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缶詰卸会社の総務部に勤めるつくしは、ハーフアップにした背中までの黒髪を振りながら自転車を漕いで家路についていた。

時々、満開の桜が道すがらの公園や家の庭からのぞいていて、昼間はコンクリートの箱に閉じ込められているつくしもこの季節の美しさと儚さを愛でることができた。
夜風からは切るような寒さが失われ、代わりにどこからか美味しそうな臭いが漂ってくる。

駅前の駐輪場で自転車に乗る前に寄ったコンビニ。
今夜の食事はそこで買ったサラダと家にある缶詰の玉子とじにしようとつくしは思い巡らせていた。
一人分なら最初から作るよりもこっちのほうが安上がりだと気づいてからはこのスタイルだ。

住んでいるのは小規模ながらマンションだ。
短大を出て就職して、初ボーナスで一人暮らしを始めた。
駅まで自転車で10分、電車に揺られ30分、駅からは徒歩で15分。
計1時間弱がつくしの通勤時間だ。
東京では短い方だった。

帰宅時にはこれの逆を行く。
マンション裏にある駐輪場は自由スペースになっていて、それぞれに暗黙の位置が決まっている。
つくしは右から5番目の空間が定位置だった。
しかし、そこに今夜は子供の自転車が置いてあった。
スペース自体が狭いので、時にこういうことが起きる。
少しイラつきを覚えながらも、別の空いたスペースに駐輪した。

自転車を置き、マンション正面に回り込み建物の真ん中にある階段を上がる。
コンクリートがむき出しの暗い階段。
残業というほどではないが、定時に上がれることはまずない。
そのためもう20時を回っていた。

エレベーターのない5階建の3階につくしの部屋がある。
階段横の303号室。
上りきって外廊下に出て左に曲がった。


!!


つくしの部屋のドアの前にものすごく見たことがある人物が立っていた。
外廊下のコンクリートの柵にもたれてドアを見ていたその人物が、つくしに気づいてこちらを見た。
廊下の仄暗い蛍光灯に照らされたその人は、


「……道明寺…?」


二人といないその髪型、その整った顔、その体格。
つくしの記憶が正しければ、6年前にNYに旅立った道明寺司、その人だった。
薄暗い中でもあの頃より大人の男になって、初めて見るスーツ姿も憎たらしいくらいにキマッているのがわかった。


「よう、牧野。遅かったじゃん。」


つくしの動揺をよそに、ブランクを感じさせない気軽な司の声が耳に届き、目の前がチカチカと点滅した。


「なっ、どっ、マ…え? ええ―――!??」


なんで?
どした?
マジで?

あらゆる疑問詞が飛び交い、言葉が出てこない。


「お前相変わらずチビだな。」


笑いながら近づいた司はつくしの頭をポンポンと…押した?


「え、あの、なに? なんで? どして? なんでここがわかったの? なにしに来たの?」


最後はひどい言葉になってしまった。
混乱してるだけだから許してほしい。
言葉を選んでる余裕はない。


「何しにって会いに。久々に懐かしくなって。」

「懐かしい!? なに? 思い出を辿る旅とか?」


混乱はまだ続いているらしく、つくしは訳のわからないことを口走っている。


「ま、そんなとこか。部屋に入れてくれるよな。」

「・・・・はっ!? いやいや、ダメでしょ。あたし、一人暮らししてんの。男性は上げないことにしてるから。」

「へー、お前でもそんなこと気にすんのな。お前なら大丈夫だろ?」


カチーン!


そりゃその通りかもしれないけど、でも面と向かって言われるとムカつく。
ムカつきで冷静になってきた。


「ああ、はいはい、そりゃそうでしょうけどね、でも久しぶりに会ったヤツに言われるとムカつくのよ! 思い出巡りなら十分でしょ。あたしは元気ですっ! さいなら。」


つくしはドアの前に立ち、鍵を開けて中に入り、司に振り向いてドアを閉め…ようとした。
が、しかし阻まれた。


ガシッ


「まあ待て牧野。お前が俺を男だと思ってたとは意外でな。てことはお前には俺が恋愛対象か?」

「ちょっとっ、手を離しなさいよ! んなわけないでしょ! あんたなんか昔も今もただのイケ好かないお坊ちゃんよ!」


閉めようとして引っ張るつくしと、開けようとして引っ張る司。
この綱引き、軍配は司に上がった。


「お邪魔します。」

「ハァ、ハァ、許可してないっ」

「狭っ、庶民はこんなもんか。」


おい、6年経ってんのに1ミリも変わってないとか、ある意味ブレなさ加減に恐れ入るわよ!

勝手に入ってきた司につくしは思わず後ずさりした。




つくしの家は1DK。
キッチンとダイニングはきちんと分かれてるから広く感じる。

でもこの大男が入ってきたらとたんに狭小さが際立つってどういうことよ。


「お茶一杯飲んだら帰ってよ!」

「わかった。いっぱい飲んだら帰る。」


間取りではダイニングとされてる部屋はリビング兼になっていて、フローリングにラグを敷き、その真ん中にローテーブルを置いて、クッションに座っている。
リビングと言うより居間と呼ぶ方がしっくりくる。
誠に不本意ながら、追い出せなかった司につくしは来客用のクッションを勧めた。


「そこ座ってなさい。あっ、こらっ、何も触んじゃないわよ!」

「へーへー。」


本当にもう、なんなんだろう。
突然現れて家に入ってきて。
白いラグにピンクのクッションを置いてその上に座ってる。
高級そうなダークグレーのスーツ姿との対比が半端ない。
こいつ、何歳だっけ?
もういい社会人じゃないの?

あたしもスーツ姿のまま着替えもできずにインスタントのコーヒーを2人分作った。
道明寺がこんなの飲むわけないけど、うちにはこれしかない。
文句言ったら今度こそ追い出してやる。


「インスタントだよ。」


テーブルにマグカップを2つ置いた。
ジャケットを脱いでラグの上に投げて、向かい合うよりちょっとずらしてつくしも座った。


「で、突然なに?」

「何って?」

「あたしが質問してるの。どうしてここがわかったの?」

「ああ、調べた。」


・・・ったく、異世界のバカはこれだから。


「調べてまであたしに何の用?」

「んー、今晩泊めてくんね?」

「は? いや、ちょっと何言ってるかわかりません。」

「なんならしばらく置いてくれ。」

「はぁ??? 6年前もバカだバカだとは思ってたけど、せっかくNYまで行ったのに何にも進歩してないじゃん。帰れ!」


つくしは司をひと睨みしてからマグカップを口に運んだ。


「帰るとこねぇんだよ。」

「あのさ、あの豪勢なお屋敷があるじゃん。」

「ああ、親に勘当されて会社もクビになって入れねぇ。」

「あんたね、嘘までつくようになっちゃったの? あたしゃ悲しいよ。」


シャツの袖口で涙を拭くフリをしてやった。
この男、いい加減にしろ!


「嘘じゃねぇよ。だからNYから戻ったんだ。」

「あー、はいはい。じゃ、それが本当だとして頼る人間は他にもいるでしょ? F3はどうしたのよ。そっちに行け。」

「あいつらにはうちの母親が手を回してる。俺を助けたら取引停止だ。」

「お母さんが? お母さんがそんなことするの?」

「うちの母親は普通の母親じゃねぇ。道明寺で会社持って社長してて、総帥の次の地位にいる。」

「お父さんが総帥でお母さんがNo.2? どんな一家よ。」

「鉄の女って呼ばれるくらい冷たい女だよ。」

「あのさ、よしんばその話が本当だとして、よ? そこまでされること何やったのよ。」

「縁談をぶち壊した。」

「縁談ってお見合い!? え、待って、道明寺って幾つだっけ?」

「いま23。」

「だよね。それでもうお見合いとかさせられるわけ??」


道明寺もマグカップに口をつけたけど、マズッって顔してすぐにテーブルに置いた。
でも言葉にはしなかった。
チッ、言ったら追い出せたのに。


「俺が後継者として役立たずだから、政略結婚させるくらいしか使い道がなかったんだろ。」

「使い道って・・・」


マジ・・・?
自分の子供にそんなこと考える親がいるの?
やっぱりちょっと信じられない。


「悪いけどさ、そんな話信じられない。」

「お前が信じようが信じまいが本当の話だ。」

「じゃさ、携帯出して。」

「あ? 何すんだよ。」

「F3に電話すんのよ!」

「無駄だよ。」

「あんたたち親友なんでしょ? 友達が困ってたら助けるでしょ。ん、携帯!」


あたしが差し出した手に道明寺はしぶしぶ胸ポケットからスマホを取り出して乗せた。
iphonの最新機種。


「パスコードは?」

「…432332」

「432、332ね。」


ロックを解除したらホーム画面が表示された。
最新機種じゃないけどあたしも一応iphonだから電話帳の出し方くらいわかってる。
F3ってなんて名前だったっけ?
6年ぶりに記憶を繰る。
・・・けど、そんな必要なかった。
電話帳に登録されてる番号は10件もなかったから。
F3とお姉さんと家と会社。そしてなぜかあたしの携帯番号。
だからさ、勝手に調べんなって!

