」


それは司が使っていたクッションだ。
つい昨日、カバーを洗ったところだった。

椿は居間に入って周囲を見回した。
なるほど、これは狭い、と思った。
道明寺邸のお風呂場くらいの大きさだ。
ここに1年間、二人の暮らしがあった。
司の苦労と幸福が容易に想像できた。


「今、お茶を、」

「あ、いいの。本当に気を遣わないで。つくしちゃん、お仕事から帰ったばかりなんだから、どうぞ座って。」


言いながら椿は差し出されたクッションに正座した。
椿の様子に渋々とつくしも座った。
確かにお茶と言っても椿をもてなせるようなものはこの部屋にはない。


「これ、邸のシェフが是非、つくしちゃんに食べてもらいたいって。お夕飯まだでしょ? よかったら召し上がって。」


椿は持ってきた包みを小さなテーブルに置くと、開き始めた。
中からは保温保冷容器に入った様々な料理が出てきた。
蛤とキャベツのお吸い物に明日葉の胡麻和え、タケノコのカニ餡掛け茶碗蒸し、牛ヒレ肉ステーキの山わさびソースがけ、そして鯛飯とデザートには夏蜜柑のゼリー寄せまであった。
全て少しずつ入っていて、小さなテーブルにも乗り切る量だった。


「わぁ…美味しそう! ありがとうございます。お気を遣わせてしまってすみません。」

「いいのよ。私もしばらくは日本に来られなくなるから、シェフも腕を振るえて喜んでるわ。ね、食べて。」

「あ…じゃ、後でいただきます。さっき、帰りがけに駅のホームで立ち食いソバ食べちゃって。駅を使うの久しぶりだったんで。あはは。」


そう言ってつくしは容器に蓋を被せていった。
本当はソバなど食べていなかった。
司が去ってから食欲が湧かなかった。
1年間、限られた予算の中で司のために心を砕いて食事を用意していた。
もうその必要がなくなって、つくしは献立を考えることはおろか、食べることさえ億劫になっていた。


「そう…。必ず食べてね。なんだか痩せたみたいだから。」

「えっ? えへへ、車通勤で体がなまって筋肉が落ちちゃって。でもまたすぐに元の体力を取り戻しますから!」


椿を安心させようと、つくしは小さくガッツポーズをした。
そんな姿も椿の目には痛々しく映る。
いま以上に追いつめられるつくしは見たくない、と椿は本題を切り出した。


「今日、こうして伺ったのはつくしちゃんに話があったからなの。」

「話?」


椿のいつにない深刻な表情につくしの中に警報音が鳴る。

聞きたくない。
聞きたくない。


「…司の結婚式の日取りが決まったわ。」

!!


結婚式…
つくしとは挙げることができなかった結婚式。
ついにこの時が来た。
司が別の女性の夫となる日が来るんだ。
つくしは左手の震えに気づいた。
そこに先日まであった指輪はもうない。
司が去ったあの日、外してケースに仕舞ったのだ。
またこの指に通す日が来ることを願って。

その左手の震えが抑えられず、つくしは右手で左手を押さえたがその右手も震えていた。


「4月10日の午前10時からよ。日本では11日の未明ね。」

「11日……あと何日…?」

「日本でも大々的に報道されると思うわ。だから…ね、もしよかったら…」


椿が何かを言いかけたが、つくしはそれ以上は何も聞きたくなかった。


「あのっ、やっぱりお茶、淹れますね!」


そう言って立ち上がり、居間のドアに手をかけた時だった。


ガタッ…ドサッ!


「つくしちゃんっ!!!」


椿が倒れ込んだつくしに慌てて詰め寄ると、蛍光灯の光のせいかと思ったつくしの顔色は真っ青で、呼びかけに目を開けることもなかった。


「池田!! 池田っ!!!」


中から聞こえる椿の叫びに気づいた池田が土足で入ってきた。


「椿様っ」

「池田! 救急車、いえ、車に運んで! このまま病院へ行くわよ!!」


つくしは池田に抱えられ、部屋を出た。









にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村

2019.09.04




4月10日   NY



教会の新郎控え室の窓辺に設えられた長椅子に脚を投げ出して座り、白いタキシードを着た司は窓の外を眺めていた。

室内では揃いのベストマンの衣装に身を包んだ総二郎、あきら、類の姿もある。

親友の門出の日。
なのに3人は沈痛な面持ちで司を見守っていた。




3人が道明寺家から司を勘当すると知らされたのは去年の3月末。
信じられない思いだった。
若い頃、どんな暴力沙汰にも勘当などされなかった司が、一体何をして見放されたのか。
そう思っていたら何と理由は縁談を何度も蹴ったからだと?
そんなことで!?
NYに渡ってからの司は学業にも実務にも人が変わったように打ち込んでいたことを知っていただけに憐憫が湧いた。

