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皆様、ご無沙汰しています!
そろそろ涼しくなってきた秋の夕暮れ、いかがお過ごしですか?

さて、「18歳のキス」やっと目処が立ちましたので、明日から連載を開始します。

このお話は雨の別れ分岐です。
あれから14年後の再会から始まります。

司32歳、つくし31歳と、大人になってしまった二人を描きます。
今回のテーマはちょっと複雑で、もしかしたらわかりにくいお話しになってるかもしれません。
私の中にある二人の心情が複雑なので。




今回、書きながら鬼リピしたのは、エミール・パンドルフィというピアニストのアルバムです。
「An Affair to Remember」というタイトルのアルバム、全曲をずーっとリピートしながら書きました。
作中に出てくるバーの店名の「Remember」はここからきています。
タイトルチューンは古い映画「めぐり逢い」のテーマ曲で、元はジャズ曲です。

当初、この曲が聴きたくてこのアルバムを聴き始めたのですが、全曲聴いているうちに「Ebb Tide」(引き潮)という曲が今作品に一番ハマりました。


Ebb Tide - エミール・パンドルフィ


この「Ebb Tide」はもとはハープ奏者が作曲したインストゥルメンタルでしたが、その後、歌詞が付いて様々な歌手が歌い継ぐ名曲になりました。

それがこちら。


Ebb Tide - ライチャス・ブラザーズ


歌詞の和訳も掲載しようと思いましたが、そうするとこの記事をパス制にしなければならず、読んでいただくのに面倒なのでやめます。
ご興味がある方はこちら


悲しく、美しく、そして深い愛の音楽と共にお楽しみいただけたら幸いです。







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2019.10.03




日曜日 22:08


俺は丸の内の外れにある小さなバーで女を待っている。
待ってはいるが、約束があるわけじゃない。
いや、正確には今日の約束があるわけじゃない。

毎週日曜日の21時から23時、時間が合えばここで落ち合うことになっている。
だから来るか来ないかわからない待ち人だ。


「先週は、お待ちになってましたよ。」


マスターは昨年、古希だった男。
ホテル・メープルのバーラウンジでマスター・バーテンダーを長年勤め上げ、定年後に開業したのがここ「Remember」だ。
カウンターのみ7席の店内には常にジャズピアノの調べが漂っている。
店名もジャズの名曲からもらったと、開業当時まだ若かった俺に話してくれた。

俺はもう一度、腕の時計を確認した。

22:37

今夜はもう来ないか。
あいつが来るときはいつも22時までに来る。
それを過ぎて来たことはない。
なのに、俺は約束の時間までここを出ることはない。
未練てものを心の裡に隠してもう半年だ。
いや、実際はもっとだろう。
あいつを失った18の時から、再会した32まで、ずっと後悔という名の未練が俺の身の内にしがみついていた。


チリン…

「おや…いらっしゃいませ。」


俺は期待しないようにと心に言い聞かせ、目だけで左に振り向いた。
頭にも肩にも水滴が光る女が、レースで縁取られたハンカチでそれらを払いながらこちらに視線を寄越した。


「まだ、いたんだ。」

「……外は雨か?」

「ん。降り出した。」


女はひと席空けて俺の横に座ると、マスターに「いつもの」と声をかけた。
雨に濡れたウールの匂いに混じり、女の香水の香りが届いた。
大人になった女は、真っさらな自分を隠すように香水を纏っていた。


「それ、いつもの?」

「ああ」

「クスッ。いつも思うけど、麦茶飲んでても同じ色よね。」

「お前…ウイスキーに謝れ。」

「あはは」


マスターがコースターに乗せたジンライムをカウンターに差し出した。
女はいつもこれだ。
ジンライムのカクテル言葉は「色褪せぬ恋」
こいつはわかってこれにしてるのか?


