俺の名前は道明寺遥(はるか)
女みたいな名前だけど、男だ。
歳は17、英徳学園高等部2年に在籍している。
父親は道明寺司、41歳。
母親は道明寺礼子、38歳。
兄弟はなし。
昔、親父に弟が欲しいとねだったことがある。
が、断られた。
「ガキと遊びたきゃ学校の後輩でも呼べ!」
だとさ。
親父がダメならお袋に言おうかと思ったが、お袋はいつも自分の部屋に閉じこもってて、俺を中に入れてくれなかった。
外出するときだけ出てくる。
一度、その隙を狙って廊下で走り寄って抱きついたことがあった。
そしたらなんのリアクションもなく、ただ見下ろされた。
冷たい目だった。
子供心になんて暗い瞳だろうと思った。
その無機質なまでの美貌から発せられる凍てついた視線に、震え上がった。
そのうちに使用人が飛んできて、ひっぺがされた。
そしてお袋付きの侍女に叱られた。
「遥様、奥様は体がお弱いのです。驚かせたり、ましてや抱きつくなどもってのほかです。今後、奥様の部屋には近づかないでください。」
なんで自分の母親に近づいちゃいけないのか。
まだ7歳の俺にはわからなかった。
が、だんだんとわかってきたのは、どうやらお袋は俺を嫌ってるらしいということ。
物心ついた時から抱きしめてもらった覚えも、一緒に食事をした覚えもない。
会話でさえ、片手で足りるほどしか交わしたことがない。
最初は辛かった。
母親の愛を求めてた。
なんとか気に入られようと頑張ったこともあった。
でも何をしても無駄だった。
中学に入る前にはそれに気がついて、もう諦めた。
そしたらある時言われたんだ。
あれは俺の15歳のバースデーパーティーだったか。
社交辞令のように「おめでとう」と言われて俺も事務的に「ありがとう、お母さん」と返事をした時だった。
「…お母さんなんて呼ばないで。」
「え?」
一瞬、聞き間違えかと思って逸らしていた視線を彼女に向けた。
7歳の時に見た冷たい瞳と目が合った。
お袋の隣には親父が立っていて、腕に乗せられたお袋の手をギュッと掴んでた。
その目が見たことのない悲哀に満ちた目だった。
親父の反応にお袋は言葉を変えた。
「…遥さんももう青年ね。これからは対等な大人としてお付き合いしましょう。私のことは礼子さんとお呼びなさい。」
と、取り繕うかのような言葉だったが、その目は変わらず冷たかった。
その顔を見たとき、俺は唐突に気づいた。
この女は俺の母親じゃない。
俺の本当の母親は別にいるんだって。
その時湧き上がった感情は喜びだった。
母親に愛されない悲しみは消え去り、もう1人の、まだ見ぬ母への思慕が生まれた。
でも同時に、なぜここにいないのか、その事を思うようになった。
お袋とは対照的に親父は俺を可愛がってくれた。
子供の頃、俺を寝かしつけてくれるのは使用人か親父だったし、たまのオフは必ず俺と過ごしてくれた。
親父の運転で出かけたり、いきなり一週間のバケーションが取れたと言っては学校を休ませて海外に連れて行ってくれたり。
目立つ親父といると女も男も関係なく人が寄ってくるのが面倒だったし、どこでも必ず数人のSPに囲まれなきゃならなくて煩わしかったけど、でも嬉しかった。
お袋があんなだけど、親父が愛情を注いでくれたおかげで俺は道を踏み外さずに済んだんだと思う。
今朝も俺はバスルームでシャワーを浴びながら鏡の中の自分を覗きこみ、髪をかきあげた。
俺の背格好は親父に似てる。
身長はもうすぐ追いつくし、手足の長さも同じくらいだ。
ただ俺の方が若干、華奢なくらい。
でも顔が似てると言われたことはない。
決定的に違うあるパーツのせいだと思う。
髪と目だ。
俺の髪はストレートだ。
親父みたいに巻いてない。
昔、一緒に風呂に入ってた頃は、濡れてストレートになった親父と並んで鏡に映って「同じだね」なんて言ったこともあったけど、俺の髪は乾いてもストレートのまま。
そして目は昔からクリクリとしてよく女と間違えられた。
17になった今でも「女みたいな美貌だな」って友達にからかわれる。
そのせいで親父ほどの圧倒的オーラを纏った男前じゃなく、繊細な顔立ちで、捨て犬みたいに母性本能をくすぐるタイプだ。
でも親父は俺のこの目がお気に入りなんだ。
「遥、俺を見ろ。」
俺を抱き上げるたびにそう言って俺の目を覗き込んだっけ。
そう…きっとそうだ。
この目は母親譲りなんだ。
俺を産んだ女と同じ目なんだ。
親父は俺を産んだ女を愛してたんだろう。
だから俺を可愛がった。
じゃあなぜ、彼女はここにいないんだ。
俺と親父のそばにいないんだ。
道明寺遥、17歳。
母親を探し出してやる。
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