そんな司に真っ先に連絡を取ろうとしたのはあきらだった。
が、しかし、楓の冷たい声が更に言い放った。


「司を支援した場合、内容の多少に関わらず、道明寺は問答無用で美作を潰しにかかります。心しておくことです。」


通話が切れたスマートフォンを愕然とした思いで見つめた。
今や美作の中心でその任に当たっていたあきらに選択肢などなかった。
他の二人も同様に楓から通告され、多くの人間の命運を握る立場を自覚していた彼らにも為す術はなかった。

そうして親友に対して忸怩たる思いで過ごして数日、会員制クラブのV.I.Pルームに3人は集った。
そこで総二郎から聞かされた話にまたも困惑させられることになった。


「司は牧野のとこに転がり込んだらしい。」

「「牧野!?」」

「ああ。あいつ、結局、ずっと牧野のこと忘れてなかっただろ? 縁談を拒否し続けてたのも牧野が原因だろう。」

「じゃ、あの時の着信は……」

「あきらンとこにも架かってきたか? 牧野だよ。司の携帯を使って泣きついてきやがった。“ この大男を引き取れ ” って。クックックッ、あいつ全然、変わってねーの!」

「俺のとこにも架かってきたけど、完全無視してた。だって、司なら何とかして生きていけるだろうと思ってさ。牧野だったら出ればよかった。」


類はまだ辛うじてソファに座っている。
隣に座るあきらが問いかけた。


「じゃあ司は牧野と暮らすつもりか?」

「さぁ? でもやっぱりもう一度ぶつかりたかったんじゃねーのかな。中途半端なままにしてNYに逃げちまったからな、あいつ。」

「俺がせっかく離陸前に教えてあげたのに。」

「司、呆けたままだったもんな。クックッ」


総二郎がグラスの氷を見ながらこらえ切れずに笑いを漏らした。


「俺は牧野は本当は司が好きだと思ってたんだよね。島でのこと、かなり後悔してたみたいだし。」

「そもそもお前が悪いんだぞ。牧野に静の代わりをさせようとするから。」

「司があそこまで本気だと思ってなかった。あの時はまだ。」

「それは誰も思ってなかったさ。俺も総二郎も。」

「ああ…だな。だから今度こそうまくいくといいが…な…」


3人は当時の司と、この6年間の司を思い出していた。
あの頃から司には牧野つくししか見えていなかった。
だからこそ、親友の幸運を祈らずにはいられなかった。
が、


「うまくいったとして、道明寺のあの夫婦が黙ってド庶民・牧野を受け入れるか?」


あきらが他の二人も懸念していることを口に出した。


「そこだよな。勘当したんだからもう干渉しないつもりか? でも、そんなことがあり得るか? 司は唯一の後継者だぞ。」

「うん、だよね。俺たちの中でもケタ違いに厳しい道が待ってる男だ。そんな簡単にはいかないだろうな。」

「でもとにかく、司はやっと牧野の下へ帰れたんだ。ここは放っておいてやらねーか?」

「そうだな。どうせ手は出せないしな。」

「ん…牧野もちゃんと向き合ういい機会かもね。」





それから1年、何の音沙汰もなかった。
便りがないのは元気な印とばかりに、二人はうまくいったんじゃないかと思っていた。
なのに、あの婚約報道に続き、NYでの結婚式の案内が2週間前に送られてきた。
相手の女は牧野じゃない。
メガバンクの頭取の娘。
何がどうなってんだと、無理矢理スケジュールを調整させて駆けつけたら、昏い目をした親友が新郎の格好をして窓の外を眺めていた。

結局は牧野にフラれて帰ってきたのか、それとも引き裂かれて戻されたのか。

しかし解せなかった。
どちらだとしてもそれに唯々諾々と従う男じゃない。
この1年に何があったのか。
いま、こうして大人しくしている理由はなんなのか。
だが司に問いただす者はいなかった。
知ったとして、政略結婚の宿命から逃してやる術はなかったから。

それでも堪らず、司の背中に椅子から立ち上がったあきらが声をかける。


「司、これでいいのか?」


あきらの問いかけにも司は窓を向いたままだ。


「…いいわけねぇけどよ、あいつを守るにはこれしかないからな。」

「あいつって牧野だろ?」


椅子にまたがり、背もたれに肘をついた総二郎が問いかけた。


「あいつはもう牧野じゃない。道明寺つくしだ。」


!!!