「先週はNYだったんだ。」

「ふーん。」

「待っててくれたんだろ?」


女は口から離したグラスをコースターに置いた。


「待ってたんじゃなくて、ここで過ごしてたの。マスター、余計なこと言うと調子に乗るじゃない。」

「はは、すみません。」


意地っ張りは14年前から変わってない。
変わったものばかりの中で、変わらないものの存在は俺を癒してくれる。

14年前のあの日、俺たちの道は分かれた。
その道が再び合流したのは半年前だった。









『あんたを好きだったら、こんなふうに出て行かない。』

その言葉を残して、女は俺の前から去った。
だが、俺の心から去るにはそれから数年を要した。
俺が大人になる必要があったからだ。

女を失った直後、俺は荒んだ。
自分の運命を呪い、家を呪い、親を呪い、そして俺を捨てた女を呪った。
だが、時間の経過とともに、彼女に他の選択肢などなかったということが理解できるようになった。

あのとき、たった17歳だった高校生に何ができただろう。
相手は世界を動かす鉄の女。
電話の一本で他人の人生を終わらせることができる怪物と戦う術など持ち合わせているわけがない。
俺を捨てる以外の方法はなかったのだと納得した時、女は俺の心からも消えた。

消えはしたが、新たな残像が生まれた。
それは後悔。
なぜあの時、引き止めなかったのか。
なぜあの時、追いかけなかったのか。
ただあいつの言葉を鵜呑みにして、肝心な時にあいつが意地っ張りだってことを忘れてた。

もしかしたら、違う言葉が聞けたんじゃないか?
もしかしたら、違う表情が見られたんじゃないか?

もしかしたら、あいつの肉体は遠ざかってしまっても、心だけは側にいられたかもしれなかったのに。

そんな後悔が今も俺につきまとう。


「出るぞ。」


俺は女の分も金を置いて立ち上がった。


「ごちそうさま。」


女はマスターに向かって声をかけ、俺の後に続いて店を出た。

店の前の道は車の入れない路地だ。
そこを右手に進むと運転手がドアを開けて待っている。
女を先に乗せ、俺も後部座席に乗り込んだ。
ここからは何も言わなくても車は走り出す。
俺がここで女と一緒に車に乗り込めば目的地は決まってる。


ミシュラン五つ星ホテルの関係者用地下駐車場に到着すると、俺は女を伴いエレベーターに乗り込み、35階を目指す。
そこのクラブ・メープルスイートが俺の定宿だ。

部屋に入ると女はソファにバッグを投げ出し、いつも結っている髪を解いた。


「バスルーム、借りるね。」


そして慣れた足取りで消えていった。
俺もジャケットを脱ぎ、ネクタイを投げ出して、もう一つのバスルームに足を向けた。









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2019.10.04




熱いシャワーを浴びながら、半年前のことを思い出す。



バー「Remember」は俺の息抜きの場所だった。
あいつらにも誰にもこの店のことは話してない。
マスターも見込んだ人間にしか店の存在を明かしていなかったから、他の客と鉢合わせることは稀だった。

看板はなく、ただドアとその横に申し訳程度の小さな明かりが灯っているだけ。
明かりが消えていたら入れない。
煤けたように黒いそのドアは、知らない人間は決して開けようと思わない古びた代物だった。

その日、俺は2ヶ月ぶりに店に入った。
そこに女がいた。

スーツ姿で、結われた髪にはダウンライトの光がツヤツヤと反射していた。
タイトスカートから覗く脚は足首に向かって細く締まり、ベージュのストッキングを履いていてもその肌の白さがわかった。
ジンライムを持つ指は細く、爪の先まで整えられている。
いい女だった。


「いらっしゃいませ」


マスターの声にチラリとこちらを見た黒く大きな瞳が見開かれるのがわかった。
と同時に俺は息を止めた。


「…道明寺…」

「牧野…か?」


俺たちは互いに言葉もなく、そのまま数秒、見つめあった。


「お知り合いですか?」


マスターに向き直ってその質問に答えたのは牧野だった。


「え…いえ……でも、まあそうね。」


なんと答えていいのか迷った末に認めた牧野から、ひと席空けて俺は座った。

何も言わなくても俺の前にはウイスキーが供される。
まだ若い頃は濃厚なスコッチウイスキーを好んでいたが、今の俺が好むのは国産のウイスキーだ。
日本の水で、日本の材料で、日本の空気で熟成された酒。
その香りも味わいも喉ごしも、何もかもが俺に沿って馴染む。