あたしはまず美作さんのメモリを表示して番号を押下した。



RRRR RRRR RRRR RRRR RRRR ………



なかなか出ない。
10コールを過ぎても留守電にさえならない。
おかしいなと思って15コールしたとき、やっと出た。


『司、すまん。』


美作さんは第一声で謝った。
そしてそのまま続けた。


『友達としてはお前を助けてやりたいが、美作の全社員を預かる身としては助けられない。本当に申し訳ない。どうにかひとりで頑張ってくれ。』


それだけ言って通話は切れた。
あたしまだ何にも言ってないよ??
視線を道明寺に向けたら道明寺は何も表してない顔で視線を落としてコーヒーの面を見てた。

あたしは次に花沢類に電話をした。
でもこっちは2コールしたら勝手に切れた。
何度掛け直しても2コールで勝手に切れる。
仕方なく最後の砦、西門さんにかけてみた。



RRRR. RRRR. RRRR. RR………



『よう』


久しぶりに聞く西門さんの声。
普通に出てくれてホッとした。


「あの、西門さん?」

『……誰だ? 司じゃないのか?』

「あ、あたし牧野。牧野つくし。ご無沙汰してます。」

『・・・・牧野? 牧野ってあの英徳のボンビー牧野?』


その覚え方って。
でもまぁ、反論はできないな。


「うん、そう。突然ごめん。」

『なんで? これ司の携帯だろ?』

「あー、それなんだけどさ、いま道明寺がうちに来ててさ、」

『司が牧野ん家に!? ワッハッハッハッ! 司、可愛すぎ!』

「何が可愛いのよ! 笑い事じゃないわよ!! この大男、引き取ってよ!!」

『勘当されたこと、聞いたのか?』

「それ、本当なの?」

『ああ、マジのマジ。大マジだ。司にはもう帰る家はねぇ。』

「そんな…助けてあげてよ。」

『悪りぃ。それは無理だわ。』

「なんでよ、親友でしょ!?」

『ああ、そうだな。でも西門の存続がかかってる。息子でさえあのおばさんに逆らって人生終わったのに、俺らに太刀打ちできるわけねーだろ。お前はあの怖さを知らねーから言えるんだよ。俺にも一応、責任があるからな。牧野、お前が司に庶民の生き方を教えてやってくれ。』

「このお坊ちゃんにそんなことできるわけないでしょ!?」

『いいや、お前ならできる。つーか、お前にしかできない。司はもう御曹司じゃねぇ。お前と同じクラスで生きるただの男だ。鍛えてやってくれ。』

「そん、」


プッ


…切れた
嘘でしょ?
嘘であってくれ!

あたしは道明寺のスマホの画面を袖で拭いて返した。


「はい…」

「マジだっただろ。」


あたしはジャケットとバッグを手に取って立ち上がった。
道明寺はそんなあたしを見上げた。


「行くわよ。」

「行くって?」

「あんたん家よ。こうなったらあたしが送って行ってあげる。ほら、立って!」


道明寺の腕を持って引っ張った。
しぶしぶ立ち上がった道明寺とマンションを出た。









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2019.06.01




道明寺と部屋を出たけど、ここからどうする?
自転車は1台しかない。
いや、2台あってもこいつが乗るとは思えない。
道明寺が自転車を漕ぐ姿を想像したらめちゃくちゃ可笑しい。

仕方ないから歩く。
歩くと駅まで20分以上かかる。


「タクシー呼ばねぇのか?」

「タクシー? そんなお金ない。」

「俺が出すから呼べ。」

「あのね、庶民は病気でもない限り駅までタクシーなんて乗らないの。それに勘当が本当ならそんな無駄遣いしてる場合じゃないでしょ。所持金だって少ないんでしょ?」

「・・・・」

「健康なんだから歩く、歩く。」


夜の住宅街を道明寺と並んで歩いてる。
不思議な感覚。

道明寺は高校3年の秋に突然、NYに旅立った。
南の島の事件があって、あたしと花沢類を追放するって言ってバスケの試合をした直後だった。
結局、試合は道明寺が投げ出したことによりチャラになり、あたしも花沢類も退学にはならなかった。

でもあたしは高2が終わって転校した。
もう英徳の学費を払い続けることができなかったから。
優紀と同じ都立高校に通うようになってあたしは本来のあたしを取り戻した。
高校生活最後の1年は楽しかったな。

だけど、英徳やF3や道明寺とのこと、それもあたしには大切な思い出だった。
時々は空を見上げながらNYのこいつのことを思ったこともあったっけ。
どうしてるかなって。

なのに、いまここにこうしてる。
ねぇ、道明寺、本当は何があったの?




駅に着いた。
ここから道明寺ん家の最寄駅へは1回乗り継がなきゃいけない。


「電車に乗ったことはあるんだよね? 切符の買い方、知ってる?」

「幼稚舎の時に乗ったことある。」

「あっそ…一応、聞いただけ。じゃ、あれ見て。」


あたしは券売機の上に掲示されている路線図を指した。


「あんたのとこの最寄駅は英徳学園前駅だから、まずは新宿まで出る。そして乗り換える。だいたい1時間くらいかな。」

「1時間!? 車なら直線距離で、んなかかんねぇだろ!」

「どこに車があんのよ? 道明寺んとこの車はもう使えないんでしょ?」

「だからタクシー。」

「だから無駄だって。」

「ほんとに無駄かどうか聞いてみようぜ。」


道明寺は駅前に停まってたタクシーの窓をノックした。
運転手さんがウインドーを下げて顔を出した。


「はい?」

「こっから世田谷の英徳学園まで時間は?」

「英徳ねぇ、今の時間なら40分から50分てとこかなぁ。」

「幾らだ?」

「運賃ですか? そうですねぇ、7千円前後じゃないですか?」

「すみません! ありがとうございました!」


最後はあたしが終わらせた。
たいして時間は変わらないのに、7千円!?
冗談じゃない。


「はい、電車の勝ち。行くわよ。」

「チッ」


片道540円。
現在、時刻は21時30分。
新宿までの上りは帰宅ラッシュの逆行だから空いてる。
席も所々空いてるからサラリーマンの間に座ろうとしたら道明寺に腕を掴まれた。


「何よ。」

「健康なんだろ? 立ってろ。」

「はぁ? 席が空いてる時は座っていいのよ。」

「じゃ、あそこにしろ。」


道明寺が顎で指した先には貫通扉の脇に3席ポッカリ空いた優先席。
これだから素人は。


「あそこは優先席って言ってね、体の不自由な方とか、年配の人とか妊婦さんとか体調が思わしくない人が座る席。空いてたら誰でも座っていいけど、あたしはあそこには座らない主義なの。」

「空いてるし、誰でもいいならあそこに座れ。」

「もういいから、わかった。立ってるから。」


新宿駅まで25分くらい。
目の前には空いてるシート。
なんで座っちゃダメなのよ。

電車は急行だから次の駅が遠い。
10分してやっと最初の駅に着いた。
降りる人は多いけど、乗る人は少ない。
目の前のシートが4席分空いてる。


「ね、座っていいよね? 道明寺も座ろうよ。」


あたしは返事を聞かずにさっさと座った。
道明寺を見上げて隣のシートをポンポンと叩いた。
渋々、道明寺が隣に座った。

電車マナーを知らないこの男は、普段と同じ姿勢で座ってる。
だから脚があたしの脚に密着してる。
ハァ、ここからなの?
ここから教えなきゃなんないの?