「え…じゃ、司は牧野と結婚したの?」


壁側の長椅子に座って脚を組み、司を眺めていた類が身を乗り出した。


「ああ、そうだ。だがもう消されてるかもな。」

「消されてるって、おばさんたちに無かったことにされてるってこと?」

「ああ。俺の元妻なんて名乗らせねーってよ。」


あまりの展開に3人は状況が掴めず考えが纏まらない。
互いに目配せをしてひとつひとつ疑問を解決していこうと示し合わせた。


「な、司。その結婚はもちろん牧野も了承してたことなんだよな?」


あきらの問いかけに、なおも司は窓から目を離さずにこの1年の顛末を語り始めた。


「あいつのとこに転がり込んで、狭い部屋で一緒に暮らした。庶民の暮らしを教えてもらって、あいつの職場に就職して、24時間一緒だった。こらえきれずに告白したのが夏。あいつが振り向いてくれたのが秋。そしてあいつの全てを手に入れたのはクリスマスイブだった。LAであいつの誕生日にプロポーズして、OKの返事をもらえたのは元旦だったか。日本に帰って、入籍した。式も何もない結婚だったがそれで十分だった。あいつがいてくれればそれだけで…」


黙って聞いていた3人は言葉がなかった。
24時間一緒に暮らした!?
つくしも司を愛するようになり、その愛が成就して結婚した!?
ならなぜお前はここにいて、そんな格好で別の女と結婚しようとしてんだよ!!


「司、幸せだった?」


類がビー玉のような瞳で、振り向かない男に問いかけた。


「ああ、数十年分の幸せを凝縮した1年だったな。狭い部屋で二人きりで、あいつが俺の世話を焼いてくれて。貧乏生活も人に頭を下げることも苦にならねぇ。信じられるか? 一秒も、一瞬も余さずにずっと幸せなんだぜ?」


窓に映る司の顔はその生活を思い出して眩しそうに目を細めた。


「じゃ、なんでお前はここにいるんだ?」


あきらがやっと核心部分に触れた。


「親父たちと契約を交わして、それを履行するためだ。」

「契約?」

「ああ。俺は1年前、ある契約を交わした。『1年の間に牧野との間に子を作る。それができなかった時は親父たちが決めた女と結婚する』」


!!!!?


「なっ…それ…そんな…」

「そんな契約あるかよっ!」

「ひど…さすが道明寺家。牧野をなんだと思ってんだろうね。」


司の口から明かされた真相に、3人は二の句が継げない。


「おい、司っ! ンでお前は牧野に子供ができなかったから捨ててきたってわけかよ!!」


椅子から立ち上がった総二郎は気色ばんだ。
その言葉に司は初めて振り向いた。
司の目は深い闇を宿して総二郎を睨みつけた。
それは、まだつくしと出会う前の瞳の色だった。


「テメェ、二度と茶碗なんて持てないようにしてやろうか?」


司のあまりの凄みに総二郎はうっと仰け反り、また椅子に座りなおした。


「いや、ンなわけねーよな。悪かった。でもよ、だとしたらお前はなんでそんな契約を結んだんだよ。」


司はまた窓を向いた。
そこには教会の庭からエントランスに続く小径が見えていた。


「1年間自由にしてやると言われて舞い上がったんだ。俺が大馬鹿だったんだな。だからあいつを傷つけた。その上、俺が契約を破棄すればあいつはさらに傷つけられる。俺はあいつの夫なんだから、守ってやらねぇと。」


7年前、17歳の司が出会ったのは運命の相手だった。
そうであれば面白いのに、と、希望的観測をもってはいたが、いざ本当にそうだった二人の末路がこれではあまりにも報われなかった。


「じゃ、今、寂しい…よな。」


あきらは漏れ出た言葉に自分で驚いて、思わず口を押さえた。


「フンッ 寂しい? そんな言葉じゃ表せない。すげぇ寒ぃんだ。自分の中の何かが死んじまったみたいに体の中心が冷たくて冷たくて眠れねぇ。でも仕方ないよな。俺が自分で交わした契約なんだから。ビジネスの世界じゃ契約は絶対だ。それが俺の生きる世界だ。」