「しばらくだな。」

「大昔でしょ。」

「14年だ。」

「そっか。ほんと、大昔。」


俺たちの空気を察してマスターはカウンターに背を向けてグラスを磨き始めた。


「あの、」「おまえ、」


声が重なり、互いに横を向いて視線で譲り合った。


「お前、よくこの店知ってるな。」

「ああ、マスターさんが誘ってくださったの。」

「マスターが?」


俺は男の背中を見た。


「私、百貨店に勤めててね。そこに買い物に来てくださったマスターがよかったらって。」

「ふーん。」


古希のおっさんがナンパかよ。


「あ、ナンパじゃないからね。」

「私が孫に贈る入学祝いの腕時計を選ぶのを親身になって手伝ってくださったので。それだけですよ。」


ナンパの言葉に反応したマスターがそれだけ言うために体をこちらに向け、また背を向けた。


「よく来てるのか?」

「日曜日の仕事終わりに。私、月曜日が休みなこと多いから。」


平日休みの牧野の左手にサッと視線を滑らせた。
指輪はない。
まだ独身か?
それとも仕事では外してるのか?


「道明寺はさ、元気だった?」


言葉の後に向けられた瞳には、昔あった清澄の代わりに憂いを帯びた深さがあった。


「お前にフラれてしばらく荒れたけどな。」

「…ごめんね。もっと言い方ってものがあったよね。子供だったから。」


あの時、他にどんな言い方があっただろう。
他ならぬ俺の母親に追い詰められたこいつに、どんな非があっただろうか。
ただ、俺に惚れなかったというだけで。


「元はと言えばうちの母親だろ。庶民の女子高生相手に天下の鉄の女がエゲツなかったよな。」

「それだけ本気だったんでしょ。息子を守るために。」


俺を守ろうとしたんじゃない。
あの女は自分のプライドを守りたかっただけだ。
俺が牧野に赤札を貼って自分の体裁を守ろうとしたのと同じように、あの女はこいつを排除して勝った気でいただけた。
俺のDNAの出所は確かにあの女だってことだ。


「あのあと、風邪引かなかった?」

「引くかよ。お前こそ、あれからどうしてたんだよ。」

「はは。ずぶ濡れで電車乗って、ヨレヨレでたどり着いた場所が日本のジャングルで、家族と再会して地元の高校に転入して今に至る。」

「端折りすぎだろ。13年くらいすっとばしてるぞ。」


牧野はジンライムに口をつけ、一拍置いた。


「一度、結婚したの。」


ウイスキーのグラスを持ち上げようとしていた手が固まった。
我が耳を疑うって経験は初めてだ。
結婚?
そう聞こえたが、俺は何と聞き間違えてる?
結構? 結局?
いや、文脈と合わない。