「ちょっと、脚を閉じなさいよ。それが電車マナーよ。」


あたしは道明寺の脚を押しやった。


「隣の人に触れないように座るの。」

「こんな狭いシートで無理だろ。」

「完全には無理でも、極力触れないように努力するものなの。」


向かい側の真っ黒な窓に、並んで座るあたしたちが映ってる。
座ると、立ってる時ほどの高低差はないってどういうことよ。
顔、小さいなぁ。
あたしより気持ち大きいくらい?
え、だってこんなに体格差あるのに。
ふと、窓を見た道明寺と目が合った。
あたしは自分の顔の大きさが恥ずかしくなって顔を背けた。





ガタンガタン…

    ゴトンゴトン…


座って電車に揺られること5分。
猛烈な睡魔が襲ってきた。

眠い…
眠いよ…
ダメ…寝ちゃダメ…
寝ちゃ…




「おい、起きろ。着いたぞ。」


ハッ


肩を揺さぶられて目が覚めた。

えーと、これは今、どうなってますか??
視界には空っぽの向かい側のシートがちょうどあたしの目線と同じ高さにある。
…と、いうことは…


ガバッ


「ご、ごめん!」


あたしは上体を起こしてハンズアップした。


カァァァ

まさか、道明寺に膝枕してもらってた!?
さっきあれほど隣の人に触れるなって力説したとこなのに!
ヒェェェ、恥ずかしいぃ


「お前、」

「あ、あのっ、いつもはこんなことないしっ、こんな空いてる電車にも乗らないしっ、寝ないしっ、とにかく、ごめんっ!」


パンッと手を合わせて謝った。


「そうだ、降りなきゃ! 行こ」


あたしは再び道明寺の腕を持って立ち上がった。




新宿でまた別の路線に乗り換える。
今度は下りだから帰宅ラッシュの真っ只中。
改札でもホームでも老若男女がひしめいてる。


「なんだこりゃ。こんなのが人間が乗る箱か?」


ホームであたしと一緒に乗客の列に並んでる道明寺が、あたしたちが乗る電車の一本前で発車直前の車両を眺めて本気で引いてる。
今日は金曜日。
22時を過ぎたこの時間は仕事帰りの人も、街で楽しく過ごした人もいっしょくたに乗り合わせてて、目の前の車両の窓から見える車内は、あたかも押し寿司のご飯粒のごとくギュウギュウに詰め込まれていた。


「仕方ないよ。金曜日のこの時間の下りは帰宅する人たちで混み合うんだから。朝のラッシュよりはマシだし。」

「お前もこんなのに乗ることあるのか?」

「んー、ここまでのに乗るのは珍しいけど、あるよ。」

「周りの乗客と密着すんのか?」

「そういうこともあるけど、それでも互いにできるだけ触れないように気を遣ってるのよ。」

「触れないように、ねぇ。」


あたしに視線を流してニヤリとしたのは気のせいじゃない。
はいはい、悪かったですよ。
膝枕なんて触れる云々以前の問題でしたよね。
ほんっと、不覚。


次の電車が入ってきた。
終点駅だけど、上りの電車に乗ってる人はまばらだった。
さ、ここから場所取りの乗り込みが始まる。
座れたらラッキーだけど、立っててもなるべくいいスペースに収まりたい。


「道明寺、はぐれないでついてきてよ!」


あたしは道明寺の手首を掴んでスタンバイした。
降客の最後の1人が出てくると、並んでいた列が一斉に動いた。
もう並び順は関係ない。
あたしは道明寺の手首を掴んだまま、人の流れに乗った。
車内に入り、一瞬で座るのは不可能と判断し、ドア付近を目指す。
あそこだ!
間一髪でドアの前に陣取った。
ホッと息を吐いて道明寺の手首を放した。


「庶民は大変だな。毎日、こんな生活してたらそりゃハゲるだろ。」


まったく、何言ってんのよって言おうとして、下げていた視線を上げると至近距離にネクタイの結び目が見えた。
さらに上げると喉仏の先に顎が見えた。


「ちょっと、近いよ。」

「あ? この状況でどうしろって言うんだよ。」


確かに車内はかなりの混み具合で、道明寺の後ろにはピッタリとおじさんが立ってる。
空間を開けられる状況ではない。
仕方ないから、ずっとネクタイを見てた。
ベースカラーはイエロー。
8ミリほどのシルバーのラインと1ミリのオレンジのラインが入ってる。
これはウインザーノットってやつ?
ちょっと難しい結び方だよね。
進の大学の入学式の時にネクタイの結び方を研究したんだった。

その時、電車がコーナーに差し掛かったようでガゴンッと一度大きく揺れた。


「あっ」


ドアにもたれていただけだったあたしは思い切りよろけて、あろうことか道明寺の胸に飛び込む形になってしまった。
あたしを抱きとめた道明寺の、ジャケットの肩の縫い目が見えた。


「ほんと、ごめん…」

「電車って危険な乗り物だよな。」


そう言った道明寺のつり革を持ってない方の腕があたしをギュッと抱きしめた。
これだけ混み合った車内では離れることも、離してと言うこともできずに、次の駅までの5分間、ただじっと抱きしめられていた。
その間ずっと、懐かしい香りがしてた。



駅に到着するたびに人が減っていき、やっと目的地に着いた。

英徳学園前駅

6年前、鉛のような制服に身を包み、ここに通ってた。
転校が決まって自由になった日、微かな寂しさを感じたのを覚えてる。
二度と降り立つこともないと思っていたその駅に、あたしは道明寺と共に立っていた。


「さ、ここからまた歩くわよ。」

「もういい加減疲れた。タクシーだ。」


道明寺はスタスタとタクシー乗り場の矢印に沿って歩き出した。

あたしも疲れていた。
体もだけど精神的にも。









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2019.06.02




タクシーで道明寺邸正門前に乗り付けた。


「で、どうやって中に入るの?」


道明寺はスラックスのポケットに手を突っ込んで、聳える門扉を見上げていた。


「知らねぇ。自分ちに徒歩で入ったことねぇ。」


あー、はいはい。
日本一のお坊っちゃまですもんねぇ。

あたしはインターフォンでもありはしないかと、門柱を見回して、呼び鈴らしき装飾されたボタンを見つけた。


「ね、これじゃない? 押してみていい?」

「勝手にしろ。」


その重そうなボタンを押そうとしたけど、ほんとに重い。
あたしは思い切りグッと押し込んだ。


・・・・・


門から邸が遠すぎて、鳴ってんのかわからない。
あたしはもう一度強く押してみた。


・・・・・


やっぱりウンともスンとも言わないし、邸からの反応もない。

あれぇ?
壊れてんのかな?
それとも、もう使われてないとか?

道明寺を振り向いて「どうしよう」と言いかけた時だった。


“ 司なの? ”


声が降ってきた!


「え、どこから聞こえてんの?」


キョロキョロするあたしを尻目に道明寺は門のてっぺんに向かって叫んだ。


「姉ちゃんか?」

“ そうよ。司でしょ? 横にいる女性は? ”

「・・・・」


あたしが見えてる?
どっかに防犯カメラがあるんだ!


「あ、お姉さんですか? ご無沙汰しております。牧野つくしです。あの6年前に英徳で、」

“ つくしちゃん!? ”

「あ、はい。あの、」

“ 司!? ”

「ちげーよ。こいつが俺を送り届けたいって言うから来ただけ。」

“ 送り届ける?……ちょっとそこで待ってなさい。 ”


お姉さんとの会話は終了して、あたしたちは門の前で20分は待ってたと思う。
門の中の遠くにライトが見えたかと思ったらどんどん近づいてきて、門を隔てた向こう側にハイヤーが2台停まった。
そして運転手さんが開けたドアから降りてきたのは6年ぶりにお会いする道明寺椿さんだった。

お姉さんはきっともう休むところだったにちがいない。
レース仕立てのナイトウエアを着て、シルクだと思われる光沢のガウンを羽織って、足元はミュールだ。

門を挟んで向かい合った。


「司、つくしちゃん、こんばんは。」

「お姉さん、こんな夜分に申し訳ありません。」

「いえ、いいのよ。で、どんな御用かしら?」


お姉さんはにこやかなのに、弟を前にして門を開ける気配はない。
6年前には感じなかった目の冷たがあった。


「あの、弟さんを送り届けにきました。中に入れてあげてください。」


道明寺は相変わらずスラックスのポケットに手を入れたままでお姉さんとは視線を合わせずに門柱を見つめていた。


「弟がどうしてここに入れないか、何か聞いた?」

「はい。あの、勘当されたとかクビになったとか…」


これ、あたしの口から言っていいこと?


「そう、その通りなの。だからこの門を開けるわけにはいかないの。つくしちゃん、わざわざ来てくれたのにごめんなさいね。」


穏やかな口調がかえって緊張感を生んでいる。
でもあたしもこのまま帰れない。


「勘当された理由も聞きました。縁談を壊したって。」

「ええ、そうね。」

「壊したってことはまだ結婚したくなかったってことで、その、弟さんはまだ若いですし、そんなに無理強いすることでもないのかなって。だからそういうことが一度あったからって勘当までするっていうのはどうなんだろう、と・・・」


この独特な緊張感の中、あたしは視線を漂わせ、右手で左手の甲を撫でながら話した。
部外者が口出しすることじゃないのはわかってる。
でも厳しすぎると思うし、それに何より自宅に帰ってもらわなきゃ困る。


「つくしちゃん、一度じゃないのよ。」

「へっ?」

「4度よ。そして最後はお見合い相手を海に突き落としたの。」


お見合いを4度!?
う、海???