それでもつくしを待つように外を見つめる司に、3人は奇跡が起きることを祈らずにはいられなかった。









にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村

2019.09.05




ついに結婚式が始まった。

聖堂の一番奥、参列席から二段ほど高さのある壇上に設えられている祭壇の中心に司祭が立ち、司祭の前には新婦側のブライズメイド、司、F3がその任を務めるベストマンが並んだ。

その後方には急な招待にも関わらず集まった500人を超える参列者。
最前列には左右に分かれて新婦の母、兄弟、そして偀と楓の姿もあった。

パイプオルガンの重厚な響きが石造りの空間を清めていく。
可愛らしいフラワーガールとリングボーイに続き、父親にエスコートされた花嫁が聖堂入り口横の扉から入場してきた。
一歩一歩、司に近づく。
ウエディングベールに覆われたその顔はよく見えない。

司はじっと祭壇の上に掲げられた、磔になったキリストを見つめていた。

あんたは何をしてそんな格好をしてるんだ?
人を殺したのか?
騙したのか?
それとも、愛する女を奪われたか?

今まさに俺にも楔が打ち込まれようとしている。
次につくしに会えるまでどれほどの年月、痛みに耐え、血を流し続けるのか。
流す血も枯れれば俺は死ぬのか?
死ぬほどになればつくしに会えるか?
なんて…俺は馬鹿か。
あいつを迎えにいくと約束したのに、くたばってたまるか。

長いベールを引きながら壇上に上がり、司祭の前まで来た花嫁が司の腕に触れた。
父親が離れていく。
司はゆっくりと花嫁に振り向いた。
ベールの向こうで司を上目遣いに見るその女は、今初めて見る知らない女だった。
花嫁が触れたところから嫌悪が広がり、背にゾッと悪寒が走った。

奇跡は起きなかった。
現実は現実でしかない。
何も変えられなかった。

…いや、ひとつだけ変えられただろ。
今はもうあいつも俺を想ってくれてる。

あいつは星を見上げているだろうか。
あいつが見た星を俺も見上げてる。
あいつを見てきた星が俺を見てる。

俺たちは繋がってる。
そう、今この時だって。


司祭が式の開祭を宣言した。
聖書の朗読に続いて、福音の朗読が行われ、司祭が神の御言葉を代弁する。
そして新郎新婦の意思の確認が行われる。
キリスト教国であるアメリカではこの誓約こそが2人の婚姻を決定づける。
二人の誓約が確認され、その場で司祭がサインすれば即座に婚姻資格取得証、つまり日本で言う婚姻届が役所に提出されることになっていた。


“ 汝、道明寺司。
あなたはこの女を妻とし、今日より良い時も悪い時も、富める時も貧しい時も、病める時も健やかなる時も、愛し慈しみ、そして、死が二人を分かつまで貞操を守ることを誓いますか? “


・・・・・


聖堂に沈黙が落ちる。


” Mr. 道明寺、お返事を “


司は拳を握りしめた。
つくしを迎えに行くために、今はこの婚姻を受け入れねばと理性では思うのに、本能が抗い難く拒否している。

その様子を横に立つ3人は苛立つ思いで見守っていた。
「やめろ!」と言ってやりたい。
手を引いて連れ出してやりたい。
親友のためにできることはしてやりたいと思うのに、大人になった今は背負うものが大きすぎて、足が張り付いたように動かなかった。

やがて、目を閉じて本能を押しとどめた司の唇が開いた。


” …………は… “


その時だった。


ギ…ギギギィーーー


天井まであろうかという入り口ドアが開き、午前の光がバージンロードに真っ直ぐに射した。
参列者、ベストマンにブライズメイド、そして新郎新婦まで、一堂に会した全員が光の射す方に振り向いた。
眩しさに慣れた目は、開いたドアの光の中に小さな影を認めた。

司が驚愕の表情を浮かべてその影を見つめる。
影は教会の中に入ってきた。
一歩一歩、踏みしめるように、しかし確実に祭壇に近づく。
やがて司の足許まで来ると影は祭壇を見上げた。