「27の時だった。でもたった11ヶ月で離婚。つまりバツイチ。私にしちゃなかなかの武勇伝でしょ。」


フフッと牧野は目を細めたが、俺は笑えなかった。


「子供はいなかったのか?」

「いないよ。だから別れられた。」

「別れられたって別れたかったのかよ。」

「その方が良かったの。あっちにはもう違う人がいたし。」

「…浮気か? 結婚して数ヶ月で浮気ってどんな男だよ。」

「いい人だったよ。でも寂しかったんじゃないかな。私には…ほら、私って薄情じゃん? あはは」


さっきから笑ってんじゃねぇよ。
笑い顔が泣き顔にしか見えねぇよ。


「で、今の男には大事にされてんのか?」

「今の男? …フフ…私の話はもういいでしょ。次はあんたの話。なんで日本にいるの? NYじゃないの?」


“ あんた ” って俺を呼べるのは姉ちゃんとこいつだけだ。
久しぶりの響きに俺の後悔が頭をもたげた。


「俺は日本を任されてる。NYはまだ両親が健在だからな。」

「そっか。昔、なんかの記事で読んだことあったからさ。NYで婚約者とパーティーに出てたとかなんとか。」


人差し指を額に付けて考えるポーズをしてる。
今時、そんなポーズで考え事するやついねぇぞ。
ってか、なんだ? 婚約者って。


「いつの話だよ。んなのガセだろ。俺はまだバツもついたことがない独身だ。」

「えー、結婚は?」

「してない。したことない。」

「そんなのあのママンがよく放置してるわね。フフフッ」

「ママンって、フンッ 気持ち悪りぃ。」


その時、牧野の前に何杯目かわからないジンライムが置かれた。


「おい、こいつ、これで何杯目だ?」

「3杯です。」

「もういい、下げろ。」

「ちょっと! 何勝手なこと言ってんのよ! そういうとこ、変わんないわねぇ。」


下げようとするマスターより一瞬早く牧野がグラスを手に取り、一気にあおった。


「おい!」

「フー! 美味しかった。じゃ、帰るね。」


牧野はバッグから財布を取り出し、万札を1枚カウンターに置くと立ち上がった。


「じゃっ、道明寺、元気でね。また縁があれば今度は20年後? くらいに会おう! バーイ!」


軽く足元をふらつかせながら、牧野は俺の背後を通り過ぎて、ドアに向かっていた。
その時、さっき頭をもたげた後悔が、今はもう立ち上がって俺の心の壁を力一杯叩いていた。
だから俺も立ち上がった。


「送っていく。」

「へっ?」


牧野の肩を抱き、俺は店を出た。









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2019.10.05




引きずるように路地を歩かせ、車に押し込めると案の定、暴れ出した。


「ちょっと! 降ろしてよ! 私は帰るんだから!」

「だから、送ってやるって言ってるだろ。家どこだ?」

「言うわけないでしょ! 一人で帰れる!」

「何時だと思ってんだ。こんな夜更けに女が一人歩きするな。」

「私みたいなオバさん、襲うヤツなんていないわよ!」


こんな言い合いは久しぶりだ。
いや、久しぶりなんてもんじゃない。
こいつ以外とすることなんてないんだから、やっぱりこれも14年ぶりだ。
俺は体内に再び灯る炎を感じていた。
俺の命の火を燃え上がらせるのはやっぱりこいつだ。

なおも暴れてドアレバーに手をかけた牧野の背に俺は語気を強めた。


「14年前の詫びだと思って言うことを聞け!」


その言葉に牧野はピタリと動きを止めた。
そしてドアに向けていた顔をカクカクと音がしそうな動きでこちらに向けた。


「お詫びって、さっきしたじゃん…ごめんって。」

「あんなもんじゃ足りねぇよ。俺がどんだけ苦しんだと思うんだ。もっとしろ。」


ほんの軽口だった。
さっきの言い合いみたいにポンポンと言葉の応酬が続くと思ってた。
でも牧野は神妙になった。


「でも、あれは…。悪いと思ってるけど…でも、じゃ、どう…したらいい?」

「どうって…」


14年の間に格段に綺麗になった牧野の困った顔が俺を見上げていた。
その上目遣いの表情が、俺に18歳の頃の欲望を思い出させた。
俺はゴクリと一つ飲み込むと、運転手に行き先を告げていた。


「メープルに」




***




俺が常に押さえているクラブ・メープルスイートはメープルのスイートの中では3番目のグレードだ。
インペリアル、エグゼクティブ、そしてクラブ・メープル。

スイートの中でも比較的部屋数の多いクラブ・メープルなら、身内が押さえたところで営業に差し支えない。
ここはリビングとキングサイズのベッドが置かれたメインベッドルーム、そしてダブルが置かれたゲストルームが部屋の構成になっている。
ベッドルームにはそれぞれにバスルームもついている。

俺がメープルを指示した瞬間に、牧野は軽く飛び上がった。
そうだ、あそこだ。
お前と一度、行ったことがあるよな。
総二郎が仕組んだデートの尾行をさせられて海に落とされて、ここでバスを使ったんだ。
そうしたらあの女が現れて…

お前にいくら聞いても話してくれなかったあの日のことを、俺は後からタマに聞かされた。
あの女はお前を「ドブネズミ」つったんだろ?
牧野がドブネズミならババア、お前はなんだ?
死肉を食らうハイエナか? ハゲタカか?
俺から全てを奪う死神か?