「えええ〜〜〜!!!」


思わず道明寺を振り返った。


「それまでの3回を壊されてきた母は、逃げられないようにクルーザーでのお見合いをセッティングしたの。船でディナーを楽しみながら今度こそ相手の女性を受け入れて欲しかったんだと思うんだけど、甲板で2人きりになった時に、ね。」

「ディナーってことは、ふ、船から夜の海に? その方はどうなったんですか?」

「幸い助かったわ。でも相手方はもちろん激怒よね。司を殺人未遂で訴えると言ってきたわ。」


そりゃそうでしょうよ。
よく生きてたな。
その人もだけど、道明寺も悪運が強い。


「訴え取り下げの交換条件が司の追放よ。駒として使い物にならなくなった司をうちの両親は切ったってわけ。」

「そんな言い方…」


本人を前にして駒とか使い物にならないとか、なんでそういうことが言えるんだろう。


「だからね、ここに連れてきてもらっても、もうここは司の家じゃないの。ごめんね、つくしちゃん。」


お姉さんが一歩下がった。
行ってしまうんじゃないかとあたしは焦った。


「あのっ」


ガシャンッ


あたしは門扉の柵を握ってお姉さんに詰め寄った。


「何か、許してもらえる方法ってないんですか?」

「許される方法?」

「道明寺は確かにバカですけど、理由もなしに人を殺そうとするようなバカじゃないと思いますし、仕事ができるかどうかは知らないですけど、優しいところもありますし、何か家に戻れる方法ってないんですか?」


あたしの訴えを聞いてお姉さんの口角がニヤリと上がった気がした。


「そうねぇ、可能性は低いけど、ひとつ、あるわね。」

「姉ちゃん!!」


振り向くと、それまであたしたちから顔を背けてた道明寺がポケットから手を出してお姉さんを睨みつけた。
あたしはムカッ腹が立った。


「ちょっと道明寺! あんた、そういうとこでしょ! いま許してもらえる可能性の話ししてんだから、邪魔すんな!」

「うるせぇ! お前は口を出すな! これは俺の問題だ!」

「電車一つひとりで乗れない人間が、これからどうやって生きていくのよ! あんたはどこまで行っても道明寺司なんだから、許してもらわなきゃ始まらないでしょーよ!」

「道明寺なんて俺の方から捨ててやる! 俺は1人でも生きていける! 誰の助けも許しも必要ねぇーんだよ!」

「絶対に無理! そういう世間を舐めてるところが問題なのよ! 昔、あたしがあんたの根性叩き直してあげるって言ったのに、途中で放り出してNYなんかに行くからそんなこともわかんないのよ!」


あたしたちは6年ぶりに睨み合い、バチバチと火花を散らした。
その時だった。


「それよ! つくしちゃん、司を許す条件は、あなたが司の根性を叩き直してくれることよ。」


お姉さんの言葉にあたしはハッとして今度はお姉さんを振り返った。
いま、なんてった??

「お姉さん? あたしが、ですか? こいつの根性を?」

「そうよ。つくしちゃんならできるんじゃない? 司の根性を叩き直して、道明寺に役立つ人間に変えてちょうだいよ。」


今度はお姉さんの言葉があたしの怒りの導火線に火をつけた。


「さっきから聞いてりゃ使い道だの、役立つだの、なんなんですか! お姉さんは道明寺の家族でしょ!? もっと他に心配することあるでしょ!」


しかしあたしの剣幕にも動じず、お姉さんは言い放った。


「ないわね。」

「えっ…」

「ないわ。わたしたちが心配するのは常に道明寺って組織のことよ。司もその中の駒に過ぎない。重要な役割を持つ駒だったけど、中から腐ってたんじゃ使い物にならないじゃない。」


唖然とした。

こんな人たちに囲まれて育ったの?
NYに行ってた6年間、どんな気持ちで過ごしてた?

いつの間にか怒りで拳を握りしめてた。
グッと力が入った。


「わかりました。道明寺の根性はあたしが叩き直します。」

「牧野…」

「でもっ、立ち直った道明寺がどう生きるかは道明寺が決めることです。あなたたちじゃない!」


あたしはうつむいていた顔を上げて、お姉さんを真っ直ぐに見た。
お姉さんはまたフッと笑んだ。
そして後ろに控えていた運転手さんから紙袋を受け取り、門扉の隙間から差し出した。


「これ、一千万入ってる。これが司の全財産よ。つくしちゃん、あなたに預けるわ。管理してちょうだい。じゃないと1週間で使い切っちゃうと思うから。」

「え!」

「さあ、受け取って。それとこれは私の連絡先。つくしちゃんならいつでも歓迎するわ。司のことで困ったことがあったら連絡してね。」


半ば落とすように手渡された紙袋と名刺をあたしはマジマジと見つめた。


「じゃーね、司、つくしちゃん。期限は1年よ。ま、頑張ってね。」


お姉さんは後ろ手をパタパタと振り車に乗り込むと、闇の中に消えていった。









あたしは今、道明寺家の車に乗って自宅を目指してる。
あの後、もう一台のハイヤーがあたしたちの前に滑り込んできた。
中から出てきた運転手さんが送るから乗ってくれ、と言った。
あたしは固辞したけれど現金一千万を持ってたし、道明寺の荷物を積んでいるからと言われて送ってもらうことにした。

左隣には道明寺が座ってる。
顎に手を当てて窓枠に肘をついて車窓を眺めてるから、その表情は見えない。

英徳の思い出が蘇る。

英徳のこの人は王様だった。
思い通りにならないことは一つもなくて、道はいつもこの人の前に開けてた。
学園一の人気者で暴君で、その命令に従わない人間なんていなくて、赤札を貼って他人の人生さえ操ってたのに。
なのに、家族も友達も失って、やっと思い出した人間があたし?
この人、こんなにも孤独だったんだ。


あたしは急に道明寺が可哀想になった。
この人の心を見てくれる人は誰もいないから。

シートに置かれた道明寺の手に自分の手を重ねてそっと包んだ。
道明寺が振り向いた。


「ね、あたしがいるじゃん。ひとりじゃないじゃん?」


道明寺は驚いたような顔をしたけど、すぐにフッと微笑んだ。


「そうだな。お前がいればなんとかなるな。」

「おうよ! 庶民の代表、牧野つくしに任せなさい!」


アハハって、笑ってみせた。
フンッて道明寺も笑った。








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2019.06.03




あたしたちは帰ってきた。
道明寺の荷物は海外旅行用の1番大きいサイズのトランクひとつだけ。
キャスターを拭いてから玄関横に置いた。

あたしたちは冷めきったマグカップを前にしてまた座ってる。
さて、これからどうする?


「あのさ、ものすんごい今更なんだけどさ、」

「なんだ。」

「あのお屋敷以外に家ってないんだよね?」


あたしは一縷の望みをかけて聞いてみた。
もしかして都内にマンションとか持ってるんじゃないかって。


「ない。」


はは、だよねー。


「じゃここに住む…の?」


こいつが一般社会で一人暮らしできると思えないし、ホテル暮らしなんて無駄遣いはもってのほかだし、としたら、あらら? ここに住むしかないってこと?


「そういうことだろ。お前も宣言したんじゃん。俺の根性を叩き直してくれんだろ。」

「したけどさ、ここだよ? この道明寺ん家のお風呂場くらいの大きさの家に住める?」

「お前がいればなんとかなるんだろ?」


なるかなぁ…
安請け合いしちゃったかもなぁ…
それにやっぱりハッキリさせておかなきゃならないこともある。


「もうひとつ確認なんだけど、道明寺にとってあたしは女じゃないよね?」


あたしはつい数時間前に言われた

“ お前なら大丈夫だろ ”

って言葉を思い出していた。
だって、それってあたしが女に見えないってことでしょ?

そしたら道明寺はまるで鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をした。


「は?」

「いや、だからさ、さっき言ってたじゃん。「お前なら大丈夫だ」ってそれってあたしが女に見えないってことでしょ?だから一緒に暮らしても、その、大丈夫だよね? いや、自意識過剰とか言わないでよ? 念のために確認してるだけなんだから。」


道明寺の顔がますます呆れ返ったという表情になった。

だから、念のためだって言ってるでしょ!!


「わかった! 考えてても始まらない。あんたに庶民の生き方を教えて根性叩き直して、せめて家に帰れるようにするのが最終目標なんだから。」


あたしはバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。


「じゃ、今夜はもう遅いからシャワーね。お先にどうぞ。使い方教えるから。」

「な、俺も聞いていいか?」


浴室を案内しようと一歩踏み出した時、道明寺があたしを見上げてなんだか真剣な顔をして問いかけてきた。


「なに?」

「俺がここに住むってことは、お前、男を呼べないだろ。どうすんだ?」


今度はあたしが豆鉄砲を食らう番だ。


「それは、あたしの彼氏を気遣ってくれてるわけ?」

「…いるのか?」

「いたらあんたの面倒なんてみないで結婚するわよ!つまんないこと言ってないでさっさとついてきて!」


バカは放っといてあたしは居間を出た。






道明寺邸の帰り道、途中でコンビニに寄ってもらって歯ブラシとボディウォッシュタオルを買った。

時刻はただいま午前1時30分

道明寺に室内を案内する。
風呂・トイレ別なのもこの部屋の魅力のひとつ。
これで家賃が7万8千円はお特なのよ?