「つ…くし…?」

「司、ごめん。約束したのに、あんたのこと待ってられなかった。だからあたしが迎えに来たよ。」


そしてニッコリと微笑んだ。
モッズコートにデニム姿でスニーカーを履き、長い髪を纏めもせずに下ろして化粧っけもないのに、その顔は司が今まで見たどの顔よりも輝いて美しかった。

唖然とする一同の中で、司だけは微笑みをたたえ、壇上から降りてつくしに歩み寄った。


「つくし…会いたかった…!」


そして細い体を抱きしめた。
途端に司の胸の中心に灯りがともったような熱が生まれ、それは血潮となって体の隅々にまで行き渡り、指先に温かな血が通う感覚が蘇った。

先ほどまで氷のように硬かった司の表情が春の陽射しを受けたかのように綻んだ様を見て、参列者からざわめきと躊躇いがちな歓声が同時に起きた。


“ ちょっと待ちなさい! ”


その中で金切り声をあげたのは新婦だった。


“ あなた誰? なんなの? ツカサは私と結婚するのよ! ”


こちらを睨みつける新婦に向き直り言葉を発しようとした司をつくしが制止し、新婦の前に進み出た。


「花沢類、通訳して。」


6年ぶりに会ったつくしからいきなり名指しされた類は一瞬の戸惑いの後、状況を察してビー玉の瞳に久しぶりのイタズラ心を宿し、口角を上げた。


「いいよ、牧野、話して。」


つくしはスゥーーっと大きく息を吸うと、またフゥーーっと吐き出し、そして花嫁に向いて頭を下げた。


「申し訳ありません。この人は私と結婚してるんです。あなたを騙してごめんなさい。夫の代わりに謝ります。司のことは諦めて、どうか別の方と幸せになってください。」


類がはっきりとした声でつくしの日本語を新婦に向けて通訳した。
聖堂は司祭の説教が隅々にまで届くように設計されていて声がよく通る。
静まり返った聖堂の中に類のシルキーテノールが響いて、その言葉が終わらないうちに参列者は騒然となった。


「 プッ! ククッ 牧野、やるじゃん。」


唖然として口をパクパクと動かしている新婦に背を向けて、つくしは司の手を取った。


「司、日本に帰ろう。」


つくしにまだ通訳をやめろと言われていない類は、全てを一同へ向けて通訳する。


「ああ、一緒に帰ろう。」


つくしに取られた手に指を絡めて繋ぎ直して、二人は参列者の中心を光に向かって歩き始めた。


「お待ちなさい!」


そんな2人の前に道明寺楓が席を離れて立ちはだかった。










にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
2019.09.06




二人の前に立ちはだかった楓は、冷淡な表情でつくしを見下げた。


「司を連れていくことは許しません。」


類は楓の言葉も通訳する。


「通訳はやめなさい!」

「Stop interpreting!」


その時、聖堂中の参列者から大ブーイングが起こった。
楓は周囲を見回し、類に向かって苦虫を噛み潰したような表情で蔑む視線を投げつけた。


「おい、類、これ以上は花沢がヤバいんじゃないか?」


あきらが堪らず類に耳打ちしたが、本人は全く意に介していない。


「俺は牧野に頼まれただけ。そして今はもう参列者が望んでる。こんな役得ないよ。ククッ」


あきらに囁き返した類は完全にワクワクとした顔になっていて、誰にも止められそうにない。


「そうだぞ、続けろ。面白い展開になってきたんだからな。」


あきらと類の肩に手をかけて間に割り込んできた総二郎もほくそ笑んで白い歯を見せた。

その間、つくしは一歩楓に進み出た。


「司さんのお母様ですね。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。私は1月に司さんと入籍をしました、つくしです。道明寺家には不束な嫁と自覚しておりますが、何卒、私たちをお許しください。」