「あの…なんで…ここ…」


なんて、昔を思い出してる場合じゃない。
牧野を連れてきちまった。

本当は詫びなんて必要ない。
むしろ、詫びなきゃならないのはこっちサイドで、こいつを道明寺の渦に巻き込んだ俺こそが元凶だ。
でも、このまま牧野を帰せば次に会えるのは本当に20年後になりそうだった。
もう後悔はしたくない。
恋じゃなくなっても、俺はこいつと繋がっていたかった。
そしてあのとき、心底欲しかったものを手にするチャンスが巡ってきたと感じていた。


「まあ、座れよ。」


牧野にソファを促すが、座ろうとしない。


「…長居しないから座らなくていい。それで、なに?」


俺は腰掛け、脚を組んだ。


「俺に詫びてくれるんだろ?」

「そりゃ、そのつもりはあるけど…」

「俺は欲しいものがある。」


牧野は半歩、後ずさった。


「なに…が、欲しいの?」

「あの頃の俺が欲しかったもの。詫びだと思ってくれないか?」

「だから、それは何?」


俺は立ち上がり、ジリジリと後ずさる牧野に近づき、その肩を掴んだ。
牧野がビクリと震え上がった。
俺から外せない視線には戸惑いと怯えが浮かんでいた。


「お前。」

「あ、あたし?」

「そう、お前が欲しい。」


いくら鈍感でも結婚まで経験した今のお前ならこの言葉の意味はわかるよな?
そうだ、俺はお前が欲しい。
お前と寝たいんだよ。


「えーと、それはヘッドハンティング、」

「違う。」

「じゃ、トレード…」

「違う。」


俺は視線を彷徨わせる牧野の瞳をじっと見つめた。
戸惑っていたその瞳には、俺の視線の意味を捉えて嘲りの色が浮かんだ。


「ハッ! まさかあたしと寝たいとかそんなことじゃないわよね? 幼かったあたしの稚拙な言葉選びのせいであんたを傷つけたことは悪かったと思ってるし、そのことに対する謝罪なら何度でもするけど、あたし自身をあげることはできないわよ。だって、あのままだったとしてもあたしはあんたのものにならなかったから。あの時の、お試しの期間の終わりには結局、さよならしてたんだから。」


お前、よく覚えてんな。
「試しに2ヶ月付き合おう」と言ってお前が承諾してくれてから1ヶ月もしないうちにあの雨の夜が来た。
その数時間前にはキスしてくれた。
「深い意味はない」ってこいつは言ったけど、深い意味のないキスを自分からする女じゃないことはわかってた。
だから俺は有頂天になった。
残りの時間を一緒に過ごせば、きっとこいつをモノにできると確信した。
そんな日の夜のことだったんだ。


「そうか。わかった。」


俺の言葉に短く安堵の息を吐き出した女の肩を掴んだまま、俺は俯いてワザとらしく大きなため息をついた。


「いきなり変なこと言って悪かった。実は俺にはな、リハビリが必要なんだ。」

「え?」

「道明寺後継者の俺が32にもなってまだ未婚なのはどうしてだと思う? 女を愛せないからだ。女を信頼できないからだ。」

「道明寺? どうしたの?」


お前は困ったヤツを見放せない女だからな。
その法則はきっと俺に対しても発動されるはずだ。
…俺はもう14年前の、戦略を持たなかったガキじゃねぇんだよ。


「あの日、ねずみ屋行ってパフェ食って、ゲーセン行って遊んで、お前を守るって言ったらお前は対等でいたいからやめろって言ったよな? 俺はあの日のことは全部覚えてる。雨の中でお前の背中を見送ったところまで何もかもが鮮明に思い出せる。そのくらい、人生で衝撃を受けた日だった。」

「……」

「わかってる。お前にはあの選択しかなかったって。ダチを守るためには俺を切るしかなかったって。でもな、本当にそうか? 本当に俺はお前に必要のない人間だったか? 俺はお前を守りたいと思ってたが、お前はダチを救うにしても俺のことも守りたいって、それが例え恋愛感情じゃなくても、それでも一瞬もそんな考えは浮かばなかったのか? それは俺があの女の息子だからか? 俺のことも憎かったか?」