「ここがトイレ。こっちが洗面兼脱衣所、んでここがお風呂場。」

「せっま! これが風呂?」

「ハァ、これからこんなことばっかりなんだろうな。はい、そうですよ。これがお風呂です。今夜はシャワーだけだけどね。こっちがシャンプー、コンディショナー。体を洗うタオルはこれ。あんた専用。バスタオルはあたしは使わない主義だけど、あんたの面積なら必要よね。これ使って。他のタオルはここ。ご自由に。で、着替えはここに置いて。」

「着替えって?」

「は? パンツとかTシャツとかスウェットとか。」

「風呂上がってすぐに着るのか?」


お坊ちゃんの常識にはついていけませーん。
金持ちはお風呂上がって服は着ないのか?


「そうだよ。間違っても全裸で出てこないでよ。」

「汗が引いてから着たい。」

「ガキか。わがまま言うな。あたしも疲れてんだから、早く入って。ウチワなら貸すから暑かったら自分で扇げばいいでしょ。ほらっ」


もうさ、幼児と変わらない。
ここまで言って道明寺はやっとトランクを開けて着替えを出し、脱衣所に入っていった。





さ、その間に布団を敷かなきゃ。
居間の隣があたしの寝室になってる。
居間と寝室の間は木製の引き戸で仕切られている。
寝室に入ってクローゼットから客用布団を取り出した。
弟の進や親友の優紀が泊まっていくことがあるから用意してた。
あってよかった。

居間にスペースを作って布団を敷き、洗いざらしのシーツを掛けた。
羽毛の掛け布団にもカバーをかける。
お客様用の枕カバーはどこに仕舞ったっけ。
・・・旅館かよ。

あーあ、変なことになっちゃったな。
選りにも選ってなんで道明寺と同居なのよ。
こういうのなんて言うっけ。
呉越同舟?

布団を敷いたらキッチンでさっきのマグカップを片付けた。
そう言えば何にも食べてないじゃん。
思い出したらお腹すいてきた。
でももう午前2時だよ?
いいや。朝食をしっかり食べよ。

お米を研いで、炊飯の予約をする。
明日は休みだから7時の炊き上がりでいいか。

そうしてたら背後でドアが開く音がした。

道明寺を振り返ると上半身裸で濡れてストレートになった髪からまだ水滴がポタポタと落ちてる。


「ギャーーー!! 服着てって言ったでしょ! しかも髪、濡れてる!」


あたしは瞼を強く閉じて、さらに手で目を隠して叫んだ。
そしたら道明寺の足音があたしに近づいた。
え? と思ったら肩に雫が落ちるのがわかった。


「ンな照れんな。アチーんだよ。」

「ひゃっ! 照れてないっ! 耳元で囁くな!」


あたしは目を閉じたまま、どうやら近くにいるらしい道明寺を押しのけようと両手を伸ばした。
そのあたしの手に道明寺が首にかけているタオルが触れた。
あたしはそのタオルを手に取り、まだ目は閉じたまま道明寺の頭の位置に見当をつけてタオルをかけた。
そのままガシガシと濡れた髪を拭く。

「んっとにガキなんだから! 床が濡れるでしょ!」

「あー、きもちー。」


吐く息が届くほど近くで声が聞こえる。


「服を着ろ!」

「このまま髪、拭いて。」

「あたしゃお母さんか!」

「母親はこんなことやんねぇだろ。」

「…じゃ、子供の頃は誰にしてもらってたの?」

「使用人」

「…………」


さっき感じた孤独はそんな昔から存在してたんだ。
庶民が経験すること、それは生活のことだけじゃなくて、親子のふれあいみたいなものさえこの人には無縁だったってこと?


「とにかく、服を着て!」

「へーへー。」


道明寺が離れた気配を感じて、あたしは手探りで居間に戻った。





自分のお風呂の用意をして寝室から居間に入るとTシャツを着た道明寺が布団の上に膝を立てて座ってスマホを見てる。
でもまだその髪は濡れている。


「髪、ちゃんと拭きなよ。風邪ひくよ。」

「お前が拭いて。」


タオルをあたしに突き出して、ついでに口も尖らせて、駄々っ子みたいな顔をして見せた。
子供かっ! と思いながらも、その孤独を知ってしまって無碍にできない自分がいる。
タオルを受け取り、背後に回って髪を拭いてやる。


「ハァ、ガキすぎ。手間がかかりすぎ。弟がもう1人できたみたい。」

「俺が弟か?」

「みたいってこと。進より手がかかるから進がお兄さんね。」

「進って弟がいんだっけ?」

「そう。今、大学生。」

「ふーん。」

「ほら、クルクルが戻ってきたよ。いつ見ても面白いよね。」

「明日もやって。」

「甘えんな。さ、あたしも入ってこよ。寝てていいよ。それと冷蔵庫は勝手に使って。」

「お前は?」

「あたしは隣の部屋が寝室。入らないでよ。」


もう一度自分の着替えを持ってあたしも脱衣所に入った。






熱いシャワーが心地いい。
はぁ、生き返る・・・。

これからどうしよう。
お姉さんは期限は1年なんて言ってたけど、この生活を1年?
冗談じゃない。
しかも一千万を管理するって、ほんと、金持ちの考えることは庶民には理解不能だわ。

道明寺は無職なんだよね?
保険証とかあんのかな?
国民健康保険に入らなきゃいけないんじゃないの?
待て、道明寺の収入からの保険料ってすごい金額になるんじゃない?
そんなことしてたら1千万なんてすぐ無くなるじゃん。
うっ、胃が痛くなってきた。
とにかく早く社会復帰できるように教育してかなきゃ。

さっぱりして浴室を出た。
パジャマにしてるTシャツとステテコを着た。
今日からお風呂上がりにもブラをしなきゃ。
面倒くさーい。
ノーブラライフよ、さようなら〜

ドライヤーで髪を乾かしてから居間に入ると道明寺はまだ起きてて、スマホを見てた手元から顔を上げた。


「まだ起きてたんだ。充電する?」

「・・・・」


あたしの顔を見て固まってる。


「なに? スッピンがブスすぎとか思ってんの? そんな変わんないでしょ。てか、もうほぼスッピンだったし。」

「…別に。昔のまんまだと思っただけ。」

「16の時と変わってないって? 成長してなくて悪ぅございましたねっ。あんた、ドライヤー使ったら?」

「俺はいい。」

「ふーん。充電するならこのコンセント使っていいよ。あたしはもう寝る。明かりのスイッチはそこだから。じゃ、おやすみ〜。また明日。」


そのままあたしは寝室に入ってベッドにダイブした。








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2019.06.04




「んー…」


細く開けたカーテンから射し込む外の明るさで目が覚めた。
何時かな?
枕元のスマホを見ると7時20分。
昨夜は遅かったからまだ眠いけど、今日から同居人がいるからダラダラしてられない。

あたしは起き上がって寝る直前に外したブラをもう一度着けた。

よだれの跡とかついてないよね?
口元を確認して、目の周りも確認。
自由の城である自分の家でこんなに気を遣わなきゃいけないって、結婚してる人とかどうしてるの??
結婚した人は相手は好きな男で、しかも一緒に寝てたりするんでしょ?
変な顔でも汚れてても許せるのかな?

実は、あたしはまだ未経験だ。
彼氏がいたことはある。
転校した都立高校でひとり、短大時代に別れた。
社会人になってもできた。
優紀の紹介だった。
でもその人とも半年前に別れてる。

彼氏がいたのに未経験?

キスはできる。
いい雰囲気にもなる。
でもそれ以上に進めない。
瞬間的に嫌だと思っちゃう。
触られるとゾッとする。
一度そう思うともう無理で、2度とも清い交際に我慢できなくなった彼氏にフラれた。

そりゃ悲しかったけど、だからって無理にでも出来るようになりたいとも思わないし、処女であることに焦りもない。
なんなら、一生しなくてもいいかも。


ベッドを出てそっと居間の戸を開けた。
道明寺の背中が見えた。

本当にいる。
夢かもしれない、夢であってくれと思ったけど現実だった。
まだ寝てるみたい。
NYから帰ったって言ってたから時差ボケとかあるのかも。

忍び足で居間を横切りキッチンに入る。
そのまま洗面に向かい、顔を洗った。
そしてまた忍び足で寝室に戻り、スキンケアをしてボートネックのカットソーとデニムに着替えた。
セミロングで真っ直ぐな髪はポニーテールにして、目にかかる前髪はヘアアイロンで巻いて左に流した。
化粧はまだしなくていい。
そこまで気を遣ってたら生活できないと、エプロンをして三度、忍び足でまたキッチンに立った。

昨夜は晩御飯を食べ損ねた。
今朝はしっかり食べたい。
メニューはお味噌汁と玉子焼きと納豆。
あとは野菜が欲しいけどキャベツしかないから、それなら玉子焼きはやめて千切りキャベツで巣ごもり玉子にしよ。
ウインナーを添えるか。




トントントントントン…トントントントントン…


司は台所から聞こえる音で目覚めた。
一瞬、自分がどこにいるのかわからない。
ああ、そうか、ここは牧野の家か。と思い出した。
スマホを見ると7:50だった。
昨夜は慣れない狭い空間と硬い布団になかなか寝付けなかった。