そう言ってつくしはまた深く頭を下げた。

参列者が類を向き、その期待に応え通訳をする。
すると参列者の中には指笛を吹き鳴らす者もいた。

つくしはまた一礼すると司の手を引き、楓の横を通り過ぎようとした。


「行かせないわ。」


引き止めようとつくしの腕を掴んだ楓の腕を司が掴んだ。
その時、様子を見ていた偀が初めて立ち上がり、楓の腕を掴んだ司の手をさらに掴んだ。


「私の妻から手を離せ。」

「それはこっちのセリフだ。そっちが手を引け。」


よく似た瞳がぶつかり、火花が散った。
偀は楓に目配せすると、楓が先に手を離した。
そして今度は二人の前に偀が立ちはだかった。


「お前と俺は約束を交わしたな。それはお前の意思で結んだ契約だ。間違いないな?」


司はつくしを背に隠した。


「間違いありません。」

「その契約に基づいて今日、こうしている。それを違えようと言うのか? わかっているのか? その末路を。」


二人の会話も類は通訳し続けた。
参列者には多くの日本人もいて、類の声が聞き取れない人は近くにいる日本人と囁き合った。

司は偀に向けていた厳しい視線を一度落とすと、フゥと短く息を吐いた。
そして顔を上げ、今度は真摯な瞳を偀に向けて威儀を正した。


「お父さん、お母さん、この1年、私にチャンスをくださったこと、感謝しています。」


その言葉を聞いたつくしも類もあきらも総二郎も、そして楓も偀でさえも目を見張って動きを止めた。


「お陰で人生最愛の女性の心を掴むことができました。これも一重に、お二人からのご提案があったからです。『1年の間に好きな女性と子供を作る。できなければお父さんたちが決めた相手と結婚する』でしたね?」


長い付き合いでも見たことのない司の謙虚な態度にさすがの類も呆気に取られていたが、司の言葉の意図に気づき、その言葉を正確に参列者に向かって通訳した。
司の言葉の内容を聞いた参列者の中には、眉をひそめて嫌悪の表情で偀達を見る者もいた。


「私はそんな約束を “ 契約 ” として受け入れてしまった。そのために彼女にはとても辛い思いをさせてしまいました。全ては私の未熟さのためです。彼女の心をようやく手に入れて、私は初めて自分の愚かしさに気づきました。」


司の言葉を仔細漏らさず類が通訳する。
楓は一度偀を見上げたが、偀に類を止める気がないと見て取ると、その視線をまた我が子に向けた。


「本日、私がここにこうしているのは仰る通り、お二人と結んでしまった愚かな契約を履行するためです。どんな契約でも例外なく履行される。それがビジネスの鉄則であることは重々承知しています。しかし、お父さん、お母さん、」


司は一歩、偀の前に進み出た。


「私は彼女なしに生きていくことはできない。彼女なしに道明寺の後継者として、幾万の社員を率いていく責任を全うすることはできません。それほどまでに彼女は私に必要な人です。」


司の表情はどこまでも真剣で、その瞳はどこまでも澄んで偀を捉えていた。
そこには一片の蔑みも、嘲りも見られない。

聖堂は静寂に包まれていた。
彼らが見ているのはただの男だった。
世界的企業の御曹司でも、億万長者でも、稀有な美貌をもてはやされる男でもなく、魂から一人の女性を愛するただの男だった。


「彼女は言った。私を産んでくれたあなた方に感謝している、と。私も同じ気持ちです。この世に生まれなければ彼女に出会えなかった。人を愛し、そして愛される喜びと幸福に出会えなかった。すべてはお二人が私を産んでくださったお陰だと、今は心から感謝しています。」


その言葉に楓が微かに眉を震わせたのがわかった。


「私はそのことに気づかせてくれた彼女と生きていきます。つくしは私が守る。そしてここで新たなお約束をします。お父さんの背中を見て、私もいずれは道明寺グループの統率者になります。その時にはあなたを超えるほどに成長しているでしょう。彼女がいればそれが可能だ。」


ここでやっと司はニヤリといつもの得意げな顔をして見せた。
それを見て偀の目がギラリと光ったが、次にはフッと口角を上げた。


「そういうことか。俺に対して宣戦布告ってわけだな。道明寺が質か。面白いじゃないか。」

「あなた…」

「司…?」


女たちは共に、自分の夫の背に手を伸ばした。
男たちはそれぞれ自分の妻の手を取った。


「わかった。こちらに有利な新たな契約が出てきたんだ。古い契約の破棄を認めよう。」

「あなたっ」

「お前とつくしさんの結婚を認める。さっきの言葉、忘れるなよ。二度はないぞ。」


その言葉を聞いた司もつくしも、あきらも総二郎も、そして類から通訳を聞いた参列者も一瞬静まり返ったが、次の瞬間に大歓声が起きた。
帽子を被っている者は帽子を、被っていない者は式次第を天井に投げ上げ、その喜びを表した。


「司っ、よかったな!」

「牧野、お前、やっぱすげー女だなっ」

「牧野、おめでとう!」

“ おめでとう! ”

“ おめでとう! 幸せになれよ! ”

“ よかったわねぇ ”