「違うっ! 道明寺が憎かったなんて、そんなこと…ただあたしは友達を守るためには、あんたと離れるしかないってそれだけしか考えてなくて…」

「お前のその意地が18のガキだった俺を深く傷つけた。あれから俺は女なんて1ミリも信じられなくなって、女に真剣になれない。心から愛することができない。お前のせいだろ。」


牧野は悲痛なほど顔を歪めて俺を見上げた。


「今度は俺を助ける番だ。俺がまた女を愛せるように、人生の伴侶を見つけられるように、お前が詫びのつもりで俺のリハビリに付き合え!」

「…そんな……」

「手始めにあの日のキスをしてくれよ。」

「はぁぁ!?」

「あのキスはどういう意味だったんだ? 深い意味はないってお前は言っただろ? でも女ってのは深い意味もなくキスできるのか?」

「だからあれはお礼だって言ったじゃん。守ってくれるって言葉が嬉しかったからって。」

「嬉しかったらどこでも誰にでもキスするのか?」

「いや、だってお試し彼女だったから…彼女ならそのくらい…するのかなって…」


頬を染めた顔を逸らしながら俺に視線だけを流すその姿は確かに14年が経過した大人の女だった。
俺の記憶の中でいつもスカートを翻していたジャジャ馬娘も今では色気さえ感じさせた。
それはもう鉄パンを脱いだからか?
そのことを考えるとかつて翻弄された嫉妬という感情が久しぶりに湧き上がった。


「じゃ、その時の気持ちに戻れよ。ほら。」


俺はスーツに仕舞い込まれたネクタイを引き出した。
あの日は俺のマフラーを引っ張ったんだよな。
「なんだよ!」ってイカったら柔らかい唇が触れた。
何が起こったのか理解するのに数秒かかって、理解したら血が逆流した。
こいつにはその時の俺の喜びなんてわかんねぇんだろうな。

俺の首からぶら下がっているネクタイを牧野がおずおずと握りしめた。
握りしめてじっとしている。
グッてなるからな、グッて。
衝撃に備えとかねぇと。

俺は牧野を見下ろしてその瞬間を待った。

すると、不意打ちとも言えるタイミングでネクタイがグンッと引かれ、14年前と同じ唇が迫った。
しかし俺だって14年前の俺じゃない。
唇が触れた瞬間に両腕で牧野を捕まえた。
そして触れるだけのはずだった唇を捕らえた。
ビリビリと体の末端にかけて身震いが駆け抜けた。


「んっ!」


NY時代に覚えた深いキスを牧野に仕掛ける。


「……ン…」


顎を押さえて口を開けさせ、舌で交わる。
こいつとこんなキスをするのは初めてだな。
柔らかい舌を誘い出す。
仄かにライムの香りがした。
痺れるくらい甘い甘いキス。

口内を舐めまわし貪っていた俺に牧野も返してきた。
牧野の舌が俺の唾液を舐めとり、飲み込む。

互いのキスが絡まる音が耳に届いて、こいつ…そりゃもう17の小娘じゃないよな、と時間の経過に少なからず傷つく一方で、牧野に煽られてる俺がいる。
俺はもうすでにすっげぇ反応して、もっともっと、もっとこいつの中に入りたいとスラックスの中で主張している。

負けないからな。
お前もその気にさせてやる。

なおも深く与え合うキスで膝が震えてきた牧野からやっと顔を離す。


「ハァ…ハァ…あんた…なにがリハビリよ。こんなキス…ズルイ…」


そう言った牧野は俺の支えで辛うじて立ってる。
もう一押しだ。

耳元に唇を寄せ、低音で囁いた。


「お前が欲しい。なぁ、お前の中に入りたい。」


その時、俺のジャケットを握りしめてやっと立っていた牧野の膝がガクンと崩折れた。
俺の勝ちだ。
牧野を横抱きに抱え上げ、ベッドルームに向かった。









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2019.10.06
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2019.10.07
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