…いや、そうじゃない。
あいつと同じ空間にいることが信じられない。
隣の部屋にはあいつがいるというの夢のような時間が、寝てしまったら醒めるんじゃないかと不安だった。
でも今朝もまだここは牧野の部屋だ。
その証拠に天井が低い。

司は布団から出て、居間も出ようとドアを押した。
するとドア脇の冷蔵庫の前にいたつくしにぶつかった。


「痛っ」

「あ、悪りぃ。」

「おはよう。今度から居間を出るときはノックしなきゃダメね。」


つくしは退いてドアを開けた。


「どうぞ。」

「ああ、おはよ。」

「うん、おはよー。洗面のタオルは好きに使って。」


司は何故だか照れ臭い。
つくしの顔を見ずに洗面に入った。
つくしは居間に入り、カーテンを開けて布団を畳んで寝室に入れた。
居間をまた元どおりに設えた。

顔を洗うだけかと思われた司はシャワーを浴びて出てきた。
また髪から水滴が滴っている。


「ちょっと! なんでまたシャワー浴びてんのよ! しかもまた髪濡れてるし!」


つくしは司の腕を引いて座らせると、昨夜のように司の首にかかっていたタオルで拭き始めた。


「マジでさ、手がかかるんですけど。あたしばっかり仕事増えてるよ。分担決めないと。」

「あー、やっぱきもちいー。」

「あんたさ、寝る前に浴びたよね? なんでまた浴びてんの?」

「は? 普通は寝る前と起きた時と日に二度浴びるだろ。汗かいてるじゃん。」

「いやいや、待て待て。そんなの普通じゃないから。光熱費の無駄遣いだよ。どっちかでいい。というか寝る前だけでいいよ。」

「お前は浴びないの?」

「朝は浴びない。顔を洗うだけ。十分だよ。別に臭くないと思うけど。ほら。」


つくしは座る司の前に回り込み、両手を広げた。
司はつくしの首筋に顔を近づけクンクンと匂いを嗅ぐと、一瞬チュッとその首にキスをした。


「なっ、何してんのよ!」


つくしは首を抑えて真っ赤になって立ち上がった。
そんなつくしを見上げる。


「旨そうな匂いがしたから。」

「はぁ?? お腹空きすぎておかしくなったんじゃない!? もう朝ごはんにするから、手伝いなさい!」


つくしはプンプンと怒りながら居間を出て行った。


「・・・・・」


司も立ち上がり、居間を出た。








今夜23時にスピンオフ#1「司の香水」を更新します。



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2019.06.05
スピンオフでは本編とは直接関係のない2人の日常をお届けしようと思います。
でもたまーに本編に入れられなかった重要シーンもあるかも!?
不定期でのお届けであることをご了承ください。







朝食の準備ができ、食事の前に着替えた司が脱衣所から出てきた。
と、途端に司の香水の香りが広がった。

そう言えば、昨夜もこの香りがしてた。
でもあの時はもっと仄かで、こんなに強くなかった。
ってか待って。
匂いがきつすぎ。
そっか、付けたてだからだ。
それに部屋も狭いし。


「道明寺、」

「あ?」


居間に入ろうとする司を呼び止めた。


「あのさ、香水、ちょっと抑えてくれないかな?」


つくしの言葉に、司は自分の匂いをクンクンと嗅いだ。


「キツイか?」

「うーん…付けたてだからだと思うけど、うち狭いから、香りが充満しちゃうんだよね。」

「この香り、嫌いか?」


不安げにかけられた問いに、つくしは慌てて答えた。


「え!? 好きだよ! いい香りだと思うよ。あんたによく似合ってる。」


その言葉を聞いて司の顔がカーッと赤くなった。


「道明寺、顔、赤いけど…」

「う、うるせぇ! 好きならいいじゃねぇか!」

「でもこの狭い部屋にはちょっと強いよ。落としてきて。」


つくしの言葉に憮然とした表情を浮かべた司は一歩つくしに近づいた。


「な、なによ。」


そしてつくしの両手をつかみ引き寄せた。


「なにするのよ!?」


司はつくしの手首で自分の胸元を撫でた。


「離して!」


つくしは掴まれた手を振りほどいた。


「これでちょっとは落ちたんじゃね?」

「なっ!? 落ちたんじゃなくて、あたしに移したんでしょ!」


つくしは自分の手首の香りを嗅いだ。


「今日はお前も同じ香りな。」

「っだーっ! もう!」


酔いそうになる司の香りがつくしに移った。
それはつくし自身の香りと混ざり合い、この日一日、つくしを包み込んだ。









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2019.06.05





つくしは手を合わせた。


「いただきます。」


司はすでに食べ始めている。


「・・・・・」

「ほら、あんたも手を合わせて。」

「モグ…いただきます。」

「まったくもう、そのうち有り難くて言われなくても手を合わせるようになるんだから。」


向かい合わせに座ってご飯とお味噌汁、ウインナーの添えられたキャベツの巣ごもり玉子と納豆を前にしている。


「納豆って食べたことある?」

「ない。」

「マジで? 高3まで日本なのに?」

「ない。」

「じゃ、食べない?」

「ない。」

「ふーん、まいっか。無理強いも無駄だからね。」

「お前も食うなよ。」

「なんでよ。あたしは好きなのよ。」

「納豆って臭ぇんだろ? 部屋が臭くなる。」

「居候が文句言うな。」

「居候言うな。」

「じゃ、弟子。」

「他にねぇのかよ。」

「じゃ、第二の弟。」

「ハァ…もういいわ。」

「食器を洗うのはあんたね。」

「はっ!? 俺? したことねぇ。」

「だろうね。働かざるもの食うべからず。作ったのはあたしなんだから、片付けはあんた。」

「チッ」

「師匠が教えてあげるから。」

「手取り足取り丁寧にな。」

「生意気な弟子。」

「臭っせっ!」


司が鼻を抑えて顔を背けた。
つくしは喋りながら納豆を2パックまとめてかき混ぜていた。


「窓、開けていいよ。」


司は立ち上がり、ベランダに通じるテラス戸を開けた。
サーーっと春の香りを乗せた乾いた風が吹き込み司の額にかかる髪を揺らした。
空気で季節を感じるなんて何年ぶりだろうと司は前髪をかきあげた。


「今日は買い物に出かけなきゃ。」

「何買うんだ?」

「あんたの衣装ケース。トランクで生活するわけにいかないから。」

「ベッド欲しい。布団が硬くて体がいてぇ。」

「贅沢言うな。それに置くとこない。」

「ダブルにして一緒に寝ればスペースの無駄が省けるだろ。」

「なんであたしが彼氏でもない男といっしょに寝るのよ。」


彼氏とも寝たことないのに。


「彼氏だと思え。時に思い込みは大切だ。」

「馬鹿馬鹿し。ベッドは却下。」


つくしはさっさと食べて立ち上がった。


「あんたも早く食べて。終わったならごちそうさまして。」

「マジでガキ扱いだな。もう食えねぇ。」

「え、半分も食べてないじゃん。」

「俺の舌には合わない。」

「ハァ、感謝が足りないよ。下げて。」

「あー! クソッ」


司も立ち上がって食器を持った。
シンクに下げる。
つくしが仁王立ちしていた。


「道明寺さ、これが最後にするから聞くけど、本気で他に行くとこない? 本気でここで暮らそうと思ってる? あたしと?」


つくしは25センチ上にある、深い闇の宿る瞳を見上げた。
本当にこの質問をするのはこれを最後にしようと決めていた。

答えがYESならあたしも本気で向き合おう。
でも道明寺が少しでも迷うなら、受け入れてくれる人をちゃんと探してやろう。

司はつくしに体の正面を向けた。
25センチ下の真摯な瞳を見つめた。


「ああ、本気だ。」


2人の視線は今、一直線に繋がった。


「わかった。じゃあたしももう迷わない。ちゃんと付いてきてよ!」


つくしは勢いよく右手を差し出した。
司はその手を掴んだ。
2人は視線を繋げたまま、互いにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「じゃ、はい! 手始めに食器を洗うよ!」

「ハァ、マジか…」

「嫌なら料理を覚えなさい。」


つくしの鬼のシゴキと司の格闘。
たった二人分の朝食の食器を洗い終えるのに30分もかかった。


「テメェ、最初なんだから手加減しろ!」

「最初が肝心なのよ。付いてこいって言ったばっかりでしょ。この程度で根をあげてたら生きてけないわよ。当分、洗い物は道明寺担当なんだから。」

「俺が!?」

「食事の用意するのはあたしなんだから、片付けはあんたしかいないでしょ。料理も少しずつ教えるから、最終的には当番制にするの。」

「ハァ、先の長い話だ。」

「終わったら次は洗濯よ。」

「まだすんのかよ!」

「それが生きていくってことよ。」


洗濯は互いに自分の分は自分ですることになった。
ワイシャツは司がクリーニングに出すと言って聞かなかったため、その他のものを洗って干した。
つくしは寝室に室内干しだ。