“ 愛の力が勝ったな! ”


親友の3人も、見ず知らずの人々も皆が司とつくしに駆け寄り、我が事のように祝福の言葉を投げかけた。


「きゃっ」

「つくしっ」


押し寄せる人の勢いによろけたつくしに司が手を伸ばした。
その手をつくしが掴む。
もう絶対に離さないと。


徐々に落ち着きを取り戻した人々は自然に割れ、二人の前には道が開けた。
つくしは司の手を掴む手に一度ギュッと力を入れてその手を離すと、偀と楓に向き直った。


「私たちを認めてくださってありがとうございます。司さんの重荷にならないよう、精進してまいります。」


つくしは再び頭を下げた。


「つくし、お前はお前のままでいいんだからな。行くぞ!」


つくしの手を取った司が駆け出そうとした時だった。
つくしがグンッとその手を引いて、司を引き止めた。


「なんだ、どうした?」


つくしは急に頬を染め、照れたように視線を外したが、意を決していつもの上目遣いで司を見上げた。


「あのね…あのさ、映画『卒業』ならここであたしがあんたの手を取って走るとこなんだけど、あたし、お腹に赤ちゃんがいるんだよね。だからあんたが抱いて走ってくれない?」


つくしの言葉に司もF3も、そして偀や楓も息を呑んだ。
周囲の日本人はざわついている。
日本語のわからない人々は、類に早く訳せとせっついた。


「あ、えっと…I should take your hand and run like the movie "Graduation" but I am pregnant.
So please hold me up and run. 」


類の通訳を聞き終わらないうちに、さらなる割れんばかりの拍手と賞賛が沸き起こり、聖堂中が大騒ぎとなった。

司はつくしの両肩を掴んだ。


「マジか?」

「うん、マジ。いま6週目。11月には司もお父さんになるよ。」

「でもお前…ダメだったって…」


その時、もう一人の大切な人が入り口から現れた。


「司!」

「…姉ちゃん!」


椿は司達に近寄ると、親愛の情を込めて一度つくしの肩をグッと抱き寄せた。
そして極上に美しい微笑みをたたえて司に右手を差し出した。


「おめでとう。勝ったわね。」

「ああ…? でも、なんで…」


まだ狐につままれたような顔で呆然としている司に椿はプッと吹き出した。


「何よ、もっと喜びなさいよ。」

「いや、そりゃ嬉しいけど、どういうことだよ。」


司は椿とつくしを交互に見た。
話し始めたのはつくしだった。


「あのね、着床出血だったの。」

「ちゃ…?」

「あたし、その出血が妊娠してない証拠だと思っちゃって。でもそうじゃなくて妊娠したら出血することがあるそうなの。」

「じゃあ…」

「うん、ごめん。あたしもわかってなかったけど別荘にいたときにはもう妊娠してた。」


あの夜、運ばれた病院で妊娠が判明した。
一昼夜安静にして退院許可が出た。
それでも慎重を期した椿が医師と看護師を同伴させ、つくしをプライベートジェットにベッドごと乗せた。
NYに着いて身なりを整える時間もなかった。
そうして間一髪、間に合った。

椿が訪ねてきてくれなければ、司の話を聞いていなければ、あの時、立ち上がって倒れていなければ、間に合わなかったかもしれない。


「本当にごめん。」


つくしは申し訳なさそうに俯いた。
呆けていた司は、次には周囲を魅了する満面の笑みを浮かべた。
細いつくしを抱きしめた。
思いっきりより少し力を緩めて。


「俺たちの子だな。」

「そうだよ。」

「俺とお前の子供だな。」

「うん、そうだよ。」

「最後の奇跡が起きたんだな?」

「ふふっ、そうだね。きゃっ」


司はつくしを横抱きに抱え上げ、偀と楓に向いた。


「聞いたか!! こいつは勝利の女神だ! こいつがいれば俺はどんな勝負にも絶対に負けねぇ。今度俺に賭けを仕掛けてくる時は先に負ける準備をしとけよ!!」


そう言い放った司の顔は、二人が見たことのない少年のような純粋な心からの笑顔だった。
偀と楓はそれぞれが今、目を覚ましたかのように眼前のキラキラと光る現実に瞼を瞬かせた。