司は居間でピンクのクッションを枕に寝転んでベランダを眺めた。


「・・・自分のパンツが風になびくところを見ることになろうとは、さすがの俺も予想してなかったわ。」

「雨が降ったら部屋の中に干すの。自分のパンツを見ながらご飯食べんのよ。」

「・・・・・壮絶な世界だな。」

「さ、次は掃除。」

「疲れた。もう今日はいいじゃん。外行こうぜ。」


確かにアメとムチの使い分けは必要だ。
今日は土曜日で明日も休みだし、まだ初日だし、ま、いいか。


「わかった。じゃ、買い物に行こ。その前に、この部屋をどうレイアウトするか決めないと。」

「デザイナー呼べば?」

「は?」

「インテリアデザイナーにさせりゃいいじゃん。」


こいつはどこまでマジで言ってる?
それともウケ狙い?
先に進もうとすると一歩一歩にお坊ちゃんの非常識が絡んでくる。
全然、進めない。


「そういう人にはお世話になりません。自分たちで考えるの。」

「ふーん。なぁ、隣の部屋、お前の部屋だろ?」

「うん。」

「ブチ抜いて使わねぇ?」

「えー、やだ。」

「俺にもプライベート空間作れよ。」

「ここ、ブチ抜いても12畳くらいなんだよね。」

「倍にはなんだろ。」

「引っ越したいなぁ。」

「あの金使えば?」

「ダメ!ここって結構条件いいんだよ。これ以上の家賃は払えないよ。」

「だから、あの金使えばいいだろ。」

「すぐに無くなっちゃうよ。あんた無職でしょ。収入ないんだから、備えとかないと。」

「じゃ、やっぱりブチ抜いてダブルベッドだ。」

「バァーカ!・・・じゃあさ、ロフトベッドは?」

「あ? なんだそりゃ。」

「二段ベッドの上だけみたいなやつ。上に寝て、下はソファとか置くの。」

「俺にそこで寝ろって? 絶対に却下。」

「あー、どうするかなぁ。」


つくしはなんだかんだ言いながらも、司にベッドを買うことにかなり気持ちが傾いていた。
あのお屋敷クラスで生活してた司が、いきなりこんな狭い庶民の部屋で暮らさなければいけなくなった影響が心配だった。
どうせ住むなら快適に過ごして欲しいし、健康に睡眠は重要だ。


「じゃあさ、めちゃくちゃ妥協して、あんた用のシングルを買って、パーテーションを挟むならいいよ。」

「隣り合って?」

「うん。仕方ない。」

「よし、早速、買いに行こうぜ。」


つくしと司は身支度を整え、つくしは金尺で部屋の寸法を測り、預かった一千万から10万円だけを抜いて部屋を出た。









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2019.06.06




土曜日の昼間。
電車はそこまで混み合っていないけど、空席はまばらだった。
人の間に座ろうとすると、またもや道明寺に腕を引かれた。


「なに?」

「座るな。」

「いいじゃん。空いてるんだし。」

「ダメだ。」

「なんで?」

「この程度で座るなんて根性がなってないんだよ。」

「あんたに根性云々言われたくない。」


結局、立ったまま電車を乗り継ぎ、やっと目的地に着いた。
改札を出て地下通路を歩く。


「どこまで行くの?」

「有楽町の先」

「あんたって、今、現金はいくら持ってんの?」

「財布に50万。」

「ご、ご、50万!?」

「声でけぇよ。でも足りねぇかもな。」

「え、ベッドが50万じゃ足りないの? どこで買おうとしてる?」

「邸で使ってたベッド屋。」


言われて到着した店は聞いたことのあるメーカーの旗盤店。
中に入ると、高級そうなベッドがズラリと並んでいる。
店員さんが近寄ってきた。


「いらっしゃいませ。どういったものをお探しですか?」

「シングル2台」

「なんで2台よ。1台でしょ。」

「お前も買い換えろよ。寝心地が違うぞ。」

「なに言って、」


チラッとベッドのプライスカードが視界に入って、つくしは固まった。


待って、これゼロが何個並んでる?
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん・・・・

ギエェェェーーー!!!

シングルベッドが一台86万!?
こっちは110万!!

クラッ・・・
お姉さんが1週間で一千万を使うって言ったはずだわ。


「道明寺、行くよ。」


つくしは司の腕を引いて店を出た。


「なんだよ。ベッド買っていいって言ったじゃねぇかよ。」

「言ったけど、あんなの予算外よ。もっと安いの! そもそも50万しか財布にないのに、どうやってあんな高いベッドを買おうと思ってたのよ!」

「カードだろ。」

「・・・ハァ、あのね、カードは止められてないの? 残高はあるの?」

「ああ、そっか。」


ガクーーッ


「ハァ、あのさ、ツッコミどころ満載なんだけどそれはもういいや。ベッドの予算は10万! これでも高いのに。」

「10万!? んなのホテルで使う簡易ベッドじゃねぇか!」


簡易ベッドが10万!?
どんなホテルが基準だよ!


「嫌なら布団だよ。どうする?」


つくしは腕組みして選択を迫った。
司は髪をかきあげて深く息を吐き出した。


「ハァァァ〜〜〜、わーったよ! でも10万のベッドなんてどこに売ってんだよ。」

「普通の家具屋なら売ってるわよ。」


つくしたちは再び電車に乗りこんだ。




結局、あたしが想定してるよりちょっといい家具屋で道明寺はベッドとチェストを選んで、運び込みは明日の午後ってことになった。
パーテーションは床と天井に突っ張り棒の柱を立ててその間にカーテンを通すことにした。








「つ、疲れた。」


やっと部屋に帰ってきた。
途中、お茶をしようってことになって高級ホテルのラウンジに入ろうとした道明寺を止めてこじんまりとした喫茶店に入った。
500円のコーヒーを注文したけど、道明寺はマズイって言って飲まなかった。
いったい、普段どんなコーヒーを飲んでたの?

帰りの電車も立たされたし、帰り道のスーパーに寄った時は肉のランクで揉めた。
あたしは鶏肉以外は輸入とか気にしない。
なのに、道明寺がカゴに入れるのは国産の黒毛和牛とかそんなのばっか。
片っ端から戻してやったわよ。

口にするものが一番問題かも。
マズいと感じてるのは辛いと思うけど、でも慣れなきゃ。

あたしは晩御飯の準備をしようと立ち上がり、エプロンを着けた。


「あんたも疲れたでしょ。ちょっと横になって休んでていいよ。」

「腹減った。」

「だろうね。今日一日、全然食べてないもんね。」

「マズくて喉を通らねぇ。」

「・・・はっきり言うよね。ハァ、じゃあさ、人が握ったおにぎりとか食べられる人?」

「おにぎり? お前が握るのか?」

「うん、そう。」

「お前のなら平気。他のヤツは無理。」


それは喜んでいいのか?


「じゃ、ご飯炊けたらおにぎりにするから待ってて。」

「な、」

「ん?」

「なんかこれって新婚みたいじゃね? 庶民て結婚したらこんな感じなんだろ?」

「は…?」


司は目を輝かせてつくしにニーっと笑いかけた。


あんぐり。

こいつ、自分の置かれてる状況わかってる?
ってか、こんなにノー天気なヤツだったんだ。
新・発・見!
じゃないよっ

つくしはリアクションする気力も湧かないくらい呆れ返って、天を仰いで深いため息をついた。






おかずを作り終えたタイミングでご飯が炊き上がった。
熱々のところをおにぎりにする。
火傷しそうなんだけど、でもこのタイミングで握るのが一番美味しいのよね。
具はおかかと梅干し。
梅干しは田舎のおばあちゃんが作ってる昔ながらの塩っぱいやつ。
それと具なしおにぎり。
道明寺はおかかも梅干しも食べない可能性大だから一応ね。
塩はしっかり目にしてご飯の甘みを引き立たせる。
炙った焼き海苔を巻いて出来上がり。
これがマズかったら、もう死ぬしかないわ。


「まあまあだな。」


まあまあでもいい。
ここへ来てやっと道明寺が食べられるものが見つかった。


「よかったねー。」


それとも、空腹は最高の調味料ってやつかも。


「おかか、大丈夫?」

「ああ、平気。」


あの、天下の道明寺司がおにぎり頬張ってるよ。
60cm×60cmの小さなテーブルを囲んで、あたしたちは何やってんだろうね。
そう思ったら笑えてきた。


「フフフ…」

「何笑ってんだよ。」

「いや、あんたがこんな狭い部屋でおにぎり食べてる姿、笑える。フフフフッ」

「笑うな。」

「もう無理。フフ…アハハハッ! ウケる〜」

「テメェ…」

「うそうそ。梅も食べてみなよ。とにかく、あんたが食べられるものを探さなきゃいけないんだから。」


道明寺は梅も手に取ったけど、これはダメだったみたい。


「一応、おかずも作ったんだけど食べる?」

「作ったなら最初から出せよ! 食うよ!」

「いやー、おにぎりでお腹いっぱいになってくれたらなぁとか思って。」

「テメ、これだけのつもりだったのかよ。」

「ごめん。出すけど洗う食器、増えるよ?」

「あー、そっか。俺か。ん〜…」

「そこで考えるんだ。ワハハハッ」

「だから、笑うんじゃねぇよ!」


なんだかわかんないけど笑うことを止められなかった。
道明寺は顔を背けて赤くしてた。






結局、おにぎりを食べてからもう一度ちゃんと食事をした。
食べる順番がちぐはぐになっちゃったけど、この際、もういい。

食後はまた洗い物講座に続いて洗濯物の畳み方講座。
ま、道明寺にしちゃ上出来だったかな。


「メイドさんたちの有り難みがわかったんじゃない?」

「あいつらは仕事だろ。金もらってやってんじゃん。タダでやってる俺の方が偉いだろ。」

「アホか! あんたは自分の分でしょ? ったくもう〜。疲れる〜」


あたしは本当に疲れを感じてそのままラグの上にゴロンと横になった。
天井の蛍光灯を眺めてたらだんだん瞼が重くなってきた。


「眠くなっちゃった。ちょっと寝る……」


微かに「牧野?」って聞こえたけどもういいや。
ちょっとだけだから…寝かせて…


夢を見た。
蝶が飛んでるの。
草原で、あたしは白いワンピースを着て、ブルーの蝶を追ってる。
ひらひらと舞う。
右に左に追いかけても捕まらない。
疲れて、一休みしてたら、いつのまにかその蝶があたしのそばを飛んでた。
と思ったら蝶はあたしの唇に止まった。
ふんわりと柔らかい感触がした。










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2019.06.07




「…野、牧野、牧野! いい加減、起きろ!」


パチッ

ガバッ


「えっ!?」


あたしは周りを見回した。
草原、じゃない。
目の前には蝶、じゃなくて道明寺。


「寝ぼけてんじゃねぇよ。」

「ごめん…」


本気で寝てた。
昨日、今日と疲れてるんだもん。無理ないよね。
明日は道明寺のベッドが来るから模様替えしなきゃいけないし、今夜は早く寝よっと。


「あたし、どれくらい寝てた?」

「1時間。」

「そっか。お風呂沸かそうかな。」

「大丈夫か?」

「ん。」


立ち上がろうとしたけど、一瞬、めまいがしてよろめいた。


ガタッ

「おいっ」


覚悟した床の衝撃は訪れず、代わりに力強い腕に抱かれて座り込んでた。


「気をつけろよ。」


腕がギュッとあたしを締め付けた。


ドクンッ…ドクンッ…ドクンッ…


「ごめん…も、大丈夫だから…」


あたしは道明寺の胸を押して腕から逃れると、立ち上がり居間を出た。








「お風呂、沸いたよ。入って。」

「お前、疲れてんだろ。先に入れよ。」

「いいの。あたし、出るときにお風呂掃除もしてんだから。ほっらっ!」


道明寺を居間から追い出した。


「フゥゥ〜〜」


あたしは息を吐いてから、布団を敷こうと寝室の引き戸を開けた。
そのままつい考え事にふけった。

気づけば広い胸に抱き込まれてて、身動きが取れなかった。
そうだ、あいつは男だったんだ。

でももしも、そのことを意識したら、この生活はできない。
あいつに出て行ってもらわなきゃいけなくなる。
ここを出て行った道明寺はどうするだろう。
きっと本当はどうにでもなる。
あいつのバックに道明寺財閥がなくなっても、あいつを自分のものにしたい人間はたくさんいる。
そういう人たちを利用して生きていけばいい。

でもなんだろう、この気持ち。
昔、あれだけ嫌ったヤツなのに、どうなろうが知ったこっちゃないって思うのに、そんな生き方をして欲しくないと思う自分がいる。
あいつには太陽が燦々と照りつける王道を歩んで欲しい。
その方があいつには似合ってる。
だったら、やっぱり家族に許してもらわなきゃ。

そのためには、当分ここであたしの教育を受けないといけない。
だから、道明寺はあたしにとってどこまでもただの同居人。
あいつは男じゃない。
あいつにとってもあたしは女じゃないんだから、好都合だよ。


司がお風呂に入ってる間に布団を敷く。
明日からベッドだ。
手間が一つ減るなと思いながら、つくしは最後に枕をポンと置いた。
そこでちょうど風呂から出てきた司はまた髪から水を滴らせていた。


「ん」


タオルをつくしに差し出して、その前に座った。
このぉ、ガキ!
と、つくしは思いながらもガシガシと頭を拭いてやる。


これ、毎日の習慣にするつもりかな。
仕事増やすな!

それにしても面白い髪だよね。
濡れてると緩むのに、乾くと巻くって不思議。
まっすぐになった状態だとけっこう長いのに、巻くと短くなる。
手櫛を通すと案外、柔らかい。
掌でポンポン押すとフワンフワンと跳ね返る。


「・・・おい、人の頭で遊ぶなよ。」

「え? ああ、ははは、ごめん。」

「お前も入ってこい。」

「うん、そうする。」


寝室に入って着替えを持って脱衣所に入り、服を脱いでお風呂場に一歩足を踏み入れた。








「ちょっと、お風呂のお湯が減りすぎ! 何したのよ!」


つくしはまだ髪が濡れたまま、居間のドアを乱暴に開けた。


「何って、入ったら溢れた。」

「・・・・・」


そうか、浴槽が小さくて、こいつの体は大きいから肩まで浸かったらほとんど溢れちゃうんだ。
でもその後にあたしが入ると肩までお湯がこない。
うーん、これは工夫しないとね。


「お前も髪が濡れてるじゃん。こっち来いよ。」

「え、あたしはいいよ。」

「いいから、来い。」


つくしはしぶしぶ司の前で背を向けて座った。
つくしの首からタオルを外して、今度は司がつくしの髪を拭き始めた。


「…これ、気持ちいいね。」

「毎日してやるよ。だから俺にも毎日しろ。」

「しろって、そこはお願いすべきでしょ。」

「しろ。」

「フフ、道明寺らしいじゃん。偉そーなとこ。」

「「 偉いんだよ 」」


・・・・・


「チッ」

「アハハッ、言うと思ったから。」


タオルドライしてもらってから、洗面所に入ってドライヤーで乾かす。
さあ、今日はもう寝よう。


「寝よ。明日は朝から模様替えだから。」

「ああ、明日からベッドで眠れるな。」

「おやすみ。」

「おやすみ。」


話し相手がいると1日が短いということに、あたしは初日にして気づいていた。










今夜23時にスピンオフ#2「節水」を更新します。



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2019.06.08




服を脱ぎ、風呂場に足を踏み入れた司は浴槽に目を留め固まった。


「…ゴミが浮いてる…」


風呂場を出てもう一度服を着ると、脱衣所を出た。






「おい、」


居間でスマホを見ていたつくしは、司の呼びかけに顔を上げた。


「なに?」

「風呂場がおかしいぞ。」

「お風呂場が?」


つくしも立ち上がり、司と共に風呂場に入った。


「どこが?」

「どこが? おかしいだろうが。ゴミが浮いてんだぞ。」


つくしの目に入ったのは、湯船に浮いている2本のペットボトルだ。


「ああ、あれはゴミじゃないわよ。」

「お前、目がおかしいんじゃないのか? どう見てもゴミだろ。」


つくしは裸足のまま浴室に入り、湯船に浮いているペットボトルを手に取った。


「これは、節水のためにこうして浮かべてんの。」

「節水?」

「2ℓの空のペットボトルに少しだけ水を入れて、こうして湯船に沈むように入れておけば水面が上がるのよ。それだけお湯の節約になるの。」


ハァァ〜、と、司は溜め息をついて額を抱えた。


「つまり、俺にこのゴミと一緒に風呂に入れって?」

「そうそう。」

「・・・・もういい。シャワーで済ます。」

「そうやってあんたが一日に何度もシャワーを浴びるのも節水しなきゃなんない原因なんだからね! ちょっとは控えてよ。」

「シャワーぐらい自由に浴びさせろ! じゃないと困るのはお前だぞ!」

「はぁ?? なんであたしが困るのよ!」

「それは!・・・・とにかくもういい。入るから出て行け。」

「あんたが呼んだんでしょ! ったく。お湯に浸からないなら蓋しといてね。」

「は? 蓋?」

「あー、お風呂に蓋があることも初めてか。」


ブツブツ言いながら、つくしは蓋の説明を始めた。


「こうしておけば冷めないから。」

「庶民の知恵、いろいろ深けぇな。」

「でしょ? じゃ、ごゆっくり。でも節水!! よろしく〜。」


つくしは司を残して居間に戻っていった。


「・・・誰のせいでシャワーの回数が増えてると思ってんだよ・・」


司はショートパンツ姿のつくしの後ろ姿に呟いた。









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2019.06.08
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