そんな様子には気にも留めず、司は向きを変えて教会を後にした。
もちろん、つくしに振動が伝わらないようにゆっくりと歩きながら。


「うちのジェット使っていいわよぉ〜。仕上げはやっといたからねぇ〜!」


後には不敵な笑みをたたえた偀、片眉を上げた楓、笑顔で謎の言葉を叫んだ椿、お祭り騒ぎになってしまった参列者、そして茫然自失の花嫁一家が残された。



「やってくれたな。」

「ああ、やっぱ司は司で牧野は牧野だわ。」

「司の親友しててよかった。こんな面白いものが見られたんだから。」


3人は互いにハイタッチし、親友の恋が最高の成就を遂げたことを心から祝った。








リムジンに乗り込んでも、司はまだつくしを膝に抱いていた。


「司、どこに向かってるの?」

「空港。日本に帰る。」

「確かにあたしが言ったんだけど、でも考えてみればあんた御曹司に復帰でしょ? NYにいなくていいの?」

「お前は日本で産みたいだろ? お前が落ち着くまで俺は日本で仕事する。お前はまずは世田谷の屋敷で新しい生活に慣れていけ。」

「あたしもあのお屋敷に一緒に住むの!?」

「当たり前だろ。夫婦なんだから。」

「あそこ、広すぎて落ち着かないよ。」

「じゃ、お前の部屋と同じ間取りの部屋を作らせる。狭いほうがお前と密着できるし。」

「そんな…ひゃっ」


司のキスが頭のてっぺんから少しずつ降りてくる。
ようやく唇に到達しかけたところで司の動きが止まった。
くすぐったさに目を閉じていたつくしが司を見上げた。


「司?」

「そう言えば、宿題があったよな。」

「宿題?」

「次に会った時、どうすんだったっけ?」


んー? と眉を寄せて考えていたつくしが閃いた顔をした。
が、キョロキョロと視線を泳がせた。


「二人きりだぞ。約束したろ?」


期待にニヤニヤが止まらない司の表情に観念したつくしは司の首に腕を回し、その愛しい男を見上げた。


「司、愛してる。ずっとあたしのそばにいてね。」


司は幸福そうに微笑んだ。


「ああ、もう絶対にお前から離れない。愛してる。」


そして二人は心から求めた愛する人と、生涯の誓いを込めたキスを交わした。









その日の正午のヘッドラインでは道明寺御曹司結婚のニュースが世界に配信された。
そのニュースに添えられた画像はあの日、道明寺邸で撮影した司とつくしの写真だ。
椿がプレス発表用の画像を差し替えたのだ。

写真の中の二人は寄り添い、目を見交わしあい、微笑み合っていて、司とつくしの相手を慈しむ心があふれていた。

その写真を見た人々は、御曹司がいかに幸福な結婚をしたかを悟り、心からの祝福を二人に贈り合った。









「おい、行き先変更だ。先にメープルNYに行け。」

「ちょっと司、内線で何言ってんのよ。メープルって何?」

「こんな状態でジェットに乗れるか。お前、大事な体なんだから密室でなんかあったら困るしよ。」

「だから、何の話をしてんのよ!」

「ゆっくりやるから、な?」

「は?」

「まだ奥まで入れて平気か? それとも先だけか?」

「ちょっ…まさか…」

「出すのはいいよな? な?」

「こ、こ、この、エロ親父! さっきはあんなに立派だったのに…何考えてんのよ!」

「おお、そうか、俺も親父になんのか。男だったら一緒にモナコグランプリ見に行くか。女だったらパリコレか?」

「はぁぁ?? 何の話してんの?」

「いい、まだ先の話だ。つくし…」

「んんー!」

「おっ、酸欠にしちゃ不味いよな。いろいろ大変だな。」

「たっ、大変なのはあたしよ!!」

「叫ぶと腹に力が入るぞ。」

「ぐっ…」



____こうして二人、末永く幸せに暮らしましたとさ。






御曹司、クビになりました。 【完】







最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
明日、「あとがき」を更新します。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
2019.09.07
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力
2019.09.08




皆様、夜中に失礼します。

御クビ「あとがき」(ネタバレ・パス制)で告知しておりました「nonaの部屋」がやっと書き上がりました!
先ほど、予約投稿も済みましたので、本日、17時から4日連続にて更新いたします。

なお、こちらもネタバレを大いに含んでおりますので、パス制です。
閲覧は「御曹司、クビになりました。」の本編をお読みになってからでお願いします。

ではまた、のちほど〜!


                 nona






2019.09.14
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力
2019.09.14
 | HOME |  NEXT PAGE »